こんにちは。左大臣光永です。

よく晴れた気持ちのいい日がつづきますね。いかがお過ごしでしょうか?

私は今日から大掃除を始めるつもりで、スポンジやマジックリンなど買いこんできました。これから部屋中きれいにしていくのが、楽しみです。

本日は『徒然草』オンライン版のお知らせです。

自動再生機能+特典つきで再発売します。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudokus.com/mp3/TsurezureInfoOL6.mp3

『徒然草』。

学校で誰もが習いましたね。

「三大随筆」の一つであると。

枕草子、方丈記、そして徒然草。

三代随筆。

随筆、というくらいですから、

思うままに、いろいろなことを書きつづったものなんですが、

『徒然草』は全体を通してみると、

おぼろげながら一つの筋道というか、

訴えたいテーマ、

価値観といったものが見えてきます。

作者・兼好法師が思うところの、

かくあれかしという理想像。

人はこのようにあるべきだ。

理想的な人の生き様というか、

そういうものが、浮かび上がってきます。

それは、

物事に執着しない、

古きを尊び、新しきを退け、

人に優しく、気が利いて、けれどもべたべたしない。

さらりさらりと流れる水のようなひととなり。

そういった作者兼好法師の思うところの

理想の生き様みたいなものが、

全体を通して浮かび上がってくるわけです。

しかもそれが、説教くさかったり、理屈ぽくならず、

歯切れのよい、流れるような文章とともに、

具体的なイメージをともなって描き出されるところに、

『徒然草』の味わいがあります。

特に第七段は表現が美しい上に、兼好法師の考え方が(極端で偏ったところも含めて)端的に出ています。

『徒然草』で一箇所だけ、暗唱するなら、だんぜん、第七段をおすすめします。

あだし野の露きゆる時なく、鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきものはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。あかず惜しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、夕の陽(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

第七段

【現代語訳】
あだし野の露が消える時なく、鳥辺山の煙がいつまでも上がり続けるように、人生が永遠に続くものならば、どうしてもののあはれなど、あるだろう。人生は限りがあるからこそ、よいのだ。

命あるものを見れば、人間ほど長生きするものは無い。かげろうが朝生まれて夕方には死に、夏の蝉が春や秋を知らない例もあるのだ。しみじみ一年を暮らす程度でも、たいそうのんびりした時を過ごせるものであることよ。

満足できない。もっともっとと思ったら、千年を過ぎても一夜の夢の心地がするだろう。どうせ永遠には生きられない世の中に、長生きした末に醜い姿を得て、それが何になるだろう。

長生きすると恥も多くなる。長くても四十未満で死ぬのが見苦しくないところだ。

そのあたりの年を過ぎると、醜い容貌を恥じる気持ちも無くなり、人に交わることを欲して、老いさらばえて子孫を愛して、子孫が立身出世する末を見届けるまでは生きよう、などと期待し、ひたすら世をむさぼる心ばかり深く、もののあはれもわからなくなっていく。あさましいことだ。


長生きすると見苦しいから40歳前に死ねと!

まあ今ならTwitterとかでこんなこと言ったら炎上しますね(笑)

「ええーー…私死なないとなの!?」

しかし、安心してください。

当の兼好法師は70歳過ぎまで生きました。

人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。ものうち言ひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎょう)ありて言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才(ざえ)なくなりぬれば、しなくだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわざなれ。

第一段

【現代語訳】
人は、容貌・姿が美しいのが得難いすばらしいものだ。物を言うにつけても聞き取りにくくはなく、愛敬があって、言葉数は多くない。こういう人こそ、飽きずに付き合いたい人だ。いいなと見ている人が、思っていたよりも劣った本性が見えるのは、残念なことだ。品位・容貌こそ生まれつきだが、心はどうして良い方向に磨けないことがあろうか。容貌・心ばえがいい人も、後天的に学問をしたり才能を磨いたりしなくなると、品位は下がり、下品な顔立ちの人の間に立ち混じって、たちまち影響を受けてダメになってしまう。不本意なことだ。

よろづにいみじくとも、色好まざらん男(おのこ)は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の当(そこ)なき心地ぞすべき。

露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩き、親のいさめ、世のそしりをつつむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

