飛鳥寺と夜の石舞台古墳を訪ねる

こんにちは。左大臣光永です。日に日に気温が増していますね。
コンビニに行ったらもう花火が売ってあり、季節の急すぎる
変化についていけない感じでした。いかがお過ごしでしょうか?

さて本日は旅の話です。うるわしの飛鳥に、
飛鳥寺と石舞台古墳を訪ねます。



飛鳥寺へ

近鉄飛鳥駅から徒歩30分。

ひばりがさえずる中、畑中の道をうねうねと進んでいくと
向こうに見えてくる建物が、飛鳥寺です。

飛鳥寺へ
飛鳥寺へ

飛鳥寺へ
飛鳥寺へ



飛鳥寺は、推古天皇4年(596年)蘇我馬子によって建造された
日本初の本格的仏教寺院です。
蘇我氏滅亡後も政府公認の寺として保護されましたが、
平城京遷都により奈良に遷され、元興寺と名を変えます。

元興寺…奈良の猿沢の池の南のほうにある寺です。
そして飛鳥に「本元興寺」として残った寺が、
ここ飛鳥寺というわけです。

飛鳥寺
飛鳥寺

現在は畑中のごく小さなお寺ですが、
建立当時は東京ドーム1.5倍ぶん。
現在の20倍の大きさがありました。

飛鳥寺
飛鳥寺

飛鳥寺
飛鳥寺

推古天皇14年(606年)仏師・鞍作鳥の造った
丈六の釈迦如来坐像は「飛鳥大仏」として親しまれ、
そのアーモンド型の独特な顔立ちは、
教科書にも採りあげられ、有名です。

中大兄皇子と中臣鎌足の出会い

飛鳥寺こと法興寺は『日本書紀』に
中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの舞台として描かれている場所です。

7世紀の中ごろ。中臣鎌足は、専横をきわめる蘇我氏に対し、
これではいかんと怒りをたぎらせていました。
しかし自分は一介の中流豪族にすぎない。
味方がほしい。誰か強力な味方が。

そんなある日、飛鳥寺(法興寺)の槻の木の下で
中大兄皇子が仲間たちと蹴鞠に興じていました。

「いくぞ」

ぽーーん

蹴り上げた勢いのままに、蹴鞠と同時に木靴もぬげてしまい、
ころーん、ころん、ころんと転がった、
その時物陰からあらわれた男がすっと木沓を拾い上げ、
中大兄皇子に差し出した…

これが、中臣鎌足と中大兄皇子の出会いであった…
という、『日本書紀』の有名な場面の舞台となったのが飛鳥寺です。

飛鳥大仏

ご本尊である飛鳥大仏は、教科書などで有名ですね。
面長で鼻の高い日本人離れした顔立ちがとても印象に残ります。

飛鳥大仏
飛鳥大仏

606年推古天皇の勅命により仏師・鞍作鳥(くらつくりのとり)が
建立した丈六(約 4.85m) )の大仏像です。

よく見ると正面でなくやや斜めに体を傾けていることに気づきます。
ふつう、大仏はまっすぐ南に向いているんですが、
この飛鳥大仏は大仏殿に対して斜めって、南南西の方角を向いています。

飛鳥大仏
飛鳥大仏

飛鳥寺から南南西約1.2キロの位置にあるのは…橘寺。
聖徳太子が生まれた寺です。

つまり飛鳥大仏は、聖徳太子と共感しあうように、
聖徳太子の生まれた橘寺の方角を向いているわけです。
真偽のほどはわかりませんが、
聖徳太子はすでに生前から神格化されてきていたことから、
無理の無い話と思います。

また飛鳥大仏の顔をよ~く見ていると、
ある不自然さに気づきます。

飛鳥大仏
飛鳥大仏

顔の右側はおだやかに笑っているように目が細く、
唇の端が上がっていて、
一方顔の左側は目も口もムスッとした感じになっています。

穏やかさと、いかめしさ。

人間の二面性をあらわしていると言われます。

今から800年前。飛鳥寺の五重塔に雷が落ち、
その時にその時に大仏殿にも火がおよび、
金メッキがはがれ落ちててしまいました。

顔の傷は、その時についたものだということです。
以後、しばらく野ざらしの時期もあったようですが、
有志の手で建物が再建され、
ふたたび大仏殿ができ、今に到ります。

