なぜ今、飛鳥・奈良か?

こんにちは。左大臣光永です。

大変な時期ですね。

東京都だけでも感染者は一日90人に迫っています。

すぐに三桁を超すでしょう。

検査をしぼりにしぼった上での、この数字ですので…

実際には十倍はいると思います。

それでも政府はグズグズと非常事態宣言を出ししぶり、

あいかわらず、隠蔽工作にだけは熱心です。

これからどうなってしまうのか?

戦々恐々としておられる方も多いと思います。私もそうです。

京都も、人が少なくなりました。

閑散としてます。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

https://roudokus.com/mp3/AsukaNara05.mp3

これから日本がどうなっていくのか?

壊滅するのか?

立て直すのか?

誰にもわかりません。

どんな「専門家」でも、知識人でも、

先のことはわかりません。

しかし我々は過去について学ぶことができる、歴史に学ぶことができる。

人間が動物と違うところです。

慶応3年(1867年)に大政奉還で、徳川の時代が終わった。

その事実は誰でも知っていますし、調べられます。

そこから逆算して、じゃあ何がいけなかったのか?

どうして滅んだのか?

どうやっていたらよかったのか?

なぜ?

なぜ?

なぜ?と

追求し、考えることができます。

もちろん、歴史を学んだからといって、それが直接的に、未来を予測することにはつながりません。

けれども、今起こっている国難とも言うべき、たいへんな事態は、現在だけに特殊なことではなく、人類は何度も何度もこうした危機に直面し、そのたびに乗り越えてきた、その歴史を知ることは、けしてムダではないはずです。

飛鳥時代・奈良時代

というわけで今回は飛鳥時代・奈良時代についての解説音声のご案内です。

飛鳥時代、奈良時代というと…

何となくおとぎ話めいた、現実から遠い、ロマンに彩られた世界をイメージされる方が多いと思います。

春すぎて 夏来るらし しろたえの 衣干したり 天の香久山

という持統天皇の歌や、

茜さす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る

という額田王の歌に代表されるように、万葉の美しい響きが、ただよいます。

また現在、飛鳥(奈良県明日香村)を歩けば、古代の巨石群、石舞台古墳、亀石、

そして美しい飛鳥川の流れ。甘樫丘。大和三山の優雅な眺め…


耳成山

どれもこれもおとぎ話めいて、いかにも心おだやかな、日本人の心のふるさとというような、

悲惨さを伴った現実の歴史というよりも、美しい夢のような、おとぎ話のような世界として飛鳥時代、奈良時代をイメージされている方も多いのではないでしょうか。

しかし飛鳥時代も奈良時代も、けしておとぎ話の世界ではありません。

法隆寺釈迦三尊像の背面を見ると(実際には見れませんが)、聖徳太子の亡くなったことを悼んでこの像が造られたことが記され、平城京の役人たちが会議のあいまに、タイクツだなーとか思いながらちょろちょろっと描いたとおぼしきラクガキが発見されており、

聖武上皇が、孝謙女帝が、東大寺の大仏開眼供養式典の時につかった冠、木沓、装飾品なども、ほぼ完全な形で残っています。

飛鳥時代・奈良時代はけして「おとぎ話」の世界ではなく、リアルな、生きた人間の活動があり、生身の人間の、喜びや悲しみが、たしかに、あったんです。

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天智天皇の国防意識

天智天皇(中大兄皇子)の時代、

日本は663年、白村江の戦いにおいて、唐と新羅の連合軍に破れました。

日本が負けたことで、唐・新羅の連合軍が、日本に攻め込んでくる危機感が、一気に高まります。

「たいへんだ!戦になる!」

そこで天智天皇のもと、さまざな軍事事業が進められました。

渡来人技術者の指導のもと、瀬戸内海沿岸に朝鮮式山城を築き、北九州沿岸に防人という沿岸警備隊を置き、南の護りの要として大宰府を設置しました。大宰府のそばには水城という堀と防塁、大野城という出城を築きました。


大宰府政庁跡


水城跡

天智天皇のこうした一連の政策は

「唐・新羅が攻めてくる」

という危機感の中、それに対する手立てとして行われたことです。

しかし、よくよく史書を読んでみると、白村江の戦いの後、すぐに唐・新羅と講和が成立して捕虜交換も行われています。戦争の危機は去っていました。あわてる必要など、なかったんです。

