清水寺を歩く

こんにちは。左大臣光永です。

京都大学の前を通ると、立て看板がたくさん立ってるんですよ。サークルの紹介とか、学園祭の案内とかの。見てると学生時代の高揚感が蘇って、うれしくなります。

おおむね下手クソな絵で、汚い字で、なぐり描いてある。デザインも、なっちゃいない。色彩感覚もお世辞にもほめられたものでは無い。漫画やアニメのキャラクターをそのまま描いて、著作権ガン無視なのも、学生ならではの勢いがあって、よくないんだけど、よいです。

さて本日は、清水寺を歩きます。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Kiyomizudera.mp3

清水寺界隈は京都でもっとも人気の高い観光スポットです。八坂通り・三年坂・二年坂・清水坂といった風情ある小道、そびえ立つ八坂の塔、見晴らし豊かな清水の舞台、霊験あらたかな音羽の滝…、これぞ京都という気分が味わえます。

八坂通・法観寺八坂の塔

バス停清水道(きよみずみち)下車。清水寺に行くにはいくつかコースがありますが、八坂の塔が見える八坂通から行くのがおすすめです。


八坂通は東大路通りから二年坂・三年坂に至る約800メートルの通りです。料亭や寺や土産屋が立ち並び、いかも京都という風情があります。

坂道を登っていくと、見えてきました。



法観寺五重塔、通称「八坂の塔」です!東山のシンボルとして親しまれています。

高さ46メートル。6メートル四方。屋根は本瓦葺き。第二層までは登ることができます。東山の美しい景色が一望できます。

法観寺は飛鳥時代の創建。聖徳太子による建立とも伝えられます。ただし伽藍のほとんどは焼失して、現存しません。永享12年(1440)六代将軍足利義教により再建されたこの五重塔、薬師堂、太子堂のみが往時をしのばせます。

ニ年坂・三年坂

八坂通りをひたすら歩いていきます。



左右に町家風のお土産屋さんがならび、着物姿の女性が多く、修学旅行生も、外国人も多く、気分高まります。


左に下っていくのがニ年坂です。

大同2年(807)の創建だから二年坂。ここから高台寺を経て丸山公園まで下りていけます。今回は見送って、八坂通りをこのまま進んでいきます。


左に興昌寺本廟の入り口を見て、少し進むと上り階段が見えてきました。


三年坂です。


大同3年(808)の創建だから三年坂、そして安産にご利益のある子安観音の参道であるため産寧坂とも書きます。三年坂で転ぶと三年以内に死ぬという物騒なことも言われています。

清水坂

三年坂を上りきったら左に折れ、清水坂を上っていきます。


いよいよ人が多く、参道の雰囲気出てきました。通りの名前は松原通りですが、東大路通りから清水寺までは清水坂とか清水道と呼ばれます。


清水寺

仁王門

見えてきました。清水寺の仁王門が!




入母屋造り・檜皮葺。扁額の文字「清水寺」は、平安時代の能書家・藤原行成によるものです。ふにゃふにゃっとした文字です。左右の狛犬も、思いっきり胸をそらして、味わい深いです。



仁王門右奥に、西門(さいもん)と、三重塔が見えていて、気分高まります。


仁王門をくぐり、西門と鐘楼の間の石段を登っていきます。

西門(さいもん)

右に見えるのが西門です。


切妻造・檜皮葺の門で、寛永8年(1631)再建。残念ながら、くぐることはできません。

三重塔

西門の南に、三重塔。


平安時代初期、清水寺のご本尊である観音菩薩像のご霊験により嵯峨天皇に皇子が誕生しました。それを感謝して三重塔が創建されたと伝えられます。

21
21

音羽山の緑を背景に、朱塗りの塔が鮮やかです。

現在の塔は寛永9年(1632)再建。三間四方、高さ297メートル。三重塔としては日本最大級です。

清水寺の歴史

清水寺は奈良時代末期の宝亀9年(778年)奈良の延鎮(えんちん)上人が「木津川をさかのぼり、清らかな泉を求めよ」という夢のお告げを受け、ここ音羽山に至ると清らかな滝を発見。滝の上に庵を結びました。

その後、延鎮上人が修行中、同じく音羽の滝で修行していた行叡居士から観音菩薩の力のこもった霊木を授けられ、延鎮上人はこれをもって十一面観音菩薩像を刻み祀りました。

宝亀11年(780年)坂上田村麻呂は鹿狩りの途中、山中で延鎮上人と出会います。そこで殺生の罪をとがめらると、罪を悔いた田村麻呂は延鎮上人に帰依。御本尊の十一面観音菩薩像を安置するため、音羽山山中に仏殿を寄進しました。

弘仁元年(810年)には鎮護国家の道場となり、北観音寺と名付けられ、後に清水寺となりました。その後、花山法皇が再興した西国三十三所霊場の第16番札所と数えられるようになりました。

