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信長・秀吉・家康…音声による「聴く」戦国時代

こんにちは。左大臣光永です。本日は、以前からの予告通り、新商品のご案内をお送りさせていただきます。

「聴いて・わかる。日本の歴史~天下統一への道 信長・秀吉・家康」

織田信長・豊臣秀吉の時代から関ヶ原の合戦、江戸幕府のはじまり、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡し、徳川家康が亡くなるまで。激動の戦国時代後半70年間を語った音声つきDVD-ROMです。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/His07_01.mp3


駿府城公園 徳川家康像

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天正10年(1582)6月2日夜明け頃。

光秀は1万3千を率いて七条口から京都に入り、本能寺をびっしりと包囲します。

「何事じゃ?」

信長はわずかな小姓衆とともに本能寺に宿泊していました。昨夜は嫡男の信忠と京都所司代・村井貞勝を招いて、ごく内輪の席を持ちました。信長は大いにくつろぎ、明け方になって床についた所でした。

最初、さわぎが起こった時、信長も小姓衆も、下々の者のケンカと思いました。しかし、まったくそうではありませんでした。

ワアーーーー

ターン、ターーーン、タターーン

鬨の声と、銃撃の音が響きます。

「これは謀反か!いかなる者の企てぞ」

信長が森蘭丸に尋ねると、

「明智という者の仕業のようです」

「なに光秀が…!それならば、是非も無い」

是非も無い。

光秀が敵に回った以上、それがいい悪い言っても仕方ない。迎え撃つしかないと。

ばっ。

信長はみずから弓矢を取ると、

ぎりぎりぎり

びょう

ぎりぎりぎり

びょう

二つ三つと弓を取り換えながら矢を放ちますが、

どの弓も弦が切れてしまいます。

今度は槍を手に防ぎ戦いますが、

肘に槍傷を受けたので、退きます。

「殿!あああ、殿!」

あわてふためく女房たち。

「女供は急いで逃げよ!」

そう言って逃がしました。

すでに御殿には火がかけられ、近くまで炎が迫っていました。

信長は、敵に最期の姿を見せまいとしたのが、御殿の奥深くへ入り、内側から納戸の戸を閉めて、自害しました。

享年は「人間五十年」に一年足らぬ49でした。

本能寺には信長の供回り50人ばかりいましたが、全員、討ち死にしました。

このように、短く簡潔に、歯切れよく語っております。

桶狭間の合戦

次に桶狭間の合戦のクライマックスシーンです。

なんとか中島砦にたどりつくと、信長は息つく間もなく、東海道を南下し、今川義元の本陣を突かんとします。

またも家老衆が取りつき、およしくださいと必死に説得しますが、

「聞けい。今川勢は夜通し戦い疲れ切っている。
一方こちらは新手の兵である。敵が大勢だからといって恐れるな。
勝負の運は天にあるということを知らぬか。
この合戦に勝ちさえすれば、家の名誉、末代までの功名ぞ
ひたすら進め」

山際まで軍勢を寄せた時、

どざあーーーーーー

石か氷を投げつけるような激しい雨が降り出しました

北西を向いた今川勢の顔に雨が降りつけます。織田方には、背後を押される形となりました。

「進め、進めーーーっ」

どばしゃどばしゃどばしゃどばしゃ

私、自分でワァワァ声出してる時はあまり気づきませんでしたが、あらためて録音したものを聴いてみると、ああ…情景が思い浮かぶなあと我ながら思うんですよ。

映像が無いから、声だけだから、それを補うべく脳がフル回転して、脳内でイメージが掻き立てられるのだと思います。だから音声だけの情報というのは、集中力が高まり、頭に入りやすい。活発に脳細胞が動くんです。

よく子供の頃の、読み聞かせが大事だというのは、そこなんですね。子供に絵本を読んで聞かせる。昔話を聞かせる。素晴らしい。まだ頭の柔らかいうちに、声によって、集中力をつけ、イメージする力を養う。

子供だけではないです。ビジネス書を電車の行き帰りにオーディオブックで聴く人が、増えています。耳から入ってくる音声だけの情報というのは、集中力を高め、発想力を鍛える力があるんだと思います。