にも関わらず天智天皇は、朝鮮式山城を築き、防人を置き、大宰府を設置し、水城・大野城を築くという、大・軍事事業をおし進めました。

それによって辛く苦しい思いをした者も多々ありました。

防人に 行くは誰が背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思ひもせで

防人に行くあの人は誰の夫かしらと他人事のようにきいている人を見ていると、うらやましい。あんな気楽に、物思いもしないで。

防人やその家族の悲しみ苦しみは、万葉集の「防人の歌」に生々しくつづられ、今日なお読む者の胸を打ちます。

なぜ天智天皇はこういうことをしたのか?

さしあたって戦争の心配はなかったのに。

なぜ朝鮮式山城を築き、防人を置き、大宰府を設置し、水城・大野城を築き、多くの人を苦しめてまで軍事事業を行ったのか?

これは、「わからない」としか言いようがないんですが…

私はこう思います。

国防を高めること自体が目的だったのではないかと。

国防を高めること自体が目的だったのではないかと。

平和な時は、誰もがボンヤリして動かない。

尻を叩いても動かない。

だからこそ、目前にあった唐・新羅からの侵略という危機的状況を利用して、天智天皇は国防を高めたのだと思います。

「なんてヒドい!」

「じゃあ天智天皇は軍国主義者じゃないか!」

「平和が一番だ。戦争反対!」

という見方もあるかもしれない。

防人に駆り出された人々にしてみれば、怒り狂って引き裂きたくなるような話でしょう。

しかし、天智天皇がやったことは全くのムダで、無意味なことだったのか?

そうでは、ないんですよ。

天智天皇の時代から約350年後、「刀伊の入寇」という事件が起こりました。

平安時代中期、藤原道長の時代です。

満州から侵略してきたんですね。

壱岐・対馬の住民が虐殺されて、賊徒は博多に上陸して、大宰府まで迫っておりました。

藤原道長はじめ都の貴族たちが、優雅に歌詠んだりして、この世の春を謳歌していた時に、そういうことが起こったんです。

時の為政者であった藤原道長は、事後報告を受けたのみで、何も知りませんでした。

この未曾有の国難の中、最前線で大いに活躍したのが、道長の甥に当たる、大宰権帥・藤原隆家です。

(清少納言がお仕えした藤原定子のお兄さんです)

藤原隆家は九州じゅうの豪族をかき集めて、共同戦線を張って、大宰府の手前で敵軍を破り、追い払っいました。中央政府からは何の助けもないのに。この時、大宰府や大野城や水城といった、天智天皇が築いた軍事施設が、大いに役立ったと思われます。

350年も経って、天智天皇が行った軍事事業が、日本を守ったわけです。


天智天皇 山科陵

こういうふうに、はるかに先を見越して、平時においてこそ危機にそなえるのが、政治であり国防です。その場その場に後手後手で対応するのは、違うわけです。

もちろん天智天皇とて、350年も先の外国からの侵略を「予測」していたわけではないでしょう。

しかし平時においてこそ国防を高め、最悪の事態にそなえるという姿勢だったからこそ、ずっと後の世に役に立ったわけです。

目前に危機が迫っている。ウイルスが蔓延しているというギリギリの段階になって、

どうしよう。

とりあえずマスク2枚配っとけ。

こういうのを、バカというんです。

奈良の大仏

奈良時代。

聖武天皇は大仏を建立しました。

天平15年(743)大仏造営の詔を下して、のべ9年の歳月を費やして、天平勝宝4年(752)東大寺大仏殿で開眼供養式典が行われました。

駆り出された述べ人数260万人。当時の人口は600万人程度と推定されるので、人口の半数近くが駆り出された計算です。銅450トンを使い、大仏と大仏殿をあわせた造営費は数千億円にのぼりました。

国家予算が潤沢に余っているならまだしも、餓死者や浮浪者があふれている中、こういうことが行なわれたのです。大変な話です。

聖武天皇の大仏建立はいいことだったのか?悪いことだったのか?

