嵯峨天皇の離宮跡・嵯峨 大覚寺を歩く

こんにちは。左大臣光永です。

先日、夜の京都御所を歩いてきました。茂みの中からザーーと滝音のようにコオロギの声が響いてました。街灯がほとんどなく、だだっ広い砂利道が延々と続く中を、じゃりっ、じゃりっと歩いていく…『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎とネズミ男がどこまでも続く地獄の闇の中を歩いていく話があったんですが、あの話を思い出しました。夜の京都御所は、違う世界が味わえます。

さて本日は、嵯峨天皇の離宮跡・嵯峨 大覚寺と大沢池を歩きます。

大覚寺は大沢池を東にのぞむ北嵯峨の景勝地にあります。嵯峨天皇の離宮の跡地に建てられた寺院です。

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代々の住寺は天皇や皇族を迎え、明治時代まで門跡寺院として栄えました。元門跡寺院だけあって、境内はどこか御所風の典雅な雰囲気がただよっています。

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有栖川

ではいってみましょう。

JR嵯峨野線・嵯峨嵐山駅下車、北に20分歩くと大覚寺に至りますが、その手前に有栖川という川が流れているので、川に沿って歩いていきます。とても流れが美しく、いい気分にひたれます。



川沿いには京都府立北嵯峨高校があります。こんな場所に高校があって、毎日通って来れる…なんと豊かな高校時代かと思います。

もうすっかり稲穂がたわわに垂れて、収穫の秋を思わせます。

大覚寺

表門

有栖川の清らかな流れに心癒されつつ歩いて行くと、もう大覚寺の表門です。


表門をくぐると正面に玄関門。右手に灌木状の低い黒マツがワアッと繁ってるのが目立ちます。


松の間

玄関門から入った所が大玄関の松の間です。


後宇多法皇ご使用の御輿に、狩野永徳の筆による「松に山鳥図(やまどりず)」が背景にあります。ここから順路に沿って、進んでいきます。


大覚寺の歴史

大覚寺は平安時代初期の貞観18年(876)嵯峨天皇の離宮(離宮嵯峨院)を嵯峨天皇皇女で淳和天皇皇后・正子内親王が淳和天皇皇子・恒寂(こうじゃく)親王を開祖として寺としたことに始まります。

大覚寺 関連系図
大覚寺 関連系図

鎌倉時代後期には後嵯峨上皇・亀山上皇・後宇多上皇がここ大覚寺で院政を行ったため「嵯峨御所(さがごしょ)」と呼ばれました。

文永9年(1272)長年院政を行ってきた後嵯峨上皇が、兄・後深草と弟・亀山のいずれを後継者と決めずに亡くなってしまいます。このため、後深草と亀山の血統が以後延々もめます。

持明院統と大覚寺統
持明院統と大覚寺統

亀山天皇の血統はここ大覚寺に御所を置いたため、「大覚寺統」。後深草上皇の血統は現在の同志社大学新町キャンパスのそば・持明院御所に御所を置いたため「持明院統」と呼ばれました。

持明院仙洞御所跡のある恵聖院
持明院仙洞御所跡のある恵聖院

持明院仙洞御所跡碑
持明院仙洞御所跡碑

その後、鎌倉幕府の仲介により「大覚寺統」と「持明院統」は交互に天皇を出そうという取り決めになりました(文保の和談・両統迭立)。しかし、大覚寺統の後醍醐天皇が建武の親政を行ったことと、足利尊氏が持明院統の上皇(光厳上皇)を立てたことにより、両者の対立は激化。

1336年、後醍醐天皇は吉野に逃れ、南朝を開きます。

持明院統と大覚寺統
持明院統と大覚寺統

以後、大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)の間で、延べ57年間にわたって争いが続きました。明徳3年(1592)足利義満の仲介でようやく南北朝の講和がなると、南朝の後亀山天皇はここ大覚寺に隠居なさいました。

もっとも南北朝の合一を認めない者たちも多く、南北朝の動乱はその後も長く引きずることとなります(後南朝)。

いけばな嵯峨御流

また大覚寺は、いけばな嵯峨御流の華道総司所(本部)としても知られます。


嵯峨天皇が大沢池の菊ケ島に咲く花を手折り、嵯峨御所(現在の大覚寺)で花瓶に差されました。嵯峨天皇はその花の姿が「天・地・人」三才の美しさを備えていることにいたく感動され、「後世花を生くる者は宜しく之をもって範とすべし」とおっしゃっいました。これがいけ花嵯峨御流のはじまりと伝えられます。

宸殿(しんでん)

渡り廊下渡って、最初に見えてくる建物が宸殿です。


後水尾天皇の中宮で徳川秀忠の娘・東福門院が寝殿として使っていた御殿を移築したものです。内部は牡丹の間・紅梅の間・柳松の間・鶴の間に分かれ、とりわけ牡丹の間と紅梅の襖絵は狩野山楽作と伝えられ、絢爛豪華な色彩が目を引きます。

『枕草子』なんかによく出てくる「蔀(しとみ)」があります。


「蔀」の留め具部分には蝉の彫刻があります。


正面の庭には右近の立花・左近の梅が御所としての名残をしめし、



ふだんは白砂が敷き詰められているんですが…何かイベントでもあるんでしょうか。色のついた石で、大きな絵を作っているところでした。



村雨の廊下

堂と堂の間は回廊で結ばれています。


回廊はごく短い距離でくっ、くっ、くっと曲がっています。これを稲妻にみたて、立っている柱を雨に見立てる、「村雨の廊下」と呼ばれます。名前からして風雅ですね。

天井は槍や刀を振り上げられないように低く造られています。廊下はすべて「うぐいす張り」です。歩くとキュッ、キッと音がなります。

御影堂(みえどう)

