新選組 結成篇・激闘編 再発売

こんにちは。左大臣光永です。本日は商品のご案内です。

「新選組 結成篇」「同 激闘編」

特典の解説音声「桜田門外の変」つきです。

特典つきでの販売は本日(6/30)までとなります。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/MiburoInfo1_2.mp3

新選組といえば、有名な隊士たちについては、ある程度固定された、一定のイメージがありますよね。

近藤勇といえば誰もがあのいかつい顔で腕組んで座っている姿を想像し、土方歳三といえばイケメンで、女にモテて、しかも冷酷非情なところがある。

沖田総司といえば透き通るような笑顔で、近藤さん土方さんと慕っている様子。それでいて最強の剣の使い手である。かと思うと体が弱く喀血してしまう。

芹沢鴨といえば酔っぱらってドカンバカン暴れているさまを想像するでしょう。

金戒光明寺 京都守護職 屯所跡
金戒光明寺 京都守護職 屯所跡

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このような新選組隊士についてのイメージは、長年にわたって映画や小説、漫画やゲームと媒体を変え、世代を越えて何度も語り継がれ日本人に親しまれてきたものです。

ところでそうした新選組隊士のイメージの、大元のルーツは何でしょうか?

それは、

新選組二番組組頭・永倉新八(ながくらしんぱち)氏の残した回顧録と、小説家・子母沢寛(しもざわかん)が新選組関係の人々への聞き込み調査に基づいて書いた『新選組始末記(しんせんぐみしまつき)』に行き着きます。

壬生 八木邸
壬生 八木邸

永倉新八の回顧録

新選組一の剣の使い手といわれた二番組組頭・永倉新八は、明治維新後も長く生きました。

19世紀が20世紀になり、明治が大正になる中、永倉新八は北海道小樽で医者の娘の婿養子となり、大正四年(1915年)年77歳で小樽で亡くなります。

晩年、永倉新八は小樽新聞の要請にこたえて新選組の回顧録を小樽新聞に連載しました。

永倉新八は最終的に、近藤勇と決裂しましたが、それでも近藤勇は同じ時代を生きた同志であり、新選組の歴史を語ることが、近藤はじめ死んでいった者たちへの手向けにもなると考えたようです。

板橋 近藤勇・土方歳三の墓
板橋 近藤勇・土方歳三の墓

この、永倉新八氏の回顧録によって、今日私たちは新選組の活躍を細かに知ることができるわけです。

池田屋で隊士たちがどう動いたか?

