新発売■明治維新の光と陰 オンライン版

こんにちは。左大臣光永です。ウイルス騒動のうちに春は過ぎて、もうすっかり葉桜の季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

私は運動と気分転換をかねて、毎日一度は京都御苑を歩いてます。時々、アオサギが、木から木へスーと飛びます。この状況でもアオサギは、2月以前とまったく変わらず、マイペースなのが、よいです。

本日は、新商品のご案内です。

「聴いて・わかる。日本の歴史~明治維新の光と陰」オンライン版

慶応4年(1868)江戸城の開城から、明治10年(1877)西南戦争まで。明治時代初期の歴史や人物について解説した音声とテキストです。通して聴くと、明治時代初期の歴史の流れを、楽しみながら学べるようになっています。

↓↓↓音声が再生されます↓↓


http://roudokus.com/mp3/His11.mp3

この日、勝海舟は羽織袴で馬に乗り、従者一人だけを連れて薩摩藩蔵屋敷に出かけました。まず一室に案内されて待っていると、西郷隆盛が庭のほうから平気な顔でやって来た。古い洋服に薩摩風の引切下駄をはいて、熊次郎という下僕を従えて、これは遅刻しましたと挨拶しながら座敷に通る。その様子は少しも一大事を前に控えたふうには見えなかったと、勝海舟は『氷川清話』に書いています。

西郷は開口一番、

「戦は好んでするものではなかですから、明日の総攻撃はひとまず中止いたしましょう」

そう言って、脇に控えていた村田新八と中村半次郎に、明日の攻撃中止を指事しました。

勝海舟はすかさず、西郷から出された条件への修正案を出しました。

慶喜公は備前藩に預けるのではなく、水戸藩お預けとすること

江戸城は明け渡すが、即日、御三卿の田安慶頼(御三卿田安家 五代当主)に引き渡すこと

武器・軍艦は、徳川家で必要なものは残して引き渡す

慶喜の妄動を助けた者への処分は死罪でなく寛大なものにしてほしい

「これは…」

西郷隆盛の出した条件にくらべて、幕府側にそうとう有利な条件でした。

しかし西郷は即座に断りませんでした(イギリス公司パークスから圧力がかかっていたためという説もあり)。

「それがしの一存では何とも…いったん駿府に帰って、大総督のご意見を伺います。駿府でわからなければ京へ参ることにもなりましょう」

「お願いしますよ西郷先生。こっちは江戸で、おとなしく待っていますから」

……

「江戸城開城」より

…という感じで、

慶応4年(1868)江戸城の開城から、明治10年(1877)西南戦争まで語っています。通して聴くと、明治時代初期の歴史の流れを、楽しみながら学べます。

明治維新の歴史的評価は、両極端です。

すばらしいものであったという説と、ロクでもないものだったという説。

すばらしい説としては、桂小五郎や西郷隆盛、坂本龍馬といった幕末の志士たちが頑張って、日本の夜明けをもたらした。江戸幕府の封建制の世の中が打ち倒され、四民平等のすばらしい世の中が来たと。

ロクでもない説としては、いやいや薩摩長州、どれだけ殺したんだよ、会津をどれだけイジメたんだよ。テロリストの政権じゃないかという見方。

どちらも一面の真理をついていると思います。

現在の社会を見てもわかるように、どんな時代、どんな政治形態でも、いい面もあれば、ロクでもない面もあるわけです。完璧な社会は、ありません。だから、よい面も、ロクでもない面も、まんべんなく語ってこそ、歴史の語りだと思っています。そういう視点で、明治維新を語りました。

慶応4年(1868)8月22日、松平容保は白虎隊士中二番隊を護衛に従えて自ら出馬。滝沢村に入りここに本陣を置きます。夕刻、戸ノ口原の友軍陣地から援軍要請が来ます。

「戸ノ口原を抜かれれば、敵は鶴ヶ城城下になだれこむ。
士中二番隊、行ってくれ」

「わかりました」

日向内記(ひなた ないき)(43歳)率いる白虎隊士中二番隊が、戸ノ口原に向かいます。

白虎隊の像
白虎隊の像

松平容保は弟の松平定敬を米沢に逃がすと鶴ヶ城にもどり、籠城戦の準備にかかります。

8月23日午前6時頃、新政府軍の総攻撃が始まりました。総勢3000名あまり。対する会津方はわずかに300数十人。白虎隊士中二番隊も小銃を手に奮戦するも、数の差はくつがえりようもなく、次々と討たれていきます。

