『徒然草』『平家物語』の仁和寺を歩く

こんにちは。左大臣光永です。

昨夜はお盆の最終日ということで、嵐山の灯籠流しに行ってきました。桂川のわりと短い区画を、ゆっくりゆっくり上品に流れるんですね。渡月橋の上にびっしり人が並んでいて、重量のため橋が落ちないかと心配になりました。中之島公園は人が多すぎて人の肩越しにしか灯籠が見えなかったので、渡月橋北側の土手から見ると、けっこういい感じに灯籠が見えました。夜の嵐山商店街も、賑わっててワクワクしました。

さて本日は「仁和寺を歩く」です。

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仁和寺は仁和2年(886)、光孝天皇の勅願により着工、仁和4年(888)次の宇多天皇の時に完成した真言宗御室派の総本山です。その後、宇多天皇がご出家、法皇となられて、御室(おむろ)=僧坊を設けられたことから仁和寺のことを「御室(おむろ)御所」ともいいます。以後、仁和寺は明治時代まで皇室出身の法親王が住職を努める門跡寺院の中でも最高位の寺とされました。

遅咲きで背の低い「御室桜(おむろざくら)」で有名です。

二王門

JR花園駅から徒歩20分。もしくは京福電鉄北野線・御室仁和寺駅から徒歩2分。

見えてきました。どーんとそびえる、仁和寺二王門です。



でかいです。階段も一段一段が高い。近くまで寄ると巨大すぎて全体像がつかめないので、道路を隔てて向こうから撮りました。

仁和寺の伽藍の多くは応仁の乱の戦火で燃えてしまい、江戸時代初期に再建されました。この二王門もそうです。知恩院三門・南禅寺三門とならび、京都三大山門の一つに数えられています。

門くぐると…

広大な参道に玉砂利が敷き詰めて、向こうの山がポコンポコンといい形に並び、味わい深いです。


仁和寺 縁起

仁和寺は仁和2年(886)、光孝天皇の勅願により着工、仁和4年(888)次の宇多天皇の時に完成した真言宗御室派の総本山です。完成した時の元号から取って仁和寺、といいますが、宇多天皇がご出家後、法皇となられて、ここ仁和寺に御室(おむろ)=僧坊を設けられたことから「御室(おむろ)御所」とも呼ばれます。以後、仁和寺は明治時代まで皇室出身の法親王が住職を努める門跡寺院の中でも最高位のものでした。

応仁の乱の戦火で伽藍の多くは焼けてしまい、仁和寺は衰退していましたが、百数十年を経て、三代将軍徳川家光の時に再興されました。今ある建物のほとんどは家光の時代に再建されたものです。

法親王さまがいらした寺ですからね。寺といっても、全体的に華やかな、みやびな雰囲気が漂っています。

古典に描かれた仁和寺

仁和寺は多くの古典作品に登場します。もっとも有名なのが『徒然草』でしょう。「仁和寺にある法師」など、仁和寺の僧の失敗談に多くの紙面が割かれています。

特に…石清水八幡宮に参拝したけども、山のふもとの摂社だけ見て帰ってきた。参拝客は山に登っていたようですが、あれは何だったのですかな。気にはなりましたが参拝の目的は済ませたので帰ってきました…という話は有名ですね。

仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。

という、教科書で有名な『徒然草』「仁和寺にある法師」ですが。

私が仁和寺といって真っ先に思いつくのは、『平家物語』「経正都落(つねまさのみやこおち)」です。

木曽義仲の軍勢が都に迫り、平家一門都落ちという段になって、平家一門の中に琵琶の名人である平経正(たいらのつねまさ)が、幼い頃お世話になった仁和寺の守覚法親王(しゅかくほっしんのう)に、自分の琵琶「青山」を託して去っていくという…しみじみ感動深い場面です。

経正、其日(そのひ)は紫地の錦の直垂(ひたたれ)に、萌黄(もよぎ)の匂(におい)の鎧着て、長覆輪(ながぶくりん)の太刀をはき、きりふの矢負ひ、滋藤(しげどう)の弓わきにはさみ、甲(かぶと)をば脱ぎたかひもにかけ、御前の御坪(おつぼ)に畏まる。御室、やがて御出(ぎょしゅつ)あッて、御簾(みす)たかくあげさせ、「是へ、これへ」と召されければ、大床(おおゆか)へこそ参られけれ。供に具せられたる藤兵衛(とうびょうえ)有教(ありのり)を召す。赤地の錦の袋に入れたる御琵琶持ッて参りたり。経正、是をとりついで、御前にさしおき申されけるは、「先年下しあづかッて候し青山(せいざん)、持たせ参ッて候。あまりに名残はをしう候へども、さしもの名物を田舎(でんしゃ)の塵になさん事、口惜う候。若(もし)不思議に運命ひらけて、又都へ立帰る事候はば、其(その)時こそ、猶(なお)下しあづかり候はめ」と、泣ゝ(なくなく)申されければ、御室哀におぼしめし、一首の御詠(ぎょえい)をあそばいてくだされけり。