一言ではいえない問題です。

ただ少なくとも聖武天皇が生きた時代のみに限って言えば、失敗だったと、私は思います。

庶民の暮らしは大打撃を受けました。平城京には浮浪者や貧困農民があふれました。金メッキを定着させるのに水銀を使いますから、水銀中毒で亡くなった人も多いと思われます。

じゃあ大仏はロクでもないものだったのか?

最初からやらなかったほうがマシだったのか?

聖武天皇は最低の、暗愚な君主だったのか?

私はけしてそうは思わないです。

そんなに大仏がヒドい、ロクでもないものだったら、聖武天皇が亡くなった時点で怒り狂った庶民が東大寺に押し寄せて、よくも俺たちをイジめやがったな!こんなロクでもないもん造らせやがって!と東大寺の大仏を叩き壊すくらいのことを、やったんじゃないでしょうか。

しかしそんな記録は一切ありません。

そればかりか、大仏は二度の火災にあって、そのたびに再建されています。

一度目は源平合戦のとき、平重衡の焼き討ち、二度目は戦国時代。三好松永の紛争で戦火に焼かれました。特に、源平合戦の時はあまりの熱さで、大仏の銅がぐわーーっと溶けて、頭が崩れて流れ出したというこです。

けれども、源平合戦の焼き討ちも、戦国時代の兵火で焼けた時も、どちらも再建され現在に至ります。

これって大仏が大切にされてきたってことでしょう。

聖武天皇はただ暗愚なだけの君主とはいえないと思います。

今なお世界中の人が大仏をしたって東大寺を訪れています。

聖武天皇が生きた天平時代に限っていえば挫折だったかもしれないけれど、千年以上へだてた今でも、民の心を一つにするという聖武天皇の志が、願いが生き続けていることは、感動を禁じえません。

桓武天皇 軍事と造作

平安京に遷都した桓武天皇。その治世には、2つの課題がありました。

「軍事」と「造作」です。

「造作」とは、平安京の造営事業のこと。

そして「軍事」とは、東北地方の蝦夷との、先代の光仁天皇からのべ38年間にわたる戦争のことです。

桓武天皇は平安京の造営と並行して、異民族・蝦夷との対外戦争を進めていったんですね。

三度にわたる遠征の末に、蝦夷の首領アテルイは降伏し、平安京に連行され、処刑されました。


清水寺 アテルイ・モレの顕彰碑

勝利はしましたが、政府にとっても、民衆にとっても、ダメージの大きい戦いでした。

長岡京、平安京という二度の都造りと蝦夷との長期にわたる戦争で、農民は疲弊しきっていました。国家から支給された口分田を手放し、宿無しになる者が多く出ました。税収は減るわ、治安は悪くなるわで、大問題です。

桓武天皇は晩年、病にかかります。罪人を赦免したり、恩赦をほどこしました。遣唐使帰りの最澄に密教の修法(すほう)を行わせました。しかし、ききめはありませんでした。

桓武天皇は臣下を内裏に招き、議論させます。

どうやれば民はすみやすくなるのか、

なにが良くなかったのかと。

これに対して臣下が答えます。

「今問題なのは軍事と造作です。これをやめれば、天下の人々は住みやすくなります」。

軍事とは先帝光仁天皇の時代から続いている蝦夷との戦い。造作とは平安京の都づくりのこと。

「そうだな。たしかにそのとおりだ」

桓武天皇はこの厳しい意見を容れました。

つまり晩年になって、自分が行ってきた事業の間違いであったことを、認めたわけです。

私はここに、桓武天皇の帝王としての器の大きさを感じずにはいられません。


桓武天皇 柏原陵

ほどなく蝦夷との戦いは終わり、平安京の都づくりを行った造宮省が廃止され、都づくりは終了しました。

死の近いことを悟った桓武天皇は自らの非を認め、次の世代に課題をたくそうと考えたのでしょう。

こうしたことを見るにつけ、飛鳥~奈良~平安に至る古代史の流れが、けして、現在と断絶した、遠いおとぎ話の世界ではなく、現在の日本人にまで脈々と、その志がつながっていることを実感するのです。

