「語り」による「聴く」日本史~幕末の動乱

完売しました。たくさんのお買い上げ、ありがとうございました!

こんにちは。左大臣光永です。

秋もようよう深まる昨今、いかがお過ごしでしょうか?

京都では紅葉の赤みがいよいよ増し、今日はどこへ行こうか、明日はどこへとソワソワします。先日は足利将軍家の菩提寺・等持院に行ってきました。紅葉の色が池に映り込み、すばらしかったです。

さて先日発売しました『聴いて・わかる。日本の歴史~幕末の動乱』ご好評をいただいています。ありがとうございます。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

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檀ノ浦砲台の大砲のレプリカ

嘉永6年(1853)のペリー来航から、慶応4年(1864)正月の鳥羽・伏見の戦いまで語った解説音声とテキストファイルです。

通してきくと、楽しみながら幕末史の流れを学ぶことができます。

「桜田門外の変」「池田屋事件」「近江屋事件」「鳥羽・伏見の戦い」など、幕末の有名な事件はほぼ網羅しています。

明治維新150年

2018年は明治維新150年ということで、とても盛り上がっていました。京都では、二条城や、霊山歴史館など明治維新に関わりの深い所で、さまざまにイベントが行われました。

たしかに明治維新は日本人として覚えておくべき、歴史上の重大事です。徳川の世が終わり、世の中が大きく変わりました。

しかし明治維新が手放しで素晴らしいものかというと、私はそうは思いません。

明治維新には、薩摩・長州が、自分たちの行ってきた犯罪行為(殺人・強盗・放火・強姦)を隠蔽するために、ことさら華やかに宣伝した、「神話」としての側面があります。

幕末。長州によって天皇の拉致が計画され、御所が襲撃され、京都の町が焼き尽くされました。徳川慶喜は平和的に大政奉還したのに、新政府はまったくやる必要がない戊辰戦争を引き起こし、血で血を洗う争いの末に「御一新」がなったんです。

戊辰戦争は不毛な戦い

戊辰戦争は日本の歴史の中でもっとも不毛な戦いであったと私は思っています。もちろん戦争はすべて不毛といえば不毛ですが。戊辰戦争ほど戦う必要のなかった、バカな戦いは、歴史上めずらしいと思います。

ここで戊辰戦争とは慶応4年(1868)正月の鳥羽・伏見の戦いに始まり、東北地方に飛び火し、明治2年(1869)5月に函館五稜郭で終わった一連の戦いのことです。

戊辰戦争をやるまでもなく、平和的に大政が奉還されていました。大政奉還は坂本龍馬と徳川慶喜によって創り上げられた、慶応維新とも言うべきものでした。

慶喜が大政奉還を決めたと知った時、坂本龍馬はよくぞご決断されましたと涙を流して喜んだんです。

ノーベル平和賞もんですよ。一滴の血も流さない、平和的な政権移譲でした。

もちろん、大政奉還したといっても徳川家は全国に800万石の領土を持ち、慶喜の官位もそのままでした。できたばかりの新政府にとって、それは脅威でした。

だからといって徳川を徹底して潰す必要があったのか?戦争のほかに方法はなかったのか?はなはだギモンです。

本音は、新政府はできたばかりで財源がないので、徳川の領土を奪って自分のものにしたいということでした。

西郷はなぜ武力倒幕にこだわったのか?

西郷隆盛はあくまでも武力倒幕にこだわりました。

大政奉還によって武力倒幕の口実が失われたことに不満でした。

そこで薩摩藩士・伊牟田尚平(いむたしょうへい)と益満休之助(ますみつきゅうのすけ)を江戸に送り、強盗や放火を繰り返させ、幕府を徴発する手に出ます。ここに下総郷士相楽総三(さがら そうぞう)も加わり、暴れまくります。

彼らは徒党を組んで練り歩き、金持ちの家に押し入っては金品を強奪しました。庶民は「薩摩御用強盗」といって恐れました。

江戸だけでなく、関東一円に騒ぎは広まっていきました。相模・常陸・武蔵・上総・下総の各地で無頼漢たちが蜂起し、「勤王」「討幕」をかかげて、放火・略奪の限りを尽くしました。

西郷のねらいは「幕府の側から戦をおこさせる」ことでした。

そして幕府側はまんまと西郷の徴発に乗り、怒りに燃えた庄内藩兵が三田の薩摩藩邸を襲撃。この時、西郷隆盛は大いに喜んだという複数の証言があります。

これをきっかけに、鳥羽・伏見の戦いが引き起こされました。西郷のねらい通り、「幕府の方から戦いを起こさせる」ことに成功したのです。

なぜ西郷隆盛が、こんな汚い手まで使って武力倒幕に固執したのか?