沖田総司がどんな太刀筋で戦ったか。

まるで、現場に居合わせて、隊士たちの息遣いを聞いているように、生き生きと、伝わってくるのです。

そこには、最前線で戦っていた当事者だからこその、躍動感・生々しさがあります。小説や映画などの作り物では、ぜったいに出せない迫力があります。

『新選組始末記』

時代下って昭和3年(1928年)。

小説家子母沢寛は当時生きていた新選組の関係者の方々からの聞き込み調査をもとに『新選組始末記』を発表します。

この『新選組始末記』により、新選組の再評価がさらに進みました。

これら永倉新八氏の回顧録と子母沢寛氏の著作により、新選組の歴史がじょじょに掘り起こされてきました。

明治維新以後、新選組というと、とても暗いイメージがありました。

とにかくひどい。京の町を荒らしまわったロクでもない連中だった。血に飢えた無法者集団であったと。

明治政府から見ると新選組は敵にあたるわけですから、悪いイメージばかり高まるのは当然です。

しかし、永倉新八氏の回顧録や、子母澤寛氏の著作によって、新選組はけして血に飢えた無法者集団というだけではなかったことが、はっきり見えてきました。

たしかに新選組はひどいこともした。

しかし、彼らは当時、京の町を守るために、徳川を守るために戦ったのだと。

新選組隊士たちの青春

また隊士たちの多くは二十代の若者でした。

そこには「人斬り」だけではない、ふつうの二十代の若者としての、泣き笑い、悲喜こもごもの青春がありました。

近藤勇の拳

近藤勇は口が大きく眉が迫っているがいつもニコニコ笑顔で、顔が大きいわりに両方の頬に笑窪があるので、やさしいかんじがありました。

よく自分の拳を口の中に入れたそうです。

「加藤清正はな、俺みたいに口が大きくって、
こんなふうに自分の口に拳を出し入れしたというぞ。
俺も加藤のように出世したいものだ」

そう言って、ガボガボと拳を口に出し入れしたと伝えられます。

沖田総司の鬼ごっこ

沖田総司は、近所の子供たちを引き連れて鬼ごっこをやったり、壬生寺の境内を駆け回りました。

壬生寺
壬生寺

山南敬介の合わせ

山南敬助は仙台の出身で、背はあまり高くなく、色の白い愛嬌のある顔をしていました。

学問もあり武芸も達者なので、八木邸の主人八木源之丞にはきさくに話せる相手でした。

この山南敬助が黒の羽二重の紋付に同じ黒羽二重の合わせを着ており、その袖口がぼろぼろに破れ、合わせの所が刀の鍔ですり切れて、穴が開いていました。

ふところに入れた紙などがその穴から出てくるという有様で、ある時、縁側に立って袖口のぼろをひっぱり出していたところを、源之丞の息子に目撃されます。

「おっちゃん、ビンボウなのか」
「あっ…おっ、こりゃあ坊主に大変なところを
見られちまったなあ」

などと、山南は子供好きで、何かにつけて子供と話していました。

芹沢鴨の火鉢

ある時、芹沢鴨が主人八木源之丞から火鉢を借りていきましたが、二三日すると、誰も知らない間に、そっと返してありました。

見ると、ざっくり四五寸も斬り込んだ跡がありました。

あっと思った八木源之丞は、すぐに芹沢のもとに抗議に行きます。

「芹沢さん、あんまりじゃないですか」

「いやどうも、済まん済まん」

芹沢は頭をかきながら謝ります。

「いったい、どなたが斬ったんですか」

「俺だ、俺だ」

芹沢は頭をかきながら、さっと逃げていきました。

芹沢・近藤、葬式の手伝い

ある時、八木邸で葬式が出ました。新選組隊士たちはふだん世話になっている八木さんに今こそ恩返しの時と、葬式の手伝いをしました。

近藤勇と芹沢鴨は、受付になりました。

きちんと紋付きに袴をはいて、受付に座っていた近藤・芹沢。しかし一通り受付が終わると、芹沢は退屈になってきました。

「暇だねえ近藤くん」

「芹沢先生、しゃんとなさってください」

「いやしかし、こうも暇だとねえ」

そのうち、芹沢が何かやってるなと思って見ると、紙のすみっこに、筆で絵を描いている。

「先生、馬ですか」

「どうだい、なかなかうまいだろう」

そんな日常も、あったということです。

西本願寺屯所

西本願寺北集会所(きたしゅうえじょ)は新選組第二の屯所です。西本願寺は長州と気脈を通じ、元治元年(1864)禁門の変の時は長州人を軒下にかくまったりしました。そこを土方歳三に眼をつけられ、脅されて、屯所として開放するはめになったのです。

西本願寺 太鼓楼
西本願寺 太鼓楼

新選組隊士たちは西本願寺境内の大広場を練兵所とし、大砲二門を設置しました。

「撃てーーーッ」

ドカーーン。ドカン。ドカーーン。

「ひ、ひいいい!!」

西本願寺の門主は心をこめて仏に祈っていた所、ドカンドカンの強烈な音で極楽の瞑想はたちまち破られ、布団の中にもぐりこんでガタガタ、ガタガタふるえながら、人を呼んで、