第三段

【現代語訳】
万事に優れていても、色恋の情緒を理解しない男は、たいそう物足りなく、玉の盃の底が抜けているような感じがする。

露や霜に濡れそぼって、所も定まらず迷い歩き、親のいさめ、世間のそしりをはばかって心の暇もなく、ああでもない、こうでもないと思い乱れて、だからといってモテモテかというとそうではなく独り寝の夜が多く、短い眠りも得られない夜が多い。そんな男こそ情緒がある。

そうはいっても、ひたすら色恋に没頭するふうではなくて、女から見れば簡単には落とせないように思われるのこそ、理想的な身のあり方である。

家居(いえい)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。

よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一(ひと)きはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきららかならねど、木だちものふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

多くの工(たくみ)の心をつくしてみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(せんざい)の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。

さてもやは、ながらへ住むべき。又、時のまの烟ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。

第十段

【現代語訳】
住居がその人にふさわしく、あるべき姿であるのは、生きている間だけの仮の宿だとは思っても、興が深いものだ。

身分・知識・品格などが立派な人が、のどかに住みなしている所は、さし入る月の色も、ひときわしみじみと見えるものだ。

現代ふうにきらびやかではないけれど、木立が何となく昔めいた感じで、手を加えない自然な感じの庭の草も心ある様子で、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)の配置も趣深く、何気なく置いてある道具類も古風に思われて心が安らぐのは、奥ゆかしいものと思われる。

多くの職人が心をつくして磨き立て、中国の、日本の珍しく、並大抵でない道具類を並べ置き、庭の植え込みまで自然のままでなく人工的に作っているのは、見た目にも苦しく、たいそうわびしい。

そんな状態のままで、いつまでも住んでいられようか。住んでいられるわけがない。また、火事によって焼けてしまい、烟ともなるだろうと、見るとすぐに思われる。

だいたいは、住居にこそ、人となりは推し量られるものだ。

ひとり灯(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

第十三段

【現代語訳】
一人ともしびの下に書物を広げて、会うことのできない昔の人を友とすることは、とても慰められることである。

折節のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。

「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、それもさるものにて、今一きは心もうきたつものは、春の気色にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌えいづるころより、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

第十九段

【現代語訳】
季節の移り変わりこそ、何事につけても味わい深いものである。

「もののあはれは秋がまさっている」と誰もが言うようだが、それも一理あるが、今ひときわ心浮き立つものは、春の風物でこそあるだろう。鳥の声なども格別に春めいて、のどかな日の光の中、垣根の草が萌え出す頃から、次第に春が深くなってきて霞がそこらじゅうに立ち込めて、花もだんだん色づいてくる、そんな折も折、雨風がうち続いて、心はせわしなく思ううちに散り過ぎてしまう。

青葉になり行くまで、何かにつけてひたすら人の心を悩ませる。花橘は昔を思い出させるよすがとして有名だが、それでもやはり梅の匂いにこそ、昔のことも今が昔に立ち返って恋しく思い出される。山吹が清らかに咲いているのも、藤の花房がおぼろにかすんでいる様も、すべて、思い捨てがたいことが多い。

よろづのことは、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、又ひとり、「露こそあはれなれ」と争ひしこそをかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

第二十一段

【現代語訳】
すべてのことは、月を見ると心が慰められるものである。ある人が、「月ほど面白いものは無い」と言ったところ、また一人が「露こそ趣深い」と争ったのは実に面白いことであった。折にふれれば、何であろうと趣深くないことがあろうか。

雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべき事ありて、文(ふみ)をやるとて、雪のことなにとも言はざりし返事(かえりごと)に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返々(かえすがえす)口をしき御心(みこころ)なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

今はなき人なれば、かばかりの事もわすれがたし。

第三十一段

【現代語訳】
雪が見事に降った朝、人のもとへ言うべき事があって、手紙を送る時に、雪のことを何とも言わなった返事に、「この雪いかが見ると一筆もおっしゃらない、そんなひねくれ者のおっしゃる事を聞き入られるでしょうか。返す返すも情けないお心です」と返事をしてきたのは、感慨深いことであった。

