こんにちは。左大臣光永です。

本日は『徒然草』全243段(DL版・DVD-ROM版)特典(メール講座「兼好法師の生涯」)付きでの販売が最終日となりましたので、ご案内します。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudokus.com/mp3/TsurezureInfoOL4.mp3

『徒然草』。

兼好法師による、全243段からなる随筆。

枕草子、方丈記とならび、「日本三大随筆」のひとつであると、

学校で習ったことでしょう。

『徒然草』に限らず、古典のおもしろいところは、

読む人によって、さまざまな切り口があり、いろいろな読み方ができること。

いろいろな読み方、解釈を受け入れる、懐の深さがあること。

それがゆえに、何百年も昔の作品であるにも関わらず

現在まで読みつがれ古典たりえているのだと思います。

たとえば『徒然草』の最終段=二百四十三段は、とても印象的なことに、

作者兼好法師が、それまで全く語らなかった、父の思い出を語ります。

八(やつ)になりし時、父に問ひて言はく、「仏は如何(いか)なるものにか候ふらん」といふ。父が言はく、「仏には人のなりぬるなり」と。又問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父又、「仏の教へによりてなるなり」と答ふ。又問ふ、「教へ候ひける仏をば、なにが教え候ひける」と。又答ふ、「それも又、さきの仏の教へによりて成り給ふなり」と。又問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」といふ時、父、「空よりやふりけん、土よりやわきけん」といひて、笑ふ。

「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人(しょにん)に語りて興じき。

第二百四十三段

八歳になった時、父に質問していわく、「仏はどんなものでございまなしょうか」と言った。父が言うには「仏には人がなったのだ」と。また質問した。「人はどうやって仏に成りましたのでしょう」と。父はまた、「仏の教えによってなったのだ」と答えた。又質問した。「教えました仏を、なにが教えましたのでしょうか」と。又答えた、「それもまた、その前の仏の教えによって仏におなりになったのだ」と。又質問した。「その教え始めなさった第一の仏は、どんな仏でございましょうか」と言った時、父は、「空から降ってきたのかな。土からわいてきたのかな」といって、笑った。

「問い詰められて、答えられなくなりました」と、父はいろいろな人に語って面白がった。

………

仏とはどんなものですか?

仏には人がなったのだ。

どうやって人が仏になったのですか?

仏に教えられたからだ。

教えました仏を誰が教えたのですか?

それも前の仏に教えられたのだ。

では教え始めの第一の仏は、どんな仏でしょう。

うーん、空からきたのか地面からきたのか。

父の思い出として語られる、仏のなんたるかについてのやり取り。

どうして兼好法師は『徒然草』の最後にこの話をもってきたんでしょうか?

なにか深い意味があるのか?

仏教の真髄的な深い話が、こめられているのか?

さまざまな説があるようですが。

私が思うに、

この話の内容には、とくに意味はないと思います。

たわいもない、父と子のやり取りであるというだけで。

人が亡くなった後、思い出すことというのは、

むしろこういう何気ないやり取り、

会話の切れ端であったり、

けしてドラマチックではない、ある日の淡々とした出来事であったりするじゃないですか。

そう考えて『徒然草』を読み返すと、

「亡くなった人の思い出」について語った話が多いです。それもしみじみと、よい文章が多いのですよ。

しづかに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。

人しづまりて後、長き夜のすさびに、なにとなき具足とりしたため、残しおかじと思ふ反古(ほうご)など破(や)り捨つる中に、なき人の手ならひ、絵かきすさびたる見出でたるこそ、ただその折の心地すれ。この比(ごろ)ある人の文(ふみ)だに、久しくなりて、いかなる所、いつの年なりけんと思ふはあはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくて変らず久しき、いとかなし。

第二十九段

静かに思えば、すべてにおいて過ぎ去った過去の恋しさこそ、どうしようもなく心がいっぱいになる。

人が寝静まった後、長い夜の手すさびに、何でもない道具を取り片づけ、残し置くまいと思う書き散らした紙など破り捨てている中に、亡き人の書いた文字や絵を描きすさんだのを発見した時は、まったく、その人の生きている頃に戻ったような心地がすることよ。