「大砲を撃つならば、事前に言ってもらわねば困る!」

そう言って新選組と交渉させますが、

「門主が怖がってるてよ」
「よっしゃ、もっと怖がらせてやろうぜ」

ドカン、ドドーーン

隊士たちは面白がってさらに空砲を撃ちまくりました。

猪鍋問題

さらに西本願寺では困った問題が起こりました。

鞍馬や大原など、近隣の山から物売りの女たちが下りて来て、隊士たちを相手に商売をするのでした。

「猪(しし)いらんかえ~丸々肥えた猪やで~。うまいでえ~」

「おお、こっちじゃこっちじゃ。ほほお、今日の肉はまた一段と肥えとるのお」

「鍋にして食うたら最高やで」

「おい、沖田、酒あったか酒。おう、癇にしてな」

などとワイワイいいつつ、隊士たちはめいめい好きなだけ買い求めると、部屋に鍋を持ち込んで、グツグツ煮て、食べるのでした。

仮にも寺の門内でです。

僧侶たちが読経を上げていると、ぷうん…とおいしそうな猪鍋のニオイが漂ってくる。

さすがに集中力を乱されます。

「これでは読経にならん!!」

むしろこっちのほうが、大砲よりも大問題でした。

一年間にわたって配信しました

私はこれら新選組の解説音声を、2014年2月から2015年3月にかけて、全53回にわたってメルマガで配信しました。

ほとんどは永倉新八氏の回顧録と、子母沢寛の『新選組始末記』に基づき、不足している部分はさまざまな新選組関係の参考文献によって補って語りました。

特に永倉新八氏の回顧録は、氏が生粋の江戸下町っ子だけあって、落語や講談のような小気味よいリズムがあります。現代語訳しながらも、永倉新八氏のもとの語り口を活かすように心がけました。

取材のため、何度も京都に足を運び、隊士たちのたどった足跡をたどりました。ああ、近藤勇も祇園や島原を歩いたのか。祇園祭のコンコンチキチのお囃子を。壬生狂言のカンデンデンのお囃子を、隊士たちも聴いたのか。

西本願寺屯所跡。うーんここで!大砲をぶっ放したか。

はじめ曖昧だったイメージが、歩くたびに確かなものになっていきました。それはゾクゾクするほど楽しい、充実した時間でした。

京都の町がどんどん好きになっていきました。好きが高じて、とうとう2017年には移住してしまいました。

鴨居の傷

その中でも京都壬生の八木邸(新選組の屯所跡)が印象的でした。

文久3年(1863)2月23日、新選組の前身たる浪士組は、京都に到着し、ここ壬生の八木邸に荷をおろしました。

文久3年(1863)9月に初代局長芹沢鴨が暗殺された後は近藤勇が局長となり、新選組と名をあらためました。元治元年(1864)の池田屋事件、同年7月18日の禁門の変で勇名をはせたのも、新選組がここ壬生に屯所を置いていたころの話です。

前川邸は現在個人の家となっており入れませんが、八木邸は一般公開されています。

係りの方の危機迫る解説とともに、芹沢鴨が暗殺された、まさにその暗殺の現場に立つことができます。

鴨井にたった一つ残った刀傷の話が印象的でした。

昔は部屋じゅうにいくつも刀傷があったそうですが、観光客がちょっとずつ刀傷をさわっていくので、長い年月の間にすりへって、今は鴨井の傷が一つ残っているだけという話でした。

「触るな!ちゅうても触りますからね。あかん!ちゅうても、ちょこっと目を離すと触りよりますから。ほんま困ったもんですわ…」

そんな話が印象的でした。なんか、いいじゃないですか。生生しい刀傷が、後世の人によってちょっとずつ触られて、チビて丸くなっていく…歴史というものは、あるいはそんなものかと思わされました。

あなたを幕末の京都へご案内します

というわけで「新選組 結成篇」「新選組 激闘篇」特典付きで再発売します。

上巻「結成篇」は近藤勇・土方歳三・沖田総司らの少年時代から始まり、試衛館道場時代、そして浪士組募集に応じての上洛した壬生浪士組がやがて新選組となる中で、八月十八日の政変。初代局長芹沢鴨の暗殺といった事件を経て池田屋事に至るまでを語ります。

近藤勇の少年時代
近藤勇の盗賊退治
土方歳三の少年時代
沖田総司と試衛館の面々
浪士募集
浪士組 中仙道を行く
清河八郎の謀反
壬生浪士結成
清河八郎の暗殺
だんだら羽織
八木邸と前川邸
大坂力士との乱闘(一)
大坂力士との乱闘(ニ)
大和屋 打ちこわし
芹沢鴨の乱暴狼藉
芹沢鴨 大坂新町の乱行
八月十八日の政変
七卿落ち
芹沢鴨の暗殺
長州の間者
新選組誕生
池田屋事件(一)
池田屋事件(二)
池田屋事件(三)

