静岡・島田を歩く

こんにちは。左大臣光永です。しだいに春めいてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?私は先日、静岡で百人一首の講演をしてきました。たいへん盛り上がった、いい会となりました。夜は有志といつものお店で酒飲んでワイワイと楽しいひとときでした。

さて。

先日再発売しました『聴いて・わかる。日本の歴史~院政と武士の時代』ご好評いただいています。ありがとうございます。特典の「藤原定家の生涯」は、3/25までです。お申込みはお早目にどうぞ。
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本日は静岡の島田を歩きます。

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島田は大井川のほとりに位置する東海道23番目の宿です。江戸幕府は軍事上の理由から大井川に橋をかけることを禁じたので、大井川を越える旅人は川越人足に肩車してもらうか、連台という台に乗って渡るしかありませんでした。

増水の時などは何日も島田宿で足止めを食らい、場合によっては一か月も島田宿に滞在しなければなりませんでした。だから宿屋は儲かるし飯屋は儲かる。まして参勤交代で大名行列が越える時は、ものすごく金が動きました。こうしたことが島田宿のたいへんな収入源になり繁栄しました。

春咲く花の藤枝も
すぎて島田の大井川
昔は人を肩に乘せ
わたりし話も夢のあと

「鉄道唱歌」に歌われています。

島田駅

JR東海道線島田駅。


ここから散策を開始します。駅前には栄西禅師の像が立っています。栄西は平安時代末に御茶の実と苗を持ち帰り御茶の祖と言われます。なので、島田は御茶の産地であることから栄西の像が立っているようです。

宗長庵跡

駅前の交番の左横に、宗長庵跡と、松尾芭蕉の句碑が立っています。


戦国時代の連歌師・宗長は文安5年(1448)、駿河国島田に刀鍛冶の三男として生まれました。連歌師・宗祇の弟子となり、連歌を学びます。駿河の守護・今川氏に仕え、三条西実隆(さんじょうにし さねたか)や一休和尚などと交流を持ちました。

宗祇の死後、57歳の時、丸子(まりこ)宿吐月峯に庵「柴屋軒(さいおくけん)」を結んで住まいました。その後も生涯のほとんどを旅のうちに過ごし、85歳で亡くなりました。

こゑやけふ はつ蔵山の ほととぎす

時代下って元禄時代。俳人塚本如舟(つかもとじょしゅう)が連歌師・宗長の昔をなつかしんで(240年ほど昔です)、「宗長庵」を築きました。その跡地がここというわけです。

さみだれの空吹おとせ大井川

松尾芭蕉は元禄4年(1691)と元禄7年(1694)、二度の旅で塚本如舟宅に滞在し句を詠んでいます。この句は元禄7年の句です。

五月雨で大井川が増水し、芭蕉は塚本如舟宅に四日間滞在しました。しとしと降りしきる雨。ぼんやり雨に煙る宿場町の景色。そこで芭蕉は、ああ大井川よ、この五月雨の空を吹き落としてくれ。早く晴らしてくれと…さみだれの空吹おとせ大井川。

芭蕉の句碑

駅前から少し行った、島田信用金庫本店前にも芭蕉の句碑があります。


するがの国に入て、

するが地や花橘も茶の匂ひ

元禄7年(1694)の旅といいますから…芭蕉の最後の旅です。東海道を大阪に向かう途中、大井川の川留めにあって、島田で塚本如舟亭に四泊した時に詠んだ句です。

駿河路や花橘も茶のにほひ…駿河路では橘の花の香さえも茶の匂いと混じり合っているなあ。

塚本如舟邸址の碑

すぐそばの静岡銀行島田支店の前にあるのが、塚本如舟の屋敷の跡です。


塚本家は代々「孫兵衛」を名乗り、幕府より島田宿の川庄屋(かわしょうや)に任じられました。川庄屋とは川越を管理する役人のことです。

三代目孫兵衛の時、塚本家の財力がとても大きくなり塚本家は大いに栄えました。その三代目孫兵衛は俳諧をたしなむ人物で塚本如舟と名乗っていました。

元禄4年(1691)松尾芭蕉が島田宿を訪れた時に塚本如舟が接待しました。この時芭蕉48歳如舟51歳。

その後、芭蕉最後の旅となった元禄7年(1694)の旅の途上でも、芭蕉はここ如舟宅を訪れ、いくつかの句を詠んでいます。この時芭蕉は大井川の川留めのため四泊しています。

今日もこのへん塚本という名字が多いらしく…近くに塚本金物店がありました。


大井神社

近藤如舟屋敷跡から少し西に行くと大井神社です。


大井神社。大井川の恵みに感謝し、水害が起こらないことを祈願して立てられた神社です。日本三代奇祭「帯祭り」でも有名です。



お、けっこう賑わってます。楽しげな売店もあって、子供用の遊具もあって、生活に溶け込んでる感じ。ジャラジャラジャラと元気よく鈴の音が鳴り響いてきます。

弥都波能売命(やづはめのみこと)・波邇夜須比売命(はにやすひめのみこと)・天照大命(あまてらすおおみかみ)の三柱の神を祀ります。それぞれ水・土・日(太陽)の女神です。

