白河上皇による院政のはじまりから、保元の乱・平治の乱・平家一門の繁栄・源平の合戦(治承・寿永の内乱)を経て、源頼朝が鎌倉に武士の政権を開くまで。

社会が根底からくつがえった大変革の時代にあって、それまで権力を握っていた貴族にかわって、武士が、いかに力をのばしていったのか?楽しみながら学ぶことができます。

専用サイトにアクセスしていただき、IDとパスワードを入力することにより閲覧が可能となります。

サンプル音声「権力をふるう白河法皇」

https://roudokus.com/mp3/sample-His03-02.mp3

サンプル音声「源頼朝の挙兵」

https://roudokus.com/mp3/sample-His03-21.mp3

スマホで再生できます

パソコンがなくてもスマホだけでも再生できます(もちろんパソコンでも再生できます)。パソコンからスマホにデータを転送するといった面倒な作業もいりません。

電車移動中、スマホでポチポチと気軽に聴いていただくのも、ご自宅のパソコンでどっしり落ち着いて聴いていただくのも、ご自由にどうぞ、

※ただしスマホで再生する場合は通信費が発生しますので、wifi環境でのご利用をおすすめします。

文章・図解表示→わかりやすい

音声だけでなく、通常のウェブサイトのように文章が表示されます。人名や聞きなれない歴史用語はやはり音声だけでなく文字があったほうがわかりやすいはずです。

白河上皇の熊野詣で

1096年1月22日、38歳の白河上皇は、貴族や僧侶を大勢ひきつれて、熊野詣でに出発されました。

「うわーっ、何ですかこの行列は!」
「なんと豪華な…!!」

道沿いの人びとはたまげて、言い合いました。街道いっぱいに馬にのった警護の武士や僧がひしめき、所々に立派なお輿が顔をのぞかせて、ゆっくりと行列は進んでいきます。

「あの先頭のお輿が上皇さまのでしょうか?」
「さあ、どうでしょうなあ。とにかく、我々庶民とはかけ離れた世界ですよ」

一行は京都を出発して摂津渡辺から天王寺、住吉を経て紀ノ川を渡り、藤代峠を越え、田辺に至ります。田辺から中辺路(なかへじ)と呼ばれる山道を通って2月10日、熊野本宮大社に到着します。

白河上皇の熊野御幸
白河上皇の熊野御幸

「ありがたや、ありがたや…」

このように、必要に応じて地図や系図、図解を加えているので、状況がよりつかみやすくなっています。特に戦争の場面や、複雑な人間関係などは、地図や系図を見ながら聴いていただくことで、理解がしやすくなっています。

耳から聴くと同時に、目で見て、視覚と聴覚の両方で、内容が理解できるようになっています。

一括ダウンロードも可能

音声ファイルとテキストファイルを一括ダウンロードしていただくことも可能です(ただしパソコンのみ)。一括ダウンロードしてローカル環境で視聴すれば、通信費がかかりません。

pdfファイルもダウンロード可能

オンライン版のテキストをまとめたpdfファイルも、ダウンロードしていただけます。

pdfファイル閲覧時は、「しおり」機能を使うと便利です。画面左端の「しおり」マークを押すと、項目の一覧が表示されますので、自由に好きな項目に飛ぶことができます。

スキマ時間に、気軽に聴けます

全体では4.7時間のボリュームですが、一話一話は10分程度の話で完結していますので、気軽に聴くことができます。

アップデートに対応

インターネット上の専用サイトにアクセスしていただく形ですので、修正点があった場合は当方ですぐにアップデートできます。お客様には最新の正しい情報を、面倒な作業なしに得られるというメリットがあります。

特に歴史関係の話は、年々新しい説が生まれ、過去の説が塗り替えられていきます。現在の定説が必ずしも定説であり続けるとは限りません。できる限り最新の説に対応するよう、常にアップデートを繰り返していきます。

旅のきっかけになります

歴史的な事件の舞台となった「場所」(史跡)についてはできる限り具体的に語っていますので、ご自分で現地を訪れる、旅のきっかけにもなります。自分の足で現地を歩く。これこそ歴史を学ぶ上で、いちばん楽しいことですから…

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内容一覧

白河上皇による院政のはじまりから、保元の乱・平治の乱・平家一門の繁栄・源平の合戦(治承・寿永の内乱)を経て、源頼朝が鎌倉に武士の政権を開くまで。

社会が根底からくつがえった大変革の時代にあって、それまで権力を握っていた貴族にかわって、武士が、いかに力をのばしていったのか?楽しみながら学ぶことができます。

製品は「オンライン版」です。専用サイトにアクセスしていただき、IDとパスワードを入力することにより閲覧が可能となります。

サンプル音声「平家の日宋貿易」

https://roudokus.com/mp3/sample-His03-13.mp3

サンプル音声「奥州合戦」

https://roudokus.com/mp3/sample-his03-34.mp3

01白河天皇と院政のはじまり
応徳3年(1086)白河天皇は息子の善仁(たるひと)親王=堀河天皇に譲位する。そして自らは上皇として、引き続き権力の座にあり続ける。院政の始まりである(約16分)。

