大原野を歩く~西行法師出家の勝持寺など

こんにちは。左大臣光永です。週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか?

まずは講演の告知です。

■5/19 静岡「声に出して読む 伊勢物語」
https://goo.gl/nNWovP

■6/17 京都「声に出して読む 小倉百人一首」
http://sirdaizine.com/CD/KyotoSemi_Info.html

本日は京都市西京区の大原野を歩きます。

桓武天皇が長岡居に遷都した際、奈良の春日大社を分霊した大原野(おおはらの)神社、「西山のお大師さま」として知られる正法寺(しょうぼうじ)。

西行法師が出家した勝持寺(しょうじじ)も見どころです。のんびりした山里の風情に癒やされます。タケノコの名産地としても有名です。

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大原野神社

阪急京都本線・東向日(ひがしむこう)下車。

阪急京都本線・東向日駅
阪急京都本線・東向日駅

駅前から阪急バス「南春日町行き」に乗り、約20分。終点・南春日野町(みなみかすがちょう)下車。

大原野は平安時代の天皇や貴族たちが訪れて狩を行った場所です。

大原野
大原野

その牧歌的な風景は古今集や新古今集に詠まれています。現在も、山里の風情が漂います。

大原野は筍の産地としても知られ、あちこちに美しい竹林があります。清水がチロチロと流れ、西には小塩山がそびえています。

見えてきました。


大原野神社の一の鳥居です。

大原野神社 一の鳥居
大原野神社 一の鳥居

大原野神社は延暦3年(784)、桓武天皇が長岡京に遷都した時、藤原氏出身の皇后のために、藤原氏の氏神である春日大社を勧請したことに始まります。


嘉祥3年(850)、左大臣藤原冬嗣の孫にあたる文徳天皇が社殿を造営。その頃から、藤原氏出身の后たちが大原野神社に参詣することは通例となっていきました。

大原野神社 ニの鳥居
大原野神社 ニの鳥居

応仁の乱により衰退しましたが、江戸時代に再興されました。

大原野神社 参道
大原野神社 参道

鯉沢池

参道右手に、奈良の猿沢池(さるさわのいけ)を模した、鯉沢池(こいさわのいけ)があります。

大原野神社 鯉沢池
大原野神社 鯉沢池

左大臣藤原冬嗣を祖父に持つ55代文徳天皇は、大原野神社の社殿を造営するとともに、奈良の猿沢池を模した鯉沢池を造営しました。

大原野神社 鯉沢池
大原野神社 鯉沢池

瀬和井(せがい)の清水

参道左手には、瀬和井の清水があります。

大原野神社 瀬和井の清水
大原野神社 瀬和井の清水

清和天皇の産湯を汲んだとも伝えられ、歌枕として数々の歌に詠まれています。

大原や せがいの水を 手にむすび 鳥は啼くとも 遊びてゆかん
大伴家持

大原野神社 瀬和井の清水
大原野神社 瀬和井の清水

ああ大原だなあ。せがいの水を手ですくい上げて、鳥は啼いているが、しばらくぶらぶらして行こう。

夜を寒み せがいの水は 氷るとも 庭燎(にわひ)は春の こゝちこそすれ
大江匡房

夜が寒いので、せがいの水は凍ってしまうが、篝火の火は春の心地がするなあ。

拝殿・本殿

境内に咲き誇る桜に癒やされながら、


拝殿に向います。

大原野神社 三の鳥居
大原野神社 三の鳥居

大原野神社 拝殿
大原野神社 拝殿

大原野神社は春日大社と同じく鹿を神の使いとします。拝殿前には狛犬ならぬ一対の狛鹿が鎮座しています。


かつては春日大社から贈られた鹿苑があり、実際に鹿を飼っていたそうです。

大原野神社 拝殿
大原野神社 拝殿

本殿は春日大社と同じく、四棟が横並びとなった春日造です。それぞれに御祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)が祀られています。

古典に描かれた大原野神社

紫式部は中宮彰子のお供で大原野神社に参詣しています。また紫式部は父藤原為時について越前(福井県)に行った時、雪の日野山(ひのさん)を見て小塩山を思い出し、

ここにかく 日野の杉むら埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる
『紫式部集』

ここ越前の地で、こんなふうに、日野の杉林を埋める雪を見ていると、今日私は、小塩山の松を埋める雪と見間違えてしまう。

『源氏物語』「行幸(みゆき)」では、冷泉帝の大原野行幸の様子が描かれます。光源氏は物忌のため参加できませんでしたが、行幸の後、冷泉帝の歌に応えて、

小塩山 みゆきつもれる 松原に 今日ばかりなる 跡やなからむ
『源氏物語』「行幸」

小塩山の雪の降り積もる松原に、今日一日だけの行幸の跡は、もう残っていないでしょうね。

『伊勢物語』には清和天皇女御・藤原高子の大原野神社参詣の様子が描かれています。

その時、お供をした在原業平とおぼしき「おきな」が詠みました。

大原や 小塩の山も 今日こそは 神代のことも おもひいづらめ
『伊勢物語』76段

ああ大原よ。小塩山も今日は、かの天孫降臨の際に、ニニギノミコトを藤原氏の祖であるアメノコヤネノミコトが守護し奉った神代のことを思い出していることだろう。そのアメノコヤネノミコトの末裔たる御息所・藤原高子さまが、今日は参詣しているのだから。

正法寺(しょうぼうじ)

