鎌倉 円覚寺を歩く
こんにちは。左大臣光永です。
昨日、わけあって鎌倉に行ってきました。
その時、鶴岡八幡宮のそばで、わーーっと小学生が大群で下校してたんですよ。私は思いましたね。なにしろ鎌倉だから、さぞかし金持ちの子弟であろう。どんなにセレブな、ハイソな会話を小学生とはいえ、しているだろうと。そこで聴き耳を立てたところ、
「オナラに火つけたら燃えるって知ってる~?」
「知ってる~」
そんな会話だったので、安心しました。
というわけで、本日は鎌倉の円覚寺を訪ねます。
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円覚寺は蒙古襲来による敵・味方の戦死者の霊を弔うため、北条時宗により創建された臨済宗の寺院です。
山全体が寺になっており、坂道の感じが楽しい寺です。
北鎌倉駅
JR横須賀線北鎌倉駅で下ります。ホームの幅がすごく狭くて、ワクワクします。
北鎌倉駅
北鎌倉駅
駅を下りてまず感じました。鎌倉とは空気が違うなと。鎌倉がいかにも武士の都然とした粒子の荒いたくましい感じがするのに対し、北鎌倉には繊細な、きめ細かいものを感じました。京都の嵯峨野に通じる雰囲気を感じました。
駅を出るとすぐに円覚寺の入口です。線路の踏切と向かい合っており、踏切の前で多くの人が記念写真を撮っています。石段の上に覆いかぶさる紅葉。向こうにそそり立つ杉の巨木。見事な景観です。
円覚寺入口
円覚寺入口
少し石段を登ると総門です。額には白く大きく「瑞鹿山」の文字が掲げられています。
円覚寺総門
円覚寺総門
瑞鹿山 円覚寺(ずいろくざん えんがくじ)。
1282年(弘安5年)、八代執権北条時宗が、蒙古襲来による敵・味方の戦死者の霊を供養するため宋より無学租元(むがくそげん)を招いて建立した、臨済宗の寺院です。
文学作品に多く描かれ、川端康成の「千羽鶴」、大佛次郎の「帰郷」、夏目漱石の「門」「夢十夜・第二夜」、島崎藤村の「春」「桜の実の熟する時」などに円覚寺は登場します。
山門
拝観受付で拝観料300円を払い、中に入ります。石段を上り切った所に山門があります。
円覚寺山門
円覚寺山門
円覚寺山門
素朴かつ壮大な木造建築は「三解脱門」ともいい、これをくぐることによって三つの煩悩…「貪り・怒り・愚かさ」から解脱し、身を清められて、境内に入るのです。
円覚寺山門
円覚寺山門
すぐ正面に見えるのが仏殿。円覚寺の本尊たる釈迦如来像を祀った建物です。関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年に再建されました。
仏殿
仏殿
天井には日本画家・前田青頓(まえだせいそん)監修による白龍図が描かれています。ワッと迫力のある見事なものです。中に入って御本尊の前でしばし静寂のひと時を過ごしましょう。
方丈庭園
仏殿を後に、さらに奥に進むと、方丈庭園があります。庭の景観が見事です。方丈とは本来、住職が居住する建物のことですが、ここ円覚寺では寺の行事の中心的な場所になっているということです。方丈の建物内部から、日本庭園が見渡せます。
方丈庭園
筧の水音と、木々の葉ずれの音を聴きながら、しばし静寂にひたりましょう。
山道をはさんで方丈庭園の隣には、居士林があります。
居士林
在家信者の道場として使われている建物です。土日は週末座禅会が開かれ、一般参加も受け付けています。一般参加は1時間、座禅を組みます。
木々のはずれの音や鳥の啼き声を聴きながら座禅するのは落ち着きそうです。しかし本格的な座禅は土曜日の午後5時から日曜日の午前10時まで。17時間!……無理です……。
舎利殿
山道を登っていき、左手曲がると舎利殿があります。
舎利殿
