こんにちは。左大臣光永です。

7月も終わりですね。雨ばかり続いた一ヶ月間でしたが、いかがお過ごしだったでしょうか?私はこれから、雨で外出できなかったのを取り戻すべく、あちこち出かけようと思っています。ひとまず明日から赤穂に行ってきます。

さて発売中の商品『徒然草』全243段 dvd-rom版・ダウンロード版、特典つきでの販売が本日までとなりますので、ご連絡させていただきました。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

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つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、
心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。

『徒然草』は兼好法師による全243段からなる随筆です。

内容は、人生論あり、友情論あり、思わず笑ってしまう失敗談あり、辛口の人間批評や政治批評あり、ことわざのようなキラリと光る警句あり、歴史上の人物の逸話あり…バラエティ豊かです。

たまに取り出してぱらぱらーーっとめくると、やっぱりいいな、いいこと言うな、と思います。キラッと光る言葉や、場面が見つかります。

妻を持ってはいけない!

たとえば兼好法師の結婚観。個人的に、すこぶる共感できます。

妻(め)といふものこそ、男(おのこ)の持つまじきものなれ。「いつも独(ひと)り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰(たれ)がしが婿になりぬ」とも、又、「如何(いか)なる女を取りすゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心おとりせらるるわざなり。

(中略)

いかなる女なりとも、明暮(あけくれ)添ひ見んには、いと心づきなく、にくかりなん。女のためにも半空(なかぞら)にこそならめ。よそながら、ときどき通ひ住まんこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、めづらしかりぬべし。

190段

妻というものは、男が持ってはいけないものである。「いつも独り住みで」など聞くのこそ、奥ゆかしく思い、「誰それの婿になった」とも、また「これこれの女を迎え入れて一緒に住んでいる」など聞いたら、まったくがっかりさせられることである。

どんな女であっても、朝晩連れ添って見ていると、たいそう気に食わず、憎たらしくなるだろう。女のためにも、不安定で中途半端なことになろう。よそに住んでいて、時々通い住むのが、年月を経ても絶えない間柄ともなるだろう。

不意に訪ねて来て、泊まっていくのなどは、新鮮な気分がするに違いない。

………

私もね、通い婚がいいと思うんですよ。一つ屋根の下で赤の他人が、しかも男女が暮す。それゃ、いがみあい憎しみあうに決まってます。たまに会うからこそ新鮮さも保てるでしょう。

私は結婚する気はないですが、万一まかりまちがって結婚するとしたら、完全別居で、会うのは月に一回とかでいいです。

ちなみに兼好の時代の結婚は、現在よりはるかにしばりがゆるく、自由で、なあなあだったと思われます。現在のキュウクツで縛りだらけの結婚制度を知ったら、兼好なら呆れて鼻をフハと鳴らすでしょう。

北条時頼公、味噌を肴に酒を飲む

平宣時朝臣、老の後、昔語りに、「最明寺入道(さいみょうじのにゅうどう)、ある宵の間(ま)に呼ばるる事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、又使来りて、『直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば異様(ことよう)なりともとく」とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子(ちょうし)に土器(かわらけ)とりそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ、人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、脂燭(しそく3)さして、くまぐまをもとめし程に、台所の棚に、小土器(こかわらけ)に味噌の少しつきたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、興にいられ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。

215段

平宣時朝臣が、年老いて後、昔語りに、「最明寺入道(五代執権北条時頼)が、ある宵の間にお呼びになる事があったので、「すぐに」と申しながら、しかるべき直垂がなくてあれこれしている間に、また使いが来て、「直垂などがございませんのですか。夜であるのでどんな格好でも構いません。すぐに」とあったので、よれよれの直垂を着て、普段着のままで参上した所、銚子に素焼きの器を添えて持って出て、『この酒を独りでいただくのが物足りないので、来てくださいと申上げたのです。肴が無いのですが、人が寝静まっています。肴になるような物はないか、どこまでも探してみてください」とあったので、脂燭をさして、すみずみまで探し求めるうちに、台所の棚に、小さな素焼きの器に味噌が少しついたのを見つけて、『これぞ見つけ出しました』と申し上げた所、『十分です」といって、こころよく何杯も酌み交わして、上機嫌になられた。その時代は、万事こんなふうでございました」と申された。

