伏見桃山を歩く(ニ)寺田屋・長建寺・十石舟・三栖閘門

こんにちは。左大臣光永です。

AMAZONに押されて、町の小売店はどこも潰れまくってますね。本屋も電気屋も。サービス悪い店が淘汰されていくのは仕方ないんですが、もしAMAZONが、十分に日本の流通を破壊した上で、今日から価格を倍にしますとか言い出したら、ヤバイんじゃないかと。そこが心配ではあります。

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本日は伏見桃山を歩く(ニ)です。坂本龍馬襲撃事件で有名な寺田屋、「島の弁天さん」と呼ばれる長建寺、そして江戸時代の風情漂う十石舟に乗ってみます。

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大手筋商店街~竜馬通り

伏見桃山駅西側に伏見大手筋商店街の入り口があります。アーケードの商店街です。

なにしろ伏見ですから、昼間っから飲める店もあって最高です。

やがて左に分岐。ここからは納屋町商店街。「伏見の台所」といわれる通リです。

やがてアーケードが終わり、道路を隔てて竜馬通リ商店街に入ります。

「龍馬」でなく「竜馬」なのは、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」の坂本竜馬を念頭に置いているせいでしょうか。

飲み屋が多く、楽しい雰囲気です。龍馬の酒の詩を唱えながら歩きましょう。

愛酒詩 坂本龍馬

酒者可呑酒可飮
人生只有酒開膽
醉中快樂人無知
大地爲蓐天爲衣
英雄生涯眞乎夢
厭迄呑酒醉美姫

酒を愛する詩 坂本龍馬

酒は呑む可し 酒飲む可し
人生 只だ酒有りて膽(むね)を開く
醉中の快楽 人 知る無し
大地を蓐(しとね)と爲(な)して 天を衣と爲す
英雄の生涯 真(まこと)に夢なりて
厭く迄酒を呑みて 美姫に 醉はん

寺田屋

竜馬通リが宇治川派流とぶつかる手前の道を右に折れると、寺田屋があります。

寺田屋

寺田屋は水運の要衝伏見にあることから、薩摩藩の定宿として使われ、幕末の二つの事件の舞台となりました。

一つが文久2年(1862)薩摩藩士同士が斬りあった寺田屋騒動。もう一つが慶応2年(1866)坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件です。

ただし元の寺田屋は慶応4年(1868)鳥羽・伏見の戦いで焼失し、現在の建物はその後再建したものです。

パンフレットには「第十四代寺田屋伊助の考証により」寺田屋を復元した、書いてます。しかし寺田屋伊助という人は寺田屋の十四代目でも何でもなく、単に自称しているだけだそうです。

うーん…坂本龍馬は客寄せパンダですか…

まあ幕末の雰囲気は伝わってくるので、よしとしましょう。

寺田屋騒動

文久2年(1862)4月23日、薩摩藩内の急進派・有馬新七(ありま しんしち)以下尊王攘夷志士たちは、関白九条尚忠・京都所司代酒井忠義を殺害し、討幕の兵を上げようとしていました。

藩主名代島津久光はいち早く彼らの動きを察知。九人の説得役を寺田屋に送ります。そんなのはダメだ。冷静になれと。しかし交渉は決裂。分からず屋!何この野郎ッと、薩摩人同士で斬りあいとなりました。結果、死者七名、負傷者二名が出てしまいました。その惨劇が、まさにここ、寺田屋一階の部屋で行われたということです。

寺田屋一階の部屋

寺田屋の前には「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」が立っています。

寺田屋 伏見寺田屋殉難九烈士之碑

伏見区役所そばの大黒寺に「薩摩九烈士之墓」があります。味方同士で斬り合うとは凄惨な話ですね。

大黒寺 薩摩九烈士之墓

寺田屋事件

坂本龍馬は薩摩藩の紹介で寺田屋を定宿として使っていました。

慶応2年(1866)1月23日、薩長連合の会談の斡旋をすませた坂本龍馬は、ここ寺田屋梅の間に薩摩人三吉慎蔵(みよし しんぞう)らと共に泊まっていました。

深夜2時。伏見奉行の捕り方30人あまりが寺田屋を囲みます。いち早く危機に気づいた龍馬の恋人・おりょうは裸のまま風呂から飛び出し裏階段を駆け上り、

坂本さま!と危機を知らせます。

すぐに踏み込んでくる伏見奉行所捕り方たち。お前だな坂本龍馬は。あいや、わしはちがうぜよ。薩摩藩士ぜよ。嘘をつけ。龍馬を捕縛しようとする捕り方たち。そこで龍馬は高杉晋作からもらった鉄砲をパーンパーンと放って、

捕り方二名を射殺するも、拳銃を持つ手を刀で払われ、ぐはっ。両方の親指を負傷。薩摩人三吉慎蔵が必死に応戦しているうちに、おりょうが裏木戸の漬物桶をどかし、坂本さまこっちですと、裏木戸から逃し、龍馬は路地を通って近くの材木屋に隠れました。やがて伏見薩摩藩邸から救援がかけつけ、坂本龍馬は九死に一生を得ました。

