下鴨神社を歩く(ニ)

こんにちは。左大臣光永です。

先日、静岡で「徳川家康の生涯」ということでお話してきました。その後、静岡駅構内の居酒屋で大いに盛り上がりました。台風が迫っていたので早々に京都に戻ってきましたが、楽しいひとときでした。

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■10/27 京都講演「声に出して読む 小倉百人一首」
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本日は「下鴨神社を歩く(ニ)」。前回からのつづきです。

下鴨神社は正式には賀茂御祖(かもみおや)神社。上賀茂神社とあわせて鴨社と呼ばれます。10代崇神天皇の頃から記録に見える、京都で最も古い神社です。

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「下鴨神社を歩く(一)」はこちら
http://sirdaizine.com/travel/Shimogamo01.html

下鴨神社 御手洗池

幣殿

幣殿のむこうに、西御本宮(にしのごほんぐう)と東御本宮(ひがしのごほんぐう)、ほとんど同じ形・大きさの二つの本殿が隣り合って建っています。それら西御本宮・東御本宮を幣殿ごしに参拝するのです。

下鴨神社縁起

西御本宮は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀ります。

『古事記』と『山城国風土記』逸文によると、

賀茂建角身命ははじめ日向高千穂の地に降臨し、神武天皇が熊野から大和に向かう時に八咫烏の姿となって、道案内をしました

神武天皇が大和橿原宮で即位した後は、しばらく葛城山にとどまりました。その後、山背国岡田(木津川沿い)を経て、山背国・賀茂の地に鎮座したと『古事記』と『山城国風土記(逸文)』にあります。

東御本宮は玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀ります。

賀茂建角身命・玉依媛命・賀茂別雷命 系図

玉依媛命は賀茂建角身命の姫神です。ある時、玉依媛命が石川の瀬見の小川(=賀茂川)で水遊びをしていると、上流から丹塗りの矢が流れてきた。

これを持ち帰って寝床近くに置いておくと、妊娠した。そして生まれたのが、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。上賀茂神社で祀られている神様です。

だから下鴨神社の賀茂建角身命と、上賀茂神社の賀茂別雷命は、おじいちゃんと孫の関係です。

賀茂別雷命が成人すると、その祝宴の席で、祖父である賀茂建角身命が言いました。「お前の父と思う者に、酒を飲ませよ」すると、賀茂別雷命は天井をつきやぶって、空に飛んでいった。それで、神の子であったことが知れたという話です。

賀茂建角身命・玉依媛命・賀茂別雷命 系図

ややこしいので系図にまとめました。この系図を頭に入れておくと、下鴨神社・上賀茂神社参拝がより意義深いものに、なるでしょう。

三井神社

御本宮の西に三井神社。

下鴨神社 三井神社

賀茂建角身命の親子を祀ります。中央に賀茂建角身命。右にその妻神・伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)。左に姫神・玉依媛命。親子そろって仲良く団らんしてる感じが伝わってきます。

賀茂建角身命・玉依媛命・賀茂別雷命 系図

大炊殿

三井神社の奥に大炊殿(おおいどの)。神饌(しんせん)…神様にお捧げする食物を調理する所です。

下鴨神社 大炊殿

いわば神様の食事を作るための台所です。竈や、煮炊きに使う器具が展示してあります。

下鴨神社 大炊殿

下鴨神社 大炊殿

表には唐車の復元が展示してあります。上皇・皇后・東宮・親王・摂政・関白が利用したもっとも格式の高い車です。

下鴨神社 大炊殿 唐車

庭は、葵の庭と呼ばれます。下鴨神社の象徴たる双葉葵が群生します。

下鴨神社 葵の庭

下鴨神社 葵の庭

三井神社と大炊殿は特別期間のみ公開しています。

橋殿

楼門の前まで戻り、今度は境内東側を歩きます。

橋殿。

下鴨神社 橋殿

五月に行われる御蔭祭(みかげまつり)で、神宝を安置する所です。古くは天皇上皇の行幸・御幸の際、公卿殿上人の控所でした。

御手洗川・光琳梅・輪橋

御手洗川をわたります。川にかかる輪橋(そりばし)と、尾形光琳が絵に描いた「光琳梅」の組み合わせが、見事な景色を作っています。

下鴨神社 御手洗川

君がため御手洗川を若水に
むすぶや千代の初めなるらむ(源俊頼・後撰和歌集)

