『徒然草』酒は百薬の長なれど…

こんにちは。左大臣光永です。

10月も半ばとなりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

発売中の商品『徒然草』全243段 dvd-rom版・ダウンロード版、ご好評をいただいています。特典つきでの販売は明日(10/15)までです。というわけで本日も『徒然草』から一段、味わい深いところを。

↓動画が再生されます↓

酒は百薬の長なれど…

兼好は基本的に口が悪く、特に女と結婚と酔っぱらいが大嫌いです。この三つについては「そこまで言っていいのか」というくらい、ボロクソに言います。その一方で、どこか書きっぷりに愛嬌があり、単なる悪口ではない、味わい深いものがあります。

世には合点のいかない事が多いものだ。事あるたびにまず酒をすすめて、強いて飲ませるのを面白いとする事は、どんな理由あってのことか、合点がいかない。飲む人の顔は、たいそう堪えがたそうに眉をひそめ、人目をうかがって酒を捨てようとして、逃げようとするのを、捕まえて、引きとどめて、むやみに飲ませてしまうと、きちんとした人も、たちまちに狂人となってバカっぽい振舞をし、健康である人もたいへんな病にかかった病人のようになって、前後もわからず倒れ伏す。

祝い事のある日などは、あきれ果てたことになるに違いない。あくる日まで頭が痛く、物も食わず、うめき横たわり、生を隔てた前世のことのように昨夜のことを覚えていないし、公のことも私のことも大切な用事をすっぽかして、迷惑をかける。人にこのような目を見させる事は、慈悲もなく、礼儀にもそむいている。

このような辛い目にあった人は、恨めしく、残念に思わないだろうか。外国にこのような習慣があるらしいと、日本ではないよそ事として伝え聞いたとしたら、あやしく不思議に思うに違いない。

人の身の上のこととして見るのさえ、不愉快だ。考え深そうな様子で、奥深いと見ていた人も、分別もなく笑いさわぎ、言葉は多く、烏帽子はゆがみ、衣の紐ははずし、脛を高くかかげて、つつしみの無い様子は、いつものその人とも思えない。女は額髪をかきやって顔をむき出しにして、恥しげもなく顔をあお向けて笑い、盃を持った手に取り付き、つつしみの無い人は肴を取って人の口に押し当て、自らも食う。ひどい有様だ。声の限り大声を出して、おのおの歌い舞い、年老いた法師が召し出されて、 黒く汚い身なのに肩を脱いで、目もあてられない有様で身をよじるのを、面白がって見る人さえ、いとわしく憎たらしい。

あるいは又、自分がどれほど立派かという話を、はたで聞いているのが恥ずかしくなるほど言い聞かせ、あるいは酔って泣き出し、下賤の者は、罵りあい、争って、呆れかえるほどで、恐ろしい。恥さらしで、残念なことばかりであって、はては許可されていない物を勝手に取っていき、縁から落ちたり、馬・車から落ちたり、過失をしてしまう。乗り物に乗らないような低い身分の者は、大路をよろよろ歩いて、築土や門の下などに向いて、言うもはばかられるようなことをやり散らかし、年老いて、袈裟をかけた法師が、小童の肩をおさえて、聞えない事などを言いつつ、よろめいているのは、見ていられない。

このようなことをしても、現生をも、生まれ変わった後の世においても利益のあることならば、仕方があるまい。ところが現生においては過ちが多くなり、財産を失い、病にかかる。酒は百薬の長とはいうが、あらゆる病は酒から起こっている。(酒を飲むと)辛いことを忘れるというが、酔っている人は、過ぎ去った過去の辛いことをも思い出して泣いているようだ。

生まれ変わった先の後世においては、酒は人の知恵を損ない果報をもたらす前世での良い行いがあっても火のように焼き尽くしてしまい、悪を増し、あらゆる戒…仏教の掟を破って、地獄に落ちるに違いない。「酒を取って人に飲ませる人は、五百回生まれ変わる間、手の無い者に生れる」と、仏はお説きになっているということである。

このようにいとわしいと思うものではあるが、自然と捨てがたい折もあるだろう。月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して盃を差し出す。何かにつけて興をそえることである。

退屈な日に、思いの外に友が入って来て、一杯やるのも、心なぐさめられる。はばかり多い高貴な方が御簾の中から果物やお酒などを、上品そうな気配でさし出されるのは、とてもよい。

冬、狭い所で火で物を煎たりなどして、心に隔てない仲間とさし向かって、たくさん酒を飲むのは、とても面白い。旅の仮屋、野山などで「何か肴がほしいなあ」など言って、芝の上で飲んでいるのも楽しい。