その人は今は故人であるので、これだけのことでも、忘れられないのだ。

智慧と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは人の聞(きき)をよろこぶなり。ほむる人、そしる人、ともに世にとどまらず、伝へ聞かん人、又々すみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉は又毀(そし)りの本(もと)なり。身の後の名、残りてさらに益なし。是を願ふも、次に愚かなり。

第三十八段

【現代語訳】
智慧と心とこそ、世にすぐれた誉も残したいものであるが、よくよく考えると、誉を愛するのは人の評判をよろこぶのである。誉める人、そしる人、ともにいつまでも世に留まっているものではなく、伝え聞く人も、またまたすぐに世を去ってしまう。誰に対して恥じ、誰に知られる事を願うというのか。誉はまたそしりの本である。死んだ後の名声など、残って何も益は無い。これを願うのも、(高い官位を望むことの)次に愚かなことである。

久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、かずかずに残りなく語りつづくるこそ、隔てなくなれぬる人も、ほどへて見るは、はづかしからぬかは。つぎさまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、ひとりに向きて言ふを、おのづから人も聞くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひののしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひても、いたく興ぜぬと、興なき事を言ひても、よく笑ふにぞ、品のほど計(はか)られぬべき。

人のみざまのよしあし、才(ざえ)ある人はその事など定めあへるに、おのが身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。

第五十六段

【現代語訳】
長い間離れていて逢った人が、自分のほうにあった出来事を、数々残り無く語り続けるのは、興覚めなものだ。隔てなく付き合っていた人も、しばらく経って逢うと、遠慮がおこらないものだろうか。

教養・品性が一段劣る人は、ちょっと外出しても、今日あった事だといって、息つく間も無いほど語り興ずるものだ。

教養・品性が高い人が話す時は、人は多くあっても、一人に向いて話すのを、自然と周りの人も聞きいるものだ。

教養・品性が劣る人は、誰ともなく、大勢の中に出て行って、目の前に見ていることのように喋り散らすので、皆同じく笑い騒ぐ。ひどく騒々しい。おかしい事を行っても、むやみに面白がらないのと、興味ないことを言っても、よく笑うのとでは、品性の程度が、計られるであろう。

人の風貌の良し悪し、学問ある人はその事など、お互いに評価しあっている時に、自分の身にひきつけて言い出すのは、たいそう見苦しい。

大事を思ひたたん人は、去りがたく、心にかからん事の本意(ほい)を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし、この事はてて」、「同じくはかの事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん、行末難なくしたためまうけて」、「年来(としごろ)もあればこそあれ、その事待たん、ほどあらじ。もの騒がしからぬやうに」など思はんには、えさらぬ事のみいとどかさなりて、事の尽くるかぎりもなく、思ひ立つ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。

近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、恥をも 顧みず、財(たから)をも捨てて遁(のが)れ去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の来(きた)る事は、水火(すいか)の攻むるよりも速(すみや)かに、遁れがたきものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらんや。

第五十九段

【現代語訳】
出家道心を思い立つ人は、避けがたく、心懸かりな事の目的を遂げずに、そのまま世を捨て出家すべきである。「しばらく待って、この用事が終わってから」、「どうせ出家するなら、あの件を処理し終わってから」「このような事をすると人が嘲るかもしれない。後々問題が起こらないよう調え準備して」「長年出家せずに来たのだから、出家をいま少し先延ばしにしても、たいして手間取るまい。騒がず、落ち着いて行動しよう」など思っていては、避けられない用事ばかりたいそう重なって、際限もなく、発心の日など来ない。大方、人を見ていると、少し分別のある程の人は、皆このような心づもりだけで一生を終わってしまうようだ。

近くで火事が起こって逃げている人が、「もうちょっと後で」と言うだろうか。身を助けようとすれば、恥も顧みず、財産も捨てて、逃れ去るに違いない。命は人を待つだろうか。待たない。死がやって来るのは、水や火が攻め来るより速やかに、逃れ難いものであるのに、いざ死が訪れた時、年老いた親、いとけなき子、君の恩、人の情、捨てがたいからといって、捨てないでいられようか。

賤しげなるもの。居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽(せんざい)に石・草木の多き。家の内に子・孫(うまご)の多き。人にあひて詞の多き。願分(がんもん)に作善(さぜん)多く書きのせたる。