………

味噌を肴に酒を飲んだっていうんですね。五代執権・北条時頼公といえば、有力御家人三浦氏をほろぼし、北条得宗家の権力を不動のものとした人物です。隠居後に僧侶の姿に身をやつして遠く陸奥まで視察してまわった伝説が有名です。建長寺をつくったことでも知られます。墓は北鎌倉明月院にありますが、その人柄がしのばれるような、小さく質素なものです。私は明月院や建長寺に行くたびに、北条時頼公が味噌を肴に酒を飲んでる姿が浮かんで、微笑ましく、なつかしい気持ちになります。

分をわきまえろ!

高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、ある時、鏡を取りて顔をつくづくと見て、我がかたちのみにくく、あさましき事を余りに心うく覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて手にだに取らず、更に人にまじはる事なし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。

高倉院の法華堂でお勤めをしている三昧僧、なんとか律師とかいうものが、ある時、鏡を取って顔をつくづくと見て、自分の容貌が醜く、あきれるほどである事を余りに残念に思って、鏡さえ嫌な心地がしたので、その後長く鏡を恐れて手にさえも取らず、まったく人と交わることをしなかった。法華堂のお勤めだけに参加して、あとは引きこもっていたと聞きましたのは、滅多にないすばらしい心掛けだと思った。

賢げなる人も、人の上をのみはかりて、おのれをば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理(ことわり)あるべからず。されば、おのれを知るを、物知れる人といふべし。かたちみにくけれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道のいたらざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして外の譏(そし)りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ。年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。

賢そうに見える人も、人の身の上ばかり批評して、自分のことは知らない。自分を知らずに他を知るという道理があるはずがない。であれば、自分を知っている人を、物を知っている人と言うべきだ。容貌が醜いのに知らず、心の愚かなのも知らず、芸の拙いのも知らず、物の数でも無いことをも知らず、年取って老いていくのも知らず、病が体を冒しているのも知らず、行っている道の最後まで至らないことも知らず、身の上の非を知らないなら、まして他人からの非難されていることを知らない。

ただし、容貌は鏡に見える。年は数えればわかる。自分の身の事を知らないわけではないけれど、かといって対策があるわけではないので、知らないに等しいと言えようか。

かたちを改め、齢(よわい)を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、なんぞやがて退かざる。老いぬと知らば、なんぞ閑(しづか)に身を安くせざる。行いおろかなりと知らば、なんぞ茲(これ)を念(おも)ふこと茲にあらざる。

すべて、人に愛楽(あいぎょう)せられずして衆(しゅう)にまじはるは恥なり。かたちみにくく、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才(たいさい)に交り、不堪(ふかん)の座に列(つらな)り、雪の頭(かしら)を頂きて盛りなる人にならび、況んや、及ばざる事を望み、かなはぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心にひかれて、自ら身をはづかしむるなり。貪る事のやまざるは、命を終ふる大事、今ここに来れりと、たしかにしらざればなり。

134段

容貌を改め、若作りしろと言っているのではない。拙いことを知れば、どうしてすぐに退かないのか。年老いたと知れば、どうして静かに身を安静にしないのか。修行がおろそかと知れば、どうしてこれを自分のこととして反省しないのか。

すべてにおいて、人に可愛がられずに多くの人に交わるのは恥である。容貌が醜く、思慮が足りないままに出仕し、無智のままに学問才能のある人に交わり、拙い芸で芸達者な人たちの座に連なり、白髪頭で壮年の人と肩を並べ、まして、及びもしない事を望み、それが叶わないことを嘆き、来ないことを待ち、人に恐れ、人に媚びるのは、他人が与える恥ではない。貪る心に引かれて、自ら身をはずかしめるのである。

貪る事を止めないのは、命が終えるという大事が、今ここに来ていると、実感としてわかっていないからである。

年取ってからの身の処し方

このように兼好法師は40歳すぎて年取った者がでしゃばることに、かなり批判的です。

四十(よそぢ)にもあまりぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんは、いかがはせん、言(こと)にうち出(い)でて、男・女の事、人のうへをも言ひたはぶるるこそ、似げなく、見苦しけれ。

大かた聞きにくく見苦しき事、老人(おいびと)の若き人にまじはりて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人をへだてなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人(まれびと)に饗応(あるじ)せんときらめきたる。

