腰越を歩く

こんにちは。左大臣光永です。今日、文房具屋の鉛筆コーナーの前を通ったら、ズラッとたくさんの鉛筆があって、鉛筆の芯と木のニオイが一瞬、鼻に満ちました。

とても微かなニオイで、すぐに鼻がなれてしまいましたが…なんとなく小学校の教室などの記憶がよみがえり、なつかしい感じでした。

さて、先日、新商品「鎌倉と北条氏の興亡」を発売いたました。
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すでに多くのお買い上げをいただいています。本当にありがとうございます!

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しばらく、この商品にあわせて、鎌倉や鎌倉時代の話題をお届けしていきます。本日は、腰越を歩く。源義経ゆかりの満福寺と、日蓮ゆかりの龍口寺などです。

▼音声が再生されます▼

江ノ電

鎌倉駅から江ノ電に乗ります。



旅のワクワク感がこみ上げます。かたこん…かたこん…進むにつれて住宅街のキレ目から海が見えてきて、やがてぱあーーっと視界が開けて由比ヶ浜。稲村ケ崎。七里ケ浜。窓いっぱいに広がります。その、ちらちらっと最初見えていて、ついに全貌をあらわす感じが、とてもドラマチックでワクワクします!

満福寺

腰越駅で下ります。



徒歩3分。江ノ電の線路のすぐ脇に、源義経の「腰越状」で有名な満福寺(まんぷくじ)があります。



元暦二年(1185年)、壇ノ浦に平家一門を亡ぼした源義経は、平宗盛父子を護送して鎌倉へ向かいますが、兄頼朝の怒りを買い、ここ腰越の地に留められました。

「なぜだ…兄上はどうして鎌倉へ入れてくださらないのか。
弁慶、どうしたものか」

「けして二心無き由、書状にしたためて鎌倉殿へお送りしてはいかがでしょう」

「おう、それじゃ」

こうして書かれたのが腰越状、です。その文面は、父義朝が平治の乱で討たれ、みなしごになった子供時代のことから始まり、自分が平家一門を滅ぼしたのは父の無念をはらしたい一心であり、その他に野心など何も無いと、切々と訴えていました。

腰越状は大江広元にたくされ、頼朝に届けられますが、結局、頼朝の心を動かすことはありませんでした。義経は満福寺に留まったまま、平宗盛父子だけが鎌倉に入り、取り調べを終えると、義経はふたたび平宗盛父子を護送して、西へ向かうこととなりました。

満福寺境内に入るとまず、


「腰越状」を書く弁慶と義経の像。


弁慶の腰かけ石。


庫裏の中にはガラスケース内に、武蔵坊弁慶による腰越状の下書きが展示されています。


ふすまには、「弁慶の立ち往生」や「静との別れ」など、おなじみの場面を描いた絵があり、義経気分が高まります。



時折チンチンチンチン…踏切の音が響くのがわびしい情緒を醸し出してました。

小動神社

来た道を引き返し、今度は海の方向に進みます。見えてきました。小動(こゆるぎ)神社です。


小動という地名は、風もないのに揺れる「こゆるぎの松」がこの岬の頂に立っていたことにゆらいします。

源頼朝の家臣佐々木盛綱が江の島参詣の帰りにこの松を見て、見事な松だとつくづく感心しました。そこで所領地近江国の八王子神社を勧請したのが始まりです。

元弘三年(1333年)、新田義貞が鎌倉を攻める際、戦勝祈願を行い、太刀と黄金を奉納し、社殿を再興しました。

かなり時代を感じる社殿で神さびた雰囲気が満ちています。


狛犬がほっかむり巻いてるのがすごく気になるんですが、土地の人々から愛さてる、証ですかね。



境内脇の高台からは、腰越の海と江の島が見渡せます。



ひょろーーーひょろひょろひょろ…時折響くトンビの声が、いい感じです。

龍口寺

さて腰越海岸をぶらぶら歩いて、片瀬方面まで向かいます。腰越漁港。


腰越海水浴場。


そしてしだいに大きく近づいてくる江の島。潮風を楽しみながら、歩いていきます。

片瀬まで来たら、龍口寺を目指して歩いてきます。龍口寺までは、道に迷うことは、無いです。なぜならば、仏舎利塔が、遠くからもハッキリそれと、見てとれるからです。

「南無妙法蓮華経!法華経を信じよ。火事や飢饉。こうした悪いことは、人々が念仏といった邪法を信じるから起こるのだ。今こそ正法(しょうぼう)である法華経を信じよ。でなければ内乱が起こり、外国の侵略を招くであろう」

