瀬田の唐橋を渡る

こんにちは。左大臣光永です。寒の戻りでしょうかまた寒くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか?

私は、確定申告のまっ最中です。毎年、2月中に終わらせよう、3月5日までは、10日まではとズルズル伸びて、結局ギリギリになります。夏休みの宿題みたいですね…。

さて先日発売いたしました、『松尾芭蕉 紀行文集 for Windows』ご好評をいただいています。特典の「伊勢物語 名場面集」は、3/20までの早期お申込み特典となります。お早目にどうぞ。
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しばらくこの商品にあわせ、松尾芭蕉関連の話を続けていきます。

本日は、瀬田の唐橋を渡ります。

▼音声が再生されます▼

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Setabashi.mp3

JR東海道本線石山駅から徒歩約10分。

見えてきました。

瀬田の唐橋です。2012年に塗り替えられたものです。


キャラメルか、麻雀牌のような色をしています。かなり…ちょっと微妙なセンスです。

しかし!

この近代的な瀬田の唐橋のむこうに、古代・中世の瀬田の唐橋を想像しながら、今日の話はきいてください。

五月雨にかくれぬものや勢田の橋

五月雨にあたりの気色がぼうっとにじむ中にも、瀬田の唐橋は、その見事な姿をクッキリ浮かび上がらせているという句です。

瀬田の唐橋。

古代より近江と東国を結ぶ交通の要衝でした。そのため、さまざまな合戦の舞台となり、伝説が生まれ、数々の文学作品に登場します。

俵藤太秀郷の大ムカデ退治

その昔、藤原秀郷なる武士が瀬田の唐橋を通りかかると、橋の真ん中に大蛇が陣取っていて、通行人は橋をわたれずに困っていました。


「どうしたもんですかねえ」
「わしゃ今日までに京都に着きたいんじゃが」

しかし!

「どけどけ」

藤原秀郷はぶにゅんぶにゅんと蛇の上を踏んづけ、
乗り越えて、行ってしまいました。

その夜、秀郷の宿を訪ねてきた娘さんがありました。

「はてこんなキレイな娘さんに知り合いはいないが…。そのほう何者じゃ」
「はい。私は琵琶湖の底にすむ龍神一族の娘です。
秀郷さまのような強い方をさがしていました。どうか、三上山の大ムカデを退治してください」
「三上山の大ムカデ!」

「山を七巻もする怪物です。ふもとの村人たちが困っています」

「ほうそれは面白そう…じゃない。けしからんことですな!
民を苦しめる怪物め、許し難いことです。
よろしい私が退治してあげましょう」

こうして三上山のムカデ退治となるわけですが、

詳しくはこちら「俵藤太秀郷の大ムカデ退治」をお聴きください。
http://yomukiku-mukashi.com/Tawara.html

大ムカデを退治した秀郷は龍神の娘から米が尽きない米俵、切っても減らない反物、食べ物があふれてくる鍋、美しい音を響かせる釣鐘をもらいました。

これにより俵藤太秀郷と呼ばれるようになり、鐘は後に大津の三井寺に奉納され、三井の晩鐘として美しい音を今に到るまで鳴り響着せている…というお話です。

瀬田橋東詰の浄土宗雲住寺(うんじゅうじ)には、百足供養塔が立っています。伝説が今に生きて、大事にされている感じで、いいですね。


壬申の乱

672年壬申の乱では、大友皇子率いる近江朝廷軍と大海人皇子軍の間で合戦が行われました。

わぁーーーーわぁーーーー

橋の東西から上がる、鬨の声!


この時、大海人軍は武将村国男依を先鋒に、瀬田橋の東に布陣。全軍が鎧に赤いキレを付けていました。敵と味方の区別をつきやすくするため、また、昔漢の高祖劉邦が宿敵項羽との最終決戦に向かう際、全軍が赤いキレを身につけた故事にのっとったものでした。

一方の大友皇子軍は、

「朕が直接打って出る!」

大友皇子御自ら御馬にまたがり、蘇我赤兄(そがのあかえ)、中臣金(なかとみのかね)らを将軍として、軍勢を率いて、瀬田橋の西に布陣しました。

双方、ものすごい兵士の数で、列の後ろが見えなかったと『日本書紀』は記します。

「かかれーーーっ」

勢いに乗って橋の上を駆けていく大海人皇子軍。

しかし!

