三島を歩く

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本日は、「三島を歩く」です。

三島は、伊豆半島の付け根のほぼ中央に位置し、富士山からそそぐ水路が町中を幾筋も縦横に走り、水の豊かな町です。

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三島駅南口で降ります。三角屋根の可愛い感じの駅舎です。駅前にはちろちろと泉の水が流れていて、水の都たる三島の風情を掻き立ててくれます。



あたまを 雲の上に出し
四方の 山を見おろして~

唱歌「富士山」メロディーが、どこからともなく流れてきます。

よく晴れ上がってるんですけども、昨日と違ってやや風は強く、肌寒いです。

太宰治の一文が三島の魅力と特徴を簡潔にとらえています。

町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、
それこそ蜘蛛の巣のように
縦横無尽に残る隈もなく駆けめぐり、
清冽(せいれつ)の流れの底には
水藻が青々と生えて居て
家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、
台所の岸をちゃぶちゃぶ洗い流れて、
三島の人は台所に座ったままで
清潔なお洗濯ができるのでした。

太宰治『老ハイデルベルヒ』

また、昔ボカーーンと富士山がバクハツしました。ドロドローーーと溶岩が流れ流れて、ここ三島のあたりでようやく止まった。ために、三島市のあちこちには溶岩が岩石となったものが、残っています。

『鉄道唱歌』にも三島は歌われています。

三島は近年開けたる
豆相線路の分かれ道
駅には此の地の名を得たる
官幣大社の宮居あり

楽寿園

南口徒歩一分。すぐ目の前が、楽寿園です。


明治維新で活躍した小松宮彰仁(あきひと)親王の別荘跡で、建物「楽寿舘」と庭園が残っています。地図を見ると…こちらは「駅前口」なんですね。ここから「正門口」まで突っ切ってみようと思います。

入館料払って、正面の森に足踏み入れると、さーーと木々の梢が風に揺れて、たまらない雰囲気です。寒い…


なんか子供用の遊具とかあって、ちびっ子が多いです。


動物もいるようですね。む?ウサギか?ああ…ウサギ小屋の周りを、この汽車で回るという仕組みですね。


けっこう広いですね。今日、主に三嶋大社に行く予定だったんですが、ここ楽寿園だけで半日終わってしまいそうな勢いです。

郷土資料館

庭園のはずれにある郷土資料館では古代から近代にかけての三島の歴史に関する展示物があります。


特に、三島宿の復元模型や、


実際に乗ることのできる籠、


実物大で再現された昭和初期の家屋など、楽しいです。


みどりヶ池・あやめヶ池

このあたりから森の中に水場も多くなってきます。こもれ日橋。ほんとにこもれ日が降り注いでいて、いい感じです(みどりヶ池)。


おぉ、こっちの池(あやめヶ池)では鴨がいっぱい…お休み中ですね。お昼寝中でございましたか、失礼いたしました。


もう日向な所では梅が咲いて、ちょっと開いてますね。ポップコーンみたいに白梅が。いい感じです。

小浜池(こはまいけ)

何ですかこの霊場・恐山みたいな場所は!



池みたいなくぼんでるんですが、岩がたくさんあって、くぼ地になっている…これは、何なのかな?

と、疑問に思いながら歩いていると、お、案内板があるじゃないですか。いいタイミングで。

「いつからこのような景色なの?」


昭和37年4月6日に水位0センチを観測しました、と案内板にあります。それからずーっと水は湛えていなくて、でも年に何回か、梅雨時とか雨が多い時は、水が張る時もある、ということです。

うん。ここに満々と水をたたえた景色、味わい深いだろうなあと思いつつ…

でもこれはこれでいいじゃないですか。ねえ。中飛び込んで走り回りたい感じ。戦隊ヒーローごっことかしたら楽しそうじゃないですか。しかし残念ながら小浜池の中は立ち入り禁止です。

なかなか、他にない景色です。京都大覚寺の大沢の池なんかも、干上がったらこんな感じになるのかなと、想像を掻き立てられます。

溶岩石

またここ楽寿園に限らずですが、三島市のあちこちには溶岩石が見られます。



昔ボカーーンと富士山がバクハツした。ドロドローーーと溶岩が流れ流れて、ここ三島のあたりでようやく止まった。ために、三島市のあちこちには溶岩が岩石となったものが、残っています。

楽寿舘

楽寿舘です。


明治23年(1890)明治維新で活躍した小松宮彰仁親王の別荘として建てられ、後に、大韓帝国最後の皇太子・李垠(りぎん)の手にわたり、昭和に入って個人の所有となるも昭和27年(1952)、三島市の所有となりました。京間風の高床式数寄屋造りの建物で、館内には帝室技芸員を含む明治を代表する日本画家による装飾絵画がほどこされています。一日三回のみ、公開しています。

