鎌倉 扇ヶ谷を歩く(三)

■【古典・歴史】メールマガジン

本日は「鎌倉 扇ヶ谷を歩く(三)」です。

▼音声が再生されます▼

https://roudokus.com/mp3/Ogigayatsu3.mp3

扇ヶ谷は鎌倉駅の西北、源氏山の山すそ一帯に広がるエリアです。源頼朝の5代前の先祖・源頼義が屋敷を構え、頼義の子・八幡太郎義家が後三年の役に出陣するに際し源氏山で戦勝祈願をしたといわれます。

また頼朝の父・義朝も、この地に住まいました。というわけで源氏にゆかりが深く、源氏関係の史跡がとても多いエリアです。また四季を通じてさまざまな花が咲き、景色も素晴らしいです。歴史散策にも、ハイキングにも、楽しめるコースです。

前回の「扇ヶ谷を歩く(一)」「同(二)」もあわせて、お聴きください。
https://sirdaizine.com/travel/Ogigayatsu1.html
https://sirdaizine.com/travel/Ogigayatsu2.html

英勝寺

前回からのつづきです。

横須賀線の電車が元気に行き交い、娑婆世界に戻ってきた実感にひたりながら進んで行くと、

右をごらんください。


鎌倉に現存する唯一の尼寺・英勝寺です。境内は江戸城を創った太田道灌の屋敷跡といわれます。開基英勝院は、太田道灌から四代目の子孫で、俗名をお梶といいました。

お梶は徳川家康の側室となりました。家康はお梶をとても気に入りました。なぜなら、お梶を戦場につれていくと、いつも勝てたのです。慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦にもお梶を連れて行き、勝ちました。

「お前がいると必ず勝てる。だから、お梶をあらため、お勝とする」

こうしてお梶あらため、お勝となりました。慶長19年(1614年)の大阪冬の陣、翌慶長20年の大阪夏の陣にも家康はお勝を同行させました。

家康の死後、お勝は出家して英勝院と名乗りました。そして三代将軍家光より太田道灌の屋敷跡である扇ヶ谷のこの地を拝領し、浄土宗の尼寺・英勝寺を築きました。

お勝は水戸徳川家初代・頼房(徳川家康の11男)の乳母であったことから、英勝寺の代々の住持は水戸徳川家の姫を迎えました。そのため「水戸御殿」や「水戸の尼寺」などと呼ばれます。


庭内は四季を通じてさまざまな花が咲きます。裏手の竹林も、見事です。


英勝寺のすぐ隣が、寿福寺です。


源頼朝の没した翌年の正治2年(1200年)、妻・北条政子が栄西を招いて建立した臨済宗の寺院です。また、この地には頼朝の父・義朝の館があったと伝えられます。

新緑の季節は、参道の緑が目にまぶしいです。


裏山のやぐらには、北条政子と源実朝の墓と伝えられる五輪の塔が、並びあって立っています。


やぐらとは、鎌倉に多く見られる、崖の一部をごりっと削り取って空洞になった中に塔を立てて墓とするものです。

浄光明寺

今度は横須賀線の線路を渡り、しばらく住宅街を進みます。見えてきました。浄光明寺です。



五代執権北条時頼、六代執権北条長時の発願で、浄土宗真阿上人を招いて創建されました。はじめ浄土宗の寺院でしたが、後には浄土宗・真言・律・禅の兼学道場となりました。鎌倉時代を通じて北条氏の菩提寺として栄えました。


鎌倉幕府滅亡後は、足利尊氏・直義兄弟に篤く信仰され、鎌倉公方の保護も受けました。

境内に入ると左手に御本尊の阿弥陀三尊像を祀ったお堂があります。週に三回、晴れた日だけ公開しているといます。



冷泉為相の墓

裏山には藤原定家の孫・冷泉為相の墓があります。急な石段を登っていきます。



冷泉為相は藤原定家の孫で、さきほど墓を見た阿仏尼の息子です。冷泉為相は土地をめぐる訴訟のためにたびたび鎌倉を訪れ、藤ヶ谷(ふじがやつ)に住んでいました。そのため藤谷殿(とうこくどの)・藤谷黄門(とうこくこうもん)などとよばれました。

そして冷泉為相は代々の歌人の家系ですから、周囲を巻き込んで、歌の会を開いたりして、大いに盛りあがったようです。鎌倉歌壇が、為相のもと、盛り上がっていたのです。

石段の上は踊場状のエリアになっており、断崖があり、やぐらがあります。


そのやぐらの中に、網引き地蔵というお地蔵さんが安置してあります。


そして、この網引き地蔵のちょうど真上に……


冷泉為相の墓があるんです。


何でこういう配置になっているんでしょうか??ふつう、お地蔵さんの真上に墓は立てないですよ…

それに、網引き地蔵はなぜ網引き地蔵なのか?ここは海岸線からは遠く離れているんですが…。


お寺の方にきいた所、「網引き地蔵」の名称は江戸時代の地図に見えるのみで、語源はわからないということでした。漁師が網で引き上げたものだとか、昔は海岸線がこのあたりまで迫っていたとかいろいろ考えられますが…

それ以上に、お地蔵さんの真上に墓があるのは謎です。係の方にきいたら、正確に、冷泉為相の墓である宝篋印塔の中心軸を下にのばしていくと、お地蔵さんの頭の真上に接する、といういうことでした。


なぜこうなっているかは、わからないということです。

しかし、意味もなくこんなことはしないですよ。何か意図があったはずです。謎です。ミステリです。小説が書けそうです。わくわくしますね!

次回は、「鎌倉 西御門(にしみかど)・二階堂を歩く(一)」です。源頼朝の墓や、荏柄天神社、後醍醐天皇の皇子・大塔宮をまつる鎌倉宮など、見どころいっぱいのエリアです。お楽しみに!

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。ありがとうございました。

■【古典・歴史】メールマガジン