第七十ニ段

【現代語訳】
賤しそうなもの。座っているあたりに道具類が多いこと。硯に筆が多いこと。持仏堂に仏が多いこと。庭の前の植え込みに石・草木の多いこと。家の内に子や孫が多いこと。人に会って言葉数が多いこと。神に奉る願文に自分が行ったよい行いを多く書き載せていること。

とにもかくにも、そらごと多き世なり。ただ、常にある、めづらしからぬ事のままに心得たらん、よろづ違(たが)ふべからず。下(しも)ざまの人の物語は、耳おどろく事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。

第七十三段

【現代語訳】
とにもかくにも、虚言が多い世の中である。ただ、常にある、めづらしくも無い事のままに心得れば、万事間違えることは無い。下々の人の語る物語は、耳おどろくような面白い話ばかりである。まともな人は怪しい事を語らない。

つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。

世にしたがへば、心、外(ほか)の塵にうばはれてまどひやすく、人にまじはれば、言葉よその聞きに随ひて、さながら心にあらず。人に戯(たわぶ)れ、ものにあらそひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。その事定まれる事なし。分別(ふんべつ)みだりにおこりて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔(ゑ)へり。酔(ゑひ)の中(うち)に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁をはなれて身を閑(しづか)にし、ことにあづからずして心を安くせんこそ、暫(しばら)く楽しぶとも言ひつべけれ。「生活(しょうかつ)・人事(にんじ)・伎能(ぎのう)・学問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止観(まかしかん)にも侍れ。

第七十五段

【現代語訳】
やることが無く一人でいるのを苦痛と感じる人は、どういう心なのだろう。心が乱されるものが無く、ただ一人でいることこそ、よいことだ。

俗世間に従がえば心が俗世間の塵に奪われて惑いやすく、人と交際すれば自分の言葉も相手がどう取るだろうかと相手の反応ばかり気になって、自分そのままの心ではなくなる。

人と戯れ、相手と争い、一度は恨み、一度は喜ぶ。その心の動きは安定することが無い。ああだろうかこうだろうかという思い悩みがみだりに起こって、損得勘定がやむ時が無い。

迷いの上に酔っているのだ。酔いの中に夢を見ているのだ。走って忙しく、我を忘れている事は、誰もこういうものだ。

いまだ真理に至る仏の道を知らないといっても、俗世間との縁を離れて身を静かにし、物事に関与せず心を安らかにするのが、かりそめの人生をせめても楽しむとも言えるだろう。「生活・人事・技能・学問のあらゆる縁をやめよ」と摩訶止観にも書いてある。

何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万(よろづ)の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世にははづかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色(けしき)、かたくななり。よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ。

第七十九段

【現代語訳】
何事も深く知らない様子をしているのがよい。立派な人は、知っている事でも、そのように知ったふうな顔で言うであろうか。言わない。片田舎から出てきた人が、あらゆる道に心得たふうの受け答えをするのである。そうすれば、聞いているほうが非常に恥ずかしくなるような所も時にはあるが、言っている本人も自分のことを立派だと思っている様子が、みっともない。よく知っている道については、必ず口を重くして、質問しない限り言わないのがよいのだ。

世の人あひ逢ふ時、暫(しばら)くも黙止(もだ)する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益(むやく)の談なり。世間の浮説(ふせつ)、人の是非、自他のために失多く、得少なし。これを語る時、互ひの心に無益の事なりといふ事を知らず。

第百六十四段

【現代語訳】
世間の人が互いに逢う時、ほんの少しでも沈黙している事が無い。必ず言葉がある。その事を聞くと、多くはろくでもない話である。世間のいい加減な噂話、人の是非、お互いにとって失うものは多く得るものは少ない。これを語る時、互いの心にろくでもないという事を知らないのだ。

人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他(た)に勝(まさ)ることのあるは、大きなる失(しつ)なり。品(しな)の高さにても、才芸すぐれたるにても、先祖の誉にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎(とが)あり。慎みてこれを忘るべし。痴(おこ)にも見え、人にも言ひ消(け)たれ、禍(わざわい)をも招くは、ただ、この慢心なり。一道にも誠(まこと)に長じぬる人は、自ら明らかにその非を知る故に、志 常に満たずして、終(つい)に物に伐(ほこ)る事なし。