殿内には源実朝が宋の能仁寺から分骨したという仏舎利(シャカの骨)が収められています。ふだんは非公開ですが、正月三が日とゴールデンウィーク、文化の日前後三日だけ公開されています。うーん…外から眺めるだけってのは心残りですね。今度は文化の日に来ます…
さらに山道を登っていくと、
左手に佛日庵(ぶつにちあん)が見えます。
ここは別料金ですが、北条時宗・貞時・高時をまつった開基廟(かいきびょう)があります。抹茶とお菓子こみで500円です。
開基廟
8代執権北条時宗は18歳で執権に就任。蒙古襲来という国難にあってよく御家人たちを指揮し日本を危機から救ったと言われ、歴代執権の中でもトップクラスで人気の高い人物ですね。
9代執権貞時は時宗の息子です。北条得宗家(二代執権北条義時直系の家系。北条氏の本家として権力をふるった)による独裁をさらに進めました。永仁の徳政令(1297年)を出し、経済を混乱させたことで有名です。
14代執権北条高時は時宗の孫で貞時の息子です。田楽と闘犬に狂い政治を顧みず、ついに鎌倉幕府滅亡を招いたことでバカ殿の代表のように言われる、人気の無い人物です。
開明君主の代表のようにいわれる8代時宗と、暗愚の極みのように言われる14代高時が同じ場所に祀られているのは、いかにも味わい深いじゃないですか。
出来の悪い孫・高時を、時宗のじいちゃんが、やれやれ困った孫じゃわいなどと言っているさまが浮かびました(もっとも高時が生まれたのは時宗の死後ですが)。
北条氏の三つ鱗紋
さて円覚寺は北条氏の寺ですので、どこを見ても北条の紋である「三つ鱗紋」があります。
北条氏の三つ鱗紋
北条氏の三つ鱗紋
その昔、北条時政が江の島に参籠して子孫繁栄を祈った時、美しい女房があらわれて、告げました。
「汝の前世は箱根法師である。六十六部の法華経を書写して六十六箇所の霊地に収めた功徳によって、今の世に生まれ変わったのだ。されば、子孫は末永くこの国の主として繁栄しよう。ただし行いに誤りがあれば、その繁栄は7代に過ぎることはあるまい」
言い終わると女房の姿はたちまち勇ましい竜に変じて、ざっぱーーと海の中へと消えていきました。その後に大きな三つの鱗が残っていたので、時政はこれを取って、北条の旗印とした…という伝説が『太平記』に描かれています。この伝説が、北条氏の三つ鱗紋の由来です。
山を下ります。
鬱蒼とした山道を下っていくと、左手に鳥居が見えます。
たいへんな石段です!えっちらえっちら登っていきます。
頂上には、弁天堂と、向かい合って、洪鐘(おおがね)があります。
弁天堂
洪鐘
1303年(承安3年)鋳造の国宝です(案内板には1301年とありますが1303年の間違いです)。
北条時宗の息子・九代執権北条貞時は、国家安泰を願って梵鐘の鋳造を命じました。しかし、なかなかできない。ううんどうしたらいいのか。そこで、貞時は江の島弁財天に七日間の参籠を行った所、七日目に夢に江の島弁財天があらわれお告げがありました。
「円覚寺前の白鷺池の底を掘ってみよ」
すぐに掘ってみると、金銅の塊が出てきたので、それを鋳造してこの鐘を作ったといわれます。
北条貞時は江の島弁天の霊験に感じ入り、鐘の御神体として弁天堂を建てて弁財天を祀りました。
朽ちさびた鐘突き堂も風格がありますね。ここから鎌倉中に鐘の音を鳴り響かすわけですか。風情がありそうです。
洪鐘
洪鐘
円覚寺は坂道の感じがとても楽しい寺です。境内はとても広いですがほぼ一本道で回れますので、道に迷うことはありません。北条氏や鎌倉の歴史に興味がある方は、いろいろと考えるきっかけになると思います。
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