実はよくわかっていません。

どう考えても理屈にあわず説明がつかないため、学者から在野の歴史研究家まで、さまざまなことを言っています。

関ヶ原以来の恨みで…というのが一番言われることですが、関ヶ原だけでは西郷隆盛の武力倒幕にかけるすさまじい情念は、とうてい説明がつかないと思います。

切り捨てられた相楽総三

西郷の命令で江戸で放火・強盗を繰り返した相楽総三は、その後、やはり西郷の命令で、赤報隊(せきほうたい)という組織を作りました。

鳥羽伏見の戦が終わり、いよいよ江戸城総攻撃ということになります。相楽総三の赤報隊は東山道を一路、江戸に向かいます。道すがら、旧幕府領の村々で相楽総三は民衆に呼びかけました。

「徳川の世は終わった。我ら新政府に従え。新政府に従えば、年貢は半分にしてやるぞ」

年貢が半分?そりゃいいやと、民衆の多くは新政府に従いました。

これは西郷隆盛が相楽総三に命じたんです。「民衆を味方につけるために、こう言え」と

しかし新政府はできたばかりで、財源なんて無いんですよ。

年貢半減など、はじめからムリとわかりきってました。

口約束で民衆を惹きつけたはいいが、手詰まりになりました。そこで新政府は、すべての罪を相楽総三になすりつけます。

「相楽総三は官軍の名を騙り、沿道から金や食糧を奪ったニセ官軍である」と、決めつけました。

相楽総三は下諏訪の総督府に出頭を命じられ、何だろうと行ってみると問答無用で捕らえられ、処刑されました。西郷隆盛はさんざん相楽総三を利用したわりには、彼を救うために何ひとつ手を打ちませんでした。相楽総三は西郷隆盛に手駒として使われた挙げ句、用無しになったら捨てられたわけです。

こうした事実は、巷にあふれる西郷隆盛を絶賛した書物には、都合よくはぶかれています。

それではいけないと思います。

西郷隆盛を語るには、西郷の偉大な部分も、暗いねじけた部分も、わけへだてなく、語るべきです。

明治の廃仏毀釈

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とは仏教に対する弾圧・迫害をさします。仏を廃し、釈迦の教えをつぶすという意味です。

戦国時代には、イエズス会やキリシタン大名によって神社・仏閣への破壊が行われました。江戸時代には、儒教や水戸学の立場から仏教への弾圧がありました。

しかし明治の廃仏毀釈は、規模も凄惨さも、戦国時代や江戸時代そのそれとは、まるで比べ物になりません。

発端は明治元年に出された「神仏分離令」でした。もともとは神仏習合の寺社に、神社と寺を分けさせ、神道を国家宗教にすることが目的でした。しかし神仏分離令を拡大解釈した神社関係者や民衆によって、仏教弾圧の嵐が全国で吹き荒れました。

中にも奈良興福寺はひどい打撃を受けました。歴史ある2000体もの仏像が燃やされ、経典は商品を包む包装紙として使われ、多くの宝物が二束三文で売りに出されました。

僧侶はことごとく還俗させられ、僧侶名を捨てて、春日社(春日大社)の神官に転職させられました。

五重塔はわずか25円で売りに出され、薪にされるところでした。

廃仏毀釈がもっとも激しかったのが薩摩で、1600以上もあった寺院はすべて取り壊され、僧侶は全員、還俗させられました。

政府は廃仏毀釈に驚き、歯止めをかけようとしました。神仏分離とはあくまで神社と寺を分けろと言っているだけだ。仏教を廃絶せよと言っているのではない。僧侶に還俗を強制してはならないとお触れを出しました。

しかし明治4年に政府が仏教保護政策を打ち出した後も仏教弾圧の波はやまず、明治9年ころまでに、ようやく収まりました。

明治の廃仏毀釈については、教科書にはほとんど書かれていません。明治維新によって封建制が打ち砕かれ、四民平等のすばらしい世の中になったと、ひたすら明治維新を褒め称えるばかりです。

しかしそれではいけないと思います。

明治維新を語るには、明治維新のよい所も、暗い所も、両方、わけへだてなく語るべきです。日本史上最悪の文化破壊である明治の廃仏毀釈を語らずに、明治維新を語ったことにはならないと思います。

廃仏毀釈については日をあらためて、徹底して詳しく語るつもりです。

司馬遼太郎氏の作品について

高度経済成長期の終わりあたりまで、幕末の歴史はあきらかに薩長よりで語られてきました。西郷隆盛が、桂小五郎が、高い志を持って日本の夜明けのために活躍した。そして明治維新という偉業をなしとげたと。

ここには司馬遼太郎氏の小説が大きく影響しています。

司馬遼太郎氏は幕末の志士たちの物語を、単純でわかりやすい英雄物語として描きました。未来を信じてつき進む若者たちの姿が、高度経済成長期の気風にぴったりあって、映画やドラマにもなり、大いに受け入れられました。