02権力をふるう白河法皇
白河法皇は堀河・鳥羽・崇徳三代にわたり「治天の君」として絶大な権力をふるった。そびえ立つ法勝寺九重塔や、荘厳な鳥羽離宮などは、白河法皇の栄華をしめすものであった(約9分)。

03僧兵の強訴
平安時代、延暦寺や興福寺の僧兵たちは、たびたび神輿(しんよ)や神木(しんぼく)をかついで都に乱入し、朝廷に要求をつきつけた。これを「強訴(ごうそ)」という。かの白河法皇もこれには泣かされた。(約10分)。

04源義親追討事件
源義家の息子義親は、父に似ず粗野で乱暴者だった。隠岐島に流される途中、出雲国で乱暴を働き、国司を殺害し、物資や食糧を強奪した。白河法皇は平正盛に源義親の追討を命じる(約15分)。

05平忠盛の昇殿
平忠盛は鳥羽上皇に得長寿院・三十三間堂を造営した賞として昇殿を許される。貴族たちはこれに猛反発し、11月23日、豊明の節会の夜、忠盛を闇討ちにしようとする。しかし忠盛は貴族たちの動きを察知していた(約6分)。

06平忠盛の海賊討伐
保延元年(1135年)、平忠盛は海賊の首領以下70名あまりを捕らえて、都に凱旋する。しかしその行列には、不自然なところがあった…(約5分)

07鳥羽上皇と崇徳天皇の対立
鳥羽上皇と藤原璋子との間に待望の第一皇子・顕仁(あきひと)親王が生まれる。曽祖父の白河法皇は顕仁親王のことを溺愛し、わずか23歳の鳥羽天皇を退位させて強引に顕仁親王を即位させる。崇徳天皇である。(約9分)。

08保元の乱
保元元年(1156)鳥羽法皇が亡くなると、崇徳上皇方、後白河天皇方の間で対立が深まる。崇徳上皇は藤原頼長と、後白河天皇は藤原忠通と手をむすび、それぞれが源平の武士を招集し、合戦におよんだ。保元の乱である(約22分)。

09信西と藤原信頼
保元の乱の後、後白河は政治のことは側近の信西に丸投げにした。信西は後白河の信任を受けて、苛烈な政治改革をおしすすめる。しかし強引すぎる信西のやり方には反感も高まっていった(約13分)。

10平治の乱
後白河の側近、藤原信頼は、信西に反感を高めていた。信頼は同じく信西に不満を持つ源義朝と手を組み、クーデターを起こす(約23分)

11平清盛 太政大臣に至る
平清盛は後白河上皇の信任を得て、どんどん出世し、ついに仁安2年(1167年)、太政大臣に到る。清盛の出世に伴い、平家一門こぞって繁盛する(約18分)。

12厳島神社と平家納経
厳島神社は平家一門の守り神である。その由来と、平清盛が平家一門の繁栄を願って、厳島神社におさめた「平家納経」について(約6分)。

13平家の日宋貿易
当時、中国との貿易は博多や大宰府の役人が仕切っていた。しかし利益の上がる部分はいつも役人に持っていかれる。そこで忠盛は大宰府や博多でなく、独自の貿易拠点を開いた。有明海に面した肥前神崎荘である。忠盛は神埼でお上の介入を避け、貿易の利益を独占する。清盛は父忠盛からうけついだ地盤をもとに、さらに貿易を大きくする(約11分)。

14殿下乗合事件
嘉応2年(1170年)清盛の孫・資盛の乗った牛車が、往来で摂政藤原基房の牛車と行きあった。本来なら資盛は道を譲らねばならない所、そのまま車を押し通そうとする。「無礼な!」怒った基房の供の者が、つかみかかり、さんざんに暴行を加えた。資盛の父重盛はこれに激怒して、摂政藤原基房の車を、武士たちに襲撃させる。(約6分)。

15鹿ケ谷事件
後白河は平家一門と延暦寺との分断をはかる。たまたま延暦寺の衆徒が都に押し寄せて強訴に及んだところを、清盛に命じて討伐させようとした。清盛は苦しい立場に立たされる。そんな時だった。平家一門へのクーデター計画「鹿ヶ谷の陰謀」が露呈したのは(約5分)。

