鈴ヶ森刑場跡を歩く

こんにちは。左大臣光永です。師走も半ばにならんとする勢いですが、いかがお過ごしでしょうか?

私は今朝起きたら、大田区の鈴ヶ森刑場跡にむしょうに行きなったので、行っていきました。本日はその話です。

その前に、先日再発売しました「百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説CD-ROM」。
http://sirdaizine.com/CD/Ogura100info2.html

すでに多くのお買い上げをいただいております。ありがとうございます!特典の講演録音「平安京 名士・名所案内」は2017年1月10日お申込みまでです。お申込みはお早めにどうぞ!

といわけで本日「左大臣の古典・歴史の名場面 」第725回目は、「鈴ヶ森刑場跡を歩く」です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Suzugamori.mp3


刑場跡って何か心惹かれるものがあるんですよ。鎌倉の龍口刑場跡。南千住の小塚原刑場跡も、私は近くに寄ったら必ず訪れます。

今回歩きます、大田区の鈴ヶ森刑場跡は、由井正雪の乱に加担した、丸橋忠弥や八百屋お七が処刑されたことで有名です。

品川駅~立会川駅

JR品川駅から京急に乗り換えります。

山手線から京急への乗り換えは、いまだに自動改札ではなくて、窓口で職員に直接頼むんですね。このアナログ感がいいですね。

立会川(たちあいがわ)駅で降りて、地図を見てどう行くのかなと考えていると、「どちらに行かれるんですか」おばちゃんが話しかけてきてですね。「あ、刑場跡に…」「ああ鈴ヶ森刑場跡ですね。それは、ここ左入って松屋の前を右に曲がって、あとずーーっとまっすぐ行って」と、丁寧に教えてくださいました。

こっちから聞いたでもなく、むこうから教えてくれる。人情があるな~と思いました。


坂本龍馬像

立会川駅下りてすぐの公園の前に、坂本龍馬像が立っています。


「おっ、なんで坂本龍馬」と思ったら、このあたりは土佐藩の下屋敷があって、坂本龍馬は嘉永六年(1853)黒船が来航した翌年、土佐藩品川下屋敷近くの浜川砲台の警護にあたったんですね。当時20歳の坂本龍馬が志を立てた場所である、ということで颯爽とした龍馬像が立っています。

「土佐者の心意気、メリケンに見せつけてやるぜよ」そんな感じですかね。

浜川砲台跡

鈴ヶ森刑場跡にすぐに行く予定でしたけども、近くにその、坂本龍馬が警護したという浜川砲台跡があるそうなので、案内板に従って行ってみます。


立会川の脇を歩いていきますが…何ですかねこの色は。洗剤ぽいというか…薄緑の。ニオイも強烈で、見なかったことにします。


しばらく歩いていくと正面に坂本龍馬と蒸気船の絵が見えてきました。


港のそばの公園の真ん中に、ありました。土佐藩が作った浜川(はまがわ)砲台の復元されたものです。



大きいですね。ズシッとした感じ。嘉永六年(1853)にペリーが来航して開国を迫りますね。で「来年また来マース」と言って、ペリーはいったん帰っていった…


「大変だ!来年は戦争になるぞ」
「今のうちに軍備を整えるのだ」

ということで、このあたりにも、浜川砲台といって土佐藩によって計八門の大砲が置かれました。当時二十歳であった坂本龍馬も、浜川砲台の警護任務につきました。


他の藩では大砲の実物が無かったためどうやって作るかわからず、丸太を組み合わせて大砲に見せかけたニセモノを作ったこともあったようですが、土佐藩には実物があったので実際に撃てる大砲を作ることができた。だから江戸ッ子に大変評判でした。さすがは土佐藩だ。やることが違うと。