第百六十七段

【現代語訳】
人としてはよい行いを自慢せず、人と争わないのをよしとする。他人より優れていることがあるのは、大きな欠点なのだ。身分や家柄の高さにおいても、学問・芸能のすぐれていることも、先祖の名声も、人より優れていると思う人は、たとえ言葉に出してこそ言わずとも、内心に多大な欠点がある。

慎んでこれ(自分が人より優れていること)を忘れるべきだ。バカに見えるし、人からも非難されるし、災いをも招くのは、この驕りたかぶる心である。一つの道に本当に精通している人は、自らはっきりとその未熟さを知っているが故に、望みが常に満たされることがなく、最後まで、何事も人に自慢することが無いのである。

よろづの事は頼むべからず。愚かなる人は、深くものを頼むゆゑに、恨み怒る事あり。

勢ひありとて頼むべからず。こはきもの先(ま)づほろぶ。財(たから)多しとて頼むべからず。時の間(ま)に失ひやすし。才(ざえ)ありとて頼むべからず。孔子も時に遇(あ)はず。徳ありとて頼むべからず。顔回も不幸なりき。君の寵(ちょう)をも頼むべからず。誅(ちゅう)を受くる事速(すみや)かなり。奴(やっこ)従へりとて頼むべからず。背(そむ)き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約(やく)をも頼むべからず。信ある事すくなし。

身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。左右(さう)広ければさはらず。前後遠ければ塞がらず。狭(せば)き時はひしげくだく。心を用ゐる事少(すこ)しきにしてきびしき時は、物に逆(さか)ひ、争ひて破る。ゆるくしてやはらかなる時は、一毛(いちもう)も損せず。

第二百十一段

【現代語訳】
あらゆる事は頼みにしてはならない。愚かな人は、深くものを頼みにするために、恨み怒る事がある。

権勢さかんであるからといって頼みにしてはならない。強い者がまず亡びる。財産が多いからといってと頼みにしてはならない。時とともに失いやすい。学問才覚があるからといって頼みにしてはならない。孔子も不遇だった。徳があるといって頼みにしてはならない。(孔子の一番弟子の)顔回も不幸だった。

君主の寵愛をも頼みにしてはならない。すぐに罰を負って殺されることになる。下僕が従っているからといって頼みにしてはならない。裏切りよそへ走る事がある。人の志をも頼みにしてはならない。必ず変わる。約束したことをも頼みにしてはならない。信義のある事は少ないのだ。

わが身も他人も頼まないとなると、うまくいっている時は喜び、うまくいかない時は恨まない。左右が広ければ差しさわりなく、前後が遠ければのびのびする。狭い時はつぶれ砕ける。相手に対する心配りが少なく厳格な時は、人と衝突し、争って身を損なう。ゆるやかで大らかな時は、毛の一本も損なうことはない。

………

このように、つらつら拾い読みしていくと、

作者・兼好法師の価値観というか、

理想の生き方、

人としてこうあるべきだ、みたいなものが、

見えてきますね。

けっこうなガンコ爺だったように思えます。

人と群れない。

世の中に迎合しない。

今のオリンピック騒ぎなんて、フフンと鼻でせせら笑ってる感じがします。

皆でワイワイやる飲み会なんかは大嫌い。

飲み会、なんてくだらないんだ!

酒は万事、よくないということも、延々と述べています。

その一方で、

しかし酒にもいいところがあるといって、

月の夜、雪の朝、花の本にても、心のどかに物語して盃をすっと突き出す。

万事、味わい深いことであると。

たいくつしている時に、ふらっと友が訪ねてきて、

おお、どうしたよ。

一杯やろうか、なんて、

そういうのはいいものだと。

けっこうロマンチックなところ、人好きのする性格もかいま見えます。

兼好法師が比叡山の横川で隠棲して、ひっそり暮らしていた時、昔なじみの人がたずねてきて、世間話をしていった。

うるせえなあ…なんて言いながら、

しかし、その人が帰ってしまった後は、とても心寂しくて、

山里は訪はれぬよりも訪ふ人の
帰りてのちぞさびしかりける

山里は人が訪ねてこないよりも、訪ねてきた人が
帰った後のほうが、いっそう寂しいなあと。

人付き合いの悪い、ガンコ者であると同時に、

ロマンチストで、人恋しいところもある、

矛盾をはらんだ兼好法師の人物。

今の我々にも通じるものがあるのではないでしょうか。

『徒然草』

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音声の再生方法を、「原文→現代語訳」「原文のみ」「現代語訳のみ」で切り替えられます。内容理解の度合いによってお使い分けください。