本製品は

飛鳥時代~奈良時代にかけての歴史や人物について解説した解説音声とテキストです。メディアはDVD-ROMです。

第一部「飛鳥時代篇」は、蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱まで。

第二部「奈良時代篇」は、長屋王の変・聖武天皇の大仏建立・鑑真和尚の来日・藤原仲麻呂の乱・桓武天皇の即位から長岡京遷都の直前まで。

教科書で昔ならった、あの出来事。あの人物。ばらばらだった知識が、すっと一本の線でつながります。

「飛鳥・奈良」収録内容

01 継体天皇の倭入り
02 磐井の乱
03 仏教の伝来
04 蘇我・物部の争い
05 蘇我馬子の野望
06 推古天皇
07 遣隋使
08 冠位十二階と憲法十七条
09 舒明天皇
10 蘇我氏の「専横」
11 中大兄皇子と中臣鎌足
12 乙巳の変(645年)
13 大化の改新(645年)
14 蘇我倉山田石川麻呂の粛清(649年)
15 有馬皇子の変(658年)
16 阿倍比羅夫の蝦夷征伐(658年)
17 斉明天皇の遠征(661年)
18 白村江の戦い(663年)
19 大津京遷都と天智天皇即位(667年)
20 大海人皇子の吉野降り(671年)
21 壬申の乱(672年)
22 天武天皇(673年)
23 持統天皇(690年)
24 藤原京(694年)
25 藤原不比等と平城京遷都(710年)
26 元明天皇と平城京遷都(710年)
27 『古事記』と『日本書紀』
28 大伴旅人と隼人の乱(720年)
29 長屋王の変(729年)
30 天然痘の流行と藤原四兄弟の死(737年)
31 藤原広嗣の乱(740年)
32 四度の遷都(740~745年)
33 三世一身の法と墾田永年私財法(723、743年)
34 民衆を導く行基
35 大仏建立(752年)
36 鑑真の来日
37 孝謙天皇と藤原仲麻呂(749年)
38 橘奈良麻呂の変(757年)
39 藤原仲麻呂の乱(764年)
40 宇佐八幡宮信託事件(769年)
41 光仁天皇~天武系から天智系へ(770年)
42 『万葉集』の成立

収録時間:約5.7時間

全5.7時間。

長いです!

そして私の語りは、とてもしつこいので、聞いていると、脳みその中がトコトン、歴史づけになります。脳髄にまで歴史がしみこみます。つきっきりで聴いてくださる必要はありません。ながら聞きでいいんです。ネットでダラダラ遊びながら、スマホでゲームしながらでも聴いてください。

特にいま、自粛、自粛のこの時期だからこそ、部屋に引きこもって、ネットサーフィンやりながら、片手間で聴いてくださってもいいんです。それでもじゅうぶんに、イヤというほど、ドバドバと歴史知識が脳みそに注ぎこれますので!

現在、こういう大変な時期だからこそ、

歴史を学び、過去に学び、どうやって日本人は先人たちは危機を乗り越えてきたのか?そのことに励まされ、元気づけられ、考えさせられる。そのきっかけにしてください。

テキストには、必要に応じて系図や図解・地図などを加えました。特に戦争の場面や、複雑な人間関係などは、地図や系図を見ながら聴いていただくことで、理解がしやすくなっています。音声だけではわかりにくい話も、図を見ながら聴くとずっとわかりやすくなるはずです。


※メディアはパソコン用DVD-ROMです。音楽用CDプレイヤーでは再生できませんので、くれぐれもご注意ください。

価格:3000円(税込)






もしくはメルマガに直接返信してください。件名はそのままで、お名前とご住所を書いて直接返信してください。折り返し、お支払方法をお送りします。

≫「飛鳥・奈良」+「平安京と藤原氏の繁栄」セットでお申込みはこちら(5500円)

額田王の歌 解説音声

そして早期お申込み特典です。

5月15日までにお申込みの方へ。「解説音声 額田王の歌」をお送りします。『万葉集』を代表する女流歌人・額田王。

船団を率いて遠征の途中、さあ、潮の流れもよくなってきました。今こそ漕ぎ出しましょうと全軍を鼓舞する歌(熟田津に船乗りせむと月待てば、潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな)。

茜さす紫の野で、誘いをかける大海人皇子に「あなた、見られたらまずいです。私は今は人妻なのですよ…」とたしなめている歌(茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る)。

額田王の歌は時に雄大に、時に繊細に、優雅に、そして全体を鋭い知性が包み、今なお多くの人の心をとらえてやみません。

はじめ大海人皇子に愛され、後に天智天皇に愛された。絶世の美女であった…とも言われますが、詳しい経歴はほとんど不明で、むしろその謎に包まれた所が、後世の人のロマンをかきたててやみません。

