東山 高台寺と周辺を歩く

■【古典・歴史】メールマガジン

本日は、東山の高台寺と、その周辺を歩きます。

高台寺は豊臣秀吉の菩提を弔うため、北政所・ねねが建立した寺院です。東山の豊かな緑を借景に、小堀遠州作庭による庭園、秀吉と高台院ねねを祀る霊屋(おたまや)、伏見城の遺構と伝えられる茶室「傘亭」「時雨亭」など、見どころが多いです。萩の名所として、紅葉の名所としても有名です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

https://roudokus.com/mp3/Koudaiji.mp3

ねねの道

バス停東山安井(ひがしやまやすい)から徒歩5分。「ねねの道」に入ります。

ねねの道
ねねの道

石畳の風情ある通りで、いつも観光客が多いです。

ねねの道は、清水寺から三年坂・二年坂を経て円山公園に至る道です。秀吉の正妻である北政所ねねゆかりの高台寺と圓徳院があることからねねの道といいます。ねねが清水寺に参詣する時に通ったとも言われます。

台所坂

お土産やさんを覗きながら歩いていくと、高台寺の入り口が見えてきました。

高台寺 台所坂
高台寺 台所坂

高台寺 台所坂
高台寺 台所坂

台所坂と呼ばれる石段を登ります。青もみじが左右から覆いかぶさるようで、見事です。秋の紅葉も、素晴らしいですよ!

高台寺 台所坂
高台寺 台所坂

台所坂を登りきって正面に庫裏を見ながら、受付をすませて、中に入ります。

高台寺 庫裏
高台寺 庫裏


入口~書院

左に湖月庵という小さな庵。

高台寺 湖月庵
高台寺 湖月庵

北政所の出家後の号・高台院湖月心尼にもとづきます。角を曲がると、書院の入り口です。


ここから靴を脱いで上がります。

高台寺について

高台寺は豊臣秀吉の正室であった北政所ねね(おね)が秀吉の菩提を弔うために慶長11年(1606)創建した寺です。通称「ねねの寺」。

徳川家康の援助により荘厳な伽藍が建てられ、9万5千坪の広さがありました。はじめは曹洞宗の寺でしたが、後に建仁寺の三江(さんこう)和尚を中興の開山として迎え、臨済宗に改められました。

江戸時代に火事でたびたび焼け、往時の姿はありませんが、本堂・庫裏・開山堂・秀吉と北政所を祀る霊屋(おたまや)、傘亭・時雨亭の二つの茶亭が境内に残ります。

北政所高台院について

北政所高台院。豊臣秀吉の正室。名はねね、おね、ね、ねいなど諸説あり。

杉原定利の娘だが後に尾張の浅野長勝の養女となります。

永禄4年(1561)木下藤吉郎(秀吉)と結婚。天正13年(1585)秀吉が関白就任に伴い従三位に叙せられ、北政所の号を許されます。ついで天正16年(1588)従一位、准三后。

慶長3年(1598)秀吉が死ぬと、徳川方・豊臣方双方のはざまで微妙な立場に立たされるも、慶長8年(1603)秀頼と千姫の結婚を見届けると落飾。高台院湖月心尼(こうだいいん・こげつしんに)と号しました。

慶長10年(1605)秀吉の菩提を弔うために家康の援助の下、京都東山に高台寺を建立。隠棲しました。

大阪の陣では徳川方に監視されて身動きができず、大阪に走ることもできないまま、豊臣家の滅亡を迎えます。

しかし豊臣家滅亡後も家康との関係は極めて良く、家康は高台院の所領を安堵し、その生活を保証しました。

北政所高台院は人好きのする豪快な性格で、出家後も武家・公家・僧・文化人など広い分野の人々が高台院を訪ねました。寛永元年(1624)、東山高台寺に天寿を全うしました。

方丈

渡り廊下を伝って、書院から方丈に至ります。方丈庭園です。

高台寺 方丈庭園
高台寺 方丈庭園

枯山水の庭園の正面に勅使門があります。勅使門の前に、何かメダルのような魔法陣のような形が作られていますが、あれは何でしょうか…。

高台寺 方丈庭園
高台寺 方丈庭園

開山堂

方丈を後に、左に小堀遠州による庭園と偃月池(えんげつち)をながめながら、順路に沿って歩いていきます。

高台寺 庭園・偃月池
高台寺 庭園・偃月池

中門をくぐると、


右に臥龍池(がりゅうち)、

高台寺 臥龍池
高台寺 臥龍池

左に偃月池(えんげつち)。

奥が開山堂です。

高台寺 開山堂
高台寺 開山堂

慶長11年(1606)建立。高台寺開山・三江紹益(さんこうしょうえき)和尚を祀る建物です。ねねの兄・木下家定、その妻・雲照院の像もあわせて祀られています。

天井の草花図(そうかず)・天女図が室町時代の特徴をあらわします。中央の天井は北政所の御車の天井を、前方の折上組格天井は秀吉の御船の天井を使ったものです。

臥竜廊(がりゅうろう)