梅御殿

楽寿舘の正面が、梅御殿です。


まだ言うほど梅は…てかここはけっこう寒い位置なのか、まだ梅は開いていませんね。さっきの小浜池の周辺はちらほら梅がありましたが、この梅御殿のほうには、ほとんどまだ梅は咲いていませんでした(2017/1/22)。

楽寿園正門から出まして、


次に三嶋大社を目指します。

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車の通りの激しい道です。賑わってます。「三嶋大社」の矢印にしたがって、水上通りを左に入ります。

三嶋大社へ向かう道・水上通りは、桜川と並行して走っています。川沿いには豊かな水をたたえた白瀧公園や、


白瀧(しらたき)観音堂があり、


三島は水の都なんだなと実感させてくれます。しばらく桜川沿いの道を歩いていきます。

道すがら富士の雪解け水が飲める仕組みがあります。仕組みというのは、ロボットが飲ませてくれるんですね!二人組みのロボットが、水を汲んでくれて、といに水が流れてくるので、コップで受けて、飲むんです。


こんにちは。三島の美味しい水だよ。ヨイショ。ヨイショ。頑張って注いでくれます。いいロボです。

「水辺の文学碑」ということで、所々に、三島を舞台とした文学や俳句の碑が立っています。

澄む水の清きを写すわが心(『連歌百韻千句集』宗祇獨吟)

室町時代の連歌師宗祇が、三島の地で東 常縁(とう つねより)から古今和歌集の伝授を受けた時に詠んだ句。そうなんです。三島は宗祇が東 常縁(とう つねより)より『古今和歌集』の伝授を受けた場所として知られます。あちこちに「古今伝授の町 三島」と書いた石柱が立ってます。


面白やどの橋からも秋の不二 正岡子規



川沿いには柵もなくて、石段下りて、水面まで下っていける形ですね。京都の高瀬川が広くなったような感じ。鴨がノンビリ昼寝してます。

お、手すりの無い石橋がかかってます。


京都の白河にあるような。渡ってくれと言わんばかりです。あれ、でもこれ渡れない…


う~ん…

どうしろと??

今日はこれから人と会う予定があるので日帰りなんですが、泊まっていきたくなったな。どっか適当に宿借りて泊まりたい気分が、今ひしひしと起こってます。


霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき 芭蕉

霧しぐれがかかって富士は見えないが、見えないからこそ、その向こうに富士の姿を想像して、イメージがかきたてられる。それが面白い!





いや~キレイな水です。生活の中に水路が溶け込んでいる感じ。おっ、石橋の下で休んでいる鴨がいますね。


こういう所住んでて、毎日普通に歩けるってのは、なんつー贅沢ですか!

朝、散歩出たら、この水路が流れている。おはようございます。どうも。おはようございます。今日も天気になりそうですね。ええ富士がよく見えますよ。そんなやり取りをしてたらね、そりゃあ数々の文学作品も生まれるわけですよ。

祓所神社(はらえどじんじゃ)

水上通が尽きると、道路隔てて正面に、「三嶋大社」の文字が見えます。おっ、ここがもう三嶋大社かと思って鳥居くぐると…。


祓所神社(はらえどじんじゃ)。ここはチロチロと湧き水が沸いている。その池の中島に浮かぶ、祓所神社(はらえどじんじゃ)です。


まずはここで身の穢れを祓ってから…ということでしょうか?ちょっと三嶋大社と祓所神社の関係がわからないですが…拝殿の奥に、池の中に突き出した本殿が見えます。

「鯉くんがいる~。鯉くんがいる~」

子供がはしゃいでいるのがほほえましいです。祓所神社での参拝をすませて、次は三嶋大社の大鳥居のほうに回ります。

来ました。大鳥居です。


三嶋うなぎ。繁盛してます。


大鳥居をくぐります。


三嶋大社は創建不明ながら、源頼朝はじめ関東武士に伊豆一宮として崇拝されました。大山祇命(オオヤマズミノミコト)と事代主命(コトシロヌシノミコト)を祀ります。

境内の舞殿(まいでん)で行われる豊作を願う御田打ち神事は、室町時代から伝わる民族芸能です。

源頼朝は山木兼隆を襲撃し打倒平家の旗揚げをする際、山木兼隆の郎党たちが三嶋大社の例祭で出払っている所を狙いました。『十六夜日記』や『一遍上人絵伝』にも三嶋大社は登場します。

三島は近年開けたる
豆相線路の分かれ道
駅には此の地の名を得たる
官幣大社の宮居あり

と、『鉄道唱歌』にも歌われています。

安達藤九郎盛長警護

参道右手に安達藤九郎盛長警護の跡があります。


治承4年(1180)源頼朝が源氏再興・平家打倒を祈願し三嶋大社に百日参籠をした時、安達盛長がここで従者として従って、待っていたという話です。

若山牧水の歌碑

安達藤九郎盛長警護の跡の横には、若山牧水の歌碑があります。


のずゑなる三嶋のまちのあげ花火
月夜のそらに散りてきゆなり

若山牧水

ぽーーんと花火が上がって、すっと消えていく。その寂しげな感じが出ています。若山牧水は宮崎出身の歌人。大正9年(1920)三島市の隣の沼津に滞在し、8月15日の三嶋大社の夏祭りに参加した時に詠んだ句です。

