紫式部ゆかりの石山寺を歩く

こんにちは。左大臣光永です。

先日、琵琶湖のほとり・大津で飲んできました。京都からちょっとだけ離れた大津で、ちびりちびり酒を飲んでいる。その風情がほしかったのです。琵琶湖の存在感が常に感じられました。たとえ琵琶湖がそこに見えていなくても、ちょっと歩けば、琵琶湖がそこにある。そのワクワク感。酒がぐいぐい進みました。

本日は、滋賀県大津の石山寺を歩きます。

石山寺は瀬田川を見下ろす伽藍山(がらんやま)のふもとにある古刹です。古くから観音信仰の霊場として信仰を集め、西国三十三所霊場・第13番札所に数えられています。

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石山寺は『更級日記』『蜻蛉日記』『枕草子』『和泉式部日記』などの文学作品に描かれ、紫式部が『源氏物語』の着想を得た場所とも伝えられます。近江八景の一つ「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」も有名です。

東大門・参道

京阪電気鉄道石山坂本線・石山寺駅から徒歩20分。

見えてきました。

石山寺東大門(とうだいもん)です。入母屋造り・本瓦葺き。左右に運慶・湛慶作とされる仁王像がそびえます。くぐると、参道がずーっと先まで続いています。木々の梢に日光が差して、緑の光に包まれた感じ。すがすがしいです。


石山寺は琵琶湖が瀬田川に流れ込む河口近くの伽藍山の麓に建つ、東寺真言宗の寺院です。眼下に瀬田川を見下ろし、景色がとてもいいです。

石山寺の創建は古く、聖武天皇の勅願により天平勝宝元年(749)、東大寺の良辨(ろうべん)僧正によって創建されました。創建当時から観音信仰の霊場とされ、平安時代に入り観音信仰が盛んになると、朝廷や摂関貴族の信仰が集まりました。西国三十三所13番目の札所(ふだしょ)に数えられています。


『更級日記』『蜻蛉日記』『枕草子』『和泉式部日記』などの文学作品に描かれました。堂内の「源氏の間」は紫式部が『源氏物語』を書いた場所と伝えられます。近江八景の一つ「石山秋月」も有名です。

瀬田の長橋横に見て
ゆけば石山観世音
紫式部が筆のあと
のこすはここよ月の夜に

と鉄道唱歌にも歌われています。

参道をしばらく歩き、右手の急な石段を登ります。


階段脇に天平時代…石山寺早々当時からの杉の老木があります。びりびりとエネルギーが伝わってくるようです。


観音堂・毘沙門堂

踊り場状のエリアに出ました。正面に珪灰石の奇岩。その向こうに多宝塔が見えます。


右手に観音堂と、


毘沙門堂。


毘沙門堂中には兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)はじめ三体が安置してあります。

『石山寺縁起絵巻』によると、源頼朝の家臣である中原親能(なかはらちかよし)が和束(京都府相楽郡)で起こった反乱を鎮圧するにあたって石山寺に戦勝祈願に参拝した。すると、ぱあっと目の前に毘沙門天があらわれた。それで、勝利できた。大変感謝なことだと、建てられたお堂です。

蓮如堂

踊り場左奥には蓮如堂。


蓮如上人の幼少時の遺影や遺品をおさめた堂です。もともとは、この真上にある石山寺鎮守の社・三十八所権現社の拝殿として建てられたものです。

蓮如上人の母は石山観音の化身であったと伝説されています。

珪灰石の奇岩

踊り場状エリアの奥には硅灰石の奇岩。


石山寺の「石山」の名前のもととなりました。その上に多宝塔がそびえているのも味わい深いです。

本堂・源氏の間

左手の階段を登ると、滋賀県でもっとも古い建物・石山寺本堂です。


もともと奈良時代の造営で、現在の本堂は永長元年(1096)に再建されたものです。


本堂内の「源氏の間」は紫式部が『源氏物語』を書いたと伝えられます。紫式部の人形があります。とても可愛いです。


後ろにちょこんと顔を出しているのは、娘の賢子(かたいこ)=大弐三位と思われます。紫式部と大弐三位の歌は百人一首57番・58番に採られています。

めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月かな
紫式部

有馬山猪名の笹原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする
大弐三位

そのほか『蜻蛉日記』『更級日記』などの古典作品に石山寺は登場します。松尾芭蕉も句に詠んでます。

三十八所権現社

三十八所権現社。石山寺の鎮守の社です。


一間のみの小さなお社で、緑の中にぽつねんと建っています。真下にある蓮如堂は、もともとこの三十八所権現社の拝殿として建てられたものでした。

経蔵

経蔵。経典などをおさめた高床式校倉造りの建物です。



高床の下には「腰掛け石」があり、ここに座ると安産できるということです。座布団がしいてあるのが愛嬌でした。


紫式部供養塔・松尾芭蕉句碑

そして次のこれが!私が今回もっとも見たかったものです。紫式部の供養塔。


これまで何度か石山寺には来ましたが、この供養塔には気づかなかったです。うっかりしてると見逃す位置にあります。

隣に松尾芭蕉の句碑。


あけぼのは
まだむらさきに
ほととぎす

石山寺の曙は、『枕草子』に「春はあけぼの…」とあるように、まだ春の名残を感じさせるが、さすがに夏なのでほととぎすが鳴いている。

『枕草子』も読み返したくなってきました。さらに石段を登ります。

多宝塔

建久5年(1194)建造。第一層は方形。第二層は円形の二重塔です。



屋根が美しく四方に広がり、ドラマチックなシルエットを描いています。

月見亭

瀬田川の清流を見下ろす位置に、月見亭があります。


近江八景の一つ「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」のシンボルとなっています。


後白河天皇以下歴代天皇の玉座として使われました。現在工事中で、入ることはできませんでしたが、月見亭の脇の張り出しから瀬田川が見下ろせました。


芭蕉庵

月見亭の隣が芭蕉庵です。


元禄2年(1689年)『おくのほそ道』の旅を終えた松尾芭蕉は、国分山(こくぶやま)の幻住庵(げんじゅうあん)や膳所(ぜぜ)の義仲寺(ぎちゅうじ)に住むかたわら、たびたび石山寺を訪れ仮住まいしました。

石山の 石にたばしる あられかな
あけぼのは まだむらさきに ほととぎす
行く春を 近江の人と 惜しみけり

など、多くの句を残しています。芭蕉は近江の風土と人柄をとても気に入りました。深川についで、近江には長く滞在しています。行く春を 近江の人と 惜しみけり…この句には芭蕉の近江に対する愛情、愛着があふれています。

裏山

裏山に登っていきます。


紅葉葉がワアッと繁っているので、紅葉の時期はさぞかしきれいだろうと想像させられます。

青々と群生するわらび。


光堂。


紫式部像。


『源氏物語』の執筆中に筆を止めて、これからの構想をかんがえてる場面でしょうか。

八大龍王社。


池の中島に建てられた小さな社で、龍王を祀ります。

石山寺はいつも多くの参拝客で賑わっていますが、裏山まではほとんど人が来ないです。がらーーんとしてます。ワァワァ声出して、『太平記』とかがなってきました。旅先ではこういう声出しスポットを探すのが、私は楽しみです!

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