たいそう酒を嫌がる人が、強いられてちょっと飲むのも、とてもいい。高貴な人が、特別に、「もう一献。お酒が減っていませんよ」など、おっしゃるのも嬉しい。お近づきになりたい人が、上戸で、すっかり打ち解けてしまったのも、また嬉しいものだ。

そうはいっても、上戸はおかしく、罪のない者である。酔いくたびれて朝寝している所を、主人が戸を引き開けると、まごついて、ねぼけ顔のままに、細い髻をさし出し、着物もちゃんと着ないで抱え持って、足を引きずって逃げる。裾をちょっと手で摘み上げた背中に、毛の生えた痩せた脛の様子が、おかしく、酒飲みにふさわしい。

どうですか?この、酔っぱらいに対する温かい視線!酔っぱらいの生態を、ここまで事細かに記した文章は、古今東西めずらしいと思います。

さんざん貶して、最後にちょっと持ち上げるんですね。「でも酔っぱらいも可愛いところがある」と。ちゃんとフォローしてるのも、心憎い限りじゃないですか。

………

こうした『徒然草』のさまざまな言葉、エピソード。面白いことに、たまに読み返すと、そのたびに、新しいものを返してくれます。

その時の自分の気持ち、置かれている状況によって、あれっ、以前は気づかなかったけど、ここいいこと言ってるな。とかね。

一生つきあっていける作品と思います。

本製品は、

『徒然草』全243段を、すべて原文と、現代語訳で朗読し、必要に応じて補足説明を加えた音声とテキストです。全14.6時間にわたりますが、それぞれの話は数分から十数分程度で、気軽に聴けます。