113段

四十も過ぎた人が、なまめかしい色恋の方面に、たまたま忍んで行っているのは仕方ないが、わざわざ言葉に出して、男女のことを他人の身の上も言い戯れているのは、年相応でなく、見苦しいものだ。

およそ聞きづらく見苦しい事は、老人が若い人に交って、ウケるだろうと物を言っている姿。取るに足らない分際で、世間の誉高い人をまるで知り合いのように馴れなれしく言うこと。貧しい家で、酒宴を好み、客にご馳走しようと派手にふるまっているさま。

夜の美しさについて

「夜に入りて物のはえなし」といふ人、いと口惜し。万(よろづ)のものの綺羅・飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ。昼は、ことそぎ、およすげたる姿にてもありなん。夜は、きららかに、はなやかなる装束、いとよし。人の気色(けしき)も、夜のほかげぞ、よきはよく、もの言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。匂ひも、ものの音(ね)も、ただ夜ぞ、ひときはめでたき。

191段

「夜に入ると物の見栄えがしない」と言う人は、たいへん残念である。あらゆる物の美しさ・装飾のさまや・晴れの場面なども、夜が一番すばらしく見えるものだ。昼は簡素で、地味な姿をしていてもよかろう。夜は、きらびやかに、華やかな衣装が、大変よい。

人の感じも、夜の燈火に映った姿が、立派な人はいよいよ立派に見え、物言う声も、暗い中で聞く声で、つつしみのある声が、奥ゆかしい。楽器の音も、夜こそ、ひたすらに素晴らしい。

………
こういう文章を読むと、ああ自分の美意識は古典の影響を強く受けてるんだなと、改めて思わされます。

成田からリムジンバスで池袋まで乗った時、夜景がきれいだったんです。リムジンバスは窓が広いので、あの大きな窓を通して見る夜の東京は、とてもつややかで耀いて見えるんですよ。

それは、夜景とか、ビルの合間に見える川に反射するネオンサインといった、わかりやすい美しさだけでなく、窓のあかりも消えて黒々としたビルの影が次々と流れて行く。それだけでも何となくつややかで、美しく思えるから不思議です。

今やれ!一事をはげめ!

次は長いですが、たいへん身につまされる、そして力のある文章です。

或者、子を法師になして、「学問して因果(いんが)の理(ことわり)をも知り、説教などして世わたるたづきともせよ」と言ひければ、教へのままに、説教師にならんために、先(ま)づ馬に乗り習ひけり。輿(こし)・車は持たぬ身の、導師(どうし)に請(しょう)ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事ののち、酒などすすむる事あらんに、法師の無下(むげ)に能なきは、檀那(だんな)すさまじく思ふべしとて、早歌(そうか)といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説教習ふべき隙(ひま)なくて、年寄りにけり。

ある者が、子を法師にして、「学問して因果の道理をも知り、説教などして生活の手段ともせよ」と言ったので、教えのままに、説教師になるために、まず馬に乗ることを習った。輿や車を持たない身で、仏事主催役の僧として招かれた時、馬などを迎えによこした場合、乗り方が下手で落馬しては心配だと思ったのだ。

次に、仏事の後、酒などすすめる事があるような場合、法師がまったく芸が無いのも、施主が興ざめに思うに違いないということで、早歌(そうか。当時東国を中心に流行った歌謡)を習った。

二つのわざが、だんだん熟練の境地に達したので、いよいようまくなりたく思って気合いを入れて稽古しているうちに、説教を習う暇がなくなり、年取ってしまった。

この法師のみにもあらず、世間の人、なべてこの事あり。若き程は、諸事(しょじ)につけて、身を立て、大きなる道をも成(じょう)じ、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心にはかけながら、世を長閑(のどか)に思ひてうち怠りつつ、先(ま)づ、さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごと成す事なくして、身は老いぬ。終(つい)に物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢(よわい)ならねば、走りて坂を下る輪のごとくに衰へゆく。

この法師に限ったことではない。世間の人は、おしなべてこういう事がある。若い時は、あらゆる物事について、立身出世をし、大きな事業を成し遂げ、技能も身につけ、学問もしようと、人生のずっと先までこうしたい、というさまざまな事を心にはかけながら、人生をのんびりしたものに思って怠っては、先ず、さしあたって目の前のことだけに紛れて月日を送れば、何事も成し遂げることはなく、身は老いてしまう。

