行基、鑑真、聖武天皇、
平城京、大仏造営…

昔教科書でならったあの人物。
あの出来事。

バラバラだった知識が、
スッと一本の線でつながります。

こんにちは。左大臣光永です。

本日は講演録音CDのご案内です。

「行基と鑑真」

奈良時代を代表する仏教者、行基と鑑真について語ったオーディオCDです。2019年8月に京都で行った講義の録音に、特典音声を加えたものです。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudokus.com/mp3/SemiCD2-Gyouki.mp3

行基は和泉国(大阪府堺市・高石市)の生まれ。辻説法により民衆に仏教の教えをとき、各地に橋をかけたり池を掘るという社会事業を行いました。聖武天皇からの信頼を受け、大僧正にまで到り、東大寺の大仏造営にも大きな働きをなしました。

鑑真は中国揚州の生まれ。日本からの留学僧の要請にこたえて弟子たちと共に日本に渡ることを決意し、五度の失敗を経て、目の光を失いながらも日本にたどりつき、仏教の戒律を伝えました。

内容紹介


行基一「行基登場」
平城京遷都まもない頃、辻に立って民衆を教え導く行基なる僧の姿があった。行基の説法は大人気で、人々は「争い来たって」これを聴いた。政府は行基と信者たちを迫害したが、行基は伝道をやめなかった。

行基ニ「政府の宥和政策」
行基と信者たちへの迫害は時代の変化とともにゆるんでいった。橘諸兄(たちばなの もろえ)は行基と信者たちの結束力を国家のために活かそうと考える。同じころ、聖武天皇は平城京を出て、突如「都を遷す」と言い始める。

行基三「大仏造営」
天平14年(743)10月、聖武天皇は「大仏造営の勅」を発す。大仏造営事業ははじめ近江国紫香楽(しがらき)で始められ、後に平城京で引き継がれる。行基とその教団はこの壮大な国家プロジェクトに組み込まれることとなった。

鑑真一「戒律僧を求めて」
日本には僧侶になるための正式な「戒」を授けることのできる戒律僧がいなかった。そのため質の低い僧侶が増えていた。そこで中国から戒律僧を招こうということになる。二人の若き僧、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が使者として選ばれる。

鑑真ニ「鑑真を訪ねる」
742年10月、栄叡と普照は揚州大明寺に鑑真和上を訪ねる。鑑真は日本と中国の古くからのつながりを説き、鑑真以下21名の僧が日本に渡ることとなる。しかしその航海は困難をきわめた。のべ12年間、五度の渡航計画はすべて失敗する。

鑑真三「ふたたび遣唐使」
天平勝宝4年(752)ふたたび遣唐使が派遣される。一行は鑑真和上を貨物にまぎれさせ、蘇州を出港する。

鑑真四「平城京へ」
天平勝宝3年(753)11月、鑑真一行は鹿児島到着する。翌年、平城京に入り、大歓迎を受ける。聖武上皇以下430名に戒律を授ける。その後、鑑真は平城京右京に土地を得て、戒律を学ぶための道場を開いた。後の唐招提寺である。

特典音声
『続日本紀』より行基伝(現代語訳)
『続日本紀』より「大仏建立の勅」(現代語訳)
『唐大和上東征伝』より「鑑真を訪ねる」(現代語訳)

総時間 約78分

行基、鑑真、聖武天皇、平城京、大仏造営…昔教科書でならったあのあの人物。あの出来事。バラバラだった知識が、スッと一本の線でつながります。

※在庫がなくなり次第、販売終了します。お申し込みはお早めにどうぞ。

特長

■通常の音楽cdですので、カーステレオ・ラジカセなどで再生することができます。

■講義を録音したものですので、スタジオ録音のような高音質ではありません。ご了承ください。

■講義で使った配布資料(レジュメ)は、こちらのurlからダウンロードしていただけます。資料をみながら聴けば、いっそう理解がしやくなります。

講師


2019年6月22日「菅原道真」の講義のようす

左大臣光永。左大臣プロジェクト運営委員会代表。古典・歴史の語りを行う。楽しく躍動感のある語りで好評をはくす。2017年より平安京の歴史と文化を語るため、京都に移住。メールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」は2010年より、1300回以上にわたって配信中。現在、京都と静岡で定期的に講演中。

お問い合わせ先:

前回ぶん「菅原道真」も再販します

菅原道真の出生から、少年時代・青年時代・宇多天皇に重く用いられ、右大臣にまで至るも、無実の罪を着せられ、大宰府に流され、死後、怨霊として恐れられ、やがて学問の神様に至るまで語っています。

2019年6月に京都で行った講義の録音です。

内容紹介


第一章「菅原氏のルーツ」
菅原氏のルーツは古代氏族の土師氏(はじし)である。桓武天皇の時、土師氏は桓武天皇の許しを受けて奈良の菅原の地名から菅原氏と改姓する。この菅原古人が、菅原道真の曽祖父である。

第ニ章「少年時代・青年時代」
若き日の道真は出世をかさね、文章博士(もんじょうはかせ)に至る。祖父も父もつとめた、ほまれ高い役職であったが、道真は周囲の妬みを買うことになる。

第三章「讃岐守時代」
讃岐守として地方での仕事は、道真にとって気のすすまないものだった。四年間の任期を、道真はいかに過ごしたのか?

第四章「阿衡の詮議」
宇多天皇と太政大臣・藤原基経の対立のはざまにあって、学者の橘広相(たちばなの ひろみ)が処罰されそうになる。道真は都にのぼり、藤原基経に長文の意見書をたてまつる。

第五章「遣唐使の廃止」
寛平6年(894)260年あまり続いた遣唐使が廃止される。そこに菅原道真が果たした役割とは?

第六章「大宰府へ」
昌泰4年(901)正月、菅原道真は右大臣から一転して、大宰府送りとなる。なぜ道真は左遷されたのか?通説のように道真は「無実」なのか?

第八章「天神信仰」
死後ほどなくして、道真の神格化は始まった。道真はなぜ「天神さま」と呼ばれるのか?古代からの天神信仰が、どのように菅原道真と結びついたのか?

通して聴くと、菅原道真の生涯と、死後の天神信仰の広まりについて、楽しみながら学ぶことができます。

お申し込みはこちらのリンクから。

≫「行基と鑑真」CD版(2300円)

≫「菅原道真」CD版(2200円)

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