靖國神社を歩く

こんにちは。左大臣光永です。だいぶ梅も咲いてきましたが、いかがお過ごしでしょうか?

私はamazonのプライムビデオで、連日『男はつらいよ』みまくってます。いや~面白い。面白すぎます。「今のセリフよかった!もう一回」「今のヒロシの表情がいい!もう一回」とか、私は何度もリピートしながらみるんで、2時間の映画が何時間かかっても終わりません。

『男はつらいよ』子供の頃は、何となく古臭くてダサい作品だと思ってたんですが、子供の浅はかな判断を、今恥じております。

さて本日は、靖國神社を訪ねます。


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靖國神社は幕末の動乱や戊辰戦争で命を落とした人々の御霊を祀るために、明治2年(1869)明治天皇によって創建されました。

はじめ東京招魂社といいましたが、明治12年(1879)靖國神社と改名しました。嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰戦争、西南戦争、日清日露、満州事変、シナ事変、大東亜戦争などの国難で命を落とした人々246万6000余柱が祀られています。

九段坂

東京メトロ半蔵門線・もしくは東西線・もしくは都営新宿線の九段下駅で降ります。

地下鉄の出口を出ると、葛飾北斎の絵にも描かれた九段坂です。


江戸時代、九段坂上は月見の名所としても知られていました。『新選東京名所図絵』によると、もとは平らな坂だったが、九段の石段があったことから、九段坂、といった、ということです。

左に武道館と北の丸公園を見ながら進んでいくと、


靖國神社

第一鳥居

すぐに靖國神社の第一鳥居です。


でかっ…やや赤さびいて風格があります。大正10年(1921)日本一の大鳥居として建てられました。「空を突くよな大鳥居」と歌われています(『九段の母』)。

一時、老朽化により撤去されていましたが、昭和49年(1974)再建されました。対応年数1200年。すごいですね。

靖國神社について

靖國神社は幕末の動乱や戊辰戦争で命を落とした人々の御霊を祀るために、明治2年(1869)明治天皇によって創建されました。


はじめ東京招魂社といいましたが、明治12年(1879)靖國神社と改名しました。靖國は、『春秋左氏伝』の「国を靖らけくする」に基づきます。明治天皇の御製が靖國神社創建の理念をよく語っています。

我國の為をつくせる人々の
名もむさし野にとむる玉かき

祀られている御霊は、嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰戦争、西南戦争、日清日露、満州事変、シナ事変、大東亜戦争などで命を落とした人々246万6000余柱に及びます。

大村益次郎像

第一鳥居の向こうに、スッとそびえる銅像が見えます。


左右に立ち並ぶ石燈篭の中を歩いていくと、すぐにたどりつきます。大村益次郎像です。


日本初の西洋式銅像で、樋口一葉の『よもぎふ日記』の中にもその落成式のことが出てきます。

大村益次郎(1824-1869)。

「明治陸軍の父」といわれ、司馬遼太郎の小説『花神』にも主人公として描かれました。

はじめ村田蔵六、後に大村益次郎と改めます。周防の国の医者の家に生まれ、緒方洪庵の適塾に学び、はじめ宇和島藩に出仕。後に萩藩に迎えられます。慶応2年(1866)第二次長州征伐では数に10倍する幕府軍をコテンパンに打ちのめし、明治元年(1868)上野の彰義隊の戦争、戊辰戦争でも新政府軍を勝利に導きます。

明治2年(1869)明治新政府の兵部大輔(軍事部門責任者)となり、軍制改革に乗り出します。近代化された明治陸軍を創設し、靖國神社の前身である東京招魂社を九段坂上に建てることを決定しましたが、同年、京都で保守派に襲撃され、大阪で命を落としました。

この像は上野戦争の時に、江戸城の富士見櫓から、北東の上野にこもる彰義隊をうかがっている姿です。よく見ると左手に双眼鏡を持っていますね。なかなか背中も凛々しくてカッコいいです。


新政府軍の中でも西郷隆盛とはそりがあわなかったようで、西郷は背く、西郷は背くと言い続け、大村益次郎は明治二年、京都で保守派の襲撃を受けて大阪で亡くなりますが、その後、明治10年(1877)西郷隆盛は実際に明治政府に反乱を起こしたことは、周知の通りです。

そのせいか、靖國神社の大村益次郎像と、上野公園の西郷隆盛像は向かい合うように立っています。

大村益次郎と上野戦争についてはこちらのurlで音声つきで解説しています。ぜひ聴いてみてください。
http://history.kaisetsuvoice.com/Syogitai.html

第二鳥居

大村益次郎像を通り越すと、第二鳥居までの道がスコーーンとまっすぐな道が続きます。第二鳥居の向こうには神門が、さらに神門の向こうに中門鳥居と拝殿が、まっすぐ見渡せます。

