唐崎神社・唐崎の松を訪ねる
本日は、琵琶湖のほとり・唐崎神社を訪ねます。
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琵琶湖のほとり唐崎(辛崎)は、万葉の昔から歌に詠まれている
歌枕です。芭蕉は『野ざらし紀行』の旅で琵琶湖の向うに「唐崎の松」をながめて、
唐崎の松は花より朧にて
唐崎の松は桜よりも朧に霞んで見える、
という句を詠んでいます。
JR湖西線唐崎駅から東へ徒歩10分。
…といっても、かなりわかりづらい所にありますので、手打ちそばの「松永」、みたらし団子の「寺田物産」を目印に歩いていくと…
見えてきました。
唐崎神社の鳥居です。鳥居のむこう、すぐの位置に社殿が見えます。その向こうは満々たる琵琶湖です。
唐崎は辛崎、韓崎とも書き、万葉集に見える大津京時代からの地名です。
『枕草子』に琵琶湖湖岸の名勝として紹介され、室町時代に「唐崎の夜雨」が「近江八景」の一つに定められ、天下の名勝として安藤広重の浮世絵にも描かれています。
「近江八景」は明応9年(1500年)関白近衛政家が中国の瀟湘八景にならい、琵琶湖周辺の八つの美しい景色を選んだものです。比良の暮雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山の秋月、矢橋(やばせ)の帰帆の八景です。
境内中ほどで八方に枝をのばしている松が、三代目の唐崎の松です。
大津市の史跡・名勝に指定されています。鳥居が置かれ、大事に守られている感じがありました。松のそばには、「唐崎の松は花より朧にて」芭蕉の句碑が立っています。
この句は初めの案では「唐崎の松は小町が身の朧」でした。朧にかすむ老松を、年衰えた小野小町になぞらえたものです。唐崎の松は小町が身の朧…そう唱えながら松を見ると、あはれも勝って思えます。
境内は琵琶湖にすぐに接しており、琵琶湖からの風がびゅうびゅう吹いてきました。
「近江八景 唐崎の夜雨」の碑。
そして向こうには、近江富士として知られる三上山が、ボコンとお椀のような姿を見せています。なるほど、あれに大ムカデがからみついていたんですね。
672年壬申の乱で大海人皇子方が勝利すると、それまで都が置かれていた大津京から飛鳥に都を戻しました。後年、大津京跡を訪れた柿本人麻呂は、
「ああ…これが天智の帝がお築きになった大津京のあとか。
その名残も無い…。ここではかつて、都人たちが優雅に舟遊びをしていたのに…」
そんな思いを、歌に託しました。
ささなみの 志賀の唐崎(からさき) 幸(さき)くあれど 大宮人の 船待ちかねつ(万葉集 巻1-30)
(さざ波寄せる志賀の唐崎は幸いにもまだ残っているが、ここで舟遊びをした都人の姿はもう無い)
ささなみの 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも会はめやも(1-31)
(さざ波寄せる志賀の大わだ…湖の入り江では水が昔のままによどんでいるが、だからといって昔の人に会えるだろうか。いや、会えない)
近江(おーみ)の海(み) 夕波千鳥(ゆうなみちどり) 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ
(近江の琵琶湖の湖上の夕暮れの波に鳴く千鳥よ。お前が鳴けば心もしおれるほどに、昔が重いざれるよ)
本日は、琵琶湖のほとり・唐崎神社を訪ねました。明日は、やはり琵琶湖のほとり・堅田の浮御堂(うきみどう)を訪ねます。お楽しみに。
次の旅「堅田の浮御堂を訪ねる」