現在生きている人の文さえ、その人と会わない時間が長くなって、この文はどんな折、いつの年のものだったかしらと思うのは感慨深いものだ。

その人が使い慣れていた道具類なども、その人を懐かしむような人間的感情などなく、変わらずいつまでもそのままの姿なのが、たいそう悲しいことだ。

雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべき事ありて、文(ふみ)をやるとて、雪のことなにとも言はざりし返事(かえりごと)に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返々(かえすがえす)口をしき御心(みこころ)なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

今はなき人なれば、かばかりの事もわすれがたし。

第三十一段

雪が見事に降った朝、人のもとへ言うべき事があって、手紙を送る時に、雪のことを何とも言わなった返事に、「この雪いかが見ると一筆もおっしゃらない、そんなひねくれ者のおっしゃる事を聞き入られるでしょうか。返す返すも情けないお心です」と返事をしてきたのは、感慨深いことであった。

その人は今は故人であるので、これだけのことでも、忘れられないのだ。

九月(ながつき)廿日(はつか)の比(ころ)、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見歩(あり)く事侍りしに、思(おぼ)し出づる所ありて、案内(あない)せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうちかをりて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優におぼえて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少しおしあけて、月見る気色(けしき)なり。やがてかけこもらましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなくうせにけりと聞き侍りし。

第三十ニ段

九月二十日の頃、私はある人に誘われて夜明けまで月を見てほうぼうを歩いていた。その時、その人が用事を思い出した所があって、その家に行って取次をさせて、その家にお入りなった。(私はその間、外で待っていたが)その家の様子は、荒れさびれた庭に露が多く、人工的に香をたいたのではない自然の香りが、しめやかに香って、忍びやかな気配、たいそう趣深いものだった。

よい頃合いにその人は出ていらしたが、(私は)なお、この屋敷に住む女のありようが優雅に思われて、物陰からしばらくうかがっていると、妻戸(入口の扉)をもうちょっと押し開けて、月を見ている様子であった。

客人を送り出してからすぐに家の中に駆けこんだとしたら、さぞかしつまらなかったであろう。しかし女は、客人を送り出した後も、見ている人があったとは(この私が見ているとは)知らなかっただろう。このようなことは、ただ朝夕の心がけによるのでしょう。

その女は、ほどなく亡くなってまったと聞いた。

平宣時朝臣、老の後、昔語りに、「最明寺入道(さいみょうじのにゅうどう)、ある宵の間(ま)に呼ばるる事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、又使来りて、『直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば異様(ことよう)なりともとく」とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子(ちょうし)に土器(かわらけ)とりそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ、人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、脂燭(しそく3)さして、くまぐまをもとめし程に、台所の棚に、小土器(こかわらけ)に味噌の少しつきたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、興にいられ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。

第二百十五段

平宣時朝臣が、年老いて後、昔語りに、「最明寺入道(五代執権北条時頼)が、ある宵の間にお呼びになる事があったので、「すぐに」と申しながら、しかるべき直垂がなくてあれこれしている間に、また使いが来て、「直垂などがございませんのですか。夜であるのでどんな格好でも構いません。すぐに」とあったので、よれよれの直垂を着て、普段着のままで参上した所、銚子に素焼きの器を添えて持って出て、『この酒を独りでいただくのが物足りないので、来てくださいと申上げたのです。肴が無いのですが、人が寝静まっています。肴になるような物はないか、どこまでも探してみてください」とあったので、脂燭をさして、すみずみまで探し求めるうちに、台所の棚に、小さな素焼きの器に味噌が少しついたのを見つけて、『これぞ見つけ出しました』と申し上げた所、『十分です」といって、こころよく何杯も酌み交わして、上機嫌になられた。その時代は、万事こんなふうでございました」と申された。