人質時代の竹千代

戦の話だけではなく、人物の逸話も多く語っています。

竹千代の駿府人質時代について、さまざまなエピソードが伝わっています。

竹千代は鷹を使うのが好きで、たびたび鷹を飛ばしていました。その鷹が、隣の孕石主水(はらみいしもんど)の屋敷によく飛び込みました。そのたびに孕石主水は「呆れた三河の小倅め」と竹千代を叱りつけました。

竹千代にはそれが屈辱でした。後に家康は、遠州高天神城の戦いで勝利した後、捕らえた孕石主水に切腹を命じています。子供の頃の恨みを忘れなかったんでしょうか。しつこい性格ではありますね…。

またある時の正月、竹千代は今川義元の屋敷に新年の挨拶に上がりました。そこには今川家の家臣たちが大勢集まっていました。「なに?松平清康の孫?知らぬなあ。聞いたこともない」そんなふうに、誰も竹千代に敬意をはらわない。

そこで竹千代はツカツカと縁側まで歩いていき、いきなり袴を下ろしたかと思うと、じゃーーー思いっきり小便を垂れました。「なっ…!」それを見た人々は、さすがに三河の小倅の大胆剛毅に、感心したということです。

そんなエピソードもありつつ、竹千代は今川家に肩身の狭い人質生活を送っていました。

一方、当主竹千代を今川方に取られている松平家家臣団も…悲惨でした。領地から上がる年貢はほとんどが今川方に取られてしまい、自ら鋤鍬を取って百姓仕事をしなければならないしまつ。

その上、織田との戦となると松平家臣団が最前線に駆り出されました。織田方と戦が起こるたびに、松平家では兵士が死に、残された妻子の嘆き悲しみがちまたに満ちました。

「今川は松平の譜代衆を皆殺しにしようとしているのではないか」

そんな声まで起こるのでした。それでも松平家臣団は、

「いつか殿が岡崎に戻って来られる。その時こそ…」

そう言って、耐え忍ぶのでした。

よく徳川家康の一生を「忍」の一字になぞえらますが、この「忍」は家康個人の「忍」ではない。家康を支えた松平家臣団の「忍」であったのです。

「現在の」「定説としての」戦国時代

「現在の」「定説としての」戦国時代。ここに、特に注意しました。

大河ドラマのように、歴史書に3行しか書いてないことを延々一時間に引き伸ばすことはしません。歴史書に3行しか書いてないことは、3行ぶんだけ語ります。

記録にない若い頃のエピソードを創作したり、しません。あくまでも現在の定説にのっとり、出典のハッキリした話だけを語っています。

坂本龍馬と近藤勇が若い頃実は会っていた…などというファンタジーは語りません。

戦国時代の研究は年々進んでいます。先日も明智光秀の本能寺の変後の構想を書いた書状が見つかったように、日進月歩で新しい発見があり新しい説が唱えられています。

10年前の戦国時代と、今の戦国時代は、まったく違うものになっています。

長篠の合戦で鉄砲の三段撃ちは無かったとか、桶狭間は奇襲ではなかったとか、豊臣秀次は秀吉に切腹を命じられたわけではないとか。足利義昭の政権は信長の傀儡政権でなくてちゃんと実体のあるものだったとか。

本製品では極力最新の考証を取り入れて、「現在の」「定説としての」戦国時代を語るよう、気をつけました。

フィクションの問題

また、戦国時代の特に信長・秀吉・家康を語る上で避けられないのが、「フィクション」の問題です。

特に豊臣秀吉において顕著ですが。

たとえば秀吉が子供の頃、矢矧の橋で蜂須賀小六と出会ったとか、信長の草履取りをしていてふところで草履を温めたとか。三杯の茶の入れ方を見て秀吉が石田三成を見出したとか。

こういった話はほぼ全て江戸時代の物語に書かれていることで、つまりほとんどが作り話です。時の江戸幕府に対する不満からも、一つ前の時代の太閤秀吉という人は偉かったということで、さまざまな話が創作されました。一種の過去に対する憧れですね。

だから、草履をふところで温めたなどの話をそのまま信じることはできません。しかし。秀吉が草履を温めた話は長く日本人の中に語り伝えられてきたイメージであり、秀吉といえば草履温め。秀吉といえば草履温め。これは避けて通れない話だと思うんですよ。

そこでこの商品では、こういった「有名だけれども事実とはいえない」エピソードもしっかり語りつつ、「これは後世作られた話で、当時の記録にはありません」などと一言断っています。