結局、一芸にすぐれた者にもなれず、思ったように立身出世もできず、悔いても取返しのつく年齢ではなくなっているので、走って坂を下る車輪のように衰えゆくのだ。

されば、一生のうち、むねとあらまほしからん事の中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事をはげむべし。一日の中(うち)、一時の中(うち)にも、あまたのことの来たらんなかに、少しも益(やく)のまさらん事を営みて、その外をばうち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方(いずかた)をも捨てじと心に執(と)り持ちては、一事も成るべからず。

であれば、一生のうち、特に望ましい事の中に、どれが勝っているかよく思い比べて、第一のことを心に決めて、その外は気持ちを捨てて、その一つの事だけを励むべきである。一日の中、一時の中にも、いろいろと為すべき用事が来る中に、少しでも有益である事を行って、その外の事を捨てて、大事を急ぐべきである。

あれもこれも捨てまいと心に執着していては、一つの事も成ることはなかろう。

たとへば、碁をうつ人、一手(ひとて)もいたづらにせず、人にさきだちて、小を捨て大につくが如し。それにとりて、三(み)つの石を捨てて、十(とお)の石につくことは易し。十を捨てて、十一に付く事は難し。一つなりともまさらんかたへこそつくべきを、十まで成りぬれば、惜しくおぼえて、多くまさらぬ石には換へにくし。是(これ)をも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、是(これ)をも失ふべき道なり。

たとえば、碁を打つ人が、一手も無駄にせず、人に先立って、利益の少ない石を捨てて利益の大きな石を取るようなものである。それに関して、三つの石を捨てて、十の石を取ることは簡単である。十を捨てて、十一を取ることは難しい。一つでさえも勝っている方につくべきであるのに、十まで成っているから、惜しく思えて、多く勝っている石には換えにくいのだ。

これをも捨てず、あれをも取ろうと思う心では、あれをも得ず、これをも失うのは当然の道理だ。

京にすむ人、いそぎて東山に用ありて、既に行きつきたりとも、西山に行きてその益(やく)まさるべき事を思ひ得たらば、門(かど)より帰りて西山へ行くべきなり。ここまで来(き)つきぬれば、この事をば先(ま)づ言ひてん。日をささぬ事なれば、西山の事は、帰りて又こそ思ひ立ためと思ふ故に、一時の懈怠(けだい)、すなはち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

京にすむ人が、急いで東山に用があって、既に行き着いたといっても、西山に行ってその利益が勝るに違いない事を気づき得たなら、門から引き返して西山へ行くべきなのだ。ここまで来たのだから、この事をまず言おう。日を指定した事でもないし、西山の事は、帰ってまた思い立とうと思うために、一時の怠りが即座に一生の怠りとなる。これを恐れるべきだ。

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず。万事にかへずしては、一(いつ)の大事成るべからず。

186段

一つの事を必ず成就させようと思うなら、他の事が失敗することを嘆いてはならない。人の嘲りをも恥じてはならない。他のあらゆることと引き換えにしなくては、一つの大事が成就するはずがない。

………

あなたにとって、他のすべてをなげうってもなすべき第一の大事とは、何でしょうか?

……こうした『徒然草』のさまざまな言葉、エピソード。面白いことに、たまに読み返すと、そのたびに、新しいものを返してくれます。

その時の自分の気持ち、置かれている状況によって、あれっ、以前は気づかなかったけど、ここいいこと言ってるな。とかね。

一生つきあっていける作品と思います。

本製品は、

『徒然草』全243段を、すべて原文と、現代語訳で朗読し、必要に応じて補足説明を加えた音声とテキストです。全14.6時間にわたりますが、それぞれの話は数分から十数分程度で、気軽に聴けます。