……

この話は、五代執権・北条時頼公の思い出を語ったものです。

北条時頼というと、鎌倉の建長寺をたて、北条氏の権勢を大いにのばした人物です。高台院の大仏さまも、北条時頼の時代に建てられたといいます。

だからすごく立派な、雲の上の、スゴい人なんです。そのスゴい人が、夜中に酒の魚がないといって、味噌を肴に飲んだと、そんな質素なことをやっていた。

あの頃は、万事そんなふうでございましたなあ…と、時頼公に関係のあった人が後年、回想しているという話です。

いわば自民党のOBが、「田中角栄という方は、このようでありましたなあ」なんていって思い出してるかんじです。

……

このように、身近な人、親しい人が亡くなった後、思い出すことというのは、

なんでもない会話であったり、仕草であったり、何ということもない日常の景色であったりするじゃないですか。

なんでもない場面こそが、なぜか忘れられずに、故人の思い出として何度も思い返される…

人生の真理をついてるなァと思います。

『徒然草』

いろいろな切り口があり、さまざまな読み方ができる、懐の深い作品です。

本製品は

本製品は『徒然草』の全243段を原文・現代語訳で朗読し、必要に応じて解説を加えたものです。音声ファイルと、テキストpdfファイルからなります。

本製品は「オンライン版」です。

専用サイトにアクセスしていただき、インターネット上で閲覧していただく形となります。

ご注文いただいてから48時間以内に、専用サイトにアクセスするための「ID」「パスワード」を発行してメールでお送りします。

↓このようなメールが届きます↓

メールに記載されたurlから専用サイトにアクセスしていただき、そこで「ID」と「パスワード」を入力することにより、閲覧が可能になります。

スマートフォン・タブレット・パソコンのいずれの機器でも再生できます。パソコンからスマートフォンにデータを転送するといった面倒な作業もいりません。

電車移動中、スマホでポチポチと気軽に聴いていただくのも、ご自宅のパソコンでどっしり落ち着いて聴いていただくのも、ご自由にどうぞ。

※ただしスマートフォンで閲覧する場合は通信費が発生しますので、wifi環境でのご利用をおすすめします。

【原文】+【現代語訳】+【解説】→楽しい!わかる!

格調高い【原文】と、わかりやすい【現代語訳】、そして語り部の左大臣光永による【解説】により、『徒然草』の世界を存分に味わい、学ぶことができます。

※現代語訳と解説をはぶいた、原文朗読だけの音声ファイルも入っています。

※音声ファイルは一段一段、別ファイルになっているので、好きなところから聴くことができます。

文章・図解表示→わかりやすい

音声だけでなく、通常のウェブサイトのように文章が表示されます。人名や聞きなれない歴史用語はやはり音声だけでなく文字があったほうがわかりやすいはずです。

耳から聴くと同時に、目で見て、視覚と聴覚の両方で、内容が理解できるようになっています。

全243段をすべて音声化

通常、古典作品を音声化すると量が膨大になるため、有名な箇所・めぼしい部分を選んで、他ははしょる場合がほとんどです。

しかし作品というものは全体で一つのまとまったメッセージであり、一部を崩すと本来のメッセージと違ってきてしまいます。

本製品は『徒然草』の全243段をすべて漏らさず朗読・現代語訳・解説しています。『徒然草』の世界を存分に味わい、学ぶことができます。

一括ダウンロードも可能

音声ファイルとテキストファイルを一括ダウンロードしていただくことも可能です(ただしパソコンのみ)。一括ダウンロードしてローカル環境で視聴すれば、通信費がかかりません。