慶応4年(1868)8月23日、戸ノ口原の戦い
慶応4年(1868)8月23日、戸ノ口原の戦い

生き残った白虎隊士中二番隊20名は敵の攻撃を避けつつ、鶴ヶ城北東の飯盛山(福島県会津若松市)に登ると、鶴ヶ城は炎に包まれ、黒煙を上げているのが見えました。

「鶴ヶ城が落ちた!」
「会津は、負けたのか!」

副隊長・篠田儀三郎(しのだぎさぶろう)(17歳)が皆に言います。

「生き残って敵の捕虜にでもなったら、殿や祖先に面目が立たん。潔く自害するのが武士の本懐である」

「そうだ」
「死のう」

その場で集団自決をはかりました。しかし最年少の飯沼貞吉は脇差で喉をついたものの死にきれず、山中にひそんでいたところを村人に保護されて、助かりました。

維新後、貞吉は飯沼貞雄と改名し、逓信省の通信技師となり、日清戦争に従軍し、昭和6年(1931)77歳で天寿をまっとうしました。

「二本松少年隊と白虎隊」より

このように、音声による「語り」に加えて、必要に応じて地図や写真も入れていますので、より状況がつかみやすくなっています。

もちろん戦争の殺伐とした話ばかりでなく、明るい、ほほえましい話も喋っています。

明治5年(1872)、日本ではじめて新橋~横浜間に
鉄道が開通しました。

まず明治5年(1872)5月7日、
品川~横浜(現桜木町)の間で鉄道が仮開業します。

ついで7月25日、
工事が遅れていた新橋~品川間の工事も完成。

そして9月12日…

いよいよ新橋~横浜間がすべて開通します。

明治天皇がお召し列車にお乗りになります。

陸軍日比谷操練所では
近衛砲兵隊が、

ドーン、ドーン

101発の祝砲を放ち、

品川沖に停泊中の軍艦は、

ドドーーーン、ドドーーーン

21発の祝砲を撃ちました。

その距離29キロ。
所要時間は片道53分でした。

旧暦の9月12日は新暦では10月14日。
現在、鉄道記念日として覚えられています。

翌13日。
全路線で営業が始まります。

なかなかの盛況でした。

中には列車を追いかけていく人もいたそうです。

「なんだ、こんな鉄のカタマリに負けられっか」

人力車で、列車の横を
ガラガラガラガラっと駆けていきます!

「おい!負けるな!金ははずむぞ」
「もちろんです。あっしも車屋の意地がかかってるんで」

列車の窓からは親子づれが顔を出して
「がんばれー!」
なんて手を振ってる…

そんな風景もあったといいます。

「鉄道開通」より

日本最後の内戦・西南戦争については、特に詳しく語っています。

田原坂
田原坂

3月4日午前6時、政府軍は田原坂下の西郷軍の陣地に攻撃をかけ、これを蹴散らします。しかしここからが大変です。田原坂は北から一の坂、ニの坂、三の坂が続きます。

田原坂の戦い 概略図
田原坂の戦い 概略図

官軍が坂道を登っていくと、両側の崖の上から、

ターン、タンタン、

ドン、ドーン

小銃で、大砲で、攻撃されます。

薩軍高きに在りて低に臨み、猛射急霰(きゅうさん)の如く、官軍進むものは、必ず傷き、退くものは必ず殪(たお)れ、復(ま)た一人の完膚あるものなかりき。

『西南記伝』

田原坂 遠景(写真左が玉名方面、右が植木方面)
田原坂 遠景(写真左が玉名方面、右が植木方面)

午後3時ごろ。

ビカッ、ゴロゴロゴロ…

ザアーーー

大雨、盆を覆すが如くに降り始めました。

「怯むなッ、進めーーッ」

官軍はがむしゃらに攻め立てるも、

ターン、タン、タン

ぐはっ

ぎゃああああ

崖の上からさんざんに射撃され、次々と撃たれ倒されていく…

…と、このように、声による「語り」に加えて、地図や写真を多様していますので、特に合戦の場面では、どんなふうに部隊が動いたのか?戦況はどう変化したのか?わかりやすくなっております。

本製品は、

慶応4年(1868)江戸城の開城から、明治10年(1877)西南戦争まで。明治時代初期の歴史や人物について解説した音声とテキストです。通して聴くと、明治時代初期の歴史の流れを、楽しみながら学べます。今回はオンライン版のみの発売となります。

江戸城総攻撃 前夜
江戸城 開城
五条誓文
宇都宮城の戦い
彰義隊(一)結成
彰義隊(ニ)上野戦争
奥羽越列藩同盟の結成
白河口の戦い
二本松少年隊と白虎隊
鶴ヶ城陥落 東北戦争の終結
榎本艦隊、蝦夷地へ
五稜郭 戊辰戦争の終結
版籍奉還
四民平等と地租改正
廃藩置県
殖産興業と文明開化
岩倉米欧使節(一)アメリカ
岩倉米欧使節(二)イギリス
岩倉米欧使節(三)ヨーロッパ
明治の廃仏毀釈(一)
明治の廃仏毀釈(ニ)
鉄道開通
征韓論紛争
明治六年の政変
佐賀の乱
不平士族の反乱
西南戦争前夜~鹿児島 私学校蜂起
西南戦争(一)挙兵~熊本城攻防戦
西南戦争(ニ)田原坂の激戦
西南戦争(三)城山に西郷隆盛死す