「原文→現代語訳」は、一章ごとに、原文を再生して→現代語訳を再生します。原文の直後に現代語訳を聴くので直感的に内容がわかりやすいです。古文の内容をつかむのに、いちばんてっとり早い読み方・聴き方かと思います。

「原文のみ」は、原文のみ再生します。「訳や説明はいらない。ひたすら原文を聴きたい」という場合にどうぞ。

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内容一覧

全243段 14.6時間

序段 つれづれなるままに
第一段 いでや、この世に生まれては
第二段 おろそかなるをもてよしとす
第三段 色好まざらん男は、いとさうざうし
第四段 後の世の事、心にわすれず
第五段 不幸に愁にしづめる人の
第六段 子といふ物なくてありなん
第七段 あだし野の露きゆる時なく
第八段 世の人の心まどはす事、色欲にはしかず
第九段 愛著の道
第十段 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ
第十一段 来栖野といふ所を過ぎて
第十二段 おなじ心ならん人としめやかに物語して
第十三段 ひとり灯のもとに文をひろげて
第十四段 和歌こそ、なほをかしきものなれ
第十五段 しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ
第十六段 神楽こそ
第十七段 山寺にかきこもりて
第十八段 人はおのれをつづまやかにし
第十九段 折節のうつりかはるこそ
第二十段 なしがしとかや言ひし世捨人の
第二十一段 よろづのことは、月見るにこそ
第二十二段 なに事も、古き世のみぞしたはしき
第二十三段 おとろへたる末の世とはいへど
第二十四段 斎王の野宮におはしますありさまこそ
第二十五段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば
第二十六段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に
第二十七段 御国ゆづりの節会おこなはれて
第二十八段 諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ
第二十九段 しづかに思へば
第三十段 人のなきあとばかり
第三十一段 雪のおもしろう降りたりし朝
第三十二段 九月廿日の比
第三十三段 今の内裏作り出だされて
第三十四段 甲香は
第三十五段 手のわろき人の
第三十六段 久しくおとづれぬ比、いかばかりうらむらんと
第三十七段 朝夕隔てなく馴れたる人の
第三十八段 名利に使はれて、しづかなるいとまなく、
第三十九段 或人、法然上人に、
第四十段 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、
第四十一段 五月五日、賀茂の競馬を見侍りしに、
第四十二段 唐橋中将といふ人の子に、
第四十三段 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、
第四十四段 あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の、
第四十五段 公世の二位のせうとに、良寛僧正と聞えしは、
第四十六段 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり
第四十七段 或人、清水へまゐりけるに、
第四十八段 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、
第四十九段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。
第五十段 女の鬼になりたるを率てのぼりたりといふ事ありて、
第五十一段 亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、
第五十二段 仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、
第五十三段 是も仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、
第五十四段 御室に、いみじき児のありけるを、
第五十五段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。
第五十六段 久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、
第五十七段 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ
第五十八段 道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交わるとも、
第五十九段 大事を思ひたたん人は、
第六十段 真乗院に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
第六十一段 御産のとき甑落す事は、さだまれる事にはあらず、
第六十二段 延政門院いときなくおはしましける時、
第六十三段 後七日の阿闍梨、武者をあつむる事、
第六十四段 車の五緒は、必ず人によらず、
第六十五段この比(ごろ)の冠(こうぶり)は、
第六十六段 岡本関白殿(おかもとのかんぱくどの)、盛りなる紅梅の枝に、