道路一本渡ってそこが第二鳥居です。


青銅製の鳥居としては日本最大のものです。そして、柱部分をよく見ると…継ぎ目がまったく無い!明治20年(1887)当時の最新技術で作られました。

大燈篭

第二鳥居の手前左右には、日本一大きな花崗岩の燈篭がそびえます。



土台(基壇)には、日清戦争から満州事変まで、各七面ずつ、日本軍の戦った主要な戦いの場面がレリーフとなっています。右が海軍、左が陸軍のものです。



大手水舎(おおてみずしゃ)

左手に大手水舎(おおてみずしゃ)。ここで手を洗い口をすすぎます。花崗岩で作られたドッシリした水盤です。


鳩がちくちく水飲んでるのが、ほほえましかったです。


神門

神門です。左右の扉にドーンと、菊の御紋章が掲げられています。直径1.5メートル。かなり巨大感あります。一礼して、入ります。



白鳩

境内パアーーッと開けた感じです。白い鳩がいっぱいいますね…。


白い鳩は自然には一万羽に一羽しか生まれないらしいですが、これは靖國神社に奉納するために、特別に育てたということです。昭和48年、白鳩の会によって御祭神をお慰めするために放たれました。


ははぁ…木の上にもいっぱいとまってますね。クークークークーの声が時雨のようです。

青銅大燈篭

神門左右には青銅大燈篭が立ちます。


土台部分には中国の神獣のレリーフ。やわらなに反り返った屋根。渋い色合い。西南戦争で犠牲になった警察官を慰霊するために建てられたものです。

中門鳥居

中門鳥居です。ケヤキづくりの鳥居です。埼玉秩父の三峯神社から奉納された樹齢500年のケヤキが使われています。



社頭掲示板

中門鳥居の左脇には、社頭掲示板があります。戦場に赴いた英霊の方々の、手紙や御遺書が掲げられています。今月は二月ですから、豆まきの話が出ています。謹んで、敬意を表しつつ、読ませていただきます。

豆まきの絵ありがとう

海軍大尉 高橋武男命

昭和二十年五月八日
フイリピンルソン島にて戦病死
千葉県香取郡神代村出身 四十四歳

佐衛子 お手紙と豆まきの絵ありがたう よくかけて居ります
みんなげんきでやつて居るところが よく分かるやうです
お父さんはよろこんで居ります
たてやまはまだたいへんさむいさうですね それでもだれもかぜを
ひいた人もなく みんなげんきでよいです
お父さんもげんきではたらいて居ります
せつぶんの豆は お父さんにおくつてくれなくてもよいです。
お父さんは おふねでせつぶんの豆を食べました
ぐんかんには お豆もお正月のおもちもあります
みんなおりこうさんなので お父さんはほんとうにうれしく
おもつて居ります
これからもよくおべんきゃうをして よくおべんきゃうが
できるやうになりなさい
お母さんのいふことをよくきくと ふゆやすみにいなかにつれて
ゆくさうです よくおべんきょうをして みんないなかへつれて
いつてもらひなさい
さむくなるから かぜをひかないやうにきをつけなさい
お父さんもピンピンして げんきではたらいて居ります

お父さんより

佐衛子へ

(靖國神社社務所 平成二十九年二月 拝殿・社頭掲示)