また原文に加えて現代語訳と解説がありますので、より内容がわかりやすくなっています。

内容一覧
序段 つれづれなるままに
第一段 いでや、この世に生まれては
第二段 おろそかなるをもてよしとす
第三段 色好まざらん男は、いとさうざうし
第四段 後の世の事、心にわすれず
第五段 不幸に愁にしづめる人の
第六段 子といふ物なくてありなん
第七段 あだし野の露きゆる時なく
第八段 世の人の心まどはす事、色欲にはしかず
第九段 愛著の道
第十段 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ
第十一段 来栖野といふ所を過ぎて
第十二段 おなじ心ならん人としめやかに物語して
第十三段 ひとり灯のもとに文をひろげて
第十四段 和歌こそ、なほをかしきものなれ
第十五段 しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ
第十六段 神楽こそ
第十七段 山寺にかきこもりて
第十八段 人はおのれをつづまやかにし
第十九段 折節のうつりかはるこそ
第二十段 なしがしとかや言ひし世捨人の
第二十一段 よろづのことは、月見るにこそ
第二十二段 なに事も、古き世のみぞしたはしき
第二十三段 おとろへたる末の世とはいへど
第二十四段 斎王の野宮におはしますありさまこそ
第二十五段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば
第二十六段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に
第二十七段 御国ゆづりの節会おこなはれて
第二十八段 諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ
第二十九段 しづかに思へば
第三十段 人のなきあとばかり
第三十一段 雪のおもしろう降りたりし朝
第三十二段 九月廿日の比
第三十三段 今の内裏作り出だされて
第三十四段 甲香は
第三十五段 手のわろき人の
第三十六段 久しくおとづれぬ比、いかばかりうらむらんと
第三十七段 朝夕隔てなく馴れたる人の
第三十八段 名利に使はれて、しづかなるいとまなく、
第三十九段 或人、法然上人に、
第四十段 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、
第四十一段 五月五日、賀茂の競馬を見侍りしに、
第四十二段 唐橋中将といふ人の子に、
第四十三段 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、
第四十四段 あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の、
第四十五段 公世の二位のせうとに、良寛僧正と聞えしは、
第四十六段 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり
第四十七段 或人、清水へまゐりけるに、
第四十八段 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、
第四十九段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。
第五十段 女の鬼になりたるを率てのぼりたりといふ事ありて、
第五十一段 亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、
第五十二段 仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、
第五十三段 是も仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、
第五十四段 御室に、いみじき児のありけるを、
第五十五段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。
第五十六段 久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、
第五十七段 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ
第五十八段 道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交わるとも、
第五十九段 大事を思ひたたん人は、
第六十段 真乗院に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
第六十一段 御産のとき甑落す事は、さだまれる事にはあらず、
第六十二段 延政門院いときなくおはしましける時、
第六十三段 後七日の阿闍梨、武者をあつむる事、
第六十四段 車の五緒は、必ず人によらず、
第六十五段この比(ごろ)の冠(こうぶり)は、
第六十六段 岡本関白殿(おかもとのかんぱくどの)、盛りなる紅梅の枝に、
第六十七段 賀茂の岩本・橋本は、
第六十八段 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが、
第六十九段 書写の上人は、
第七十段 元応の清暑堂の御遊びに
第七十一段 名を聞くより、やがて面影はおしはからるる心地するを、
第七十二段 賤しげなるもの
第七十三段 世に伝ふる事、まことはあいなきにや
第七十四段 蟻のごとくに集まりて
第七十五段 つれづれわぶる人は
第七十六段 世の覚え華やかなるあたりに
第七十七段 世の中に、その比人のもてあつかひぐさに言ひあへる事
第七十八段 今様の事どものめづらしきを
第七十九段 何事も入りたたぬさましたるぞよき
第八十段 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