また原文に加えて現代語訳と解説がありますので、より内容がわかりやすくなっています。

内容一覧
序段 つれづれなるままに
第一段 いでや、この世に生まれては
第二段 おろそかなるをもてよしとす
第三段 色好まざらん男は、いとさうざうし
第四段 後の世の事、心にわすれず
第五段 不幸に愁にしづめる人の
第六段 子といふ物なくてありなん
第七段 あだし野の露きゆる時なく
第八段 世の人の心まどはす事、色欲にはしかず
第九段 愛著の道
第十段 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ
第十一段 来栖野といふ所を過ぎて
第十二段 おなじ心ならん人としめやかに物語して
第十三段 ひとり灯のもとに文をひろげて
第十四段 和歌こそ、なほをかしきものなれ
第十五段 しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ
第十六段 神楽こそ
第十七段 山寺にかきこもりて
第十八段 人はおのれをつづまやかにし
第十九段 折節のうつりかはるこそ
第二十段 なしがしとかや言ひし世捨人の
第二十一段 よろづのことは、月見るにこそ
第二十二段 なに事も、古き世のみぞしたはしき
第二十三段 おとろへたる末の世とはいへど
第二十四段 斎王の野宮におはしますありさまこそ
第二十五段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば
第二十六段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に
第二十七段 御国ゆづりの節会おこなはれて
第二十八段 諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ
第二十九段 しづかに思へば
第三十段 人のなきあとばかり
第三十一段 雪のおもしろう降りたりし朝
第三十二段 九月廿日の比
第三十三段 今の内裏作り出だされて
第三十四段 甲香は
第三十五段 手のわろき人の
第三十六段 久しくおとづれぬ比、いかばかりうらむらんと
第三十七段 朝夕隔てなく馴れたる人の
第三十八段 名利に使はれて、しづかなるいとまなく、
第三十九段 或人、法然上人に、
第四十段 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、
第四十一段 五月五日、賀茂の競馬を見侍りしに、
第四十二段 唐橋中将といふ人の子に、
第四十三段 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、
第四十四段 あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の、
第四十五段 公世の二位のせうとに、良寛僧正と聞えしは、
第四十六段 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり
第四十七段 或人、清水へまゐりけるに、
第四十八段 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、
第四十九段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。
第五十段 女の鬼になりたるを率てのぼりたりといふ事ありて、
第五十一段 亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、
第五十二段 仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、
第五十三段 是も仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、
第五十四段 御室に、いみじき児のありけるを、
第五十五段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。
第五十六段 久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、
第五十七段 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ
第五十八段 道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交わるとも、
第五十九段 大事を思ひたたん人は、
第六十段 真乗院に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
第六十一段 御産のとき甑落す事は、さだまれる事にはあらず、
第六十二段 延政門院いときなくおはしましける時、
第六十三段 後七日の阿闍梨、武者をあつむる事、
第六十四段 車の五緒は、必ず人によらず、
第六十五段この比(ごろ)の冠(こうぶり)は、
第六十六段 岡本関白殿(おかもとのかんぱくどの)、盛りなる紅梅の枝に、
第六十七段 賀茂の岩本・橋本は、
第六十八段 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが、
第六十九段 書写の上人は、
第七十段 元応の清暑堂の御遊びに
第七十一段 名を聞くより、やがて面影はおしはからるる心地するを、
第七十二段 賤しげなるもの
第七十三段 世に伝ふる事、まことはあいなきにや
第七十四段 蟻のごとくに集まりて
第七十五段 つれづれわぶる人は
第七十六段 世の覚え華やかなるあたりに
第七十七段 世の中に、その比人のもてあつかひぐさに言ひあへる事
第七十八段 今様の事どものめづらしきを
第七十九段 何事も入りたたぬさましたるぞよき
第八十段 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
第八十一段 屏風・障子などの絵も文字も
第八十二段 うすものの表紙は
第八十三段 竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに
第八十四段 法顕三蔵の、天竺にわたりて
第八十五段 人の心すなほならねば
第八十六段 惟継中納言は
第八十七段 下部に酒飲まする事は
第八十八段 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを
第八十九段 奥山に、猫またといふものありて
第九十段 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸
第九十一段 赤舌日といふ事
第九十二段 或人、弓射る事を習ふに
第九十三段 牛を売る者あり
第九十四段 常盤井相国、出仕し給ひけるに
第九十五段 箱のくりかたに緒を付くる事
第九十六段 めなもみといふ草あり
第九十七段 その物に付きて、その物を費しそこなふ物
第九十八段 尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて
第九十九段 堀川相国は
第百段 久我相国は
第百一段 或人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに、
第百二段 尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、
第百三段 大覚寺殿にて、近習の人ども、
第百四段 荒れたる宿の、人目なきに、
第百五段 北の屋かげに消え残りたる雪の、
第百六段 高野証空上人、京へのぼりけるに、
第百七段 女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は、
第百八段 寸陰惜しむ人なし
第百九段 高名の木登りといひしをのこ、人をおきてて、
第百十段 双六の上手といひし人に、
第百十一段 囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、
第百十二段 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、
第百十三段 四十にもあまりぬる人の、色めきたる方、
第百十四段 今出川のおほひ殿、嵯峨へおはしけるに、
第百十五段 宿河原といふところにて、
第百十六段 寺院の号、さらぬ万の物にも、
第百十七段 友とするにわろき者
第百十八段 鯉の羹食ひたる日は、
