これやこの…逢坂の関

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逢坂の関
逢坂山関址

これやこの…

逢坂の関といえばすぐに出てくるのが
百人一首の歌。

これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関

これがまあ、行く人も帰る人も別れてはここで逢う。
知る人も知らない人もここで逢う、逢坂の関なのだ。

「も」の音の繰り返しによって、気持ちいいリズムが生まれています。

百人一首の中でも特に人気が高く、記憶に残りやすい歌で、
他の歌はよく知らないけど、これだけは好きだ、
かるたとなれば、この札だけは取りたい、という方も
あるのではないでしょうか?

逢坂の関とは?

逢坂の関は伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関と並んで、三故関と称されます。
大化の改新(645年)の「改新の詔」によって設置されたと言われますが、
その後すたれます。しかし、すたれた後も逢坂の関は歌枕として
残り続けました。

『蜻蛉日記』『更級日記』『平家物語』『源氏物語』など、
さまざまな文学作品に登場し、旅情をかきたてる、歌枕として
人々のイメージの中に生き続けました。

現在、大津と京都を結ぶ東海道の脇に逢坂の関跡の石碑が、
ぽつんと立っています。

逢坂の関
逢坂山関址

私は何度もグーグルストリートビューで位置を観察して
ワクワクしていたのですが、実際に訪ねたのは今回が
はじめてです。

逢坂の関
逢坂の関 案内板

けっこうな傾斜で、ここを牛車で
登り降りするのは大変だったろうなあと思いました。

石碑のすぐ横ではマウンテンバイクに乗った方が地図をながめていました。
これから京都方面へ抜けるのでしょうか。

逢坂の関
逢坂の関 案内板

少し離れた坂の中腹にはうなぎで有名な「かねよ」があり、大繁盛していました。
「日本一のうなぎ」の文字が誇らしげに踊っていました。頼もしいです。
駐車場はいっぱいで、警備員が忙しく立ち働いていました。

京都の新京極にも「かねよ」があり、大津の「かねよ」と元は同系列らしいです。

今回はすでに昼食をすませた後でしたが、次回訪問の際は、
ぜひ食べて、味のほどをご報告します。

蝉丸と博雅三位

『今昔物語』に描かれた蝉丸と博雅三位(はくがのさんみ)の話は有名です
(『今昔物語集』巻第24 第23話)。

博雅三位(はくがのさんみ)こと源博雅(みなもとのひろまさ)は
風流のほまれ高い貴公子でした。映画の『安倍晴明』では清明の
パートナー役になっていましたね。

ある時、博雅が逢坂の関を牛車に乗って通りかかったところ、
関のたもとの古びた庵から、ビロン、べべん…べべん…

「ほう…見事な琵琶の音だ。これ御者よ」
「はい。なんでございましょう」
「あそこで琵琶を奏でる者は誰か」

「あれは蝉丸です」「蝉丸?」

「このあたりじゃ有名ですよ。なんでもさる高貴な方のご落胤だとか」
「ふむう…」

博雅はしばし、蝉丸の奏でる琵琶の音に聞き入ります

「それにしても見事な音だ。ただでさえ見事なのだ。
これで琵琶の秘曲・流石と啄木を奏でたら、どんなに素晴らしいか。
よし。私は蝉丸の奏でる流石と啄木を、なんとしても聴くぞ」

それから毎晩、博雅は京都から逢坂の関を訪ね、
蝉丸の奏でる琵琶を立ち聞きます。

風の吹く日も吹かぬ日も、雨の降る夜も降らぬ夜も…

しかし、いっこうに蝉丸は秘曲を奏でず、
三年が経ち、三年目の月の明るい晩。

ビロン…ぺぺぺん、ぺんぺん…

「や…これは!」

それは、三年間立聴いて、博雅が心待ちにしていた、
琵琶の秘曲・流泉・啄木の調べでした。

「ああ…なんとすばらしい。三年待った甲斐があった」

曲が終るまで聞き届けると、博雅は蝉丸の庵の戸を叩き、
三年通いつめた事情を話し、琵琶の秘曲を伝授されたという話です。

ふつうに弾いてくださいて頼めばすむ話だと思うんですが…
そうではなく、立ち聞いている所に自然と琵琶の音が響いてくるのが情緒なんでしょう。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。