龍馬が隠れた材木屋の跡は寺田屋から徒歩約8分の濠川沿いにあります。

寺田屋には実際に泊まることができます。素泊まり6500円。坂本龍馬になりきって一夜を過ごすのも、いいんじゃないでしょうか。

長建寺(島の弁天さん)

寺田屋を後に、宇治川波流沿いの道を歩いていきます。対岸に月桂冠大倉記念館の風情ある酒蔵が見えます。

やがて橋のたもとに長建寺が見えてきました。

長建寺は元禄12年(1699)、伏見奉行建部政宇(たけべまさのき)の創建した真言宗醍醐派の寺。御本尊の八臂(はっぴ)弁財天は「島の弁天さん」として親しまれています。

深紅の土塀と竜宮造の山門が大きなとても印象的です。

中書島には遊郭があったため、音楽・芸能の神である弁財天が関係深いのかもしれません。今も京阪中書島駅の駅前は、昔の遊郭っぽい雰囲気が残っています。

中書島遊郭の客や女たちも、ここ長建寺に参拝したんでしょうね。

十石舟

長建寺を後に、目の前の辯天橋を渡り、橋のたもとから土手に降りると、十石舟(じっこくぶね)の乗り場です。

江戸時代の十石船を観光船として再現したものです。

いくつもの橋をくぐり抜け、酒蔵の間を抜けて、舟はゆったり進み、宇治川派流と宇治川との合流点・三栖閘門(みすこうもん)に至り、折返し戻ってきます。

十石舟コース

伏見は太古から巨椋池に接し、また宇治川・木津川・淀川の中継点として、水運の拠点でした。

豊臣秀吉は伏見の水運に目をつけ、堤防を築き、城を建て、水路を開削して伏見を港湾都市として整えました。慶長19年(1614)角倉了以(すみのくらりょうい)が高瀬川を開削したことで、洛中と伏見が直結され、伏見は水運の中継点としていよいよ栄えます。

一日に1000隻もの舟が行き交い、川沿いには多くの旅籠屋・船宿が立ち並び、四軒の本陣もありました。また伏見は古く「伏水」と書いて、湧水の豊かな場所です。それを活かして酒造りでも大いに栄えました。

見えてきました。三十石船(さんじっこくぶね)の乗り場です。

三十石船乗船場

三十石船は江戸時代に淀川を上下した客船です。葭簾が屋根のように覆い、船頭二人に定員28人。朝夕二度出港しました。伏見から大坂天満の間を行き交いました。

三十石船乗船場

途中、淀や枚方(ひらかた)では物売り舟が「くらわんか」と言って客に食べ物を売るのも船旅の風物でした。

三十石船の風情は落語「三十石」や浪曲「森の石松代参詣(だいまいり)」に語られています。

明治4年(1871)廃船となりましたが、現在、観光船として復元され、春と秋の土日のみ運行しています。

乗り場の脇に、坂本龍馬とおりょうの像。

伏見 坂本龍馬とおりょうの像

慶応2年(1866)1月23日、寺田屋で伏見奉行所同心に襲撃された坂本龍馬は、その傷を癒やすため、恋人おりょうと鹿児島の霧島温泉に旅行しました。これが日本初の新婚旅行と言われています。

見えてきました。京橋です。

伏見 京橋

このあたりが、江戸時代の伏見港の中心地。もっとも賑わった所です。鳥羽・伏見の戦いの「伏見口の戦い」の跡地もここです。

伏見口の戦い 激戦地跡

やがて宇治川派流が濠川に流れ込みます。合流点の公園には高瀬川を開削した角倉了以の碑が立っています。

角倉了以の碑

三栖閘門

ここから舟は南に向きを変え、三栖閘門に至ります。

三栖閘門

三栖閘門

大正16年(1917)の大洪水をきっかけに、宇治川沿いの観月橋から三栖まで、堤防が築かれました。しかしそれでは舟が伏見港から宇治川に出られなくなるため、

二枚の門で挟まれた区画で濠川と宇治川の水位を調整する仕組みが作られました。これが三栖閘門です。昭和4年(1929)完成。

三栖閘門

三栖閘門

パナマ運河と同じ構造で別名「伏見のパナマ運河」と呼ばれています。現在は稼働しておらず、実際に宇治川まで出ることはできません。

三栖閘門資料館では三栖閘門の仕組みや歴史を学ぶことができます。

三栖閘門資料館

伏見は古くからの港湾都市であり、酒造の町であり、鳥羽伏見の戦いや寺田屋事件といった歴史に彩られ、さまざまな切り口があり興味が尽きない町です。古い酒蔵や町家が立ち並び、十石舟・三十石船の船路もとても風情があります。ぜひ歩いてみてください。

次回は静岡の舞坂を歩きます。お楽しみに。

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