西御門・二階堂を歩く(四)

こんにちは。左大臣光永です。日に日に暖かくなる昨今、いかがお過ごしでしょうか?
当方は…近日新商品を発売します。
『松尾芭蕉 紀行文集』です。以前発売していたものの改訂版です。

松尾芭蕉の紀行文『野ざらし紀行』『鹿島詣』『笈の小文』『更級紀行』そして近江滞在中のことを描いた『幻住庵記』、嵯峨・落柿舎の滞在記録『嵯峨日記』の、原文と、現代語訳、わかりやすい解説をセットにしました。お楽しみに。

さて、本日のメルマガは「鎌倉 西御門・二階堂を歩く(四)」です。

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西御門・二階堂は、鶴岡八幡宮の東に広がるエリアです。源頼朝はこのあたりに最初の御所…大蔵(倉)幕府を築きました。その北の端には源頼朝の墓があり、東には頼朝が奥州の中尊寺を意識して築いた永福寺(ようふくじ)の跡、荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)、さらに、後醍醐天皇の皇子大塔宮を祀る鎌倉宮(かまくらぐう)、代々の鎌倉公方の菩提寺であり庭園で有名な瑞泉寺など、景色の美しさも、歴史的背景においても、みどころいっぱいのエリアです。

永福寺跡

前回からのつづきです。

大塔宮護良親王の墓から鎌倉宮南の道に立ち返り、東にしばらく進むと、左にテニスコートが見えてきます。その隣が、永福寺(ようふくじ)跡です。



文治五年(1189年)、源頼朝は、最後の敵・奥州藤原氏を制圧するため、奥州へ向かいました。平泉で、頼朝一向は息を飲みます。

「なんという美しさだ…!!」

中尊寺・二階堂大長寿院です。戦のさ中であるにも関わらず、頼朝はしばしその美しさにボーゼンとしました。それは、奥州藤原氏100年の栄光が、文化の極みが、凝縮されているようでした。

奥州合戦は頼朝軍の勝利に終わり、奥州藤原氏は滅亡しました。ついに、日本国に頼朝の敵はいなくなったのです。鎌倉を中心に、武士の世の中を作る。それを阻む者は、もはや、いなくなったのです。

「しかし…奥州の戦では、多くの血が流れた…
敵も味方も…心痛いことであった…」

そこで頼朝は、源義経や藤原泰衡はじめ、奥州合戦のすべての戦死者の霊を慰めるため、鎌倉の地に、二階堂大長寿院を模した寺院を建立しました。

それが、永福寺です。

鶴岡八幡宮寺・勝長寿院と並び、頼朝が建立した鎌倉三大寺院の一つに数えられています。何度も火事にあうも、鎌倉幕府滅亡後も鎌倉公方によって保護されましたが、応永12年(1405年)の火事以降は再建されず、江戸時代には廃寺になってしまいました。

現在建物の跡は何もなく、史跡公園としての整備が進められています。


案内板に、永福寺の復元想像CGがありますが、これどう見ても…宇治の平等院鳳凰堂にソックリです。

傍らの高台からは、永福寺跡の全景を一望できます。イメージの中で、荘厳な寺院を組み立て、しばし感慨にふけりましょう。


瑞泉寺

永福寺跡を後に、さらに東に進んでいきます。だいぶ山深い感じになってきました。


見えてきました。瑞泉寺の入り口です。



瑞泉寺は足利基氏はじめ代々の鎌倉公方の菩提寺として栄えた臨済宗の寺院です。鎌倉五山につぐ関東十刹(かんとうじっさつ)に列せられています。

開山の夢窓疎石(むそうそせき)は作庭にも力を注ぎ、仏殿裏手の岩石をくりぬいて作った庭園は書院庭園の原型とされます。

境内には四季を通じてさまざまな花が咲き、また文学碑が多く立っています。

松陰吉田先生留跡碑

石段を登り切ると


まず左手に、徳富蘇峰の筆による松陰吉田先生留跡碑があります。


吉田松陰は嘉永6年(1853年)6月中旬、鎌倉を訪れ、母方の叔父である竹院和尚が住職をつとめる、ここ瑞泉寺に滞在しました。

「叔父さん、日本は世界から取り残されてます。戦国時代とそう変わらない武器で、外国と戦おうなんて、ムチャですよ。私は直接外国に行って、その技術を、見てきたいんです」

「お前、何かとんでも無いことを考えてるんじゃあるまいな」

そんなやり取りも、松陰と叔父の竹院和尚の間に、あったかもしれないですね。

瑞泉寺を訪れた翌年の安政元年(1854年)、吉田松陰は下田で密航未遂事件を起こし投獄され、獄中で、昨年訪れた瑞泉寺のことを思って詩を詠んでいます。

なんで長州と鎌倉につながりがあるのか?それは、毛利家の初代・毛利季光は鎌倉幕府の重鎮・大江広元の四男なんですね。毛利季光は1247年の三浦氏の叛乱・宝治合戦に加担したため自刃しますが、その子孫が流れ流れて中国のあの毛利氏となるわけです。

だから、長州毛利家と鎌倉は深い関係があります。吉田松陰も鎌倉を訪れた時に、初代毛利季光公の墓を参っています。


境内

境内には鎌倉ゆかりの文学者の碑がいくつもあり、なかなか味わい深いです。


手の平に
豆腐をのせていそいそと
いつもの角を
曲りて帰る 山崎方代


死をいとひ
生をもおそれ
人間の
ゆれ定まらぬ
こころ知るのみ 吉野秀雄

何事も
なくて春たつ
あしたかな 井上士朗  


いつぬれし
松の根方ぞ
春しぐれ 久保田万太郎 

特に、俳句を作られる方は、着想が次々とわくかもしれません。

もう境内には梅がちらほら咲いていました。本堂前を斜めに横切る黄梅の枝ぶりは、特に見事でした。



庭園

本堂裏手の庭園に向かいます。

ガボッと洞窟がやぐら状にくりぬかれています。


よく晴れた日がったので、白い岩肌に真っ黒なやぐらの影が目立ち、なおさらインパクトがありました。

ここ瑞泉寺本堂裏の庭園は、書院庭園の原型とされ、京都嵯峨の天龍寺・西芳寺の礎になったと言われています。現在の庭園は、昭和45年に復元されたものです。

見ていると、次は嵯峨に遊びたくなりました。

近日発売予定

『松尾芭蕉 紀行文集』

松尾芭蕉の紀行文『野ざらし紀行』『鹿島詣』『笈の小文』『更級紀行』
そして近江滞在中のことを描いた『幻住庵記』、
嵯峨の落柿舎の滞在記録『嵯峨日記』の、
原文と、現代語訳、わかりやすい解説をセットにしました。

『おくのほそ道』でついに完成に到る芭蕉の芸術観が、
どういう過程を経て、試行錯誤のすえに形となっていったのか?

ご自分で俳句や短歌を作るという方には
着想のヒントになるはずです。
すべての句について、現代語訳とわかりやすい解説つきですので、
聴いているだけで句の意味がつかめ、使われている技法や表現についても、
わかり、ご自分で句を作る時にヒントにも、なるはずです。

また、旅がお好きな方。特に近江・奈良方面の旅の
ガイドとして、旅のヒントが、これらの作品には
たくさんつまっています。

『松尾芭蕉 紀行文集』。近日発売予定です。

そのほか、歴史・古典関係の解説音声を多くとりあつかっています。
ぜひ見にいてしてください。
http://sirdaizine.com

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。ありがとうございました。