16治承三年の政変
後白河による度重なる平家一門への挑発に、清盛の我慢は限界であった。治承3年(1179)11月、突如清盛は軍勢を率いて上洛し、後白河法皇の御身をとらえ、鳥羽殿に幽閉してしまう(約6分)。

17以仁王の挙兵(一)打倒平家の令旨
後白河法皇第三皇子・以仁王は摂津源氏の源頼政と手を結び、打倒平家の令旨を書く。令旨は源行家によって全国の源氏に届けられる。しかし平清盛は、すぐに以仁王の動きを察知し、捕縛の武士をさしむけた(約13分)。

18以仁王の挙兵(二)延暦寺と園城寺
以仁王は源頼政とともに大津の三井寺(園城寺)に逃れた。しかし三井寺の僧兵だけでは平家の軍事力には太刀打ちできない。そこで以仁王・源頼政らは三井寺の僧兵たちとともに、興福寺との合流を目指して奈良方面に向かう(約8分)。

19以仁王の挙兵(三)宇治合戦
以仁王と源頼政らは興福寺との合流を目指して奈良方面に向かったが、宇治で平家軍に追いつかれる。源頼政は平等院の門内で討ち死にし、以仁王はさらに南に逃げるが、平家軍の矢によって射殺された。しかし以仁王の令旨は全国の源氏に届けられていた(約9分)。

20平清盛の福原「遷都」
治承4年(1180)6月、平清盛は突如、平安京から福原への都遷しを宣言する。遷都はあわただしく実行に移され、後白河法皇、高倉上皇、安徳天皇も新都福原に遷される(約6分)。

21源頼朝の挙兵
治承4年(1180年)8月17日夜、伊豆国の流人・源頼朝が平家の代官・山木兼隆の館を襲撃した。以仁王の令旨を受けての、決起であった。頼朝はいったんは石橋山の合戦で敗れるも、真鶴から船に乗り、房総半島に渡った(約3分)。

22富士川の合戦
治承4年(1180年)10月、駿河国浮島が原にて、平維盛軍と源頼朝軍が向かい合う。明日はいよいよ合戦というその晩、富士の沼に群生していた水鳥たちが一気に飛び立つ。「敵襲だ!!」平家軍は大混乱に陥る(約6分)。

23源頼朝と鎌倉
治承4年10月、鎌倉の大倉御所が完成し、頼朝が館入りした。鎌倉幕府最初の御所は、現在の鶴岡八幡宮のすぐ東に築かれた(約10分)。

24平清盛の死と木曾義仲の挙兵
治承五年(1181年)閏二月、平清盛が亡くなった。その頃、信濃では木曾義仲が打倒平家の兵を挙げていた。義仲軍は北陸道を経て、近江から京に迫る。平家一門は安徳天皇と三種の神器を携えて都落ちしていった(約7分)。

25十月宣旨と木曾義仲の滅亡
ほかの源氏たちに先駆けて都入りをはたした木曽義仲だったが、後白河法皇はじめ貴族たちの不評を買う。ついに法皇と決裂した義仲は、後白河の御所・法住寺殿を襲撃し、後白河の身柄を幽閉してしまう。後白河はひそかに鎌倉の源頼朝と連絡を取りあう。やがて源範頼・義経が義仲討伐に乗り出す(約5分)。

26平家滅亡
平家一門は壇ノ浦に滅んだ。しかし三種の神器のうちの一つ草薙の剣は海に沈んでしまい、安徳天皇も二位尼時子とともに海に沈んだ。その裏で、頼朝・義経兄弟の対立は深まっていた(約6分)。

27頼朝・義経の対立
平家滅亡後、頼朝・義経兄弟は決裂した。義経は後白河法皇に迫り頼朝追討の院宣を出させたので、頼朝は兵を動かす。しかし義経自滅の知らせが届くと、頼朝は都に北条時政を遣わし、後白河法皇につめよる。「義経に頼朝追討の院宣を下したそうですが」「…それは、天魔の所為であったのだ」白々しく言い訳する後白河に、頼朝の怒りが爆発する。「日本第一の大天狗めが」と…(約8分)

28北条政子と静御前
義経の愛妾・静は鎌倉に召し出される。静は音に聞く白拍子。北条政子はぜひ静の舞を見たいという。静は鎌倉鶴岡八幡宮にて、舞を披露する。しかし恋人義経をしたう歌詞に、頼朝は機嫌を悪くする(約4分)

29奥州藤原氏(一)初代清衡(一)
永承6年(1051年)、奥州の安倍氏が朝廷に対して反乱を起こした。陸奥守源頼義が赴任したことにより安倍氏はいったん帰順するが、その後、全面的な戦争状態となる。これを前九年の役という。それから24年後、頼義の息子・義家が陸奥守として赴任してきた。折しも奥州では清原氏の内部抗争が続いていた。義家はみずからの利権拡大をねらい、清原氏の抗争に武力介入する。ここに後三年の役が始まる(約10分)。