pdfファイルもダウンロード可能

オンライン版のテキストをまとめたpdfファイルも、ダウンロードしていただけます。

スキマ時間に、気軽に聴けます

一話一話は10分程度の話で完結していますので、気軽に聴くことができます。

お申し込みはこちら

内容一覧

全243段 14.6時間

序段 つれづれなるままに
第一段 いでや、この世に生まれては
第二段 おろそかなるをもてよしとす
第三段 色好まざらん男は、いとさうざうし
第四段 後の世の事、心にわすれず
第五段 不幸に愁にしづめる人の
第六段 子といふ物なくてありなん
第七段 あだし野の露きゆる時なく
第八段 世の人の心まどはす事、色欲にはしかず
第九段 愛著の道
第十段 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ
第十一段 来栖野といふ所を過ぎて
第十二段 おなじ心ならん人としめやかに物語して
第十三段 ひとり灯のもとに文をひろげて
第十四段 和歌こそ、なほをかしきものなれ
第十五段 しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ
第十六段 神楽こそ
第十七段 山寺にかきこもりて
第十八段 人はおのれをつづまやかにし
第十九段 折節のうつりかはるこそ
第二十段 なしがしとかや言ひし世捨人の
第二十一段 よろづのことは、月見るにこそ
第二十二段 なに事も、古き世のみぞしたはしき
第二十三段 おとろへたる末の世とはいへど
第二十四段 斎王の野宮におはしますありさまこそ
第二十五段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば
第二十六段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に
第二十七段 御国ゆづりの節会おこなはれて
第二十八段 諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ
第二十九段 しづかに思へば
第三十段 人のなきあとばかり
第三十一段 雪のおもしろう降りたりし朝
第三十二段 九月廿日の比
第三十三段 今の内裏作り出だされて
第三十四段 甲香は
第三十五段 手のわろき人の
第三十六段 久しくおとづれぬ比、いかばかりうらむらんと
第三十七段 朝夕隔てなく馴れたる人の
第三十八段 名利に使はれて、しづかなるいとまなく、
第三十九段 或人、法然上人に、
第四十段 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、
第四十一段 五月五日、賀茂の競馬を見侍りしに、
第四十二段 唐橋中将といふ人の子に、
第四十三段 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、
第四十四段 あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の、
第四十五段 公世の二位のせうとに、良寛僧正と聞えしは、
第四十六段 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり
第四十七段 或人、清水へまゐりけるに、
第四十八段 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、
第四十九段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。
第五十段 女の鬼になりたるを率てのぼりたりといふ事ありて、
第五十一段 亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、
第五十二段 仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、
第五十三段 是も仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、
第五十四段 御室に、いみじき児のありけるを、
第五十五段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。
第五十六段 久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、
第五十七段 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ
第五十八段 道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交わるとも、
第五十九段 大事を思ひたたん人は、
第六十段 真乗院に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
第六十一段 御産のとき甑落す事は、さだまれる事にはあらず、
第六十二段 延政門院いときなくおはしましける時、
第六十三段 後七日の阿闍梨、武者をあつむる事、
第六十四段 車の五緒は、必ず人によらず、
第六十五段この比(ごろ)の冠(こうぶり)は、
第六十六段 岡本関白殿(おかもとのかんぱくどの)、盛りなる紅梅の枝に、
第六十七段 賀茂の岩本・橋本は、
第六十八段 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが、
第六十九段 書写の上人は、
第七十段 元応の清暑堂の御遊びに
第七十一段 名を聞くより、やがて面影はおしはからるる心地するを、
第七十二段 賤しげなるもの
第七十三段 世に伝ふる事、まことはあいなきにや
第七十四段 蟻のごとくに集まりて
第七十五段 つれづれわぶる人は
第七十六段 世の覚え華やかなるあたりに
第七十七段 世の中に、その比人のもてあつかひぐさに言ひあへる事
第七十八段 今様の事どものめづらしきを
第七十九段 何事も入りたたぬさましたるぞよき
第八十段 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
第八十一段 屏風・障子などの絵も文字も
第八十二段 うすものの表紙は
第八十三段 竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに
第八十四段 法顕三蔵の、天竺にわたりて
第八十五段 人の心すなほならねば
第八十六段 惟継中納言は
第八十七段 下部に酒飲まする事は
第八十八段 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを
第八十九段 奥山に、猫またといふものありて
第九十段 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸
第九十一段 赤舌日といふ事
第九十二段 或人、弓射る事を習ふに
第九十三段 牛を売る者あり
第九十四段 常盤井相国、出仕し給ひけるに
第九十五段 箱のくりかたに緒を付くる事
第九十六段 めなもみといふ草あり
第九十七段 その物に付きて、その物を費しそこなふ物
第九十八段 尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて
第九十九段 堀川相国は
第百段 久我相国は
第百一段 或人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに、
第百二段 尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、
第百三段 大覚寺殿にて、近習の人ども、
第百四段 荒れたる宿の、人目なきに、
第百五段 北の屋かげに消え残りたる雪の、
第百六段 高野証空上人、京へのぼりけるに、
第百七段 女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は、
第百八段 寸陰惜しむ人なし