『竜馬がゆく』も『燃えよ剣』も『世に棲む日々』も、今読んでも最高に面白いです。登場人物が明るく、さわやかです。読めば何か大きな気分になって、酒が飲みたくなります。

戦争の犠牲になる庶民の姿などはほとんど描かれないので、スカッと気分よく読めます。

しかしここに困ったことが起こります。

司馬遼太郎氏の描く司馬ワールドがあまりにも面白く、司馬ワールドにおける坂本「竜馬」や、西郷隆盛があまりにも魅力的であるため、小説を歴史上の事実とゴッチャにする人が多く出ました。その影響は今日まで続いています。

でも違うんです。

言うまでもなく司馬遼太郎氏の作品は「小説」です。歴史上の事実をもとにしてはいても、英雄「物語」でありフィクションです。そのことは司馬遼太郎氏がもっとも自覚していました。『龍馬がゆく』ではなく『竜馬がゆく』としたのも、そのせいと思います。

司馬遼太郎作品が「英雄物語」であることは、たとえば『燃えよ剣』で土方歳三が函館で最後の斬り込みをかける場面などによくあらわれています。

「名は何と申される」

長州部隊の士官は、あるいは薩摩の新任参謀でもあるのかと思ったのである。

「名か」

歳三はちょっと考えた。しかし函館政府の陸軍奉行、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。

「新選組副長土方歳三」

といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。

歳三は、駒を進めはじめた。

士官は兵を散開させ、射撃用意をさせた上で、なおもきいた。

「参謀府に参られるとはどういうご用件か。降伏の軍使ならば作法があるはず」

「降伏?」

歳三は馬の歩度をゆるめない。

「いま申したはずだ。新選組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」

あっ、と全軍、射撃体勢をとった。

歳三は馬腹を蹴ってその頭上を跳躍した。

『燃えよ剣』より

どうですか?

めちゃくちゃカッコいいでしょ。

『ガンダム』や少年ジャンプのバトル漫画に通じるカッコよさです。

これだから司馬作品は、娯楽として最高に面白いんですよ。

しかし実際には西郷隆盛も桂小五郎も土方歳三も、司馬ワールドに出てくるような英雄豪傑ではなかったし、明治は司馬遼太郎氏の描くほど明るく輝かしいばかりの時代ではありませんでした。

当たり前のことですが、小説と事実は違います。それを踏まえた上で娯楽として楽しむべきものです。

しかし小説をそのまま歴史上の事実のように誤解する人が多くあり、その影響が令和の今日まで続いていることは、嘆かわしいことです。

「西郷どんバンザイ、明治維新バンザイ」

こういう熱に浮かれたような、能天気な歴史観から、日本人はそろそろ解き放たれるべき時期じゃないかと思います。

本製品は

嘉永6年(1853)のペリー来航から、慶応4年(1864)正月の鳥羽・伏見の戦いまで語った解説音声とテキストファイルです。メディアはdvd-romです。通してきくと、楽しみながら幕末史の流れを学ぶことができます。

内容一覧

01黒船来航1
02黒船来航2
03日米和親条約
04ハリス来日
05日米修好通商条約 締結前夜
06井伊直弼の大老就任と、日米修好通商条約
07安政の大獄
08万延元年遣米使節
09桜田門外の変
10和宮(かずのみや)、徳川家茂に嫁す
11坂下門外の変
12寺田屋騒動
13生麦事件
14壬生浪士組 結成
15徳川家茂の上洛
16長州藩、攘夷を実行
17薩英戦争
18高杉晋作、奇兵隊を結成
19八月十八日の政変
20池田屋事件
21禁門の変1
22禁門の変2
23四国連合艦隊 下関砲撃事件
24第一次長州征伐
25高杉晋作の挙兵
26長州「四境戦争」前夜
27薩長同盟
28寺田屋事件
29第二次長州征伐(四境戦争)
30徳川慶喜、将軍就任
31大政奉還
32近江屋事件 坂本龍馬の最期
33ええじゃないかと幕末の新興宗教
34王政復古のクーデター
35江戸薩摩藩邸焼き討ち事件
36鳥羽・伏見の戦い1
37鳥羽・伏見の戦い2

総時間:約7.8時間

「語り」による「聴く」日本史。

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左大臣光永


左大臣光永。左大臣プロジェクト運営委員会代表。楽しく躍動感ある語りで好評をはくす。

学習院大学文学部ドイツ文学科中退。20代は漫画家を目指すも挫折。30代はじめに諦めて就職活動するも、一社目でアホらしくなってやめる。

若い頃から深夜の墓場や神社で『おくのほそ道』『平家物語』などを暗唱するのを日課としていたため「これを職業にする」と決める。

2010年よりメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」を発行。工事現場でバイトしながらメールマガジンを書き続ける。2012年までに事業化。

2017年、平安京の文化と歴史を語るため、京都に移住。現在、京都と静岡で定期的に講演中。



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