30奥州藤原氏(二)初代清衡(二)
後三年の役に源義家と清原清衡は勝利した。しかし白河法皇は、義家が兵を起こしたのは私利私欲であるとして恩賞を与えなかった。義家にとっては失うものばかり多い戦であった。一方、義家に協力した清原清衡は清原氏の生き残りとして奥州に君臨することとなった。姓ももとの父親の姓にもどし、藤原清衡とする。奥州藤原氏の始まりである(約12分)。

31奥州藤原氏(三)二代基衡
奥州藤原氏のニ代目・基衡は平泉を京都風の都市として発展させていく。毛越寺を建立し、平安京を意識した碁盤の目状の都市を区画する(約8分)。

32奥州藤原氏(四)三代秀衡(一)
奥州藤原氏の三代目・藤原秀衡の源平合戦における立ち回りは見事なものであった。平家にも源氏にも味方せず、しかし動くそぶりは常に漂わせ、強烈な存在感を示し続けた。源平合戦を通して、ついに秀衡は一歩も平泉を動かなかった。むしろその無言の圧力が、源平双方をやきもきさせる政治的な意味を持っていた(約10分)。

33奥州藤原氏(五)三代秀衡(二)
源平合戦後、頼朝と決裂した義経が奥州へ逃げ込んでくる。秀衡はやっかいな客人と知りつつ、義経を保護する。死の間際、秀衡は息子たちに義経を守れと遺言するが(約7分)。

34奥州合戦
鎌倉からの再三にわたる義経引き渡し要求に、藤原泰衡らはついに屈した。平泉の高館に義経を襲い、その首を打ち取る。塩漬けにされた義経の首が頼朝のもとに届くが、頼朝はゆるすつもりはなかった。これを機に、奥州に対して大規模な武力侵攻を開始する(約13分)。

35源頼朝 征夷大将軍となる
奥州合戦の翌年、頼朝は上洛し、はじめて後白河法皇と対面する。しかし頼朝は上洛一ヶ月ほどで鎌倉に戻ってしまう。後白河法皇から提案された官職も辞退する。ほどなく、頼朝は征夷大将軍に任じられるが、それもすぐに辞退した。頼朝の考えは官位などとは別のところにあった(約6分)。

総時間:約5時間

左大臣光永

左大臣光永。左大臣プロジェクト運営委員会代表。楽しく躍動感ある語りで好評をはくす。


静岡講演「徳川家康の生涯」の新聞記事

左大臣光永。左大臣プロジェクト運営委員会代表。楽しく躍動感ある語りで好評をはくす。

学習院大学文学部ドイツ文学科中退。20代は漫画家を目指すも挫折。30代はじめに諦めて就職活動するも、一社目でアホらしくなってやめる。

若い頃から深夜の墓場や神社で『おくのほそ道』『平家物語』などを暗唱するのを日課としていたため「これを職業にする」と決める。

2010年よりメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」を発行。工事現場でバイトしながらメールマガジンを書き続ける。2012年までに事業化。

2017年、平安京の文化と歴史を語るため、京都に移住。現在、京都と静岡で定期的に講演中。

座右の銘
「人の意見は聞くな」
「大衆は常に間違っている」

嫌いな言葉
「チームワーク」

「語り」による「聴く」日本史。

幕末史の流れを、楽しみながら学ぶことができます。

在庫なくなり次第、販売終了します。お申込みはお早めにどうぞ。

よくある質問

●スマートフォンで聴けますか?
聴けます。ただし、インターネットに接続する必要があります。パケット使用料が別途かかりますので、ご注意ください。インターネットに接続したくない場合、音声ファイルのみをダウンロードして聴くことも可能です。ただし文章は表示されません。また、音声ファイルをスマートフォンで聴くには、iTunesで音声データをパソコンからスマートフォンに転送する必要があります。iTunesはapple社が無料配布している音楽管理ソフトです。iTunesはアップルの公式サイトでダウンロードできます。

●CDプレイヤーで聴けますか?
聴けません。再生にはスマートフォンもしくはパソコンが必要です。

●時間はどれくらいですか?
約7.8時間です。

●テキストはついていますか?
PDF形式のテキストファイルが付属しています。

●本はついていますか?
本はついていません。

●支払い方法は?
銀行振込、クレジット決済、コンビニ決済をご用意しています。あるいはメルマガに直接返信してください。件名はそのままで、お名前とご住所を書いて直接返信してください。折り返し、お支払方法をお送りします。

●何日くらいで手元に届きますか?
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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。



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