大原野神社正面を流れる社家川にかかる橋を渡ると、そこが正法寺です。



正法寺
正法寺

奈良時代に鑑真和上の高弟・智威大徳が築いた道場が前身です。

平安時代初期に伝教大師最澄が大原寺(おおはらじ)という寺を創設。弘法大師空海によって真言宗の寺となりました。

正法寺
正法寺

応仁の乱で焼失しましたが、江戸時代初期に恵雲(えうん)律師・徴円(ちょうえん)律師によって再興。西山のお大師さまとして古くから親しまれています。

元禄時代には御大将軍綱吉の母・桂昌院が篤く帰依しました。

宝生苑

境内には東山連峰を借景とした枯山水庭園「宝生苑」があります。

正法寺 宝生苑
正法寺 宝生苑

配置されている石は象、獅子、蛙など動物に似ており、「鳥獣の石庭」としても親しまれています。

正法寺 宝生苑
正法寺 宝生苑

花で梵字を描いた丸い花畑がありました。なかなか凝ってますね。


勝持寺

ふたたび大原野神社の前に戻り、西にちょっと歩くと、勝持寺の仁王門に登る石段があります。

勝持寺 仁王門
勝持寺 仁王門

勝持寺 仁王門
勝持寺 仁王門

仁王門をくぐり、参道を歩いていくと、




やがて勝持寺に至ります。

勝持寺
勝持寺

勝持寺は白鳳8年(679)天武天皇の勅命により役行者が創設。延暦10年(791)桓武天皇の勅命で最澄が伽藍を整え、再建しました。その時に御本尊の薬師瑠璃光如来像も安置されました。

応仁の乱で伽藍のほとんどが焼失しましたが、乱の後、再建されました。

勝持寺
勝持寺

西行法師が出家した寺と伝えられ、境内には西行が植えたという西行桜はじめ、約100本の桜が植えられています。

花見んと むれつつ人の くるのみぞ あたらさくらの とがにはありける
西行法師

花を見ようとして群をなして人々が来ることだけが、
惜しむべき桜の罪ではある。

西行法師

西行(1118-90)。平安末~鎌倉初期の歌人。俗名佐藤義清(さとうのりきよ)。父は佐藤康清。母は源清経の娘。出家して円位、西行、大宝坊と名乗りました。

家は裕福で、紀伊国に田仲庄という荘園もありました。16歳で徳大寺実能(とくだいじさねよし)に仕え、ついで鳥羽院の北面の武士として仕えました。しかし保延六年(1140年)23歳の時、突如妻子を捨てて出家しました。

「重代の勇士を以って法皇に仕え、俗時より心を仏道に入る。家富み年若くして心無欲、遂に遁世、人嘆息す」

藤原頼長の日記『台記』には、佐藤義清の出家について、こう書かれています。なぜ出家したのか?諸説あってよくわかりません。

出家後は仏道と和歌に励み、高野山や伊勢に住む一方、奥州や四国を旅しました。

河内国の弘川寺(大阪府南河内郡河南町)で暮らしていましたが、病にかかり文治六年2月16日に亡くなりました。

願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃

『新古今和歌集』にはもっとも多い94首が採られています。

瑠璃光殿・阿弥陀堂

御本尊の薬師如来像や金剛力士像が安置された瑠璃光殿、

勝持寺 瑠璃光殿
勝持寺 瑠璃光殿

その隣の阿弥陀堂。

勝持寺 阿弥陀堂
勝持寺 阿弥陀堂

阿弥陀堂の前は踊り場状になっており、一面桜が散り敷いていました。


西行桜

石段を下りて正面に西行桜。

勝持寺 西行桜
勝持寺 西行桜

西行法師が自ら植えたと伝えられる八重桜です。現在三代目です。

石垣の石、ひとつひとつに桜の花が散りかかっているのも、見事でした。



瀬和井の泉・冴野の沼・鏡石

そのほか境内には、歌枕として知られる冴野(さえの)の沼、瀬和井(せがい)の泉。

勝持寺 冴野の沼
勝持寺 冴野の沼

小塩山 松風寒し 大原や 冴野の沼の さえまさるらん

勝持寺 瀬和井の泉
勝持寺 瀬和井の泉

西行法師が出家した時、その姿を写したと伝えられる鏡石などがあります。

勝持寺 鏡石
勝持寺 鏡石

本日は大原野を歩きました。春日大社を分霊した大原野(おおはらの)神社、「西山のお大師さま」として知られる正法寺(しょうぼうじ)。西行法師が出家した勝持寺(しょうじじ)。のんびりした山里の風情に癒やされます。

静岡講演のお知らせ

5/19日「声を出して読む 伊勢物語」

第五回目。情熱にまかせて恋から恋へ渡り歩き、歌を詠み、旅を続けてきた主人公「男」。しかしそんな主人公も、しだいに歳を取っていきます。その詠む歌も、これまでと調子が変わってきます。人生の悲哀を感じさせる歌も増えてくるのです。

お申込みは、静岡同志社クラブ 杉山 興一郎まで
https://goo.gl/nNWovP

京都講演のお知らせ

6/17日「京都で、声を出して読む小倉百人一首」

第二回目。小倉百人一首の歌を会場の皆様とご一緒に声を出して読み、解説していきます。今回は11番小野篁から、20番元良親王まで

お申込みは、以下のページ末尾のリンクからお申し込みいただくか、
http://sirdaizine.com/CD/KyotoSemi_Info.html

もしくは、このメールに

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