拝殿

中門鳥居をくぐって正面が拝殿です。


皇室の菊の御紋が四つ掲げられています。拝殿を通して向こうに見る本殿には、神主さんや巫女さんが忙しく立ち働いている姿が確認できました。しっかり参拝しましょう。

招魂斎庭

拝殿左奥の、駐車場の奥に、招魂斎庭(しょうこんさいてい)があります。


靖國神社に英霊を合祀するにさきがけて、その前夜に御霊をお招きする場所です。ここに、まず亡くなった方の御霊をお招きして、翌日、靖國神社の本殿に合祀するわけですね。

神池庭園

拝殿裏手には神池庭園があります。


明治のはじめに作られ、平成になってから復元された回遊式庭園です。高層ビルに見下ろされて日本庭園があるのも面白い感じですね。


たいへん風が強くて水面のさざなみがさーーと激しく揺れて、日光がキラキラ反射してまぶしかったです。寒い…池の鯉たちも寄り添って、寒そうでした。

遊就舘

遊就舘です。英霊の方々の御遺品や御遺書、また大東亜戦争中の実物の兵器が展示してあります。


すでに外からゼロ戦の姿が見えています。大昔学生時代入ったなあと思い出しつつ…

三菱零式艦上戦闘機五二(ゴニ)型A6M5。いわゆるゼロ戦です。



C56型31号機関車。


タイとビルマの間の泰緬鉄道を走っていたもので、戦後はタイの国有鉄道で使用され、昭和52年に引退したが、昭和54年(1979)靖國神社に奉納されました。

八九式十五糎(センチ)加農砲。


沖縄戦において活躍し、戦後、洞窟陣地から発見され、沖縄の米軍博物館に、復帰後は那覇の陸上自衛隊で展示されていた。

九六式十五糎(センチ)榴弾砲。


こちらも沖縄戦で戦ったものの実物です。戦後は米軍に回収され、沖縄の在郷軍人クラブに展示されていたが、昭和41年、靖國神社に奉納されました。

展示用にベッタベタに塗料で塗り固められていますが、実物です。砲身の傷跡が…生々しいですね。


二階が有料常設展示室です。

古代から近代に至る、軍事関係の展示物が多く展示してあります。ものすごく大量にあるので、頭も、心も、ヘトヘトに疲れます。

特に日清・日露・大東亜戦争関係の資料がとても豊富です。残念だったのは、予習がじゅうぶんで無かったことです。あらかじめ一冊参考書を買って、日清・日露・大東亜戦争について頭の中にまとめてから、行ったほうがいいと思います。そうしたほうがずっと吸収できるものが多いです。

人間魚雷の回天。97式戦車。人間爆弾・桜花。…ああ、これに乗って特攻したのかと、胸に迫るものがありました。

最後のほうの展示室に、大東亜戦争で亡くなった方々の遺影が、ワアーーッと、壁一面に掲げてあるんですね。ワアーッとこみ上げました。人の想いというものが、ものすごい波となって、迫ってくる感じ。

涙がこみ上げましたね。特攻隊員の遺書なんかも展示してあるんですが、もう写真だけで、文章まではつらくて、読めませんでした。

しかも若い人ばっかりですからね。ああ…この人たち生きていたら、立派な仕事をした人もいただろうし、立派でない事をした人もいただろうし、面白いことやった人もいたろうなと思うと、たまらない気持ちになりました。

遊就舘前庭

遊就舘の前庭には、さまざまなモニュメントがあります。こういうのは、いいですね。歴史を覚えるよすがになります。

「戦没馬慰霊像」、戦場で亡くなった馬を祀ったものです。


「軍犬慰霊像」、同じく戦場で倒れた軍用犬を記念したものです。


「鳩魂塔」、戦争中に活躍した伝書鳩を祀ります。


「母の像」、戦争未亡人への敬意をこめています。


「特攻勇士の像」、特攻隊に志願し、散華した教え子への哀悼をこめた像です。


パール博士の顕彰碑

中でも特に注目したいのが、パール博士の顕彰碑です。


パール判事は、昭和21年(1946)の極東国際軍事裁判(東京裁判)のインド代表で、唯一、全員無罪である。こんな裁判は無効だよと主張された方です。そして11人の裁判官の中で、唯一、国際法の専門家でした。

極東国際軍事裁判(東京裁判)は、昭和21年(1946)から東京で行われた日本の戦争指導者に対する裁判です。

28名がA級戦犯容疑者として起訴され、昭和23年(1948)、東条英機以下、7名が絞首刑16名終身禁固となりました。

しかし、この東京裁判の適法性については、今日まで議論が続き、決着がついていません。

二つ問題があります。

一つは、いわゆるA級戦犯とされた人たちが、罪を犯したという戦争中の時点において、存在しなかった罪によって裁いているということ。

戦争終結間際の昭和20年(1945)8月8日のロンドン協定で決められた「平和に対する罪」によって有罪となり、A級戦犯というものが生まれたわけです。

これは「法の不遡及(ふそきゅう)」…法律が制定される以前に犯した罪を、その後から作った事後法によって裁いてはならないという法の原則に、明らかに反しています。

そしてもう一つの問題は、「連合国側の罪がまったく問われなかった」ことです。原爆落としておいて、民間人20万人虐殺して、平和に対する罪云々言うんだったら、アメリカの指導者がまっさきに処罰されるべきですよね。誰の目にも明らかです。

しかし連合国側の原爆とか、捕虜虐待についての罪はまったく追及されなかった。完全に公平さを欠いた裁判でした。これが第二の問題。

こういうことをパール判事はすべて見抜き、こういう裁判は認められないよ、こんなん茶番ですよ。この被告たちを罪に問うことはできませんよと、

当たり前のことを、当然のことを、ちゃんと言ってくれた方です。

意見書の終わりを、パール判事はこう結んでいます。

時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう

ラダ・ビノート・パール

いわゆる「A級戦犯」として処刑された七名の御霊も、ここ靖国神社に祀られています。しかし、いまだに「A級戦犯」呼ばわりされ、その名誉と人権は今日に至るまで回復されていません。

外苑休憩所 靖國うどん

帰り際、参道右手の「外苑休憩所」に寄りました。


手前と奥と二つの建物を廂でつないだ形です。奥のほうのお店で、靖國うどんを頼みました。



やたら黄色いものが載ってます。なんすかこれは?錦糸卵です。またゼンマイだかワラビが入ってるのも、体にいい感じでした。