第八十一段 屏風・障子などの絵も文字も
第八十二段 うすものの表紙は
第八十三段 竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに
第八十四段 法顕三蔵の、天竺にわたりて
第八十五段 人の心すなほならねば
第八十六段 惟継中納言は
第八十七段 下部に酒飲まする事は
第八十八段 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを
第八十九段 奥山に、猫またといふものありて
第九十段 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸
第九十一段 赤舌日といふ事
第九十二段 或人、弓射る事を習ふに
第九十三段 牛を売る者あり
第九十四段 常盤井相国、出仕し給ひけるに
第九十五段 箱のくりかたに緒を付くる事
第九十六段 めなもみといふ草あり
第九十七段 その物に付きて、その物を費しそこなふ物
第九十八段 尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて
第九十九段 堀川相国は
第百段 久我相国は
第百一段 或人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに、
第百二段 尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、
第百三段 大覚寺殿にて、近習の人ども、
第百四段 荒れたる宿の、人目なきに、
第百五段 北の屋かげに消え残りたる雪の、
第百六段 高野証空上人、京へのぼりけるに、
第百七段 女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は、
第百八段 寸陰惜しむ人なし
第百九段 高名の木登りといひしをのこ、人をおきてて、
第百十段 双六の上手といひし人に、
第百十一段 囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、
第百十二段 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、
第百十三段 四十にもあまりぬる人の、色めきたる方、
第百十四段 今出川のおほひ殿、嵯峨へおはしけるに、
第百十五段 宿河原といふところにて、
第百十六段 寺院の号、さらぬ万の物にも、
第百十七段 友とするにわろき者
第百十八段 鯉の羹食ひたる日は、
第百十九段 鎌倉の海に鰹といふ魚は、
第百二十段 唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。
第百二十一段 養ひ飼ふものには、
第二十二段 人の才能は、
第百二十三段 無益のことをなして時を移すを、
第百二十四段 是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、
第百二十五段 人におくれて、四十九日の仏事に、
第百二十六段 ばくちの負けきはまりて、
第百二十七段 あらためて益なき事
第百二十八段 雅房大納言は、才賢く、
第百二十九段 顔回は、志、
第百三十段 物に争はず、おのれを枉げて人に従がひ、
第百三十一段 貧しき者は財をもて礼とし、
第百三十二段 鳥羽の作道は、
第百三十三段 夜の御殿は東御枕なり
第百三十四段 高倉院の法華堂の三昧僧
第百三十五段 資季大納言入道とかや聞えける人
第百三十六段 医師篤成、故法皇の御前にさぶらひて
第百三十七段 花はさかりに
第百三十八段 祭過ぎぬれば、後の葵不要なりとて、
第百三十九段 家にありたき木は、
第百四十段 身死して財残る事は、
第百四十一段 悲田院尭蓮上人は、
第百四十二段 心なしと見ゆる者も、よき一言いふものなり
第百四十三段 人の終焉の有様のいみじかりし事など、
第百四十四段 栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、
第百四十五段 御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、
第百四十六段 明雲座主、相者にあひ給ひて、
第百四十七段 灸治、あまた所になりぬれば、
第百四十八段 四十以後の人、身を灸を加へて三里を焼かざれば、
第百四十九段 鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず。
第百五十段 能をつかんとする人、
第百五十一段 或人の伝はく、年五十になるまで
第百五十二段 西大寺静然上人、腰かがまり
第百五十三段 為兼大納言入道召し捕られて
第百五十四段 この人、東寺の門に
第百五十五段 世に従はん人は、先(ま)づ機嫌を知るべし
第百五十六段 大臣の大饗は
第百五十七段 筆をとれば物書かれ
第百五十八段 盃のそこを捨つる事は
第百五十九段 みなむすびといふは
第百六十段 門に額かくるを
第百六十一段 花のさかりは
第百六十二段 遍照寺の承仕法師
第百六十三段 太衝の太の字
第百六十四段 世の人あひ逢ふ時、暫くも黙止する事なし
第百六十五段 吾妻の人の都の人に交り
第百六十六段 人間の営みあへるわざを見るに
第百六十七段 一道に携る人、あらぬ道の筵に臨みて
第百六十八段 年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて
第百六十九段 何事の式といふ事は
第百七十段 さしたる事なくて人のがり行くは
第百七十一段 貝をおほふ人の、我がまへなるをばおきて
第百七十二段 若き時は、血気うちにあまり
第百七十三段 小野小町が事
第百七十四段 小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば
第百七十五段 世には心得ぬ事の多きなり
第百七十六段 黒戸は