あかずしてわかるゝ君が名残をばのちのかたみにつゝみてぞおく

経正、御硯くだされて、

くれ竹のかけひの水はかはれどもなほすみあかぬみやの中(うち)かな

私は大学時代、はじめて京都を訪れました。その時、まっさきに訪れたのが仁和寺でした。「経正都落」の舞台を見たい!経正と守覚法親王の涙涙の別れの舞台を見たいと。

当時大学生だった私は京都に向かいました。おおすごい。これが平家物語に出てきた仁和寺かと。以後、たびたび京都を訪れるようになりました。しかし金がなかったんですよ。

長らくフリーターをやってて、ホテルに泊まる金もないので、漫画喫茶で寝てました。それでも金をためては京都を訪れ、あちこち廻りましたね。そんな侘しい楽しい思い出も仁和寺を歩くと蘇ってきます。

白書院

参道左手の「御殿」に入ります。ここは有料です。


玄関から上がって



最初の建物が、白書院(しろしょいん)、です。


仁和寺門跡の非公式の対面所です。明治の大火で焼失した後、再建されたものです。整然と線を引かれた枯山水をながめて、しばらくボーとします。


宸殿

白書院から渡り廊下を渡った先が、



宸殿(しんでん)です。


仁和寺の中心的な建物です。これも明治の大火で焼失後、再建されました。縁側から庭園が見渡され、向こうに五重塔が見える。いい感じです。



黒書院・霊明殿

また渡り廊下を渡って黒書院(くろしょいん)へ。


仁和寺門跡の公式の対面所です。やはり明治の大火で焼失後、再建されました。

さらに渡って、


歴代の門跡の位牌をお祀りする霊明殿(れいめいでん)まで見たら、




中門

ふたたび参道に出て、中門をくぐります。中門は二王門に比べると簡素な作りです。これも江戸時代初期に再建されたものです。


金堂の大きな屋根が目に飛び込んできます。その右には五重塔。


御室桜

参道左手に広がるのが御室桜(おむろざくら)です。


遅咲きで背が低いのが特徴です。200株あります。晩春には行く春を惜しむ人が押し寄せ最後の桜を楽しみます。


仁和寺や足もとよりぞ花の雲 春泥
ねぶたさの春は御室の花よりぞ 蕪村

などと謳われています。

観音堂

左手の観音堂は現在工事中ですのでスルーして…

金堂

正面の金堂に参拝します。大きな屋根です!



江戸初期に仁和寺が再興された時に、紫宸殿を移築したものです。内陣には仁和寺創建当時の阿弥陀三尊像が安置されていましたが、それは現在霊宝館のほうに遷され、今あるのは江戸時代に作られた阿弥陀三尊像です。

経蔵

金堂の右に経蔵。経典をおさめたお堂です。


中には八角輪蔵(はっかくりんぞう)と呼ばれる回転式の書架があり、一切経が収められています。中は見ることができませんが、鎌倉の長谷寺にあったのと同じ感じだと思います。写真のような、こんなやつです。


五重塔

そして五重塔。木々の合間にそびえ立つ感じが、カッコいいです!


江戸時代初期・寛永年間に造営されました。古い五重塔は上の階に行くに従って屋根が一定の比率で狭くなっていきますが(奈良の東大寺や大阪の四天王寺の五重塔がそうです)、仁和寺にある新しいタイプの五重塔は上の階に行っても屋根が狭くならないことに特徴があります。

それにても…『平家物語』の時代の仁和寺には五重塔も他の多くの建物もなかったということですね。…。『平家物語』の頃の仁和寺がどんなだったか。想像するしかないですが、平経正と守覚法親王が涙の別れをする舞台は、もっと素朴でこじんまりした寺のほうが合っている気がします。

明日は古くから月の名所として名高い、広沢の池周辺を歩きます。

いただいたお便りより

はじめてメールさしあげます。

私は船岡山のふもとに住んでおりまして、今回はたいへん興味深く拝読いたしました。

私は紫野小学校出身ですが、私たちはあの神社を「けんくんさん」と呼んでいます。
最近は、何かゲーム関係で小ブームらしく、若い女性がけっこう訪れるようですが。。。

船岡山頂上にある岩はTV番組「世界ふしぎ発見」で、平安京を定めた岩(?=磐座)として取り上げられたり。。。
当時の天皇さんがこの岩のところへ来て「ここを都にする」と言わはった、と
近所のおっちゃんが得意げに説明してくれたこともありました。。。

あと、この岩周辺は、TV「おみやさん」や「科捜研の女」などで、犯行現場として時々登場します。

応仁の乱西軍の堀なども残ってますね。
頂上にはラジオ塔遺構とか、その近くによくわからない石碑(たぶん戦争関係)とか、
神社の南側に添った森中の、けっこう神秘的な道とか。。。(夏は?、とりわけ蜩の声が異界っぽい)

四阿(あずまや)二つのうち、北の方の広場からは、8月16日の大文字送り火のとき、
右(大文字)、妙法、舟形、左(大文字)がよく見えます(大混雑)。
左は間近に見えます。

>>
ありがとうございます。昨日は嵐山で灯籠流しを見ていたんですが、大文字焼き、帰ってからシッカリ見ましたよ。私の部屋はベランダから大文字焼きが見えるんです!そういう物件をわざわざ探しましたので!酒飲みながら、大文字焼きを堪能しました。

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