この解説音声は、額田王の歌九首をわかりやすく解説したものです。約25分です。

収録内容

秋の野のみ草刈り葺き宿れりし…
熟田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば…
茜さす紫野行き標野行き…
君待つと吾が恋ひ居ればわが屋戸の…
味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし…
冬ごもり 春さり来れば…
古に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)…
み吉野の玉松が枝(え)は恋(は)しきかも…
かからむの懐(おもひ)知りせば大御船(おおみふね)…

収録時間: 約25分

本編の歴史の解説音声とあわせて聴くことで、飛鳥時代の風景が、飛鳥人の息吹が、より立体的に、浮かび上がってくることでしょう。

5月15日までの早期お申込み特典です。お申込みはお早目にどうぞ。

セット購入がお得です。

また、続編にあたる「平安京と藤原氏の繁栄」とのセット購入が割引価格でお得になっております。

「平安京と藤原氏の反映」は、長岡京遷都・平安京遷都、アテルイと坂上田村麻呂、最澄と空海、平将門の乱、藤原純友の乱、菅原道真、藤原道長の栄華、清少納言と紫式部など、平安時代のはじめ白河上皇による院政が始まる直前まで、約300年間の歴史を語ります。

「飛鳥・奈良」篇とあわせると、飛鳥時代から平安時代中期までのダイナミックな歴史の流れが楽しみながら身につくようになっています。

「平安京と藤原氏の繁栄」収録内容

01 桓武天皇の即位と長岡京(784年)
02 平安京遷都(一)長岡京から平安京へ(794年)
03 平安京遷都(二)千年の都
04 アテルイと坂上田村麻呂(一)巣伏の戦い(788年)
05 アテルイと坂上田村麻呂(二)第二次・第三次征討(794年・801年)
06 最澄と空海(一)最澄、比叡山へ
07 最澄と空海(二)天台宗のはじまり
08 最澄と空海(三)空海の帰還
09 最澄と空海(四)決裂
10 薬子の変(平城太政天皇の変)(810年)
11 承和の変(842年)
12 勢いをのばす藤原良房
13 応天門の変(866年)
14 藤原基経 関白太政大臣に就任
15 阿衡事件(887年)
16 菅原道真の左遷(903年)
17 平将門の乱(承平の乱)(935年)
18 藤原純友の乱(天慶の乱)(939年)
19 寛和の変(986年)
20 藤原道長の栄華(1016年)
21 清少納言と紫式部
22 刀伊の入寇(1019年)
23 平忠常の乱(1028年)
24 前九年の役(1051~1062年)(一)安倍氏の叛乱
25 前九年の役(1051~1062年)(二)安倍貞任と源頼義
26 前九年の役(1051~1062年)(三)清原氏の参戦
27 後三条天皇の改革(1068年)
28 後三年の役(1083~1087年)(一)八幡太郎義家
29 後三年の役(1083~1087年)(二)新羅三郎義光の着任
30 後三年の役(1083~1087年)(三)八幡太郎義家と孫子の兵法
31 後三年の役(1083~1087年)(四)金沢の柵の戦い

収録時間:約4.9時間

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決済方法は、クレジット決済、代金引換、銀行振込、コンビニ決済、PAYPALをご用意しております。クレジット決済・代金引換、PAYPALの場合はお申込み後すぐに発送作業に移ります。銀行振込・コンビニ決済の場合は入金確認後、発送作業に移ります。到着には3-4日かかります。

※音楽用CDではないのでご注意ください。本製品はパソコン用データDVD-ROMです。再生にはパソコンが必要です。音楽用CDプレイヤーでは再生できませんのでご注意ください。

お客様の声

車で通勤中、聴いています

先程、「聴いて・わかる。日本の歴史~鎌倉と北条氏の興亡」を注文させていただきました。「百人一首」につづいての2回目の購入です。メルマガなども楽しませていただいています。