あなたのために御手洗川の水を正月はじめの若水として汲んできました。この若水によって、これから千年もの長寿が保てることでしょう。

御手洗川では土用の丑の日に行われる足付け神事、立秋前夜の矢取り神事、葵祭の斎王代の禊の儀が行われます。いずれも、身を清め、邪気をはらう意味合いがあります。

細殿

天皇の行幸・上皇の御幸の際の行在所(臨時の御所)として使われた建物です。

下鴨神社 細殿

細殿の前には御払いをするための解除所(げじょしょ)があります。

下鴨神社 解除所

御手洗池

細殿正面に御手洗池。

下鴨神社 御手洗池

葵祭に先駆ける斎王代禊の儀をはじめ、各種御祓いが行われます。土用の丑の日の足付け神事、立秋の前夜の矢取り神事も有名です。

土用の丑の日が近づくと自然に清水が湧いてくることは京都七不思議の一つに数えられます。御手洗池から湧いてくる泡の形をかたどったのが、みたらし団子です。

井上社

池の奥の井上社は、瀬織津姫(せおりつひめ)を祀ります。

下鴨神社 井上社

井戸の井筒の上に祀られたことから井上社と呼ばれるようになったといいます。ここから水が湧き出し、瀬見の小川・泉川となって流れているのです。

恋せじと御手洗川にせし御禊(みそぎ)
神はうけづぞなりにけらしも(『古今集』読み人知らず・501)

恋する気持ちを止めてくださいと御手洗川で禊をしたのに、神は受け付けてくれなかったなあ。いや増しに増す私の恋心だよ。

馬場

帰りは、瀬見の小川の西・馬場を歩いていきましょう。

下鴨神社 馬場

五月に賀茂の競馬(くらべうま)という行事が行われます。時々、バザーをやります。紅葉の季節はことに景色がすばらしいです。

賀茂斎院歴代斎王神霊社(かものさいいんの・れきだいの・いつきのみやの・みたまの・おやしろ)

歴代35代の「斎王(斎院)」の御霊をお祀りしています。

賀茂斎院歴代斎王神霊社

斎王(斎院)は皇室の未婚の女子(女王・内親王)が下鴨神社・上賀茂神社に仕えたものです。嵯峨天皇皇女・有智子(うちこ)内親王がはじまりで後鳥羽上皇皇女・礼子(れいし・いやこ)内親王まで35代続きました。

斎王のもっとも大きなおつめとが、毎年(陰暦)四月に行われる賀茂祭(葵祭)における奉仕でした。

歴代の「斎院」の中からは選子(せんし・のぶこ)内親王(村上天皇皇女)や百人一首に歌を採られてた式子(しょくし・のりこ)内親王(後白河法皇皇女)など、すぐれた女流歌人も出ました。紫野の斎院の御所には五百人もの役人や女房が仕え、一大サロンの様相を呈していたといいます。

現在は葵祭の時、一般女性から選ばれた「斎王代(さいおうだい)」が祀りの中心をつとめます。

雑太社(さわたしゃ)

神魂命(かんたまのみこと)を祀ります。

下鴨神社 雑太社

明治10年(1877)9月10日、雑太社社前の馬場で、日本初のラグビーの練習が第三高等学校と慶應義塾大学生との間で行われました。神「魂」が「玉」に通じると縁起をかついでのことでした。それを記念して「第一蹴の地」の碑が建っています。

下鴨神社 雑太社 第一蹴の地

二度にわたって下鴨神社を歩きました。鴨川河川敷から糺の森を通って下鴨神社へ。景色の変化も素晴らしいです。京都におこしの際は、ぜひ下鴨神社に参拝してみてください。

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第四回。33番紀友則から48番源重之まで。会場の皆様とご一緒に声を出して歌を読み、解説していきます。百人一首の歌のまつわる名所・旧跡も紹介していきますので観光のヒントにもなります。