京都講演【紫式部】のお知らせ

明けましておめでとうございます。左大臣光永です。

年末年始はいかがでしたか?私は東大寺二月堂で日の入りを見て、夜は除夜の鐘をついてきました。二月堂から見ると正面の良弁杉のむこうに、生駒山、葛城山、金剛山が見渡され、しだいに傾く太陽が、やがて山の端に接し、とっぷりと沈んでいき、ついに山の端が真っ赤な一本の「線」になる。その過程が、感動的でした。年の瀬の奈良の風情が胸に迫りました。

本日は、京都講演のお知らせです。

今回は「紫式部」について語ります。

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めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし よはの月かな

平安時代の女性となると、記録がきわめて少なく、その人生をたどることは困難です。たとえば紫式部も、清少納言も、その本名も、生没年もわかっていません。

しかし紫式部は『紫式部日記』という日記と『紫式部集』という家集を残しています。また『源氏物語』には紫式部の実体験をもとにしたと思われる部分がいくつも見られます。こうした作品から、紫式部の生涯を、おぼろげながら、たどることができるわけです。

今回は会場の皆様と『紫式部日記』『紫式部集』などを声を出して読みながら、平安王朝文化に思いを馳せ、謎の多い紫式部の生涯に、迫っていきます。

小倉百人一首に有名なこの歌は、『紫式部集』の冒頭に、詞書に続けて掲げられています。

はやうよりわらはともだちなりし人に、としごろへて行きあひたるが、ほのかにて、七月十日の程に月にきほひてかへりにければ

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし よはの月かな

昔から幼馴染であった人に、長年経ってから行き会ったが、ちょっと会っただけで、七月十日ぐらいに月と競い合うようにして帰ってしまったので、

めぐりあひて…

久しぶりに会ったと思ったら、昔なじみの貴女とはっきりわかるかわからないかの内に、雲に隠れてしまう夜半の月のように、あなたはそんないそいそと帰ってしまうのね。

この歌にあるように、式部にはとても仲のいい幼友達がいたようで、歌のやり取りがいくつか残っています。物語についても語り合い、後に、式部が『源氏物語』を執筆する、原動力ともなったのかもしれません。

『紫式部日記』は一条天皇中宮彰子が懐妊し、父道長の土御門邸に里帰りしているあたりから語られます。土御門邸は藤原道長の邸宅。現在の京都御苑北東部、仙洞御所をふくむ一帯です。彰子に仕える紫式部も、当然、土御門邸に来ています。

日記の冒頭は、深まりゆく秋の土御門邸のようすが、詩情ゆたかに描かれます。

秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。

『紫式部日記』冒頭

秋の気配が深まってくるにつれて、土御門邸の様子は、言いようもなく風情がある。池のあたりのたくさんの梢、遣水の脇に草が生い茂っているの、それぞれ見渡す限り色づいて、秋はおおかたの空も艶やかだ。それらは中宮さまご出産を応援しているよう。絶えることない御読経の声々に、風情は深まってくる。だんだん涼しくなってくる風の気配に、いつもの絶えない水の音が、一晩中混じり合って聞こえる。


ここに出てくる「池」は、現在も京都御苑内の仙洞御所内にあるので、間近に見ることができます。「おーっ、これが土御門邸の、例の「池」か!」と、嬉しくなります。

9月11日昼頃、彰子は男子を出産しました。

午の時に、空晴れて朝日さし出でたるここちす。たひらかにおはしますうれしさのたぐひもなきに、男にさへおはしましけるよろこび、いかがはなのめならむ

『紫式部日記』

正午頃、空晴れて朝日が出たように思える。無事にお生まれになった嬉しさの類ない上に、まして男子でさえあられた喜び、どうして一通りであろうか。

紫式部の筆が興奮に躍っているのに対し、藤原道長のほうは淡白です。

午の時、平安に男子を産み給ふ。候する僧・陰陽師らに録を給ふ、

『御堂関白記』

あまりに嬉しかったので言葉にまとまらなかったのでしょうか。この皇子は敦成(あつひら)親王と名付けられます。後の、後一条天皇です。

『紫式部日記』には敦成親王の3日夜、5日夜、7日夜、9日夜すべての産養の儀式の様子が細かく詳しく描かれています。こういう記事が今日、平安時代の風俗習慣をしるのに大いに役に立つわけです。

その間、道長は夜中にも暁にも孫(敦成親王)の顔を見に訪ねてきました。道長がいきなりやってきて乳母の懐をさぐって若宮を抱き取るので、乳母が寝ぼけまなこで目をさます。それが気の毒だと、紫式部は乳母に同情しています。

ある時、道長が若宮(敦成親王)を抱いていると、おしっこをかけられました。そこで、濡れた衣を脱いで几帳の後ろで火にあぶって乾かしていました。通りかかった公卿に道長は、

「あはれ、この宮の御しとに濡るるは、うれしきわざかな。これ濡れたるあぶるこそ思ふやうなるここちすれ」と、よろこばせたまふ。

『紫式部日記』

ああ、この宮(敦成親王)のおしっこに濡れるのは、うれしいことだなあ。この濡れた衣を火であぶっているのこそ、思いがかなった心地がするよ」とお喜びになったと。

紫式部の藤原道長に対する観察は、微笑ましく温かいものがあります。

このように、『紫式部日記』『紫式部集』などの本文を会場の皆様と声を出して読みつつ、解説していきます。

紫式部や藤原道長にかかわる名所・旧跡も紹介していきますので、旅のきっかけにもなりますよ!

お誘いあわせの上、ぜひご来場ください。

▼詳しくはこちら▼
https://sirdaizine.com/CD/KyotoSemi_Info2.html

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