つまり、フィクションと事実を明確に区別するよう気をつけています。

ある冬の朝、信長が草履をはくと、

「む…温かい。さては猿め。ワシの草履を尻にしいておったな!」

「違います殿。懐に入れて、温めておったのです」

秀吉が着物をはだけると、草履の跡がある。

「猿め…ういやつよ」

という、あの話。もちろん後世の創作です。この話をはじめ、若い頃の秀吉が信長にいかに熱心に仕えたか示す数々のエピソードが色々と伝わっていますが、どれ一つとしてまともな史料には出てきません。

江戸時代に入ってから講釈師や軍記物の中で語られた話も多いです。そうしたエピソードが長く語り伝えれるうちに史実のように見なされ、ああ太閤さんも若いころ頑張ったんだなあ。俺も太閤さんのように頑張ろうと、秀吉人気が高まっていったわけです。

と、こんなふうにエピソードを語った後、「これは事実とはいえないが」ということを一言断るようにしています。

本製品は、

本製品は、織田信長・豊臣秀吉の時代から関ヶ原の合戦、江戸幕府のはじまり、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡し、徳川家康が亡くなるまで。激動の戦国時代後半70年間を語った音声つきDVD-ROMです。

※音楽用CDではないのでご注意ください。本製品はパソコン用データDVD-ROMです。再生にはパソコンが必要です。音楽用CDプレイヤーでは再生できませんのでご注意ください。

ぜんぶで7時間以上のボリュームですが、一話一話は数分程度の短い話で簡潔ですから、気軽に聴くことができます。

「桶狭間の合戦」「長篠の合戦」「三方ヶ原の合戦」「関ヶ原の合戦」「大阪の陣」など、有名な合戦はほぼ網羅しています。

地図・図解つきテキスト

音声に加えて、テキストpdfファイルが付属しています。pdfファイルには文章だけでなく、必要に応じて地図や系図などを添えました。特に合戦の場面は、地図を見ながら聴くと(読むと)わかりやすいはずです。

ためしにここ、地図を見ながら聴いてみてください。「中国大返し」のくだりです。

「さあ光秀とケンカじゃ」

秀吉軍2万5000。それも秀吉の直属でなく、織田信長の家臣たちです。しかし秀吉は彼らを自分の直属として組み入れると。

6月6日午後、陣払いをすませて、山陽道を東へ向かいます。

6月8日早朝。姫路城入り。

姫路城は中国攻略の基地だったので、兵糧も金もワンサと蓄えがありました。しかし秀吉は

「金も食料も、兵士たちに与えよ」

「殿、そんな無茶です」

黒田官兵衛が咎めますが、

「この戦、生きるか死ぬかの正念場じゃ。金や食料など残しておいても、何にもならぬわ」

兵士たちの士気は大いに上がりました。

翌9日。姫路を出発。

この間、秀吉は元信長の家臣たちにしきりに書状を送り、味方になるよう呼びかけていました。秀吉の得意技でした。

11日、尼崎に入り、織田信孝・丹羽長秀らを味方に引き入れます。

12日、秀吉は富田《とんだ。大阪府高槻市富田町》に入り、池田恒興・中川清秀・高山右近らと軍議を開きます。

こんな感じで、地図を見ながら音声を聴くことで、いっそう話がわかりやすくなり理解が深まります。

内容一覧

織田信長

織田信長(一) 吉法師
織田信長(二) 平手政秀の死
織田信長(三) 斎藤道三との会見
織田信長(四) 長良川の合戦
織田信長(五) 織田信行の反乱
織田信長(六) 山口教継の離反
織田信長(七) 桶狭間の合戦
織田信長(八) 美濃平定
織田信長(九) 天下布武
織田信長(十) 流浪の足利義昭
織田信長(十一)足利義昭、十五代将軍となる
織田信長(十二)ルイス・フロイス
織田信長(十三) 五箇条の諚書
織田信長(十四) 越前侵攻
織田信長(十五) 姉川の合戦
織田信長(十六) 本願寺顕如
織田信長(十七) 志賀の陣
織田信長(十八) 比叡山焼き討ち
織田信長(十九) 近江・小谷城攻略
織田信長(二十) 十七ヶ条の異見書
織田信長(二十一) 信玄、西上
織田信長(二十二) 三方ヶ原の合戦
織田信長(二十三) 足利義昭、挙兵
織田信長(二十四) 槇島城の戦い
織田信長(二十五) 朝倉・浅井を亡ぼす
織田信長(二十六) 長篠の合戦
織田信長(二十七) 安土城造営
織田信長(二十八) 石山合戦~天王寺の戦い
織田信長(二十九) 第一次・第二次 木津川口の戦い
織田信長(三十) 安土城完成
織田信長(三十一) 武田家滅亡
織田信長(三十二) 本能寺前夜
織田信長(三十三) 本能寺の変