総時間 5.3時間

よくある質問

●オンライン版とは何ですか?
インターネット上の専用サイトでご視聴いただくものです。ご注文いただいてから48時間以内に、専用サイトにアクセスするための「ID」「パスワード」を発行してメールでお送りします。メールに記載されたurlから専用サイトにアクセスしていただき、そこで「ID」と「パスワード」を入力することにより、閲覧が可能になります。パソコンがなくても、スマートフォンのみで視聴できます。音声・テキストデータを一括ダウンロードしていただくこともできます(一括ダウンロードにはパソコンが必要です)

●スマートフォンで聴けますか?
聴けます。ただし、インターネットに接続する必要があります。パケット使用料が別途かかりますので、ご注意ください。インターネットに接続したくない場合、音声ファイルのみをダウンロードして聴くことも可能です。ダウンロードした音声ファイルをiPhoneで聴くには、iTunesで音声データをパソコンからスマートフォンに転送する必要があります。iTunesはapple社が無料配布している音楽管理ソフトです。iTunesはアップルの公式サイトでダウンロードできます。Androidの場合、iTunesは必要ありません。

●CDプレイヤーで聴けますか?
聴けません。再生にはスマートフォンもしくはパソコンが必要です。

●カーオーディオで聴けますか?
聴けません。再生にはスマートフォンもしくはパソコンが必要です。ただし、データをCD-ROMに焼けばカーオーディオでも再生可能です。

●時間はどれくらいですか?
約5.3時間です。

●テキストはついていますか?
HTML/PDF形式のテキストファイルが付属しています。

●本はついていますか?
本はついていません。

●支払い方法は?
銀行振込、クレジット決済、コンビニ決済をご用意しています。あるいはメルマガに直接返信してください。件名はそのままで、お名前とご住所を書いて直接返信してください。折り返し、お支払方法をお送りします。

●何日くらいで手元に届きますか?
ダウンロード版はご注文いただいてから48時間以内に、専用サイトにアクセスするための「ID」「パスワード」を発行してメールでお送りします。案内が届かない・ダウンロードできない場合、inform【アット】sirdaizine.comまでご連絡ください。

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本製品は、オンライン版のみの販売となります。

「オンライン版」とは、インターネット上の専用サイトでご視聴いただくものです。ご注文いただいてから48時間以内に、専用サイトにアクセスするための「ID」「パスワード」を発行してメールでお送りします。

メールに記載されたurlから専用サイトにアクセスしていただき、そこで「ID」と「パスワード」を入力することにより、視聴が可能になります。パソコンがなくても、スマートフォンのみで視聴できます。音声・テキストデータを一括ダウンロードしていただくこともできます(一括ダウンロードにはパソコンが必要です)

スマートフォンでオンライン版をご利用の場合、別途、通信料金がかかりますので、wifi環境でのご利用をおすすめします。

≫「明治維新の光と陰」オンライン版(2700円)
≫「幕末の動乱」+「明治維新の光と陰」オンライン版 セット(5000円)



もしくはメルマガに直接返信してください。件名はそのままで、お名前を書いて直接返信してください。折り返し、お支払方法をお送りします。

※サーバー負荷の関係で、受付数に限りがございます。受付は予告なく締め切りますので、お申込みはお早めにお願いします。

セット購入がお得です。

また、前作「幕末の動乱」とのセット購入が割引価格でお得になっております。

前作「幕末の動乱」は、嘉永6年(1853)ペリー来航から、慶応4年(1864)正月の鳥羽・伏見の戦いまで。

幕末のさまざまな事件や人物について、解説音声とテキストです。

「幕末の動乱」と「明治維新の光と陰」を通して聴くと、幕末~明治に到るダイナミックな歴史の流れが楽しみながら学べます。

内容一覧

黒船来航(一)
黒船来航(ニ)
日米和親条約
ハリス来日
日米修好通商条約 締結前夜
井伊直弼の大老就任と、日米修好通商条約
安政の大獄
万延元年遣米使節
桜田門外の変
和宮(かずのみや)、徳川家茂に嫁す
坂下門外の変
寺田屋騒動
生麦事件
壬生浪士組 結成
徳川家茂の上洛
長州藩、攘夷を実行
薩英戦争
高杉晋作、奇兵隊を結成
八月十八日の政変
池田屋事件
禁門の変(一)
禁門の変(ニ)
四国連合艦隊 下関砲撃事件
第一次長州征伐
高杉晋作の挙兵
長州「四境戦争」前夜
薩長同盟
寺田屋事件
第二次長州征伐(四境戦争)
徳川慶喜、将軍就任
大政奉還
近江屋事件 坂本龍馬の最期
ええじゃないかと幕末の新興宗教
王政復古のクーデター
江戸薩摩藩邸焼き討ち事件
鳥羽・伏見の戦い(一)
鳥羽・伏見の戦い(ニ)

総時間:約7.8時間

≫「明治維新の光と陰」オンライン版(2700円)
≫「幕末の動乱」+「明治維新の光と陰」オンライン版 セット(5000円)

※サーバー負荷の関係で、受付数に限りがございます。受付は予告なく締め切りますので、お申込みはお早めにお願いします。

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。