開山堂右手の臥竜廊を上っていきます。

高台寺 臥竜廊
高台寺 臥竜廊

文字通り、竜が臥している。その骨格の中を歩いているような廊下です。


霊屋(おたまや)

臥竜廊を上り切ると、豊臣秀吉・北政所を祀った霊屋(おたまや)。

高台寺 霊屋
高台寺 霊屋

開山堂と同じ慶長11年(1606)の建立。内陣中央の須弥壇には二つの厨子(二枚の扉のついた仏像を安置する箱)があり、右の厨子に豊臣秀吉、左の厨子に北政所の木像が安置されています。北政所の木像の下には、北政所の遺骨がおさめられています。しっかり手をあわせていきましょう。

厨子の扉と須弥壇の文様は高台寺蒔絵として有名です。草花や楽器をあしらった模様が描かれています。しっかり観察していきましょう。

傘亭・時雨亭

霊屋の隣には、茶室「傘亭」と「時雨亭」が並んでいます。

高台寺 傘亭
高台寺 傘亭

高台寺 時雨亭
高台寺 時雨亭

傘亭は茅葺き屋根の茶室で、唐傘を開いたような放射状の竹組のある天井から傘亭といいます。時雨邸は入り母屋作りの二階建ての茶室です。

風情の違う二つの茶室が、土間廊下でつながっています。千利休の意匠による茶室で伏見城から移築したと伝えられます。

圓徳院

高台寺を後にします。

高台寺参道下にあるのが、塔頭の圓徳院です。

圓徳院
圓徳院

秀吉の没後、北政所ねねが伏見城の化粧御殿を遷し、77歳で亡くなるまでの19年間を過ごした場所です。

方丈 襖絵山水図

方丈の襖に描かれた山水図は長谷川等伯作、大徳寺の塔頭三玄院からの移築と伝えられます。桐の紋を散らした襖に絵が描いてあるのが特徴的です。

桐を雪に見立てているとも、大徳寺の和尚に絵を描かせてくれと何度も頼んでいるのに許可がおりない。そこでガマンできなくなった長谷川等伯が、和尚のスキを見計らって、部屋に駆け上がって、一気に描いたとも伝えられます。

北庭

北庭。伏見城化粧御殿の前庭を移した枯山水庭園です。

圓徳院 北庭
圓徳院 北庭

築山を中心に多数の石組みを配置し、どっしりした力強い感じがあります。紅葉の季節は特に美しいです。

三面大黒天

また境内には三面大黒天を祀る祠があります。

圓徳院 三面大黒天
圓徳院 三面大黒天

三面大黒天は秀吉の念持仏です。念持仏とはふだん持ち歩いてお守りとする、小さな仏像のことです。

圓徳院の隣には、高台寺に伝えられる宝物を展示した掌(しょう)美術館があります。北政所ねねの身の回りの調度品や、絵画を展示してあります。高台寺・圓徳院・掌美術館の共通券で入ることができます。

石塀小路(いしべこうじ)

石塀小路は、高台寺そばの最大の見どころだと思います。

高台寺前の「ねねの道」と、一筋西の下河原通を結ぶ石畳の道です。

石塀小路
石塀小路

幅2メートルの細い道の両側に石垣や石塀が連なり、何度か折れ曲がって続く道沿いに料亭や旅館が立ち並びます。

石塀小路
石塀小路

京都風情ここに極まるといった感じです。二年坂や三年坂と違って人は少ないので、のんびり散策できます。雨の日に石畳がしっとり濡れているのも、絵になります。

石塀小路
石塀小路

本日は北政所ねねにゆかりの東山高台寺を中心に歩きました。初夏の青もみじも秋の紅葉も見事です。またねねの道・石塀小路は風情ある石畳の道がこれぞ京都という風情にあふれます。北政所や秀吉の昔に思いをはせながら歩いてみてください。

次の旅「知恩院を歩く

■【古典・歴史】メールマガジン