こういった話を、スタッフの方が語ってくださり、
来場者の方々は熱心に聞き入っていました。
やっぱり看板に文字が書いてあるだけより、
生きた人間の解説は頭に入りますね。

来場者の方の中に、飛鳥大仏をしみじみと見て、

「50年ぶりですわ」
「はあ50年」
「前来たんが小学校の修学旅行ですから。
なんか人生の節目にでもまた、大仏さんに
ご報告に上がろ思うとりましたけど、
なんやかんやで50年かかりましたわ」

そんなことをつぶやいていた方が、印象深かったです。

寺のご本尊は写真撮影禁止の所が多いですが、
ここ飛鳥寺は「どうぞ、どうぞ撮っていってください」
ということなので、感謝しつつ、撮らせてもらいました。

蘇我入鹿の首塚

飛鳥寺の西門を出てちょっと行った所には、
645年「乙巳の変」で中大兄皇子に殺害された
蘇我入鹿の首塚と伝えられる五輪塔があります。

ここでもぜひ手をあわせ、古代ロマンに胸のうちを
かきたてられたい所です。

蘇我入鹿の首塚
蘇我入鹿の首塚

夜の石舞台古墳

夜は、石舞台古墳を訪ねました。

石舞台古墳
石舞台古墳へ



石舞台古墳は蘇我馬子の墓と伝えられる、
巨石を積み上げた横穴式石室で、その規模は日本最大です。

遺体が安置されていた玄室の中には実際に入ることができ、
中はひんやりした空気が漂います。
周辺は歴史公園として整備されており、
特に桜の季節はライトアップされており、おすすめです。

石舞台古墳
石舞台古墳へ

夜桜は半ば散りかけでしたが、夜であることと、
私の視力が悪いことから、まだまだ満開であるかのように錯覚され、
いい雰囲気でした。

昼間の石舞台古墳には何度か行っていますが、
夜、ノソッとした石舞台の巨体を見るのも、
なんともいえない迫力がありワクワクします。

石舞台古墳
石舞台古墳

石舞台古墳
石舞台古墳

今度は何年後に来れるかわからないので、
何度も石舞台のまわりをゆっくりゆっくり歩いて
さまざな角度から観察し、なでくりまわしてきました。

石舞台古墳
石舞台古墳

見れば見るほど、石舞台古墳は生き物の形をしています。
しゃがんだライオンのように見え、
スフィンクスのようにも見え、
この形に何か意味があるのか、
古代のロマンに思いを馳せずにはいられないです。

また、地面には通路の両側に転々と
蝋燭を立てた筒が置かれて、夜でも足元を導いてくれます。

石舞台古墳
石舞台古墳

その灯りが石室の中まで続いていて、
真っ暗の中、蝋燭の光を頼りに石室の中を歩くことができるのです。
いい雰囲気です。

石舞台古墳
石舞台古墳

石舞台古墳
石舞台古墳

石舞台古墳は曾我馬子の墓といわれています。もしそうなら、
権勢を極めた男の、天皇さえ意のままにあやつり、
思い通りにならないと見ると天皇すら殺害した、
それほどの権力をきわめた男も、こうして古墳の下に眠り、

夜にライトアップされ、デートコースにもなっている、
ひらひら桜が舞い散る中、ライトアップされ、
地元のヤンキーがだりーまじだりーと言っていたり、
デートコースにもなっているのは、世の無常を思わさました。

驕れる者も久しからず
ただ春の夜の夢のごとしの一節を
思い出さずにはいられませんでした。

石舞台古墳
石舞台古墳

というわけで、飛鳥寺と、夜の石舞台古墳の
お話でした。

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見て・聴いて・わかる。日本の歴史 飛鳥・奈良
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蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、
壬申の乱までの飛鳥時代篇。
そして奈良時代篇では長屋王の変。聖武天皇の大仏建立。
鑑真和尚の来日、藤原仲麻呂の乱。
長岡京遷都を経て平安京遷都に至るまで。教科書で昔ならった、
あの出来事。あの人物。ばらばらだった知識が、すっと
一本の線でつながります。
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また、続編となる「平安京遷都と藤原氏の繁栄」篇も、
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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。