第百七十七段 鎌倉中書王にて、御毬ありけるに
第百七十八段 或所の侍ども、内侍所の御神楽を見て
第百七十九段 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して
第百八十段 さぎちやうは
第百八十一段 ふれふれこゆき、たんばのこゆき
第百八十二段 四条大納言隆親卿、乾鮭といふものを
第百八十三段 人突く牛をば角を切り
第百八十四段 相模守時頼の母は
第百八十五段 城陸奥守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり
第百八十六段 吉田と申す馬乗り
第百八十七段 よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども
第百八十八段 或者、子を法師になして
第百八十九段 今日は、その事をなさんと思へど
第百九十段 妻といふものこそ
第百九十一段 夜に入りて物のはえなしといふ人
第百九十二段 神仏にも、人のまうでぬ日
第百九十三段 くらき人の、人をはかりて
第百九十四段 達人の人を見る眼は
第百九十五段 或人久我縄手を通りけるに
第百九十六段 東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時
第百九十七段 諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ事
第百九十八段 揚名介にかぎらず
第百九十九段 横川行宣法印が申し侍りしは
第二百段 呉竹は葉細く、河竹は葉広し
第二百一段 退凡・下乗の卒塔婆
第二百二段 十月を神無月と言ひて
第二百三段 勅勘の所に靫かくる作法
第二百四段 犯人を笞にて打つ時は
第二百五段 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は
第二百六段 徳大寺右大臣殿、検非違使の別当の時
第二百七段 亀山殿建てられんとて、地を引かれけるに
第二百八段 経文などの紐を結ふに
第二百九段 人の田を論ずるもの、訴へに負けて
第二百十段 喚子鳥は春のものなりとばかり言ひて
第二百十一段 よろづの事は頼むべからず
第二百十二段 秋の月は、かぎりなくめでたきものなり
第二百十三段 御前の火炉に火を置く時は
第二百十四段 想夫恋といふ楽は
第二百十五段 平宣時朝臣、老の後、昔語りに
第二百十六段 最明寺入道、鶴岡の社参の次に
第二百十七段 或大福長者の言はく
第二百十八段 狐は人に食ひつくものなり
第二百十九段 四条黄門命ぜられて言はく
第二百二十段 何事も辺土は、賤しく、かたくななれども
第二百二十一段 建治・弘安の比は、祭の日の放免の付物に
第二百二段 竹谷乗願房
第二百二十三段 鶴の大臣殿は
第二百二十四段 陰陽師有宗入道、鎌倉よりのぼりて
第二百二十五段 多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に
第二百二十六段 後鳥羽院の御時、信濃前司行長
第二百二十七段 六時礼賛は
第二百二十八段 千本の釈迦念仏は、文永の比
第二百二十九段 よき細工は
第二百三十段 五条内裏には、妖物ありけり
第二百三十一段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり
第二百三十二段 すべて人は、無智無能なるべきものなり
第二百三十三段 万の咎あらじと思はば
第二百三十四段 人のものを問ひたるに
第二百三十五段 主ある家には、すずろなる人
第二百三十六段 丹波に出雲といふ所あり
第二百三十七段 柳筥に据ゆるものは
第二百三十八段 御随身近友が自讃とて
第二百三十九段 八月十五日、九月十三日は、婁宿なり
第二百四十段 しのぶの浦の蜑の見るめも所せく
第二百四十一段 望月のまどかなる事は
第二百四十二段 とこしなへに違順に使はるる事は
第二百四十三段 八になりし時、父に問ひて言はく

収録時間:14.6時間

期間限定特典

そして期間限定特典です。7月31日・本日までにお買い上げの方へ。メール講座「兼好法師の生涯」全3回をお送りします。

『徒然草』の作者として有名な兼好法師。その生涯には不明な点が多く、長らく謎に包まれていました。

しかし、近年の研究で兼好法師の生涯が、かなりの部分までわかってきました。

本メール講座は兼好法師の生涯を、最新の説にのっとり、語るものです。

歌人としての兼好法師、隠者(世捨て人)としての兼好法師、人生の達人としての兼好法師、そして兼好法師の生きた鎌倉時代末期~南北朝時代の歴史的背景についても語っています。

本編とあわせて聴くことで『徒然草』の鑑賞がよりいっそう深まります。7月31日・本日までの早期お申込み特典です。お申込みはお早めにどうぞ。

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見ぬ世の人を友とする

ひとり灯(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

一人ともしびの下に書物を広げて、会うことのできない昔の人を友とすることは、とても慰められることである。

というわけで。

聴いて・わかる。『徒然草』

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『徒然草』全243段を、すべて原文と、現代語訳で朗読し、必要に応じて補足説明を加えた音声とテキストです。

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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。



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