約4.2時間

下巻「激闘編」は禁門の変から第一次・第二次長州征伐、薩長連合、そして大政奉還と時代が大きく動く中、新選組内部では山南敬助の処刑、伊東甲子太郎一派との対立。近藤勇は時勢にあらがおうとするも叶わず、鳥羽伏見の戦いで惨敗した新選組は江戸へ下り、甲州勝沼、下総流山と転戦するも、ついに近藤勇が捕えられ、板橋で処刑されるまでを語ります。

明保野亭事件
禁門の変(一)
禁門の変(二)
禁門の変(三)
天王山の戦い
新選組 江戸へ
伊東甲子太郎の入隊
伊東甲子太郎と新たなる部隊編成
第一次長州征伐
山南敬助の脱走
山南敬助の最期
西本願寺
第二次長州征伐
三条制札事件
伊東甲子太郎の脱退
御陵衛士
油小路の血闘
天満屋騒動
都落ち
近藤勇 狙撃事件
鳥羽伏見の戦い(一)
鳥羽伏見の戦い(二)
新選組 江戸へ
甲州勝沼の戦い
永倉新八 近藤勇と袂を分かつ
流山の落日 近藤勇の最期

約5.5時間

あなたを幕末の京都へご案内します。

芹沢鴨の暗殺、池田屋事件など、歴史的事件の瞬間に立ち会って目撃者となってください。

幕末の京都の闇の中に、はじきあう刃の音を聞いてください。

新選組隊士たちが「誠」の文字を染め抜いた旗をはためかせて、隊列をなして、さっそうと歩いていく、その現場に居合わせてください。

祇園で飲んだ帰りに壬生の屯所まで千鳥足で帰っていく、隊士たちのほろ酔い気分の鼻歌を聞いてください。

池田屋事件

では上巻のクライマックス、「池田屋事件」どうぞ。

元治元年(1864)6月5日。

この日、新選組は長州人が京都の町を焼き討ちにしようとしているとの情報を受け、局長近藤勇・副長土方歳三以下、34名で、鴨川の西と東に分かれ、四条から三条にかけて捜索していきます。

折しも祇園祭の前夜で、夜の通リは賑わっていました。

高瀬川の涼風に、そぞろ歩きの人々の合間を縫って、鎧帷子に身を固めた新選組隊士たちが通リを行くと、時々は浴衣姿の男女にぶつかったりなんかして。

「あん!…なんやのんあれ」
「ありゃあ…壬生狼(みぶろ)やな。血相変えとるけど…何や大捕物でもあるんやろか」

三条小橋西入る七軒目の旅籠屋・池田屋は長州の定宿の一つと見られており、この夜の重要な捜索ポイントの一つに挙げられていました。

すっと中を覗くと、

戸口に槍や鉄砲が立てかけられてある。

これだと見た近藤勇は、表に三人、裏に三人立たせておいて、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の四人で中に入っていき、

「今宵、旅宿あらためである」

期間限定特典

そして期間限定特典です。6月30日(土)までにお申し込みいただいた方へ。解説音声「桜田門外の変」を特典としてお付けします。

安政7年(1860)3月3日。江戸城桜田門外にて大老井伊直弼が水戸・薩摩の脱藩浪士に斬られた、桜田門外の変。いわずと知れた、幕末史のターニングポイントです。この解説音声は、以前メルマガで配信したものに、現地取材による加筆・修正をした上で語りました。

本編の新選組の音声とあわせて聴くことで、いっそう幕末史の流れがわかりやすくなっております。

6月30(土)までの期間限定配布です。お申込みはお早めにどうぞ!



↓↓お申込みはこちらです↓↓

≫「新選組 結成篇」のみ申し込む(3000円)

≫「新選組 激闘篇」のみ申し込む(3000円)

≫「新選組 結成篇」+「同 激闘編」セットで申し込む(6000円)

※パソコン用データCD-ROMです。音楽用CDプレイヤー・映像用DVDプレイヤーでは再生できませんので、ご注意ください。




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