第百九段 高名の木登りといひしをのこ、人をおきてて、
第百十段 双六の上手といひし人に、
第百十一段 囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、
第百十二段 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、
第百十三段 四十にもあまりぬる人の、色めきたる方、
第百十四段 今出川のおほひ殿、嵯峨へおはしけるに、
第百十五段 宿河原といふところにて、
第百十六段 寺院の号、さらぬ万の物にも、
第百十七段 友とするにわろき者
第百十八段 鯉の羹食ひたる日は、
第百十九段 鎌倉の海に鰹といふ魚は、
第百二十段 唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。
第百二十一段 養ひ飼ふものには、
第二十二段 人の才能は、
第百二十三段 無益のことをなして時を移すを、
第百二十四段 是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、
第百二十五段 人におくれて、四十九日の仏事に、
第百二十六段 ばくちの負けきはまりて、
第百二十七段 あらためて益なき事
第百二十八段 雅房大納言は、才賢く、
第百二十九段 顔回は、志、
第百三十段 物に争はず、おのれを枉げて人に従がひ、
第百三十一段 貧しき者は財をもて礼とし、
第百三十二段 鳥羽の作道は、
第百三十三段 夜の御殿は東御枕なり
第百三十四段 高倉院の法華堂の三昧僧
第百三十五段 資季大納言入道とかや聞えける人
第百三十六段 医師篤成、故法皇の御前にさぶらひて
第百三十七段 花はさかりに
第百三十八段 祭過ぎぬれば、後の葵不要なりとて、
第百三十九段 家にありたき木は、
第百四十段 身死して財残る事は、
第百四十一段 悲田院尭蓮上人は、
第百四十二段 心なしと見ゆる者も、よき一言いふものなり
第百四十三段 人の終焉の有様のいみじかりし事など、
第百四十四段 栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、
第百四十五段 御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、
第百四十六段 明雲座主、相者にあひ給ひて、
第百四十七段 灸治、あまた所になりぬれば、
第百四十八段 四十以後の人、身を灸を加へて三里を焼かざれば、
第百四十九段 鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず。
第百五十段 能をつかんとする人、
第百五十一段 或人の伝はく、年五十になるまで
第百五十二段 西大寺静然上人、腰かがまり
第百五十三段 為兼大納言入道召し捕られて
第百五十四段 この人、東寺の門に
第百五十五段 世に従はん人は、先(ま)づ機嫌を知るべし
第百五十六段 大臣の大饗は
第百五十七段 筆をとれば物書かれ
第百五十八段 盃のそこを捨つる事は
第百五十九段 みなむすびといふは
第百六十段 門に額かくるを
第百六十一段 花のさかりは
第百六十二段 遍照寺の承仕法師
第百六十三段 太衝の太の字
第百六十四段 世の人あひ逢ふ時、暫くも黙止する事なし
第百六十五段 吾妻の人の都の人に交り
第百六十六段 人間の営みあへるわざを見るに
第百六十七段 一道に携る人、あらぬ道の筵に臨みて
第百六十八段 年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて
第百六十九段 何事の式といふ事は
第百七十段 さしたる事なくて人のがり行くは
第百七十一段 貝をおほふ人の、我がまへなるをばおきて
第百七十二段 若き時は、血気うちにあまり
第百七十三段 小野小町が事
第百七十四段 小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば
第百七十五段 世には心得ぬ事の多きなり
第百七十六段 黒戸は
第百七十七段 鎌倉中書王にて、御毬ありけるに
第百七十八段 或所の侍ども、内侍所の御神楽を見て
第百七十九段 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して
第百八十段 さぎちやうは
第百八十一段 ふれふれこゆき、たんばのこゆき
第百八十二段 四条大納言隆親卿、乾鮭といふものを
第百八十三段 人突く牛をば角を切り
第百八十四段 相模守時頼の母は
第百八十五段 城陸奥守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり
第百八十六段 吉田と申す馬乗り
第百八十七段 よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども
第百八十八段 或者、子を法師になして
第百八十九段 今日は、その事をなさんと思へど
第百九十段 妻といふものこそ
第百九十一段 夜に入りて物のはえなしといふ人
第百九十二段 神仏にも、人のまうでぬ日
第百九十三段 くらき人の、人をはかりて
第百九十四段 達人の人を見る眼は
第百九十五段 或人久我縄手を通りけるに
第百九十六段 東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時
第百九十七段 諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ事
第百九十八段 揚名介にかぎらず
第百九十九段 横川行宣法印が申し侍りしは
第二百段 呉竹は葉細く、河竹は葉広し
第二百一段 退凡・下乗の卒塔婆
第二百二段 十月を神無月と言ひて
第二百三段 勅勘の所に靫かくる作法
第二百四段 犯人を笞にて打つ時は
第二百五段 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は
第二百六段 徳大寺右大臣殿、検非違使の別当の時
第二百七段 亀山殿建てられんとて、地を引かれけるに
第二百八段 経文などの紐を結ふに
第二百九段 人の田を論ずるもの、訴へに負けて
第二百十段 喚子鳥は春のものなりとばかり言ひて
第二百十一段 よろづの事は頼むべからず
第二百十二段 秋の月は、かぎりなくめでたきものなり
第二百十三段 御前の火炉に火を置く時は
第二百十四段 想夫恋といふ楽は
第二百十五段 平宣時朝臣、老の後、昔語りに
第二百十六段 最明寺入道、鶴岡の社参の次に
第二百十七段 或大福長者の言はく
第二百十八段 狐は人に食ひつくものなり
第二百十九段 四条黄門命ぜられて言はく
第二百二十段 何事も辺土は、賤しく、かたくななれども
第二百二十一段 建治・弘安の比は、祭の日の放免の付物に
第二百二段 竹谷乗願房
第二百二十三段 鶴の大臣殿は
第二百二十四段 陰陽師有宗入道、鎌倉よりのぼりて
第二百二十五段 多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に
第二百二十六段 後鳥羽院の御時、信濃前司行長
第二百二十七段 六時礼賛は
第二百二十八段 千本の釈迦念仏は、文永の比
第二百二十九段 よき細工は
第二百三十段 五条内裏には、妖物ありけり
第二百三十一段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり
第二百三十二段 すべて人は、無智無能なるべきものなり
第二百三十三段 万の咎あらじと思はば
第二百三十四段 人のものを問ひたるに
第二百三十五段 主ある家には、すずろなる人
第二百三十六段 丹波に出雲といふ所あり
第二百三十七段 柳筥に据ゆるものは
第二百三十八段 御随身近友が自讃とて
第二百三十九段 八月十五日、九月十三日は、婁宿なり
第二百四十段 しのぶの浦の蜑の見るめも所せく
第二百四十一段 望月のまどかなる事は
第二百四十二段 とこしなへに違順に使はるる事は
第二百四十三段 八になりし時、父に問ひて言はく

