京都 晴明神社を歩く

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こんにちは。左大臣光永です。夏の盛りの週末、いかがお過ごしでしょうか?
私はしばらく実家の熊本に滞在していたんですが、スーパーに入って驚きました。納豆コーナーに行くと、ぜんぶ知らないブランドでした。おかめ納豆とか、東京で見慣れたものが一つもなく、ぜんぶ九州のブランドでした。地域色出てました。意外な所に旅情を見出すものだなと。今後、旅先ではスーパーの納豆売り場をチェックしてみようと思います。

さて本日は、安倍晴明を祀る京都晴明神社を訪ねます。

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京都駅から二条城方面行き、もしくは金閣寺方面行のバスに乗り、バス停一条戻り橋で下車。2分歩くと、見えてきました。堀川通り沿いに、一の鳥居が。遠くから見ても、参拝者が多くにぎわっているのがわかりますね。

晴明神社 一の鳥居
晴明神社 一の鳥居

縁起

晴明神社は平安時代中期の陰陽師・天文博士、阿部晴明を祀ります。阿倍晴明は朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条天皇まで六代の天皇に仕え、陰陽道を確立しました。晴明死後の寛弘4年(1007)一条天皇がその功績をしのび、晴明の館跡に建立されました。

一の鳥居の黒い額に、金の桔梗紋が大きく記されています。晴明桔梗と呼ばれる独特のものです。

晴明神社 一の鳥居
晴明神社 一の鳥居

天地五行(木火土金水)を象徴し宇宙の調和を意味し魔除けにも用いられます。この形は五芒星ペンタグラムとも言われ、西洋でも魔除けとして用いられています。境内のそこかしこに、晴明桔梗は見ることができます。

旧一条戻り橋

一の鳥居をくぐり、まず左右から歓迎してくれる狛犬は、恰幅がよく、ふんぞりかえっていてしかも愛嬌があります。

晴明神社 狛犬
晴明神社 狛犬

晴明神社 狛犬
晴明神社 狛犬

後ろから見ても可愛いです。

晴明神社 狛犬
晴明神社 狛犬

「晴明さま、まだ戻ってこないな~」などと待っている感じが、微笑ましいです。

参道左手には旧「一条戻り橋」があります。一条戻り橋は現在も晴明神社のそばの堀川にかかっていますが、この晴明神社参道にあるものは大正11年から平成7年まで使われていた先代の一条戻り橋の欄干の親柱を移してきたものです。橋の傍らには式神の像があります。

一条戻り橋
一条戻り橋

式神とは陰陽師が使う精霊で、神のような、鬼のような、目に見えたり、見えなかったりするものです。阿倍晴明は式神をあやつって身の回りの世話をさせていましたが、ある時奥さんが言うのです。

「あなた、その式神の顔が怖いのです」
「顔?まあ、たしかにこいつらは、人間離れした顔をしているからなあ。
しかし、式神であるから」

「であるから、ではありませんッ。なんとかしてください。
でないと私はもう、出ていきますッ」

「仕方ないのう。とうわけだ、お前たち、妻がああ言っておる。
すまんが、ふだんはここに待機していてくれ」

「まあ…そりゃあ仕方ないっすね」
「俺たち晴明さまの奥方さまに悪さなんて、ぜったいしないのになあ」

こうして式神たちは晴明の館そばの一条戻り橋の下に待機することになった、ということです。かの安倍晴明も、奥さんには頭が上がらなかった。そう考えると人間くさい感じです。

参道の左右に凛と立つのが「日月柱(にちげつちゅう)」です。

晴明神社 日月柱
晴明神社 日月柱

陰陽道の、太陽と月の調和。宇宙のバランスをあらわしているのでしょう。ワクワク感を高めてくれます。やはり、ふつうの神社とは違うものが見られます。。

二の鳥居

細い道路を隔てて二の鳥居です。

晴明神社 二の鳥居
晴明神社 二の鳥居

鳥居の左手に千利休の屋敷跡の碑があるのが目を引きます。

千利休の屋敷跡の碑
千利休の屋敷跡の碑

豊臣秀吉が聚楽第を築いた頃、千利休はこの近くに住んでいたということです。利休が自害を命じられた所でもあります。

しかし私は利休の歴史よりも、二の鳥居左右の狛犬が、とても気になりました。一の鳥居のそれと違ってやせこけているのです。栄養が足りない感じです。どうしたんでしょうか。心配になりました。

狛犬
狛犬

狛犬
狛犬

二の鳥居をくぐってすぐにそびえるのが四神門(しじんもん)です。

晴明神社 四神門
晴明神社 四神門

安倍晴明の館であった頃、朝廷からの勅使が訪れると、

「勅使である。明けよ」

ギィーーー

ひとりでに開いて、また帰る時は、

「お帰りじゃ」

ギィーーー

独りでに閉まったということです。目に見えない式神が開け閉めしていたんでしょう。これを再現するため、現在でも電動式で開け閉めしているということです。

晴明井

境内に足を踏み入れます。若い娘さんが多いです。昨今の陰陽師ブームで、何か安倍晴明にロマンを抱く方が多いのでしょう。

境内すぐ右手に安倍晴明が念力で湧き出させた井戸・晴明井(せいめいい)があります。

晴明井
晴明井

病気平癒に効果があり、実際に飲むことができるということです。だいぶ苔むしていたので飲むまでの度胸は出ませんでしたが。

面白いことに、水の注ぎ口はその年の恵方を向いており、毎年立春に向きを変えるということです。年ごとに、一番いいエネルギーを得ることができるということですね。

地面には北斗七星を模した飛び石があり、いかにも宇宙的なパワーが満ちた感じです。

千利休もこの井戸で水を汲んで最後の茶を立てたか…などと妄想しながら境内を進んでいきます。境内はほんとうに若い人が多いです。晴明公も喜んでいる感じがします。

晴明神社 境内
晴明神社 境内

本殿は、あちこちに桔梗門をあしらった立派なものです。

晴明神社 本殿
晴明神社 本殿

次々と人が参拝しており、行列をなしていました。

本殿右手には「厄除桃」の像があります。

晴明神社 厄除桃
晴明神社 厄除桃

イザナギノミコトが黄泉の国の化け物と化した妻・イザナミノミコトを撃退するのに桃を投げたことや、桃太郎の昔話にあるように古くから桃は悪いものを祓うと信仰されてきました。

