久能山に徳川家康公の墓所を訪ねる

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先日私は、同志社大学OB会静岡支部に招かれ
講演をしてきました。その翌日、徳川家康公の墓所のある
久能山東照宮を案内していただきましたので、今日はその話です。

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「えっ、家康公の墓は日光じゃないの?」

そう思われるかもしれません。

久能山東照宮 楼門
久能山東照宮 楼門

たしかに日光に家康公の墓所はあるんですが、
家康公が亡くなった時、遺言により、まずは
駿河の久能山に埋葬されました。

その後、一周忌を待って
江戸城の鬼門たる日光に遷されたのです。

表参道の石段

久能山東照宮は静岡駅から
東に約9キロ。その入り口は駿河湾にほぼ
面した位置にあります。

一の鳥居をくぐり、

久能山東照宮一の鳥居
久能山東照宮一の鳥居

久能山東照宮 地図
久能山東照宮 地図

表参道の石段を登っていきます。
社殿まで1159段あり、「イチイチゴクロウさん」です!

久能山東照宮 表参道の石段
久能山東照宮 表参道の石段

朝早いのですれ違う人はほとんど無く、
つづら折りの石段がいよいよ静謐な感じでした。

久能山東照宮 表参道の石段
久能山東照宮 表参道の石段

久能山東照宮 表参道の石段
久能山東照宮 表参道の石段

実は昨晩遅くまで宴会の後、明け方まで
ホテルで一人飲みしていたので、

この石段を上るのか…
途中でオエッとならないかなと、心配でした。

まだアルコール臭く頭がクラクラする中、
つづら折りになった石段を登っていきました。

眼下には満々たる駿河湾。
気分いいです。

久能山東照宮 表参道の石段から望む駿河湾
久能山東照宮 表参道の石段から望む駿河湾

時折立ち止まり、駿河湾を見わたしながら
登っていきました。

一の門をくぐり、

久能山東照宮 一の門
久能山東照宮 一の門

社務所の前で
入場料を払います。

久能山東照宮 社務所
久能山東照宮 社務所

徳川家康公の墓所のある神廟と、
家康公の遺品を展示する博物館とは、
共通の入場券で入ることができます。

久能山東照宮 博物館
久能山東照宮 博物館

石段を上り楼門をくぐると、
いよいよ神さびた雰囲気が出てきました。
朝のことで、神官たちがそこかしこで
箒で掃き清めていました。

久能山東照宮 楼門
久能山東照宮 楼門

はよーございます。はよーございまーすと
挨拶しながら、進んでいきました。

この頃はだいぶアルコールも抜け、気分が
よくなっていました。

権現造りの社殿は見事な極彩色で、
江戸時代を代表する大工棟梁、
中井大和守正清によって造営されました。

日本発の権現造りです。権現造りとは
本殿・拝殿の二つが一体化して、その間を
石の間という一段低い建物でつなぐものです。

久能東照宮 縁起

縁起によると…

推古天皇の頃、久能山(くのうざん)に
久能忠仁(くのうただひと)によって久能寺が建立され、
静岡茶の開祖である鎌倉時代の高僧・
聖一国師(しょうしちこくち)もここで修行しました。

永禄11年(1568年)武田信玄は久能寺を現在の鉄舟寺に移し、
この地に天然の要害久能城を築くも、
武田氏の滅亡とともに久能城は徳川氏の所有となります。

その後、徳川家康が天下を統一し
息子の秀忠に将軍職を譲ると、家康は江戸城を出て、
かつて豊臣秀吉の下で治めていた駿府城に入ります。

この時家康は「久能城は駿府城の本丸である」と
語ったと伝えられます。

慶長20年(1615年)家康が亡くなると、遺言により、
ここ久能山に葬られます。後に二代将軍秀忠により
社殿が建立されたのが、ここ
久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)です。

社殿裏手の石段を登っていくと、
いよいよ見えてきました。徳川家康公の神廟が。

久能山東照宮 徳川家康公の神廟
久能山東照宮 徳川家康公の神廟

久能山東照宮 徳川家康公の神廟
久能山東照宮 徳川家康公の神廟

そして掲げられていました。おなじみ、
家康公の家訓が!

東照宮遺訓

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し
いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基
いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知てまくる事をしらざれば
害其身にいたる
おのれを責て人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり

当初この地には小さな祠が建てられていましたが、
三代将軍家光によって石造りの塔に改められました。
家康公の遺言により西を向いているということです。

久能山の西には…

家康公が14年間を過ごした駿府城、
17年間を過ごした浜松城があります。

江戸には背を向けてる形になりますが…

まあ、江戸の守りは日光のほうで
行おうというお考えだったんでしょうか。

金の成る木

神廟右手の杉の大木のもとに、面白いエピソードが書かれていました。
この杉は三代将軍家光公が植えたものとされ、350年を経ています。

久能山東照宮 徳川家康公の神廟
久能山東照宮 徳川家康公の神廟

ある時、家康公が配下の者たちにたずねました。

「金の成る木というものを知っているか?」

「はて、金の成る木」「なんですかそれは?」

そこで家康公は自ら筆を取り、紙に三本の木を書いて、

「よろづ程のよ木」
「志ひふか木(慈悲深き)」
「志やうじ木(正直)」

と書き「これを常々信じれば、必ず富貴を得られよう」

そう語ったということです。

後に、細川三斎忠興公がこれに左右の枝をおそえ遊びしては、
と提案して

「あさお木」
「いさぎよ木」
「志んぼうつよ木」
「ゆだんな木」
「ようじょうよ木」
「かないむつまじ木」

これら左右の枝が繁盛するならいよいよ富貴を得られようと
語ったという話です。

こういう話を聞いたので、すーーと
昨夜のアルコールも消えて行った感じがします。

社殿と家康公の墓所を堪能したら、社務所まで引き返し、
ロープウェーに乗ります。入口からして、わくわくしますね!
待っている時間から、わくわくします!

久能山東照宮 ロープウェー
久能山東照宮 ロープウェー

屏風谷の緑、満々たる駿河湾、
御前崎の景色にガイドさんの説明が加わり、
約5分間の空中遊覧です。

久能山東照宮 ロープウェー
久能山東照宮 ロープウェー

着いた先は日本平という所です。

近くの日本平ホテルのロビーから、
富士山と清水湾の景色を一望してきました。
天女の羽衣で有名な三保の松原も、むこうに見えました。

日本平ホテルのロビーから駿河湾を望む
日本平ホテルのロビーから駿河湾を望む

残念ながら天気はいまいちでしたが、
晴れた日なら、遠くまで見渡せて、最高な気分でしょうね。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

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