豊臣秀吉

豊臣秀吉(一) 日吉丸
豊臣秀吉(二) 信長に仕える
豊臣秀吉(三) 美濃攻略
豊臣秀吉(四) 越前侵攻
豊臣秀吉(五) 姉川の合戦
豊臣秀吉(六) 朝倉・浅井を滅ぼす
豊臣秀吉(七) 羽柴秀吉となる
豊臣秀吉(八) 毛利攻め
豊臣秀吉(九) 鳥取城の戦い
豊臣秀吉(十) 備中高松城
豊臣秀吉(十一) 中国大返し・山崎の合戦
豊臣秀吉(十二) 清州会議
豊臣秀吉(十三) 賤ヶ岳の合戦
豊臣秀吉(十四) 大阪城築城
豊臣秀吉(十五) 小牧・長久手の合戦
豊臣秀吉(十六) 天下人への道
豊臣秀吉(十七) 伴天連追放令
豊臣秀吉(十八) 聚楽第
豊臣秀吉(十九) 刀狩り・太閤検地
豊臣秀吉(二十) 小田原攻め
豊臣秀吉(二十一) 奥羽仕置と奥羽一揆
豊臣秀吉(二十二) 文禄の役
豊臣秀吉(二十三) 秀次事件
豊臣秀吉(二十四) 慶長の役
豊臣秀吉(二十五) 天下人秀吉の最期

徳川家康

徳川家康(一) 松平氏の系譜
徳川家康(ニ) 人質時代
徳川家康(三) 桶狭間の合戦
徳川家康(四) 清洲同盟
徳川家康(五) 三河の一向一揆
徳川家康(六) 三方ヶ原の合戦
徳川家康(七) 長篠の合戦
徳川家康(八) 岡崎信康切腹事件
徳川家康(九) 本能寺の変・伊賀越の難
徳川家康(十) 天正壬午の乱
徳川家康(十一) 小牧・長久手の合戦
徳川家康(十ニ) 駿府入り
徳川家康(十三) 小田原攻め
徳川家康(十四) 文禄の役
徳川家康(十五) 慶長の役
徳川家康(十六) 天下人秀吉 逝く
徳川家康(十七) 石田三成襲撃事件
徳川家康(十八) 石田三成の挙兵
徳川家康(十九) 関ヶ原の合戦
徳川家康(二十) 石田三成の最期
徳川家康(二十一) 毛利氏への処分
徳川家康(二十ニ) 江戸幕府の始まり
徳川家康(二十三) 大阪の陣前夜
徳川家康(二十四) 大阪冬の陣
徳川家康(二十五) 大阪夏の陣
徳川家康(二十六) 武家諸法度・禁中並公家諸法度
徳川家康(二十七) 家康薨去

総時間:約8.4時間

ただし「桶狭間の合戦」や「三方ヶ原の合戦」など、信長篇・秀吉篇・家康篇を通して重複している音声があります。

左大臣光永


左大臣プロジェクト運営委員会代表。日本でただ一人、古典・歴史の「語り」とインターネットによる通信販売を組み合わせ、専業事業として行っている。メールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」は読者数18000人。楽しく躍動感あふれる語りで好評をはくす。平成23年パナソニック映像(株)の社内セミナーで「おくのほそ道」の講演。東京都教育委員会の学習コンテンツシステムにて『平家物語』、『論語』、漢詩の朗読を担当。平成24年4月から9月までTAMA市民大学TCCで「はじめての『平家物語』」講演。以後、「百人一首の歌人たち」「松尾芭蕉とその時代」「語り継ぐ日本神話」「飛鳥・奈良の歴史を歩く」「鎌倉と源氏三代の栄光」講演。マリエッタ(株)スマートフォン用アプリ「華麗なる百人一首」で朗詠音声担当。三省堂(株)学校教科書の副読本付属CDで古典や漢詩の朗読担当。平成25年、広島県海の見える杜美術館にて菅原道真のナレーション担当。平成26年4月、舞台劇『東方麗人抄』脚本・朗詠担当。9月、滋賀県大津市「第10回木曽義仲・巴ら全国連携大津大会」で木曽義仲の講演。平成27年3月長野県玉泉寺で川中島合戦の講演