第六十七段 賀茂の岩本・橋本は、
第六十八段 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが、
第六十九段 書写の上人は、
第七十段 元応の清暑堂の御遊びに
第七十一段 名を聞くより、やがて面影はおしはからるる心地するを、
第七十二段 賤しげなるもの
第七十三段 世に伝ふる事、まことはあいなきにや
第七十四段 蟻のごとくに集まりて
第七十五段 つれづれわぶる人は
第七十六段 世の覚え華やかなるあたりに
第七十七段 世の中に、その比人のもてあつかひぐさに言ひあへる事
第七十八段 今様の事どものめづらしきを
第七十九段 何事も入りたたぬさましたるぞよき
第八十段 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
第八十一段 屏風・障子などの絵も文字も
第八十二段 うすものの表紙は
第八十三段 竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに
第八十四段 法顕三蔵の、天竺にわたりて
第八十五段 人の心すなほならねば
第八十六段 惟継中納言は
第八十七段 下部に酒飲まする事は
第八十八段 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを
第八十九段 奥山に、猫またといふものありて
第九十段 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸
第九十一段 赤舌日といふ事
第九十二段 或人、弓射る事を習ふに
第九十三段 牛を売る者あり
第九十四段 常盤井相国、出仕し給ひけるに
第九十五段 箱のくりかたに緒を付くる事
第九十六段 めなもみといふ草あり
第九十七段 その物に付きて、その物を費しそこなふ物
第九十八段 尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて
第九十九段 堀川相国は
第百段 久我相国は
第百一段 或人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに、
第百二段 尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、
第百三段 大覚寺殿にて、近習の人ども、
第百四段 荒れたる宿の、人目なきに、
第百五段 北の屋かげに消え残りたる雪の、
第百六段 高野証空上人、京へのぼりけるに、
第百七段 女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は、
第百八段 寸陰惜しむ人なし
第百九段 高名の木登りといひしをのこ、人をおきてて、
第百十段 双六の上手といひし人に、
第百十一段 囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、
第百十二段 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、
第百十三段 四十にもあまりぬる人の、色めきたる方、
第百十四段 今出川のおほひ殿、嵯峨へおはしけるに、
第百十五段 宿河原といふところにて、
第百十六段 寺院の号、さらぬ万の物にも、
第百十七段 友とするにわろき者
第百十八段 鯉の羹食ひたる日は、
第百十九段 鎌倉の海に鰹といふ魚は、
第百二十段 唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。
第百二十一段 養ひ飼ふものには、
第二十二段 人の才能は、
第百二十三段 無益のことをなして時を移すを、
第百二十四段 是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、
第百二十五段 人におくれて、四十九日の仏事に、
第百二十六段 ばくちの負けきはまりて、
第百二十七段 あらためて益なき事
第百二十八段 雅房大納言は、才賢く、
第百二十九段 顔回は、志、
第百三十段 物に争はず、おのれを枉げて人に従がひ、
第百三十一段 貧しき者は財をもて礼とし、
第百三十二段 鳥羽の作道は、
第百三十三段 夜の御殿は東御枕なり
第百三十四段 高倉院の法華堂の三昧僧
第百三十五段 資季大納言入道とかや聞えける人
第百三十六段 医師篤成、故法皇の御前にさぶらひて
第百三十七段 花はさかりに
第百三十八段 祭過ぎぬれば、後の葵不要なりとて、
第百三十九段 家にありたき木は、
第百四十段 身死して財残る事は、
第百四十一段 悲田院尭蓮上人は、
第百四十二段 心なしと見ゆる者も、よき一言いふものなり
第百四十三段 人の終焉の有様のいみじかりし事など、
第百四十四段 栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、
第百四十五段 御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、
第百四十六段 明雲座主、相者にあひ給ひて、
第百四十七段 灸治、あまた所になりぬれば、
第百四十八段 四十以後の人、身を灸を加へて三里を焼かざれば、
第百四十九段 鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず。
第百五十段 能をつかんとする人、