第百十九段 鎌倉の海に鰹といふ魚は、
第百二十段 唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。
第百二十一段 養ひ飼ふものには、
第二十二段 人の才能は、
第百二十三段 無益のことをなして時を移すを、
第百二十四段 是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、
第百二十五段 人におくれて、四十九日の仏事に、
第百二十六段 ばくちの負けきはまりて、
第百二十七段 あらためて益なき事
第百二十八段 雅房大納言は、才賢く、
第百二十九段 顔回は、志、
第百三十段 物に争はず、おのれを枉げて人に従がひ、
第百三十一段 貧しき者は財をもて礼とし、
第百三十二段 鳥羽の作道は、
第百三十三段 夜の御殿は東御枕なり
第百三十四段 高倉院の法華堂の三昧僧
第百三十五段 資季大納言入道とかや聞えける人
第百三十六段 医師篤成、故法皇の御前にさぶらひて
第百三十七段 花はさかりに
第百三十八段 祭過ぎぬれば、後の葵不要なりとて、
第百三十九段 家にありたき木は、
第百四十段 身死して財残る事は、
第百四十一段 悲田院尭蓮上人は、
第百四十二段 心なしと見ゆる者も、よき一言いふものなり
第百四十三段 人の終焉の有様のいみじかりし事など、
第百四十四段 栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、
第百四十五段 御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、
第百四十六段 明雲座主、相者にあひ給ひて、
第百四十七段 灸治、あまた所になりぬれば、
第百四十八段 四十以後の人、身を灸を加へて三里を焼かざれば、
第百四十九段 鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず。
第百五十段 能をつかんとする人、
第百五十一段 或人の伝はく、年五十になるまで
第百五十二段 西大寺静然上人、腰かがまり
第百五十三段 為兼大納言入道召し捕られて
第百五十四段 この人、東寺の門に
第百五十五段 世に従はん人は、先(ま)づ機嫌を知るべし
第百五十六段 大臣の大饗は
第百五十七段 筆をとれば物書かれ
第百五十八段 盃のそこを捨つる事は
第百五十九段 みなむすびといふは
第百六十段 門に額かくるを
第百六十一段 花のさかりは
第百六十二段 遍照寺の承仕法師
第百六十三段 太衝の太の字
第百六十四段 世の人あひ逢ふ時、暫くも黙止する事なし
第百六十五段 吾妻の人の都の人に交り
第百六十六段 人間の営みあへるわざを見るに
第百六十七段 一道に携る人、あらぬ道の筵に臨みて
第百六十八段 年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて
第百六十九段 何事の式といふ事は
第百七十段 さしたる事なくて人のがり行くは
第百七十一段 貝をおほふ人の、我がまへなるをばおきて
第百七十二段 若き時は、血気うちにあまり
第百七十三段 小野小町が事
第百七十四段 小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば
第百七十五段 世には心得ぬ事の多きなり
第百七十六段 黒戸は
第百七十七段 鎌倉中書王にて、御毬ありけるに
第百七十八段 或所の侍ども、内侍所の御神楽を見て
第百七十九段 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して
第百八十段 さぎちやうは
第百八十一段 ふれふれこゆき、たんばのこゆき
第百八十二段 四条大納言隆親卿、乾鮭といふものを
第百八十三段 人突く牛をば角を切り
第百八十四段 相模守時頼の母は
第百八十五段 城陸奥守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり
第百八十六段 吉田と申す馬乗り
第百八十七段 よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども
第百八十八段 或者、子を法師になして
第百八十九段 今日は、その事をなさんと思へど
第百九十段 妻といふものこそ
第百九十一段 夜に入りて物のはえなしといふ人
第百九十二段 神仏にも、人のまうでぬ日
第百九十三段 くらき人の、人をはかりて
第百九十四段 達人の人を見る眼は
第百九十五段 或人久我縄手を通りけるに
第百九十六段 東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時
第百九十七段 諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ事
第百九十八段 揚名介にかぎらず
第百九十九段 横川行宣法印が申し侍りしは
第二百段 呉竹は葉細く、河竹は葉広し
第二百一段 退凡・下乗の卒塔婆
第二百二段 十月を神無月と言ひて
第二百三段 勅勘の所に靫かくる作法
第二百四段 犯人を笞にて打つ時は
第二百五段 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は
第二百六段 徳大寺右大臣殿、検非違使の別当の時
第二百七段 亀山殿建てられんとて、地を引かれけるに
第二百八段 経文などの紐を結ふに
第二百九段 人の田を論ずるもの、訴へに負けて
第二百十段 喚子鳥は春のものなりとばかり言ひて
第二百十一段 よろづの事は頼むべからず
第二百十二段 秋の月は、かぎりなくめでたきものなり
第二百十三段 御前の火炉に火を置く時は
第二百十四段 想夫恋といふ楽は
第二百十五段 平宣時朝臣、老の後、昔語りに
第二百十六段 最明寺入道、鶴岡の社参の次に
第二百十七段 或大福長者の言はく
第二百十八段 狐は人に食ひつくものなり
第二百十九段 四条黄門命ぜられて言はく
第二百二十段 何事も辺土は、賤しく、かたくななれども
第二百二十一段 建治・弘安の比は、祭の日の放免の付物に
第二百二段 竹谷乗願房
第二百二十三段 鶴の大臣殿は
第二百二十四段 陰陽師有宗入道、鎌倉よりのぼりて
第二百二十五段 多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に
第二百二十六段 後鳥羽院の御時、信濃前司行長
第二百二十七段 六時礼賛は
第二百二十八段 千本の釈迦念仏は、文永の比
第二百二十九段 よき細工は
第二百三十段 五条内裏には、妖物ありけり
第二百三十一段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり
第二百三十二段 すべて人は、無智無能なるべきものなり
第二百三十三段 万の咎あらじと思はば
第二百三十四段 人のものを問ひたるに
第二百三十五段 主ある家には、すずろなる人
第二百三十六段 丹波に出雲といふ所あり
第二百三十七段 柳筥に据ゆるものは
第二百三十八段 御随身近友が自讃とて
第二百三十九段 八月十五日、九月十三日は、婁宿なり
第二百四十段 しのぶの浦の蜑の見るめも所せく
第二百四十一段 望月のまどかなる事は
第二百四十二段 とこしなへに違順に使はるる事は
第二百四十三段 八になりし時、父に問ひて言はく

収録時間:14.6時間

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見ぬ世の人を友とする

ひとり灯(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

一人ともしびの下に書物を広げて、会うことのできない昔の人を友とすることは、とても慰められることである。

というわけで。

聴いて・わかる。『徒然草』

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『徒然草』全243段を、すべて原文と、現代語訳で朗読し、必要に応じて補足説明を加えた音声とテキストです。

特典の『兼好法師の生涯』は10月15日のお申込みまでです。お申込みはお早めにどうぞ。

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。



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