収録時間:14.6時間

お申し込みはこちら

★本日終了★

そして期間限定特典です。本日(2021年7月4日(日))が最終です。メール講座「兼好法師の生涯」全3回をお送りします。

『徒然草』の作者として有名な兼好法師。その生涯には不明な点が多く、長らく謎に包まれていました。

しかし、近年の研究で兼好法師の生涯が、かなりの部分までわかってきました。

(「吉田兼好」ではなく「兼好法師」となったのも近年の研究成果によるものです)

本メール講座は兼好法師の生涯を、最新の説にのっとり、語るものです。

歌人としての兼好法師、隠者(世捨て人)としての兼好法師、人生の達人としての兼好法師、そして兼好法師の生きた鎌倉時代末期~南北朝時代の歴史的背景についても語っています。

本編とあわせて聴くことで『徒然草』の理解がいっそう深まり、おもしろさが増すはずです!

メール講座「兼好法師の生涯」(全3回)

本日(2021年7月4日(日))いっぱいで配布終了です。

お申し込みはお早めにどうぞ

お申し込みはこちら

語り部 左大臣光永

左大臣光永。左大臣プロジェクト運営委員会代表。楽しく躍動感ある語りで好評をはくす。


静岡講演「徳川家康の生涯」の新聞記事

左大臣光永。左大臣プロジェクト運営委員会代表。楽しく躍動感ある語りで好評をはくす。

学習院大学文学部ドイツ文学科中退。20代は漫画家を目指すも挫折。

30代はじめに漫画家を諦めて就職活動するも、「なんと下らない儀式だ!」「つきあいきれん!」とつくづく感じて、一社目で就職活動をやめる。

若い頃から深夜の墓場や神社で『おくのほそ道』『平家物語』などを暗唱するのを日課としていたため「これを職業にする」と決める。

2010年よりメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」を発行。工事現場でバイトしながらメールマガジンを書き続ける。

2012年までに事業化し、「歴史・古典語り」の専業となる。

2017年、平安京の文化と歴史を語るため、京都に移住。

京野菜と北野とうふの大ファンで、この2つはほぼ毎日食べる。好きな生き物はアオサギ・猫・すずめ。

よくある質問

スマートフォンで聴けますか?