回廊を渡って次に来たのが、御影堂(みえどう)です。


大正天皇即位の式場として建てられた饗宴殿を即位式の後、賜ったものです。内陣の正面の窓から奥の勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)を拝する仕組みになっています。

勅封心経殿には嵯峨天皇はじめ六代の天皇の書写した般若心経が安置してあります。弘仁9年(818)、疫病がはやった時に嵯峨天皇が弘法大師のすすめにより般若心経を書写したところ、たちまち疫病は収まった、霊験あらたかなことであるとして、件の般若心経には特別な封印が施され、御開帳は60年に一回です。次回は平成30年。近いですね。

安井堂

さらに渡し廊下を渡って、安井堂に来ました。


東山の「安井門跡蓮華光院の御影堂」を明治4年(1871)に移築したものです。天井に雲龍図、そして逗子の中には後水尾天皇の等身大の尊像が安置されています。

後水尾天皇は京都歩くといろんな所でお名前が出て来る方ですから、イメージ高めるために御簾ごしにじっくりとご尊顔を仰いでいきます。


安井堂の裏手にまわると、もう向こうに大沢池(おおさわのいけ)が見えてきました。

五大堂(ごだいどう)

大沢池のほとりにある建物で、現在の大覚寺の本堂です。


江戸中期の創建。不動明王をはじめとする五大明王を祀ります。内陣の奥に、たくさんの蝋燭の灯に照らし出されて五大明王の像がぼうっと浮かび上がっている。いい雰囲気です。

大沢池に面した東側には池に張り出したぬれ縁(ぬれえん。観月台)があり、大沢池の眺めを満喫できます。


ここからターンして、最初に入ってきた玄関に向けて歩いていきます。

勅封心経堂(ちょくふうしんぎょうでん)

大正14年(1925)建造。後宇多法皇没後600年・後亀山天皇没後500年を記念して法隆寺夢殿を模して建てられました。


弘仁9年(818)疫病がはやり、多くの人々が亡くなりました。そこで嵯峨天皇は空海に相談なさいます。どうしたらいい。でしたら般若心経を天皇自ら書写なさい。こうして嵯峨天皇みずから書写されたところ、疫病はたちまちおさまったということです。

嵯峨天皇が書写された般若心経は大いなる霊験ゆえに、「勅封心経」として特別な封印がほどこされ、後光厳・後花園・後奈良、正親町、光格天皇の般若心経とともにここ勅封心経堂に安置されています。御開帳は干支が一巡する60年に一度。次回の御開帳は平成30年。近いですね。

さきほどの御影堂から五色の布が通っており、御影堂から拝むことで、ここ勅封心経堂の般若心経と縁を結ぶという仕組みです。


霊明殿(れいめいでん)

226事件の凶弾に倒れた第30代内閣総理大臣・斎藤実が、東京沼袋に建立した日仏寺が、後に戦争のため百草園(もぐさえん。東京都日野市)に移築され、その本堂である「霊明殿」が大覚寺に移築されたものです。


霊明殿に向かう廊下の横には小川が流れ、ぼちゃぼちゃぼちゃ~と水音が響いて、いい雰囲気です。


この建物(霊明殿)だけ朱塗りで、他の建物と雰囲気が違います。

正寝殿(しょうしんでん)

さて最後にやってきた建物が、正寝殿。


12の部屋を持つ入母屋造り・檜皮葺の建物です。東西四列、南北三列に部屋が並びます。東側上段の間は後宇多法皇が院政を行った部屋で、御冠の間とよばれます。


南北朝の講和会議が行われたのも、この建物だと伝えられます。狩野派の障壁画が襖や壁を彩ります。

大沢池

では大覚寺を出て、東隣の大沢池に向かいます。


大沢池は周囲1キロの日本最古の人口の池です。


嵯峨天皇が離宮の造営にあたって、中国の洞庭湖を模して造られたといいます。中秋の名月には、舟遊びを好まれた嵯峨天皇をしのんで「観月の夕べ」が開かれます。今年は(平成29年)は10月4日~6日の予定…楽しみです!



映り込みがいいですねえ。鏡のようにキレイに映り込んでいるかと思うと、さざ波がゆれて、映り込みがさわさわと揺れるのも、いい感じです。


また、大沢池から大覚寺のお堀に水を引っ張ってきてるんですが…その水路もとてもキレイです。



じゃばじゃば常に音がしている。脳ミソをかきまわされるようで、気持がいいです。つくづく京都は水の都だと思います。

大沢池の隣の放生池に映り込む心経宝塔。ゆらゆら揺れて、いい感じです。



名古曽の滝跡

大沢池の北側には、百人一首にも詠まれた「なこその滝」の跡があります。


滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ
大納言公任

かつてここに嵯峨天皇の離宮があり、滝が流れていたのです。しかし平安時代中期・藤原公任の時代にはすっかりその滝は枯れて、石組みだけが残っていた。訪れた藤原公任、ああ…滝の音は絶えて久しいが、その評判だけは今まで流れて伝わっている、

滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ…百人一首の55番に採られています。

平成6年からの発掘調査で中世の遣水の跡が発見され、現在の形に復元されました。

ほかに全然人がいないので軽く発声練習してきました。私がワアワアいってる横で、猫がポヤーンと横になっており、平和な午後の景色でした。



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