晴明坐像

本殿左手には、安倍晴明坐像があります。

安倍晴明坐像
安倍晴明坐像

下ぶくれの、オッサン臭い晴明です。夢枕獏の小説で美化された晴明のイメージが焼き付いていると、「これは違う!」と反発したくなるでしょう。私はこれはこれで、愛嬌があって、いいと思いますが。

奥さんに怒られて式神を隠していた、なんてエピソードは、こっちの下ぶくれ晴明のほうがあっていると思います。それにしても遠慮なく足の裏をさらしていますねこの晴明は。これだけ足の裏がよく見える坐像というのも、珍しいと思います。

すばらしいのが、本殿左手の顕彰板(けんしょうばん)です。

顕彰板・桔梗苑
顕彰板・桔梗苑

広場状のエリアの壁一面に10枚のパネルが展示されており、各パネルに阿倍晴明の10のエピソードを一つずつ、イラストつきで紹介してあります。こういうのは、いいですね!熱心に読み入っている人の姿が多かったです。

だいたい神社の案内は不親切なものが多いので、このように現在の言葉で、イラストつきでわかりやすく説明しているのは、素晴らしいと思います。子供に説明するにも、やりやすい感じです。

桔梗苑

顕彰板のそばには、桔梗苑があります。6月から9月にかけては美しく桔梗が咲きあふれます。もちろん、当神社のシンボル・桔梗紋にちなんだものです。境内には桔梗苑のものも含めて2000株の桔梗が植えられているということです。桔梗が咲いている時期限定で「桔梗お守り」を授与しています。

この日は京都御所東の廬山寺を訪れ、ここでも桔梗を見ていたので、蘆山寺と晴明神社の桔梗がイメージの中で溶け合って、いい感じでした。

本殿右手に御神木の樹齢300年の楠が立ちます。

晴明神社 御神木
晴明神社 御神木

手をふれると不思議なパワーを感じるということで、多くの人々がぴたっと手をつけていました。私も手をつけてみましたが、ひやっとして、何か感じるかというとよくわかりませんでしたが…

近年のパワースポットブームで、訪れている人も多い晴明神社です。京都駅からほど近いですので、阿倍晴明や陰陽道に興味がある方はぜひ一度行ってみてください。

一条戻り橋の伝説

安倍晴明が式神を隠していたという一条戻り橋は、晴明神社からすぐの所にあるので、あわせて寄ってみました。

平安時代初期。

漢学者・三善清行(みよしのきよゆき)の八男に、
浄蔵(じょうぞう)という天台宗の僧がありました。

浄蔵は菅原道真の怨霊をしずめたり、
東山法観寺の八坂の塔がゆがんでいたのを直したことで有名な僧です。

延喜18年(918年)12月。

浄蔵が紀州熊野で修行しているところへ、父危篤の知らせが届きます。

「なんということだ。父の死に目に会えないなど、
最大の親不孝」

浄蔵はすぐさま京都に戻り、一条土御門橋までさしかかった時、
向こうから父の葬儀の列が進んできました。

「間に合わなかった!ああ、父上、父上ーーーッ」

子は、父の棺にすがりついて、泣きます。

「こんな、死に目にもあえないなんて。
あんまりだ。どうか父を、父を生き返らせてくだされーーっ」

その時、一天にわかにかき曇り、

ビカーーーーッ

強烈な雷鳴。そして!

ガタガタガタッ、バキバキバキッ、
バッカーーーン

棺桶の蓋を弾き飛ばして、むくりと上半身を起こすと、
父・三善清行はギギキと首を横に向け、

「息子よ…」
「父上ーーーッ!!」

ザアザア降りしきる大雨の中、父と子は見つめ合い、
ああと、抱き合いました。

浄蔵の強い願いが冥府に届き、
三善清行は一時的によみがえることを許されたのでした。

あの世から「戻る」ということで、
以後この橋は土御門橋あらため
戻り橋と呼ばれるようになりました。

その、戻り橋を訪ねます。

堀川通り沿いに流れる「堀川」の川沿いには遊歩道が作られていて、ぶらぶら散策することができます。途中、いくつも橋がかかっています。

堀川 遊歩道
堀川 遊歩道

いかにも時代がかった、古びた橋が見えてきたので「おおっ、これが一条戻り橋?」と期待が高まります。橋の下もひんやりしていい雰囲気です。

堀川第一橋
堀川第一橋

堀川第一橋
堀川第一橋

しかし、よく見るとこれは「堀川第一橋」でした。

堀川第一橋
堀川第一橋

堀川第一橋
堀川第一橋

一条戻り橋はこの一個北側です。

なんとも近代的な、ピシーーッとした橋でした。

一条戻り橋
一条戻り橋

一条戻り橋
一条戻り橋

一条戻り橋
一条戻り橋

平成7年に架け替えられたものです。古びた情緒はありませんでした。この橋の下に式神が隠れていたかなあ…、夏はバシャバシャと水遊びしていたかなあ…。残念ながらその名残はありませんでしたが。

一条戻り橋付近
一条戻り橋付近

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。

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