厳島神社

神池(しんち)に渡された神橋を渡ります。


左手に、赤橋が架かっていて、その先にお堂があります。


北条政子勧請といわれる厳島神社です。すごい鳩が群れてます。子供がエサをやって楽しそうです。



兄弟の男の子がドサーと大量にエサをやりすぎて、ハトの軍団にたかられて、腕にも、肩にも、頭の上にも鳩がとまり、大変なことになってました。ラピュタにあんな場面あったねえ~なんて声が上がってました。

総門

総門です。太い注連縄がとても印象的です。


近づくと、ちゃんと藁で編んであって安心します。


時々ビニール紐の注連縄ってありますからね。あれはちょっと風情が無いです。

芸能殿

総門をくぐって…さらに参道がしばらく続き、


右手に見える建物が、芸能殿です。


もとは総門だったものを遷して、芸能殿とした、ということです。ここで何か能をやったりするんですかね。

神鹿苑

おっと、何か向こうに動物が走っている。鹿…でしょうか。子供たちがしきりに歓声を上げて、ドドドドーと走っているのが…な、レースしてんのこれ?すごいんですけど。たくさんの鹿が…いっせいに走ってる。


神鹿苑です。

ああ、囲いの中に鹿がいて、フェンス越しにエサをやれるんですね。

鹿せんべいをやると、ドドドドドーといっせいに向こうから走ってくるんですよ。


で鹿せんべいを引っ込めるといっせいにまたドドドドーと向こうに走っていくので、そのたびにモノすごい砂埃が立ちます。お前らちょっと単独行動しろよ、そんないっせいに…。しかしまあ、たくましそうな鹿たちではあります。


神馬舎

神門のすぐ右手にあるのが神馬舎です。


三嶋大社の神馬は毎朝、神様を乗せて箱根山に登ったと伝説され、昔の三嶋大社神官は馬が箱根から帰ってきたら「御馬さまが帰ってきた」といって朝食として食べた、とあります。こういうのは午年には参拝客が増えるでしょうね。

源頼朝・北条政子腰掛石

神馬舎の隣にあるのは、源頼朝・北条政子腰掛石。


治承4年に源頼朝が…ほんとかよって話ですけども、まあ、書いてありますから。打倒平家・源氏再興を祈願して三嶋大社に参詣した折、源頼朝と北条政子が腰かけたとありますので、きっと、腰かけたんでしょう。

神門~金木犀

神門をくぐります。


正面に舞殿。


その奥に本殿。神門・舞殿・本殿が直線上に配置され、境内左側には摂社が並びます。

まず境内右手にあるのが天然記念物・三嶋大社の金木犀。


三嶋大社の神木で、推定樹齢1200年。スゴイですね。9月上旬から9月下旬にかけていっせいに咲き、9月下旬から10月にかけてまたいっせいに咲くという、珍しい咲き方をするんですね。いっせいに咲く時は、さぞかし金木犀の香が境内に漂っていることだろうと思います。ちょっと鼻ムズムズしそうですね。

舞殿(まいでん)

舞殿に向かいます。ガラス窓が周囲をかこっていますが、神楽とか舞う時はここ取っ払って、舞うんでしょうね。


三嶋大社で有名なのは御田打ち神事です。御田打ち神事とは、室町時代から伝わる民族芸能で、米を収穫するまでの過程を、狂言に仕立てたものです。もともとの起源は平安時代までさかのぼるといいます。

本殿

本殿です。総ケヤキ造りの荘厳な社殿です。



嘉永7年(1854)11月の東海大地震により倒壊し、時の神主が10年の歳月を費やし再建した、ということです。

なんか梁に彫刻されている獅子…でしょうか?けっこう大きい。四頭の獅子が睨みをきかしてる感じ。パンパンと、お参りをすませてから、さて。境内左手の摂社に参拝していきましょう。

摂社

物忌奈乃命(ものいみなのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、神功皇后を祀る若宮神社、



三嶋大神の后神を祀る見目(みめ)神社はじめ、多くの摂社があり、それぞれに言われがありそうです。


福太郎餅

最後に、三嶋大社名物・福太郎餅を食べて行きます。アンコが一部ぺろっとめくれ上がっている、立ち上がっている所がポイントですね。お茶付き2コ入り200円税込み。



とても繁盛してました。

楽寿園、三嶋大社、そして町を縦横に走る水路。三島はいろいろと見どころの多い町です。ゆっくりと時間をかけて歩きたいものです。

次の旅「島田を歩く

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