品川のかためのだしのよくきくは
下地もうまくなれし土佐ぶし

品川のかつお節にかけて、品川のかつお節のダシがよくきいているのは、下地がうまくなれた土佐のカツオ節だよということと、品川の固め場(守備陣地)が効果的であったのは、下準備もよく手慣れた、土佐の武士、侍だからだ、ということを掛けて、ほめた句です。

ようは、食い物の話と戦争の話をかけて、土佐武士をほめてる句です。

横から見ると意外と砲身が短いのに驚きました。これで飛ぶのかな。

この浜川砲台を見ていたらですね、公園のベンチで休んでいたおっちゃんが話しかけてきて、これ撃ったらどれくらい飛ぶのかなあ。俺が総理大臣になったら実験してみてえよ、などと話しかけてきました。

やたらと色んな人が話しかけてくる町ではあります。

鈴ヶ森刑場跡

ふたたび駅前の坂本龍馬像の所まで戻って、今度は鈴ヶ森刑場跡を目指して歩いていきます。しばらく第一京浜沿いに歩いていきます。京急の線路と第一京浜がクロスするあたりです。見えてきました。

鈴ヶ森刑場跡です。


鈴ヶ森遺跡

鈴ヶ森刑場は、品川宿の南、東海道沿いに慶安4年(1651)年建てられた幕府の御仕置場で、由井正雪の乱に加担した、丸橋忠弥、徳川吉宗の落胤をかたった天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お熊(浮気相手を殺害しようとして失敗。死罪となる)といった芝居で有名な受刑者が、ここで処刑されました。間口40間、奥行き9間。明治4年(1871)に廃止となりました。

鈴ヶ森遺跡の碑の横には磔台と火炙り台が並んでいます。

磔台

はじめて鈴ヶ森刑場で処刑された丸橋忠屋をはじめとして罪人がこの台の上で処刑されました。


四角い石のまんなかに空いた四角い穴の上に角材を立てて、その角材にしばられて刺殺されたわけです。ゾッとする感じですね。心霊スポットにもなっているわけです。

火炙り台

八百屋お七のように火事を起こした犯人は、この丸い石の真ん中にあいてますね穴が。


ここに柱を立てて、その柱に磔にされて火炙りになった、ということです。

大経寺

鈴ヶ森刑場跡の隣には日蓮宗大経寺(だいきょうじ)があります。


鈴ヶ森刑場で処刑された人々を供養するために建てられたお寺です。が、だいぶ近代化されてキレイな建物ですので、そんなおどろおどろしい感じはないですね。

磐井神社

鈴ヶ森刑場跡を後に、第一京浜に沿って、京急本線・大森海岸駅方面に歩いていきます。京急本線・大森海岸駅をすぎて、もうちょっと行くと、右手にこんもりした銀杏の大木が見えてきました。


磐井神社です。


別名鈴森八幡宮。『江戸名所図会』によると、この社に鈴石という石があって、その石を叩くと鈴のような音がした、ということで鈴ヶ森の地名の起源になった、ということです。


この鈴石は、延暦年間(782-806)に武蔵国国司の石川氏が奉納した神功皇后ゆかりの石で、叩くと鈴のようなキレイな音がした、ということで。あれですかね神功皇后が新羅遠征の帰りに、生まれそうになって、船の中で、うううっとこらえるために、衣の裳に石をくくりつけた、あの言い伝えにある石かと思います。

すぐ背後で、第一京浜のガアーーゴオーーという車の音が強烈に響きますが、その中にも心には静かな落ち着いたものを抱きつつ、参拝してきました。

次回は築地を歩きます。お楽しみに!

発売中です。

百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
http://sirdaizine.com/CD/Ogura100info2.html

百人一首のすべての歌・すべての歌人について
詳しく、楽しく、わかりやすく語ったCD-ROMです。

特典の「平安京 名士・名所案内」は2015年5月に
同志社大学OB会で行った講演の録音です。
2017年1月10日お申込みまでの早期お申込み特典となります。
お早目にどうぞ。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。