和泉式部(一)波乱の生涯

こんにちは。左大臣光永です。日に日にクリスマスが迫り、
商店街などはクリスマスの飾りつけが華やかな今日この頃。
いかがお過ごしでしょうか?

さて
先日発売しました新商品「百人一首 全首・全歌人 徹底解説」
https://sirdaizine.com/CD/Ogura100info.html

すでに多くのご注文をいただき、ありがとうございます。
本日から順次 発送作業に入っています。

ご注文いただいた方は、もうしばらくお待ちください。

しばらくこの商品にあわせ、また
年末年始ということでもあり、百人一首の話題をお届けしていきます。

▼音声が再生されます▼

http://roudokus.com/mp3/IzumiShikibu01.mp3

新京極 誠心院

京都の新京極通りは三条通りから四条通りの間、ごく1キロほどの
間を貫く商店街です。

アーケードになっていて、
わりと狭い通りの中をさまざまなお店がひしめき、
あちらでもこちらでも呼び込みの声が、にぎやかです。

この新京極通りをぶらぶら歩いていくと、
商店街のはずれに、ぽつんと寺があらわれます。

「なんでこんな所に寺が…」


新京極 誠心院入り口

思いっきり違和感を感じつつも門をくぐると、
四方をビルに囲まれた小さな四角い空間に、お墓と菩薩像が
ひしめき、なんとも奇妙なかんじです。


誠心院 境内

ここが、和泉式部の墓のある誠心院です。
古くは「じょうしんいん」と読みました。

あらざらむ この世のほかの思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな

私はもう死んでしまうでしょう。あの世に持っていく思い出として、
今一度、あなたに逢いたい…。

和泉式部は生涯に二度結婚し、二度不倫しました。

最初の不倫相手は冷泉天皇第三皇子
為尊親王。次の相手はその弟、第四皇子敦道親王…
和泉式部はごく中流貴族の家柄ですから、
皇族の男性からプロポーズされるとは、


誠心院 境内


伝和泉式部の墓

身分の差すら乗り越えて、プロポーズされるほどの、
和泉式部の美貌と、魅力だったんでしょうね。
何か、男をひきつけてやまない魅力があったんでしょう。

そのため、和泉式部というと今日、
恋から恋へわたり歩いた奔放な女性という
イメージがあります。

藤原道長は和泉式部のことを
「浮かれ女」と評しました。紫式部は
「和泉式部は歌や文はいいけど、素行は感心できない」
というようなことを書いています。

しかし百人一首に採られたこの歌は、病の床で
死を覚悟した和泉式部が、
愛しい貴方に、最後にもう一度だけ会いたいという、
切実な、一途な思いが感じられます。

あらざらむ この世のほかの思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな

「あらざらむ」と初句でズバリと言い切ります。
「ある」は存在。「ざらむ」とそれを否定していますから。
あることが、なくなる。生きていることが、なくなる。
つまり、死んでしまうことです。

「この世のほか」は、「この世」の「向こう側」で、
「あの世」のこと。

私は死んでしまうでしょう。だから、あの世に持っていく
思い出として、もう一度だけ、あなたに会いたい。

和泉式部。生没年未詳。

平安時代中期の女流歌人。父は大江雅致(おおえのまさむね)。
母は越中守平保衡の娘。

性空上人に送った歌

まだ和泉式部と呼ばれる前の少女時代、
書写山円教寺(姫路市)を開いた名僧性空上人に書き贈った歌がよく知られています。

暗きより暗き道にぞ入りにける
遥かに照らせ山の端の月

(さらに暗い道に入っていく私だ。山の端の月よ。
私の行く先をはるかに照らしてください)

冥(くら)きより 冥きに入り、永く仏名を聞かず
従冥入於冥、永不聞仏名

という
法華経の言葉をふまえます。

はやくも波乱に満ちた人生を予感し、闇路を恐れている様子が伝わってきます。

和泉式部 と 夫・橘道貞

999年までに橘道貞(たちばなのみちさだ)と結婚。
女子が生まれます。後の小式部内侍(こしきぶのないし)です。

夫道貞が和泉守に任じられると、
夫の官職名から以後、和泉式部と女房名で呼ばれることになります。

次に夫道貞は陸奥守に任じられます。
道貞が任国へ下る際、和泉式部は夫を見送って詠みました。

陸奥の守にて立つを聞きて

もろともに立たましものを陸奥の
衣の関をよそに聞くかな

(いっしょに出発したいものでしたのに。
陸奥の衣の関の話を、私はよそごとに聞くのです)

衣の関は、奥州平泉のそばにあったという古代の関所、衣の関で、歌枕です。

しかし、赴任先で道貞は女を作ります。

「やられた!!」

そこで和泉式部は夫に歌を送ります。

陸奥国へいひやる

高かりし波によそへてその国に
ありてふ山をいかに見るらむ

浮気したあなたは、さて、
その国にあるという末の松山を、どう見るのでしょうか。

「その国(陸奥)にありてふ山」は歌枕の「末の松山」のことです。

『古今集』の東歌に、

君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ

で知られます。貴方をさしおいて、私が浮気心を持ったら、(まさか、
そんなこと絶対ないですが、万一あったなら)、あの陸奥の末の松山を、
波が越してしまうでしょう。

そして百人一首では、清原元輔がこの歌をふまえて

ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山浪こさじとは

と詠んでいます。歌の意味は、あなたは約束したじゃないですか。お互いに
涙に袖をしぼりながら、末の松山の浪は越えないと。すなわち、ぜったい
浮気なんてしないと。

「末の松山」はだいぶ内陸部に
あったので、どんなに浪が高くても末の松山まで浪が越えることはないことから、
「末の松山を浪が越す」は、「ぜったいありえない」ことの例えです。

そして、歌では多く「絶対浮気しないよ」と誓うときに末の松山が使われます。
そして、たいがいその誓いは破られます。

すなわち、絶対越えるはずのない「末の松山」を、
「浪が越えて」しまうんです。

こうした、「末の松山」という歌枕の性質を踏まえて和泉式部の歌をみると、
よく歌の意味がわかります。

高かりし波によそへてその国に
ありてふ山をいかに見るらむ

「高かりし波」はあなたが立てた波。つまり、夫が浮気したことを言っています。
「よそふ(寄そふ)」はかこつけてとか、関連してという意味です。

「その国にありてふ山」は「その国にあるという山」つまり
末の松山のこと。

なので、

「浮気したあなたは、
その国にあるという末の松山を、どんな気持で見ていますか。
身につまされませんか。心が痛みませんか」

イヤミに、ネチネチと、夫を責めてるんですね。

(いいわいいわ、だったら私も好き勝手にやるんだから)

美貌の和泉式部は、モテました。

前々から、冷泉天皇第三皇子・為尊親王に言い寄られていました。
相手は皇族。宮さまです。対して大江家はごく身分の低い受領階級です。
身分違いの恋なのですが…

夫の浮気も和泉式部の背中を押したようで、
二人の関係は一気に親密になります。

しかし、このことが、とんでもない事態を
招いてしまいます。

つづき「和泉式部と為尊親王」

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