第百五十一段 或人の伝はく、年五十になるまで
第百五十二段 西大寺静然上人、腰かがまり
第百五十三段 為兼大納言入道召し捕られて
第百五十四段 この人、東寺の門に
第百五十五段 世に従はん人は、先(ま)づ機嫌を知るべし
第百五十六段 大臣の大饗は
第百五十七段 筆をとれば物書かれ
第百五十八段 盃のそこを捨つる事は
第百五十九段 みなむすびといふは
第百六十段 門に額かくるを
第百六十一段 花のさかりは
第百六十二段 遍照寺の承仕法師
第百六十三段 太衝の太の字
第百六十四段 世の人あひ逢ふ時、暫くも黙止する事なし
第百六十五段 吾妻の人の都の人に交り
第百六十六段 人間の営みあへるわざを見るに
第百六十七段 一道に携る人、あらぬ道の筵に臨みて
第百六十八段 年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて
第百六十九段 何事の式といふ事は
第百七十段 さしたる事なくて人のがり行くは
第百七十一段 貝をおほふ人の、我がまへなるをばおきて
第百七十二段 若き時は、血気うちにあまり
第百七十三段 小野小町が事
第百七十四段 小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば
第百七十五段 世には心得ぬ事の多きなり
第百七十六段 黒戸は
第百七十七段 鎌倉中書王にて、御毬ありけるに
第百七十八段 或所の侍ども、内侍所の御神楽を見て
第百七十九段 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して
第百八十段 さぎちやうは
第百八十一段 ふれふれこゆき、たんばのこゆき
第百八十二段 四条大納言隆親卿、乾鮭といふものを
第百八十三段 人突く牛をば角を切り
第百八十四段 相模守時頼の母は
第百八十五段 城陸奥守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり
第百八十六段 吉田と申す馬乗り
第百八十七段 よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども
第百八十八段 或者、子を法師になして
第百八十九段 今日は、その事をなさんと思へど
第百九十段 妻といふものこそ
第百九十一段 夜に入りて物のはえなしといふ人
第百九十二段 神仏にも、人のまうでぬ日
第百九十三段 くらき人の、人をはかりて
第百九十四段 達人の人を見る眼は
第百九十五段 或人久我縄手を通りけるに
第百九十六段 東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時
第百九十七段 諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ事
第百九十八段 揚名介にかぎらず
第百九十九段 横川行宣法印が申し侍りしは
第二百段 呉竹は葉細く、河竹は葉広し
第二百一段 退凡・下乗の卒塔婆
第二百二段 十月を神無月と言ひて
第二百三段 勅勘の所に靫かくる作法
第二百四段 犯人を笞にて打つ時は
第二百五段 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は
第二百六段 徳大寺右大臣殿、検非違使の別当の時
第二百七段 亀山殿建てられんとて、地を引かれけるに
第二百八段 経文などの紐を結ふに
第二百九段 人の田を論ずるもの、訴へに負けて
第二百十段 喚子鳥は春のものなりとばかり言ひて
第二百十一段 よろづの事は頼むべからず
第二百十二段 秋の月は、かぎりなくめでたきものなり
第二百十三段 御前の火炉に火を置く時は
第二百十四段 想夫恋といふ楽は
第二百十五段 平宣時朝臣、老の後、昔語りに
第二百十六段 最明寺入道、鶴岡の社参の次に
第二百十七段 或大福長者の言はく
第二百十八段 狐は人に食ひつくものなり
第二百十九段 四条黄門命ぜられて言はく
第二百二十段 何事も辺土は、賤しく、かたくななれども
第二百二十一段 建治・弘安の比は、祭の日の放免の付物に
第二百二段 竹谷乗願房
第二百二十三段 鶴の大臣殿は
第二百二十四段 陰陽師有宗入道、鎌倉よりのぼりて
第二百二十五段 多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に
第二百二十六段 後鳥羽院の御時、信濃前司行長
第二百二十七段 六時礼賛は
第二百二十八段 千本の釈迦念仏は、文永の比
第二百二十九段 よき細工は
第二百三十段 五条内裏には、妖物ありけり
第二百三十一段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり
第二百三十二段 すべて人は、無智無能なるべきものなり
第二百三十三段 万の咎あらじと思はば
第二百三十四段 人のものを問ひたるに
第二百三十五段 主ある家には、すずろなる人
第二百三十六段 丹波に出雲といふ所あり
第二百三十七段 柳筥に据ゆるものは
第二百三十八段 御随身近友が自讃とて
第二百三十九段 八月十五日、九月十三日は、婁宿なり
第二百四十段 しのぶの浦の蜑の見るめも所せく
第二百四十一段 望月のまどかなる事は
第二百四十二段 とこしなへに違順に使はるる事は
第二百四十三段 八になりし時、父に問ひて言はく

収録時間:14.6時間

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