日蓮はそう言って、『立正安国論』をあらわし、時の執権北条時頼に献上しました。しかし、あまりに他の宗派を攻撃したので、「悪口の罪」にあたるとして、捕えられてしまいます。

文永8年(1271)9月12日、役人たちは、鎌倉松葉谷(まつばがやつ)にあった日蓮の庵を襲い、日蓮をひっとらえ、市中引き回しの末、鎌倉の西、龍口(たつのくち)刑場に連行します。

日蓮はその夜は土牢に入れられ、翌13日午前2時頃、「出ろ」「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」「ええい、早くせぬかっ」

石の上に座らせされ、今まさに首斬られようとする日蓮はしかし、題目を称えることを、やめない。

その時、

ビカビカーーーーッ

江の島の方角から、真っ赤な火の玉が飛んできて、

「ひ、ひいいーーっ」

縮み上がる役人たち。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…」

ひたすら題目を唱える日蓮。

「わ、わかった。死罪は取り消す!!」

こうして、日蓮は一命をとりとめ、佐渡へ流罪となりました。これを龍口の法難といいます。

徒歩約20分。着きました。日蓮聖人ゆかりの日蓮宗龍口寺(りゅうこうじ)です。


龍口刑場跡

山門左に「龍口刑場跡」の碑があり、ここが刑場であったことのかすかな名残となっています。


山門

山門をくぐります。日蓮聖人の生涯を描いた彫刻が、見事です。



そして仁王像は、腹筋が割れてスリムな感じでした。


ふつう仁王像って、筋骨隆々でも腹はボコンと出てるじゃないですか。この仁王像は腹もへっこんでいて、現代的な「カッコいい体」をしとるなあと思いました。

本堂・日蓮像

本堂です。



とても屋根が大きく、荘厳です。本堂右手に日蓮の像が立ちます。


右手をすっと前に出し、左手には『法華経』(もしくは『立正安国論』でしょうか)を持っています。全体におだやかな感じの日蓮像ですね。私は日蓮聖人というと、もっとガツガツした野性味というか、激しいイメージを持っていたので、この日蓮像のおだやかさは、意外でした。

五重塔

そして本堂右手の低い通路を通って


山道を歩いていくと


鎌倉で唯一の五重塔がそびえます。


五重塔はふつう見上げることが多いですが、ここでは山道の中腹から、塔の横っ腹を観察できるのが新鮮です。



御仏舎利塔

また本堂をはさんで五重塔と反対側の山の頂上には、御仏舎利塔(おぶっしゃりとう)があります。



これが、遠くから見えていたものです。江の島からもハッキリ見えます。鎌倉のランドマークって感じですね。

仏塔内部にはインドのネルー首相から送られた御仏舎利(お釈迦さまの骨)が安置されている、ということです。

鎌倉の街並みと、海が、一望できます。いい気分です。


私の故郷熊本の、花岡山という山の頂上にも大きな仏舎利塔があるので、故郷を思い出してしまいました。

御霊窟

そのほか、境内には龍口法難で捕えられた日蓮が、一晩幽閉されていたと伝えられる洞窟跡「御霊窟(ごれいくつ)」があります。


「ふん。これしきのこと。何のことはないわい」そんなこと言って、ひたすらお題目を称えていたであろう場面が、しみじみ、想像されました。

常立寺

さて龍口寺を後にし、湘南モノレール湘南江の島駅を通り越し、少し歩くと、見えてきました。

「元使五人塚」で有名な、常立寺です。


文永の役(1274年)の翌年、元から降伏勧告の使者として杜世忠(とせいちゅう)ら五人が使わされました。しかし執権北条時宗は、

「斬れッ」

問答無用で五人を鎌倉龍口刑場で斬らせました。この時の元の使者五人を祀ったといわれるのが、常立寺境内の五輪塔です。


毎年大相撲藤沢場所の前に、モンゴル力士が参拝することでも有名です。

明日は、江の島を歩きます。

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三代将軍源実朝が暗殺されたことにより源氏の政権は途絶え、以後、北条氏が権力をのばします。五代執権北条時頼、八代執権北条時宗の時代を経て北条氏嫡流「得宗」家は、いかに権力を拡大していったのか?

そしてモンゴル襲来という未曾有の国難を経て、傾く鎌倉幕府の地盤。ついに後醍醐天皇の勅命により挙兵した足利高(尊)氏と新田義貞によって幕府が滅亡するまで……約140年間の歴史を全35章に区切って詳しく解説していきます。

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