拝殿左手に「島田の帯祭り大奴像」が建っています。


帯祭りは大井神社で三年に一回行われるお祭りです。25名の奴が、大小の刀の柄に丸帯をかけて、大名行列をなしてひらりひらり舞い踊ります。

ちなみに帯は、その年、島田に嫁に来た新妻のものを借りて使いました。豪勢な帯が必要とされるので、島田にはなかなか嫁の来手がなかったということです。

また帯祭りの際には、鹿島踊りも奉納されます。帯祭り大奴像の左にある三番叟の像がそれです。


大井川川越遺跡

大井神社を後に、西に向かい大井川川越遺を目指します。東海パルプの工場を左に見ながら東海道の旧道に入ります。

箱根八里は馬でも超すが、越すに越されぬ大井川

大井川は東海道の難所でした。軍事上の理由から幕府が橋を架けることを許可せず、また、人足によって担いで川を渡ることも、水量が増した時はできませんでした。場合によっては一か月くらい島田宿に滞在していないといけなかったんですね。宿屋は儲かるし飯屋は儲かる。まして参勤交代で大名行列が越える時は、ものすごく金が動くわけです。こうしたことが島田宿のたいへんな収入源になりました。

見えてきました。大井川川越遺跡です。



川越の仲立ちをした川会所や大井川を越える川越人足が宿った宿が再現してあります。道路両脇の側溝を流れる水音がジャボジャボジャボジャボと、ノンビリした風情を醸し出してます。


ほとんどの建物に実際に入ることができ、川越人足の人形がいたりします。



赤く日焼けして、いい感じです。背後には平連台…あのハシゴ状のものに旅人を載せて渡ったんですね。お尻が痛そうです。


札場…一日の終わりに川札を換金するための施設。


一日の労働を終えた後、ここ札場でチケットにあたる川札を集めて換金し、各人足に分配しました。

大井川川会所跡

しばらく通りを進んで行くと川会所(かわかいしょ)の跡です。


中には大井川の川越に関する資料が展示してあります。川会所とは大井川を越える時の人足の手配・賃金の管理などを行った所です。


大井川を越える旅人は、大井川手前の川会所でチケットである川札(かわふだ)を買って、それを川越する人足に手渡して、あるいは肩に乗り、あるいは蓮台と呼ばれる台に乗って、大井川を渡りました。

川札の値段は毎日変動しました。毎朝、待川越(まちかわごし)という役人が川の深さをはかり、股通し、帯下通し、帯上通し、乳通し、脇通し…と、その日の川の深さによって値段が変わりました。

平連台(れんだい)。


大井川を越える旅人が乗った台です。蓮台の中ではもっともランクの低いものです。単なるハシゴです。お尻が痛くなりそうですね。

大高欄輦台(だいこうらんれんだい)。


こっちはお殿さまが乗ったやつです。さすがに快適そうです。

前の庭には、芭蕉の句碑。


馬かたはしらじしぐれの大井川

大井川のほとりまで、馬方…人や荷物を馬に乗せて運ぶ人夫が、運んでくれたんです。駄賃を払って別れる芭蕉。これから大井川を渡ります。さーーーと時雨が降っている。いいなあ。この時雨の中大井川を渡るのは格別の風情だろう。あの馬方は時雨の中大井川を渡る風情は知らないのだなあと…馬かたはしらじしぐれの大井川。

川会所の隣の川越茶屋で昼はお蕎麦を食べました。なかなか雰囲気のある建物で、大井川の川越をする旅人の気分にひたれました。


朝顔の松公園

大井川川会所跡を後に大井川めがけて歩いていくと、道の左に見えてくるのが朝顔の松公園です。


浄瑠璃「朝顔日記」は、盲目の少女・深雪(みゆき)が恋人阿曾次郎(あそじろう)を追ってさまよう話です。ようやく会えそうになったのに、大井川の川留めにあって、川を渡れない。またも恋人阿曾次郎と引き離されてしまう深雪。

「ああ阿曾次郎さん、私たちは所詮、会えない運命なのね。
ああ私はもう生きていても甲斐がないわ」

深雪は大井川に飛び込もうとしますが、

「早まってはいけません!」

近所の宿屋の主人に引き留められて、

「止めないで。死なせて!」
「いけません!」

その時、深雪は涙の奥に、ぼんやりと何かあらわれてくるのを見た!

「あ、あらっ」

それは、

大井川のほとりにたたずむ松の巨木でした。

「ああ!目が…目が見える!」

という人形浄瑠璃「朝顔日記」の場面にちなんだ、朝顔の松公園です。

爪音は松に聞けとや春の風

巌谷小波(いわやさざなみ)

蓬莱橋(ほうらいばし)

次に蓬莱橋に向かいます。明治12(1879)年竣工。全長897.4メートル。世界最大の木橋としてギネスにも認定されています。明治2(1869)年以降、旧徳川の家臣や、大井川の川越人足たちがこの蓬莱橋の向こうの牧之原に、御茶畑を開墾しました。

しかし島田から牧之原へ行くには大井川を舟で渡らねばならず、たいへん危険でした。そこで牧之原の開墾者たちが資金をつのって建てたのが、この蓬莱橋です。



時代劇の撮影によく使われます。「男はつらいよ」に出てきたのが私はよく印象に残ってます。

寅さんが、長い橋を渡っていく。途中、坊さんとすれ違う。そなた女難の相が出ておるぞ。はい。いつもそれには苦しめられております。そんな場面だったと記憶してます(第22作「噂の寅次郎」)。

風が強い。そして欄干が低いのに驚きます!カンタンに身投げできそうです。


壬申の乱の時の瀬田の唐橋も、こんな感じだったかなァ。脳内で古代の瀬田の唐橋を重ね合わせながら、渡りました。向こう側にはちょっとした売店などがあり、蓬莱橋を渡った記念品を求めることができます。




次回は、日蓮宗総本山・身延山に上ります。お楽しみに。

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白河上皇による院政のはじまりから、保元の乱・平治の乱・
平家一門の繁栄・源平の合戦(治承・寿永の内乱)を経て、
源頼朝が鎌倉に武士の政権を開くまで。

社会が根底からくつがえった大変革の時代にあって、
それまで権力を握っていた貴族にかわって、
武士が、いかに力をのばしていったのか?

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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。