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販売終了しました。たくさんのお買上げ、ありがとうございました。

「下克上と戦国時代の幕開け」も発売中

そして、本製品の前の時代を扱った「下克上と戦国時代の幕開け」も好評発売中です。応仁の乱、毛利元就、武田信玄と上杉謙信、鉄砲の伝来、キリスト教の伝来といった話題を語っています。

現在、セット価格でのご購入がおとくです。

「下克上と戦国時代の幕開け」→「天下統一への道」と、通して聴くと、応仁の乱から戦国時代の騒乱を経て江戸幕府成立に到るまで、約150年間のダイナミックな歴史の流れが楽しみながら身につくようになっています。

収録内容

01 八代将軍 足利義政
02 足利義政の浪費と長禄の飢饉
03 応仁の乱(一)御霊合戦
04 応仁の乱(二)細川勝元と山名宗全
05 応仁の乱(三)大乱終結
06 山城国一揆
07 足利義政と東山山荘
08 北条早雲(一)伊勢新九郎
09 北条早雲(二)伊豆侵攻
10 北条早雲(三)小田原城攻略
11 北条早雲(四)相模から上総へ
12 毛利元就(一) 毛利元就登場
13 毛利元就(二) 初陣
14 毛利元就(三) 鏡山城攻略
15 毛利元就(四) 家督を継ぐ
16 毛利元就(五) 大内義興 来襲
17 毛利元就(六) 百万一心
18 毛利元就(七) 吉田郡山城合戦
19 毛利元就(八) 出雲侵攻~第一次月山富田城合戦
20 毛利元就(九) 毛利元就と陶晴賢
21 毛利元就(十) 村上水軍
22 毛利元就(十一) 厳島の合戦
23 毛利元就(十二) 三本の矢
24 毛利元就(十三) 第二次月山富田城合戦
25 武田信玄と上杉謙信(一) 信玄、登場
26 武田信玄と上杉謙信(二) 父を追放
27 武田信玄と上杉謙信(三) 謙信、登場 
28 武田信玄と上杉謙信(四) 諏訪攻略
29 武田信玄と上杉謙信(五) 村上義清
30 武田信玄と上杉謙信(六) 信濃掌握
31 武田信玄と上杉謙信(七) 謙信、関東管領への道
32 武田信玄と上杉謙信(八) 啄木鳥戦法
33 武田信玄と上杉謙信(九) 第四次川中島合戦
34 武田信玄と上杉謙信(十) 駿河攻略
35 武田信玄と上杉謙信(十一) 信玄、西上
36 武田信玄と上杉謙信(十二) 三方ヶ原の合戦
37 武田信玄と上杉謙信(十三) 七尾城の合戦
38 鉄砲伝来
39 キリスト教伝来(一)
40 キリスト教伝来(二)

収録時間: 約6.2時間

では最後に、安土城完成の場面をどうぞ!

天正7年(1579)安土城が完成します。

「おお…」
「なんという…」

そびえ立つ天主。

黄金に輝く瓦葺の屋根。金の鯱。

いずれも信長の権威を世に示すに十分でした。

ただただ、言葉を失う人々。

天主から琵琶湖を望みながら、

「ようやくここまで来た…」独りつぶやく信長。

「素晴らしいデース。まるで神の宮殿デース」

驚きを隠せないルイス・フロイス。

安土城は地上六階地下一階の七階層。

各階の襖や障子には狩野永徳により絵が描かれました。絵の内容は山水画や中国の儒者・皇帝・伝説上の人物などが多く、日本の神話・伝説を扱ったものは一つもありませんでした。

それは、信長は中国風を強く意識していたためです。自分は天皇にも、将軍にもこびへつらわない。中国皇帝にも匹敵するものだぞという、信長の意思のあらわれでした。

天主の東南には摠見寺(そうけんじ)が築かれました。摠見寺に本尊はなく、ルイス・フロイスの言葉によれば「信長は、自らを神体とし、生きた神仏とした」ということです。

本日も左大臣光永がお話しました。

ありがとうございます。
ありがとうございました。



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