現在、車で片道45分から60分の通勤をしています。トンネルの多い路線で、左大臣さんのものを聞く機会が多くなっています。

これからも、いろんな古典を御紹介ください。

奈良、平安、鎌倉と流れが良くわかるようになりました。

鎌倉時代も楽しく聞かせてもらいました。奈良、平安、鎌倉と流れが良くわかるようになりました。最後の仕上げとして、室町時代を知りたいです。是非作ってください。

古墳、飛鳥、奈良時代…現在の日本人の気質と違う、この時代に心動きます。

私の家の近くには沢山の発掘跡があります。昨年発掘された、かわらけは大方朝鮮半島の様相でした。……

いかに多くの渡来人が住んでいたかと、坂上田村麻呂 を大将軍にしたのも、、、毒は毒をもって制すが如く、、、、古墳、飛鳥、奈良時代は、現在に至る日本人の気質とは違う、この時代に心が動きます。

プロフィール


左大臣プロジェクト運営委員会代表。日本でただ一人、古典・歴史の「語り」とインターネットによる通信販売を組み合わせ、専業事業として行っている。メールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」は読者数21000人。楽しく躍動感あふれる語りで好評をはくす。平成23年パナソニック映像(株)の社内セミナーで「おくのほそ道」の講演。東京都教育委員会の学習コンテンツシステムにて『平家物語』、『論語』、漢詩の朗読を担当。平成24年4月から9月までTAMA市民大学TCCで「はじめての『平家物語』」講演。以後、「百人一首の歌人たち」「松尾芭蕉とその時代」「語り継ぐ日本神話」「飛鳥・奈良の歴史を歩く」「鎌倉と源氏三代の栄光」講演。マリエッタ(株)スマートフォン用アプリ「華麗なる百人一首」で朗詠音声担当。三省堂(株)学校教科書の副読本付属CDで古典や漢詩の朗読担当。平成25年、広島県海の見える杜美術館にて菅原道真のナレーション担当。平成26年4月、舞台劇『東方麗人抄』脚本・朗詠担当。9月、滋賀県大津市「第10回木曽義仲・巴ら全国連携大津大会」で木曽義仲の講演。平成27年3月長野県玉泉寺で川中島合戦の講演


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よくある質問

●スマートフォンで聴けますか?
音声は聴けますが、現在のところ文章・図解表示機能はスマートフォンには未対応です。パソコンから転送する必要があるので、パソコンが必要です。パソコン無しでスマートフォンのみではお聴きになれません。またiPhoneで聴くには、iTunesで音声データをパソコンからiPhoneに転送する必要があります。iTunesはapple社が無料配布している音楽管理ソフトです。iTunesはアップルの公式サイトでダウンロードできます。

●CDプレイヤーで聴けますか?
聴けません。本製品は、パソコン用DVD-ROMです。音楽用CDプレイヤーでは再生できません。本製品に限らず、当方の商品はすべてパソコン用CD-ROMもしくはDVD-ROMです。音楽用CDプレイヤーや映像容DVDプレイヤーでは再生できませんので、ご注意ください。

●時間はどれくらいですか?
約5.7時間です。

●テキストはついていますか?
PDF形式のテキストファイルが付属しています。

●本はついていますか?
本はついていません。

●支払い方法は?
クレジット決済、コンビニ決済をご用意しています。あるいはメルマガに直接返信してください。件名はそのままで、お名前とご住所を書いて直接返信してください。折り返し、お支払方法をお送りします。

●どれくらいで手元に届きますか?
ご入金後、3-4日でお届けします。


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全5.7時間。

長いです!

そして私の語りは、とてもしつこいので、聞いていると、脳みその中がトコトン、歴史づけになりなます。脳髄にまで歴史がしみこみます。つきっきりで聴いてくださる必要はありません。ながら聞きでいいんです。なんならネットでダラダラ遊びながら、スマホでゲームしながらでも聴いてください。

特にいま、自粛、自粛のこの時期だからこそ、部屋に引きこもって、ネットサーフィンやりながら、片手間で聴いてくださってもいいんです。それでもじゅうぶんに、イヤというほど、ドバドバと歴史知識が脳みそに注ぎこれますので!

現在、こういう大変な時期だからこそ、

歴史を学び、過去に学び、どうやって日本人は先人たちは危機を乗り越えてきたのか?そのことに励まされ、元気づけられ、考えさせられる。そのきっかけにしてください。

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。ありがとうございました。

特定商取引法上の表記