薬師寺を歩く
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本日は薬師寺を歩きます。
薬師寺は天武天皇が皇后ウ野讚良(持統天皇)の病気平癒のために発願し、天武天皇の没後、持統天皇が完成させた寺院です。
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薬師寺 大講堂
もとは藤原京にありましたが、平城京遷都に伴い、藤原京から平城京に遷されました。
金堂、大講堂をはじめとする荘厳な伽藍。そびえ立つ薬師寺東塔・西塔(ただし東塔は現在工事中)、薬師寺のお坊さまが語る説明も落語のように面白くて、最高です。
薬師寺 白鳳伽藍
近鉄橿原線西の京駅下車。徒歩3分。
近鉄橿原線西の京駅
見えてきました。薬師寺北受付です(南受付もあり)。
薬師寺北受付
受付~東回廊
受付から順路に従って進んでいきます。
境内に入ると、「新しいな」「キレイに整備されているな」という印象が、まっさきに来ます。
薬師寺 回廊
それもそのはず。薬師寺の建物の多くは昭和~平成にかけて復元されたものです。平城京時代からのものは唯一、東塔のみです。
「寺は古くて苔むしているのがよい」という価値観から言うと、現在の薬師寺のピカピカ感は「うーん」と思うかもしれません。
しかし。作られた当時はどの寺も新しかったんです!もともと古く苔むしていたわけじゃない。そう考えると、現在の薬師寺こそ、創建当時の面影をそのまま伝えているとも言えるわけです。
薬師寺について
薬師寺は法相宗の大本山。天武天皇が天武天皇9年(680)皇后(持統)が病にかかった時、病平癒のために発願した寺です。686年に天武が亡くなった後も、持統天皇によって造営が進められました。
平城京に遷都に伴い、薬師寺は養老2年(718)平城京の右京(現在の位置)に遷されました。以後、南都七大寺(東大寺、興福寺、西大寺、薬師寺、唐招提寺、元興寺、大安寺)の一つとして栄えました。
しかし幾多の災害で伽藍が倒壊・焼失、特に享禄元年(1528)の兵火により大ダメージを受け、創建当時の伽藍は、東塔を残すのみとなりました。
昭和42年から復興事業が始まり、金堂・西塔・中門・回廊・大講堂と復元されていきました。
法相宗とは?
興福寺と薬師寺が法相宗の大本山です。では法相宗とは何か?
法相宗とは南都六宗の一つで唯識思想を学ぶ学派です。唯識…、世界のあらゆることは心で認識することによって存在する、つまり心次第であるという考え方です。
手を打てば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ
女中は茶と聞く 猿沢の池
「手を打つ」という一つの行為も、それを受け止める側によって、鯉はあっ餌だと、鳥はやばい逃げろと、女中はそろそろお茶の時間かしらと、いろいろに受け止めることだよと。だから心の持ちよう次第だよという話です。
目・鼻・舌・肌の五感に加えて、意識、そして意識の下に末那識、さらにその下に阿頼耶識と呼ばれる領域があり、世の中のすべての現象は、各人が持つ阿頼耶識のあらわれだという考え方をします。
東院堂
境内東南隅にたたずむのが東院堂です。
薬師寺 東院堂
養老年間(奈良時代初期)に、吉備内親王(草壁皇子と元明天皇の次女、長屋王の妃)が母である元明天皇の冥福を祈り建立したものです。入母屋造本瓦葺。鎌倉時代の再建です。本尊聖観音菩薩像を収めた厨子を中心に、四天王像が取り囲みます。
薬師寺 回廊
中門
中門に来ました。
薬師寺 中門
昭和59年(1984)の再建。左右にそびえるニ天王像は平成3年(1991)の再建です。
薬師寺 中門 ニ天王像
薬師寺 中門 ニ天王像
中門ごしに西塔が、中門の向うに、金堂が見えています。くぐります。
東塔
正面が金堂。
薬師寺 金堂
金堂右が東塔です。東塔は薬師寺で唯一の、平城京における創建時そのままの建物です。
薬師寺 東塔
しかし現在解体工事中で、覆屋で覆われています。平成32年春の完成予定です。
六重塔に見えますが、実は三重塔です。それぞれの階に裳階(もこし)と呼ばれるスカートのような張り出しがついているので、一見、六重塔に見えるわけです。
この造形が全体として変化と調和を生み出し、アメリカ人の東洋美術史家・フェノロサは「凍れる音楽」と評しました。
屋根の上にピンと立っているのが相輪。相輪の先にある造形物を水煙といいます。水の力で火事を防ぐという、一種のまじないです。水煙は四枚の銅板からなり、24体の飛天が浮き彫りにしてあります。
西塔
西塔は享禄元年(1528)の兵火で焼失し、昭和56年に復元されました。
薬師寺 西塔
この時、450年ぶりに東塔・西塔が並び立って蘇りました。
薬師寺 中門・東塔・西塔・金堂の模型
金堂
金堂。薬師寺の中心となる建物です。
薬師寺 金堂
屋根の両端に金色の鵄尾が映えます。享禄元年(1528)の兵火で焼失。昭和51年(1976)に再建されたものです。堂内の須弥壇の中央には本尊薬師如来像、向かって右に日光菩薩像、左に月光(がっこう)菩薩像。
薬師寺のお坊さまが、楽しく面白く、薬師寺や御本尊の由来を語ってくれます。落語のように面白いです。修学旅行で聴いたという方も多いでしょう。あの坊さまの語りを聴けるだけでも、薬師寺に行く甲斐があると思います。
大講堂
大講堂。薬師寺最大の建物です。
薬師寺 大講堂
平成15年の完成をもって、往時の薬師寺の姿がすっかり復元されました。ゆったりカーブした屋根、屋根の両端に金色に輝く鵄尾。白壁と朱塗りの柱のコントラストは白鳳建築の特徴を示します。堂内には弥勒三尊像を安置し、日本最大の仏足石(ぶっそくせき。釈迦の足跡を石に刻んだもの)、釈迦十大弟子像(中村晋也作)も見どころです。
食堂
大講堂の北が食堂(じきどう)です。
薬師寺 食堂
もともと僧が食事するための建物でした。食堂の規模としては東大寺・大安寺につぐものです。堂内には御本尊の「阿弥陀三尊浄土図」と全長50メートルの壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が安置されています。
では入り口まで引き返して道路を渡り、玄奘三蔵院伽藍に向います。
薬師寺 玄奘三蔵院伽藍
玄奘三蔵院伽藍は法相宗の祖・玄奘を記念して平成3年に建立されました。玄奘三蔵は『西遊記』で有名ですね。中国唐の時代、インドに渡り、17年間、勉学に励み、帰国後は仏典の翻訳に一生を捧げました。その冊数1335巻。
玄奘塔
回廊の脇から中に入ると、玄奘塔。
薬師寺 玄奘塔
玄奘三蔵のお骨(舎利)と玄奘三蔵訳経像(経典を翻訳している所を像にしたもの)を安置します。
大唐西域壁画殿
玄奘塔の北の大唐西域壁画殿には、平山郁夫(ひらやま いくお)氏の手による壁画が展示してあります。玄奘三蔵がたどったネパールなどの景色が描かれ、玄奘三蔵の志をしのぶことができます。
本日は薬師寺を歩きました。真新しい現在の薬師寺に、創建時の(奈良時代の)薬師寺を思い描きながら歩くのは楽しいものです。
次回は唐招提寺を歩きます。お楽しみに。
次の旅「唐招提寺を歩く」