現在の堂宇のほとんどは寛永10年(1633)徳川家光の再建によるものです。

ご本尊の十一面観音像は33年に一度の御開帳で、次回は2033年の予定です。

本堂・舞台

轟門をくぐり、「清水の舞台」で名高い清水寺本堂に入ります。



ご本尊の十一面観音立像が安置されています。

崖に建てられているため、南側は139本の縱橫に組まれた柱で支えられた、「懸造(かけづくり)」になっています。



現在工事中なため、周りが足場とシートで覆われています。絵葉書などでよく見る「清水の舞台」の姿は、むこうの奥の院から見たものですが、現在それが拝めなくなっているのは残念なことです(写真は2014年に撮影)。

しかし、本堂の中に入ることはできるし、清水の舞台に出ることもできます。


清水の舞台からは正面に子安塔(こやすのとう)、


左に奥の院、


眼下に音羽の滝やアテルイ・モレの顕彰碑が見えます。



ミニチュアのようで、楽しいです。

地主(じしゅ)神社

本堂真北には、縁結びのご利益で知られる地主神社があります。


清水寺の鎮守の社で、その歴史は古く、日本創建以前に遡ると言われています。


境内にある一対の「恋占いの石」は、目をつぶったまま一方の石からもう一方の石まで歩いて行くと、恋が叶うと言われています。


この石は調査によって縄文時代のものだと証明されました。

地主神社は桜の名所でもあります。境内にある桜は嵯峨天皇があまりの美しさに三度車を返して眺めたことから「御車(みくるま)返しの桜」と呼ばれます。

地主神社の一角に恐ろしいものがあります。

どんな願いでも一度で聞き入れられるという「おかげ明神」の裏手にある御神木です。「いのり杉」別名を「のろい杉」ともいい、多数の釘の跡があります。

丑の刻参りです。

丑の刻に、藁人形をご神木に打ち付け、相手を呪うという、あれです。江戸時代に女性の間で流行したということですが…新しく釘を打ち込んだ跡もあり、現在も、確実に続いていることがうかがえます。生々しいです。

釈迦堂・阿弥陀堂・奥の院

本堂東側には、北から釈迦堂・阿弥陀堂・奥の院。




奥の院は音羽の滝の真上に位置することから、清水寺創建の延鎮上人・行叡居士が修行した草庵の跡と伝えられます。また奥の院裏手には水中に安置された「濡れ手観音」があります。

奥の院あたりからの景色は素晴らしいです。右手に本堂、むこうに京都の町並みが見渡せます。京都タワーがよく見えます。


音羽の滝

奥の院の真下が「清水寺」の名の由来でもある、音羽の滝です。



三筋の筧から清水が流れ、これを長い柄杓ですくって飲むと、願いがかない、万病に効くと言われています。いつも行列ができます。大人気です。清水の舞台とならぶ、清水寺の人気スポットです。

アテルイ・モレの碑

音羽の滝を背に、本堂を右手に、坂道を下っていきます。このまま出口まで直行する方がほとんどですが、道すがら、左を御覧ください。

アテルイ・モレの碑です。


桓武天皇は平安京遷都以前から、蝦夷征伐の軍をたびたび起こしました。延暦八年(789年)征夷大将軍・紀古佐美(きのこさみ)率いる政府軍を陸奥に派遣。その時、陸奥国胆沢郡を拠点とした首領アテルイは、部族を率いて、政府軍をコテンパンにとっちめました。

以後、アテルイは十数年にわたり政府軍を相手取って奮戦しました。

しかし

延暦21年(802)征夷大将軍・坂上田村麻呂に屈し、アテルイは同胞のモレとともに京都に連行されました。

田村麻呂はアテルイの武勇を惜しみ、助命嘆願をしましたが、聞き入られることはなく、アテルイは河内国杜山で処刑されました。

坂上田村麻呂創建の清水寺に、田村麻呂が敵ながらその武勇を認め助命嘆願をしたアテルイの碑が立っていることは意義深いことに思います。

本日は清水寺を歩きました。

清水寺界隈は京都でもっとも人気の高い観光スポットです。八坂通り・三年坂・二年坂・清水坂といった風情ある小道、そびえ立つ八坂の塔、見晴らし豊かな清水の舞台、霊験あらたかな音羽の滝、これぞ京都という気分が味わえます。

学生時代の、修学旅行の、あの高揚感を思い出しながら、歩いてみるのはいかがでしょうか。

次回は、「城南宮・鳥羽離宮跡を歩く」鎌倉時代の承久の乱、幕末の鳥羽・伏見の戦いの舞台ともなった、城南宮。そして白河上皇の鳥羽離宮後を歩きます。お楽しみに。

音声つき 歴史と旅のメールマガジン

京都在住の左大臣光永が、近畿を中心に史跡・名所を音声つきで紹介し、その場所にまつわる歴史や伝説などを語ります。楽しみながら深く立体的な知識が身につきます。

詳しくはこちら
http://sirdaizine.com/CD/MailMagazineInfo2.html