大友皇子軍は瀬田橋の中央の橋板をはずし、そこに細い板をかけていました。

「それっ」

ガタッ、ガタタッ、

「う、うわあーーー」

ざばーーん、ざぶーーん

大海人軍は次々と瀬田川に落とされていき、そこへひょうひょうと矢をあびせられ、

「ぎゃああ」
「うぎゃああ」

川面で泳いでいた大海皇子軍の兵士は次々と射殺され、瀬田川は血の色に染まりました。

「このままでは埒があきません。私が単身、
切り込みをかけましょう」
大海皇子軍の中に大分君稚臣(おおきだのきみわかみ)が決死の突入を試みます。

ドカドカドカドカ

大分君稚臣は全身に近江朝廷軍の矢を受けながらがむしゃらに突っ走り、ついに突破口を開きます。

「ひ、ひいい」
「やられる!」

大友皇子はわずかな供回りと共に西へ逃れます。
大津の長等山(ながらやま)にさしかかった時、
大津京の方角を見やると、煙が立ち上るのが見えました。

「ああ…燃えていく…父の築いた大津の都が…」

「皇子さま、そろそろ…」

「わかった」


味方が次々と逃げ散っていく中、
最後まで大友皇子に従ってきた物部麻呂(もののべのまろ)が、
縄の用意をします。

昼なお暗い山の中、鳥たちのさえずりを聞きながら、大友皇子は首を吊って自害しました。

明治3年、39代弘文天皇の号が贈られ、ようやく歴代天皇の一人として数えられることになりました。

弘文天皇陵は京阪電車別所駅で下車、徒歩5分、大津市役所裏手の森の中にあります。

弘文天皇陵付近
弘文天皇陵付近

弘文天皇陵
弘文天皇陵

弘文天皇陵付近
弘文天皇陵付近

藤原仲麻呂の乱

奈良時代。764年には、朝廷に不満を抱く藤原仲麻呂(恵美押勝)が、朝廷に叛旗をひるがえします。

時の孝謙上皇は、藤原仲麻呂叛くの知らせを受けるとすぐに、作戦参謀として吉備真備を召し出します。

「上皇さま、おひさしぶりでございます」
「真備、よく来てくれました。なつかしいわ。お互いに歳を取りましたね…。でも今は感傷にひたっている時ではありません。真備、あなたの知恵を貸りたいのです」

孝謙上皇と吉備真備は因縁浅からぬ仲でした。孝謙上皇がまだ安倍内親王といった皇太子時代に、吉備真備は家庭教師をつとめており、『漢書』や『礼記』を講義していたのです。また遣唐使として中国にわたった際、吉備真備は兵法書を持ち帰り、兵法の極意も身に着けていたと伝えられます。

「真備、仲麻呂はどう動くと思いますか?」

「上皇さま、兵法とは、相手の立場に立って考えることです。
私が仲麻呂殿ならば、息子たちと合流するため、美濃に向かいます。
そして近江から美濃に向かう途中には…」

「瀬田の唐橋ですね」

吉備真備の指示のもと、上皇軍は瀬田の唐橋に押し寄せ、橋を燃やしてしまいます。遅れてたどりついた仲麻呂方は焼け落ちた瀬田の唐橋を見てがっくりと肩を落とします。

「仲麻呂さま、これでは瀬田川を渡れません」
「くううう!読まれておったか。かくなる上は」

仲麻呂は今度は越前にいる息子のもとを目指そうと、琵琶湖の西側へ迂回。琵琶湖沿いに北上していきます。


しかし近江と越前の境・愛発関(あらちのせき)はすでに上皇方によって封鎖されていました。


行場を失った藤原仲麻呂。再度、琵琶湖沿いに南下します。

そこへ上皇軍が攻め寄せてきます。


ワァー、ワァー

「…もはやこれまで」仲麻呂は琵琶湖のほとり三尾埼(みおのさき)で捕えられ、斬られました。

一代の栄華を極めた藤原仲麻呂の、あっけない最期でした。

その後も…

源平合戦の折には、木曽義仲の乳母子の今井四郎兼平が、瀬田に布陣し、源範頼軍を迎え撃ちました。しかし、瀬田を破られた今井四郎兼平は主君義仲と合流しようと京都を目指し、義仲も京都を落ち延び、今井四郎兼平と合流しようと、瀬田方面に向かっていました。

琵琶湖のほとり打手の浜で再会をはたした義仲と今井はこれが。最期の戦いと、敵にいどみ、粟津原の戦場に討たれました。

承久の乱(1221年)では、朝廷軍が宇治・瀬田の二か所を京都の最終防衛ラインと定め、瀬田橋でも激しい合戦となりましたが、幕府軍はこれを撃破。宇治方面を撃破した幕府軍と、あわせて大挙して京都に押し寄せ、後鳥羽上皇の幕府軍を壊滅させました。

本能寺の変(1582)で信長を討った明智光秀は、まっさきに東へ向かい、安土城の占領を目指しますが、勢多城主・山岡景隆が瀬田橋と居城を燃やしたために三日間、光秀は足止めを食らいました。その後も山岡景隆は羽柴秀吉と通じ、光秀の動きを逐一秀吉に報告したため、安土城に入るまで光秀はたいへんな被害を受けることとなりました。

このようなさまざまな歴史上の舞台となり、伝説の舞台となった瀬田の唐橋。復元された現在の姿は、ちょっと色がかなり、アレな、何というか、うう~んって気もするんですが。しかし!…現在のこの、近代的な瀬田の唐橋の向うに、壬申の乱や承久の乱、源平の合戦などの歴史を思い起こす時、わあーーっと、感動がこみ上げるじゃないですか!

歴史と伝説が今に生きる、近江

松尾芭蕉は

五月雨にかくれぬものや勢田の橋

と詠んでいます。五月雨にあたりの気色がぼうっとにじむ中にも、瀬田の唐橋は、その見事な姿をクッキリ浮かび上がらせているという句です。

句碑は、瀬田の唐橋東詰の唐橋公園内にあります。平成五年にふるさと創生事業として建てられました。

歴史と伝説が今に生きている、近江の地。この春、ぶらぶら歩いてみるのはいかがでしょうか?私はもう、歩く気まんまんです!

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松尾芭蕉の紀行文『野ざらし紀行』『鹿島詣』『笈の小文』『更級紀行』
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嵯峨の落柿舎の滞在記録『嵯峨日記』の、
原文と、現代語訳、わかりやすい解説をセットにしました。

じょじょに桜の花が開くこの季節。
春風にさそわれて、京都・奈良・滋賀を旅する際の
お供としても、どうぞ。

はるか昔の旅人の情緒を胸に抱き、耳に聴いて、
ふだんとは一味違う旅が楽しめることでしょう。

詳しい解説はこちらのurlです。ぜひ見にいらしてください。
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明日は深川を歩きます!お楽しみに!