甲府に武田信玄の史跡を訪ねる(二)

季節。いかがお過ごしでしょうか?
私は先日長野の玉泉寺で川中島合戦の話をしてきました。

護摩を焚く行事の前座として話したのですが、
500人もの人前で話すのは初めてだったので、グッタリ疲れました。

護摩焚きの行事もはじめて見たので新鮮でした。
護摩を焚く烟をこう頭にかぶるのですが、これが良い香りで、
東京に帰ってからもしばらく衣類に護摩の煙の香りがしみついていました。

本日は前回に引き続き、
甲府に武田信玄の史跡を訪ねます。

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今回は武田信玄の父・武田信虎の墓のある大泉寺と
甲斐善光寺です。

大泉寺 武田信虎の墓

大泉寺は甲府駅から2キロほどの位置にあります。
山の中腹です。


参道へ至るまでの道には歩道が無く、
びゅんびゅん車が通るので、怖かったです。

ようやく「大泉寺」の看板が見えて、助かったと、
その道にかけこみます。


四方はどちらを向いても山、山、山で、
しかもその山が目の前にぐわっと迫ってくる感じに
高揚感がかきたてられます。

総門をくぐると、見事な杉並木です。


ああ…山寺に来ているなあと実感をかみしめながら
人っ子一人ない、侘しい雰囲気の中を歩いていきます。

本殿にも賽銭箱にも武田の四つ割菱が描かれています。


本殿に向かって左を見ると、

「武田三代公御霊廟」


の文字があり矢印に従って進んでいくと、
武田信虎の墓の入り口が見えてきました。

武田信虎は、武田信縄(のぶつな)の嫡男として
明応3年(1494年)石和館(いさわやかた)に生まれます。

永正16年(1519年)甲斐の中心地・甲府への進出を目指して
躑躅ヶ崎館を建設。石和館から躑躅ヶ崎館に拠点を移します。

そして躑躅ヶ崎館の周辺に家臣を住まわせ、
城下町を発展させました。

その後、甲斐を統一した武田信虎はさらなる
国力の増強をめざし、相模の北条氏綱、
駿河の今川氏親らと戦いを始めますが、
うち続く戦乱に領民の不満は高まっていきます。

「民の嘆きを無視して国はならぬ。
今こそ父上を追放すべき時」

常日頃から父信虎と意見の対立していた嫡男の
春信は、家臣らとはかって父信虎が
娘と孫に会うために駿河国に出発した時、
帰り道を塞いで帰って来れないようにして、
武田家の家督を強引に奪いました。

以後、信虎は二度と故郷甲斐の地を踏むことはできませんでした。

甲斐国を追放された信虎は娘婿の今川義元のもとに身を寄せますが、
1560年(永禄3年)今川義元は桶狭間の戦いで織田信長に
敗れ、戦死。

跡を継いだ今川氏真が愚か者と見ると、
信虎は自分を追放した息子・信玄に
「今川氏真を討て」と提案しますが、

これが今川氏真にばれ、
駿河にいられなくなると信虎は今度は京都にのぼり、
将軍足利義輝に仕えます。しかし

永禄8年(1565年)将軍足利義輝が松永久秀に暗殺されると出家して
さらに諸国を転々とした挙句、

天正2年(1574年)に南信濃の伊那で没しました。
息子信玄が没した翌年のことでした。享年81。

なんとも精力的な、忙しい人生という気がします。

その武田信虎の墓の様子を言えば、


門をくぐると、お堂があり賽銭箱には武田の四つ割菱、
軍配団扇のマスコットが飾ってありました。

このお堂の裏手にまわると、
いかにも侘しげな五輪の塔があり、
この真ん中のものが、武田信虎の墓。
左が信玄の墓。右が勝頼の墓と伝えられています。



ちょっとこの場所は寂しそうですね。

烈しい人生を送った方だけあって、もっ広い所に出せよと
ぶうぶうおっしゃってる気がしました。

甲斐善光寺への道

次に甲斐善光寺に向かいます。

甲府から身延線に乗ってすぐ二駅目が善光寺駅ですが、
電車は一時間後でした。

暗記ものをやりながら、ゆっくり待ちました。

しかし、一時間待つことを考えると、歩いたほうが
早かった気がします。

善光寺駅は高架線の駅で、ホームからの見晴が素晴らしかったです。



遠く、山々が見渡され、しかも東のほうの山には雪が残っているのに
南のほうの山は黒々としているのが印象深かったです。

そして南のほうの山の向こうには富士山が見えます。
晴れ渡った日でしたので、なおさら気分がよかったです。

善光寺の参道に入ると、ずあーーっと向こうまで見渡せます。


参道の左右には所々、ぶどう園があり
山梨にいる実感を高めてくれます。


甲斐善光寺は、川中島の合戦による信濃善光寺消失を
怖れた武田信玄が、永禄元年(1558年)御本尊善光寺如来像と
数々の宝を遷してきたのが、はじまりです。


武田家滅亡後も、織田、豊臣、徳川家の保護を受けましたが、
宝暦4年(1754年)門前の農家の失火により全ての伽藍が消失しました。


その後、30年かけて
寛政8年(1796年)再建され、現在に至ります。




鳴き竜と戒壇廻り

金堂の受付のところで入場料500円を払うと日本一の「鳴き竜」と
「戒壇廻り」を体験することができます。

「鳴き竜」は天井に二匹の龍が描かれ、
その下で柏手を打つと、竜が鳴いているような響きが
するというものです。

戒壇めぐりは、須弥壇の下の通路を暗闇の中
くぐる、というものです。暗闇の中扉があり、
「心」の字をかたどった鍵をさわると、その扉の向こうに
鎮座する御本尊と、縁が結ばれる、というものです。

私はこの戒壇めぐりがとても苦手です。
目がしばしばして、早く出口に出たいため駆け出したいが、
駆けだすと、何か暗闇の中からぶうんとワナが飛び出してきて
頸かっ切られるんじゃないかとの恐怖で、内臓がしめつけられるような
思いがします。

信濃善光寺や京都の清水寺でも戒壇めぐりをやりましたが、
何度やっても、これは馴れないですね…

宝物館

金堂の脇にはひっそり宝物館が建っています。
ここが、一番すばらしかったです。

普段は鍵が締まっているので、
係の人に言って開けてもらいます。

日本最古の源頼朝像、実朝像、
年老いた小野小町象、役小角像、熊谷次郎直実像、
そのほか掛け軸や刀剣などの宝物があります。

特に源実朝像は出来がよく、面長で思慮深い感じは、
実朝のイメージにぴったりです。衣冠束帯姿で、その衣も
ゆったりとした流れを作っており、実朝の人柄が伝わってきます。

頼朝像は教科書などでよく知られる
若々しい姿ではなく、50代くらいの
でっぷりした頼朝像です。眼球が失われているので、
目は黒々と穴が開いており、異様な感じがありました。

そして頭部の造りが丁寧なわりには胴体がおおざっぱで、
頭部が胴体にめりこんだ感じも違和感がありました。

実朝像と違って、見ていてとても不安になってくる象です。

実朝像を見て、頼朝像を見て、
頼朝像を見て、また実朝像を見て、さまざまな思いにかられながら
一時間ほど過ごしました。

甲斐善光寺を訪れた際はぜひ
宝物館に寄って頼朝と実朝の像を見てみてください。
さまざまに、語りかけてくるはずです。

次回は、東光寺に諏訪頼重と武田重信の墓を訪ねます。

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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。