鎌倉 小町大路を歩く(二)

こんにちは。左大臣光永です。どこの温泉センターにも「電気風呂」というのがありますよね。あの名前って、怖くないですか?イメージ的にはビリビリーっと感電するような。実際、そんな大きな電気が流れてるわけじゃないんですが、電気風呂という名前が、致命的に、怖いと思います。で、名前を変えたらどうだろうと考えたんですよ。微妙刺激風呂とか、ピリピリ風呂とか、いくつか頭の中で候補を考えて、ああ自分にはネーミングセンスが無いと、実感したことでした。

さて先日、「聴いて・わかる。日本の歴史~鎌倉と北条氏の興亡」を
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しばらくこの商品に関連して鎌倉の話題をお届けしていきます。

本日は「鎌倉 小町大路を歩く(二)」です。

鎌倉の小町大路界隈は、北条氏に滅ぼされた比企一族の墓のある妙本寺、若宮大路幕府跡、北条高時腹切りやぐら、北条氏の怨霊を鎮めるために建立された宝戒寺など、北条氏関係の史跡が多いです。また日蓮宗の寺院が集中しており、日蓮の足跡をたどる意味でも、興味深いエリアです。

前回の「鎌倉 小町大路を歩く(一)」もあわせて、お聴きください。
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妙隆寺

日蓮上人辻説法跡を後に、小町大路を北に向けて歩いていきます。


左をごらんください。日蓮宗妙隆寺です。


この周辺は鎌倉幕府の有力御家人で源頼朝の挙兵をささえた一族・千葉氏の屋敷跡といわれます。その千葉一族の千葉胤貞(ちばたねさだ)が、日英上人を招いて建立したのが、ここ、妙隆寺です。



二世・日親上人は、租師・日蓮上人にならい、室町幕府六代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が圧政をしいていたのに対し、『立正治国論(りっしょうちこくろん)』をあらわし献上しました。


しかし、足利義教は、これをまったく聞き入れませんでした。

「生意気な!日親をひッ捕えろ!!」

日親を捕え、烈しい拷問を加えます。それでも屈しない日親に、ついに頭にきた足利義教は、熱く焼けた鍋を頭にかぶらせます。

「ぐおおおぉぉぉぉーー南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経!!」

それでも、お題目を唱え続ける日親。信念の人・日親。ために、日朝は、「鍋かむり日親」と呼ばれるようになります。このように激しい弾圧を受けましたが、翌嘉吉元年(1441年)には政変・嘉吉の乱が起こり、足利義教が殺されたので、日親は赦免となりました。

ある雪の朝。21歳の日親は、氷のはった池の上に霜を踏んで進んでいき、

「わが忍耐を試さん」

パリンッ、バッシャーーン!

突然、池に飛び込みます。そして、お題目を唱えるのでした。以後、百日間にわたって日親は、冷たい池につかって修行をしたという、その池が、本堂右手にあります。気合の入った方だったんですね。



また妙隆寺は鎌倉・江の島七福神の寿老人を祀る寺としても有名です。


本堂右手のお堂には、ケヤキの一本作りの寿老人像が安置されています。


東勝寺跡・北条高時腹切りやぐら

今度は小町大路から右に折れ、住宅街の中を進んでいきます。滑川を渡り、



坂道を登っていくと、


しだいに空気が重くなってきます。見えてきました。北条氏終焉の地・東勝寺跡です。


元弘三年(1333年)、新田義貞の軍勢が鎌倉に乱入すると、北条一門の人々は北条氏の菩提寺である、ここ東勝寺にこもります。

「皆さま方、せめて北条の御一門として、恥しくない御最期をお遂げ下さい。
ゆめゆめ、後世の物笑いの種になるようなことがあっては、なりませぬ…」

「う…うう、うう…」

あちこちから漏れる、すすり泣きの声。

そして。

ずぶっ。

ぐうううっ。

ざんっ。

ぐぶっ…

あるいは主君の前で腹かっ切り、あるいは親子、兄弟で刺し違え、重なるように果てて行きます。「う…うう…なぜこんなことに」ずぶぶぶっ…ついに高時も自刃しました。

主君・高時の死を見届けると、配下の者たちは屋形に火をつけ、燃え盛る炎の中、次々と自害しました。死者の総数、283人を数えました。

ここに、150年間にわたった鎌倉幕府の歴史は、幕をおろしたのです。それが、ここ東勝寺跡。そして


東勝寺跡のわきには、北条高時の腹切りやぐらがあります。


やはり、ゾォ~とする感じです。あまり日が傾いてから訪れたくはない場所です。

若宮大路幕府跡

ふたたび小町大路に戻り、小町大路を渡り、すぐはす向かいの細い道に入ります。見えてきました。若宮大路幕府跡の碑です。


若宮大路幕府は、嘉禎(かてい)2年(1236年)、宇都宮辻子(うつのみやずし)幕府から遷ってきました。これが鎌倉幕府最後の御所となります。

鎌倉の幕府…つまり御所は、三回、正確には四回遷っています。

源頼朝が鎌倉入りした時、現在の鶴岡八幡宮東一帯の地に大倉幕府を構えました。


承久元年(1219年)、大倉幕府が火事で焼失したのに伴い、小町の北条義時邸(現宝戒寺あたり?)を仮の御所としていましたが、

三代執権北条泰時の時、宇都宮辻子幕府に遷しました。現在のカトリック雪の下教会から少し住宅街に入った所に、宇都宮辻子稲荷というお稲荷さまがあります。これが宇都宮辻子幕府の名残といわれます。


そして嘉禎2年(1236年)、北条泰時はここ若宮大路幕府に幕府を遷します。以後、元弘3年(1333年)鎌倉幕府の滅亡までの97年間、この地に幕府が置かれました。ただし宇都宮辻子幕府と若宮大路幕府は隣同士…といってもいいほど近いので、単なる改築だったという説もあります。

宝戒寺

ふたたび小町大路に立ち返り、北へ向かいます。十字路に出ました。右をごらんください。天台宗の寺院・宝戒寺です。「萩の寺」としても有名です。




北条氏滅亡後、北条氏の怨霊を恐れる後醍醐天皇は、足利尊氏に命じて、北条執権屋敷跡に寺院を建てさせました。それが、ここ宝戒寺です。

参道脇には「北条執権屋敷址」の碑。


境内右手の徳宗大権現堂には、鎌倉幕府最後の得宗・十四代執権北条高時の木像を安置してあります。


そのほか境内のいたる所に北条氏の「三つ鱗紋」が見え、後醍醐天皇の、怨霊に対する怯えが、伝わってくるようです。


本日は鎌倉小町大路を歩きました。日蓮や北条氏に興味のある方には、たまらないエリアだと思います。

次回は、鶴岡八幡宮を歩きます。お楽しみに。

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聴いて・わかる。日本の歴史~鎌倉と北条氏の興亡
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三代将軍源実朝が暗殺されたことにより源氏の政権は途絶え、
以後、北条氏が権力をのばします。五代執権北条時頼、
八代執権北条時宗の時代を経て北条氏嫡流「得宗」家は、
いかに権力を拡大していったのか?

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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。ありがとうございました。