聴けます。ただし、インターネットに接続する必要があります。通信量が別途かかる場合がありますので、wi-fi環境でのご利用をおすすめします。

インターネットに接続したくない場合、音声ファイルのみをダウンロードして聴くことも可能です。

ただしデータをパソコンからスマートフォンに転送する必要があります。

データをパソコンからiPhoneに転送するには、以前はiTunesを使うことが多かったですが、2019年のappleの公式アナウンスで、iTunesはmacOS Catalina以降は搭載されないことが発表されました。

iPhoneにファイルを転送するにはiTunes以外のアプリを使うことをおすすめします(「iTunes 代替アプリ」等で検索してください)。当方はiTunesを推奨しません。

iTunesのご利用は自己責任でお願いいたします。

androidでファイルを転送するのは単にスマホとパソコンをケーブルでつないでファイルをドラッグ&ドロップするだけです。

iTunesの同期がうまくいきません

過去何度か、「iTunesでmp3ファイルを同期できない」「iTunesで mp3ファイルを認識しない」という報告がとどいています。

2019年のappleの公式アナウンスで、iTunesはmacOS Catalina以降は搭載されないことが発表されました。

macOS Catalinaにアップデートすると、iTunesはもう使えなくます(windowsでは継続して使えます)。

本元のmacOSで使えなくなる=全世界的にiTunesはもう使わない方向に進んでいるということです。

iTunesは使わず、iTunes以外の代替ソフトを使うことをおすすめします。

CDプレイヤーで聴けますか?

聴けません。再生にはスマートフォンもしくはパソコンが必要です。

カーステレオで聴けますか?

bluetooth接続に対応したカーステレオであれば再生できます。スマートフォンとカーラジカセをbluetoothで接続することで、車のスピーカーから音が出ます。

テキストはついていますか?

PDF形式のテキストファイルが付属しています。

本はついていますか?

本はついていません。

支払い方法は?

銀行振込、クレジット決済、コンビニ決済をご用意しています。あるいはメルマガに直接返信してください。

件名はそのままで、お名前とご住所を書いて直接返信してください。折り返し、お支払方法をお送りします。

何日くらいで手元に届きますか?

ダウンロード版はご注文いただいてから48時間以内に、専用サイトにアクセスするための「ユーザー名」「パスワード」を発行してメールでお送りします。

本製品は「オンライン版」です

ご注文いただいてから48時間以内に、「ユーザー名」「パスワード」を発行してメールでお送りします。

↓このようなメールが届きます↓

メールに記載されたログイン用urlから専用サイトにアクセスしていただき、そこで「ユーザー名」と「パスワード」を入力することにより、閲覧が可能になります。

ログイン画面はこんな感じです。
↓↓
↓↓

入力欄に「ユーザー名」と「パスワード」を入力することにより、ログインできます。

↓↓↓お申込みはこちら↓↓↓

ご注文いただいてから48時間以内に、専用サイトにアクセスするための「ユーザー名」「パスワード」を発行してメールでお送りします。

メールに記載されたurlから専用サイトにアクセスしていただき、そこで「ユーザー名」と「パスワード」を入力することにより、閲覧が可能になります。パソコンがなくても、スマートフォンのみで視聴できます。データを一括ダウンロードしていただくこともできます(パソコンのみ)

スマートフォンで閲覧する場合、通信料金がかかりますので、wifi環境でのご利用をおすすめします。

「『徒然草』全243段 朗読・解説」オンライン版(3000円)

※サーバー負荷の関係から販売するID数には限りをもうけています。販売は予告なく終了しますのでお申し込みはお早めにどうぞ。

DVD-R版も(在庫少量ですが)ございます。DVD-R版の郵送をご希望の方は、↓↓こちらの↓↓リンクからお申し込みください。

「『徒然草』全243段 朗読・解説」DVD-R版(3600円)

※DVD-R版はパソコン用データDVD-Rです。再生にはCD/DVDドライブつきのパソコンが必要です。音楽用CDプレイヤーでは再生できませんので、ご注意ください。

「うちのスマホ(orパソコン)で本当に再生できるのかしら?」
「機械の操作に弱いから心配…」

という方へ。

ソフトウェアというものは、パソコンやスマホの機種、OSの種類、インターネット環境などとの相性があり、あらゆる環境で確実に100%再生できるとは言い切れません。

私も過去、借りてきたDVDが再生できなかったり、買ったゲームが動かなかったりで、ガッカリしたことが何度かあります。

もし商品を購入後、「再生できない」「操作法がわからない」となった場合、下記アドレスまで、その旨書いて、メールしてください。解決できそうなら解決方法をお送りしますし、無理そうであれば返金します。

(ただし当方少人数のため、即時メール返信ができません。メール返信には最大48時間ほどいただきます)




特定商取引法上の表記 と プライバシーポリシー