深川を歩く(一)

こんにちは。左大臣光永です。降ったりやんだりパッとしない空模様が
続きますが、日曜日。いかがお過ごしだったでしょうか?

私は昔から、外に出る時は文庫本を一冊リュックに入れていくんですが、
つくづく、文庫本というのは素晴らしいですね!
まず安い。そして、コンパクト。それで、こんなにも知識がつまっている。
しかもインターネットと違って、知識が体系づけられ、しっかりとまとめられている。
こういうものを、買わない手は無いです。
居酒屋でビール一杯頼んでる余裕があったら文庫本を一冊買いましょう。

さて先日発売いたしました、『松尾芭蕉 紀行文集 for Windows』
ご好評をいただいています。特典の「伊勢物語 名場面集」は、3/20までの
早期お申込み特典となります。お早目にどうぞ。
http://sirdaizine.com/CD/Basho.html

しばらくこの商品にあわせ、松尾芭蕉関連の話を続けていきます。

本日は、深川を歩きます。

▼音声が再生されます▼

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Fukagawa1.mp3

採茶庵跡

地下鉄東西線門前仲町駅から、清州通りを北に歩くこと約5分。



見えてきました。


採茶庵跡。縁側に等身大の松尾芭蕉像が座ってます。ここは松尾芭蕉の門人かつパトロンであった杉山杉風(すぎやまさんぷう)の別邸採茶庵の跡です。芭蕉はしばしばこの庵を訪れました。


芭蕉が住んでいた芭蕉庵はどこにあったか、いくつか説があって特定されていませんが、いずれにしても、小名木川の川向うの、そう遠くない位置です。杉風や、今日も遊びに来たよ~やや、先生、上がってください、どうぞどうぞ…そんなきさくな感じだったでしょうか。

『おくのほそ道』の旅は、この採茶庵からすぐ北の仙台堀川に船を浮かべ、隅田川に漕ぎ出すことから始まりました。


その、仙台堀川は採茶庵跡のすぐそばです。川沿いには芭蕉の『おくのほそ道』の句が札として掲げられ、散策のワクワク感を高めてくれます。


霊厳寺

仙台堀川を越え、しばらく清州通りを進むと、右手に灯籠があり、いかにも参道っぽい、楽しそうな感じです。浄土宗・霊厳寺の参道です。


途中、老舗の江戸みやげ屋さんを覗いたりしながら進んでいくと、


見えてきました。

浄土宗・霊厳寺。松平定信公の墓があることで有名なお寺です。



境内は広々としています。


まず参道右手に、勢至丸…法然上人の幼少時代の銅像。


やや進んで左手には、江戸六地蔵の一つ、銅像地蔵菩薩像。


本堂で参拝をすませて、


本堂左手に進みます。そこにあるのが、松平定信の墓です。


松平定信(1758-1829)。八代将軍徳川吉宗の孫です。陸奥白河藩第三代藩主をつとめ、白河楽翁を号しました。天明七年(1787年)11代将軍徳川家斉のもとで老中となり、江戸三代改革の一つ・寛政の改革を断行。当時は天明の大飢饉後の経済の混乱、また前任者田沼意次の時に賄賂が横行したことなど、問題が山積みでした。これを正そうとしたのです。

旗本の借金救済策として札差(ふださし)統制、農民救済策として七分積金(しちぶつみきん)。無宿人や浮浪者を集めての職業訓練の実施、賄賂の廃止、朱子学の奨励など改革は多岐にわたりました。しかし、あまりにマジメすぎたんでしょうか。おおむね不評だったようで、わずか六年で失脚しました。

白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りし田沼恋しき

そう言って揶揄されたのは、有名な話ですね。一方、私人としては文芸を愛好し、詩歌にすぐれた風流人であり、頼山陽をはじめとする多くの学者と交流しました。

このあたりの「白河」の地名は、松平定信公の号した「白河楽翁」によるものです。

深川江戸資料館

霊厳寺の隣が、深川江戸資料館です。


天保年間の深川佐賀町の街並みが実物大で再現されています。八百屋、油屋、米屋、船着き場や火の見櫓。建物は一件一件、内部まで作りこまれていて、実際に入ることができます。

実物大の通りをぶらぶら歩いて、茶の間に座って、江戸情緒に浸れます。

また二階から俯瞰で全体像を見渡せるのも、いいですね。上野の下町風俗資料館とあわせて、楽しみたい場所です。

雄松院 度会園女の墓

今度は少し霊厳寺参道を戻り、北側の小路に入ります。ちょっと行くと左手に見えるのが、霊厳寺の塔頭・雄松院(ゆうしょういん)です。


ここには松尾芭蕉の門人の女流俳人・度会園女(わたらいそのめ)の墓があります。


度会園女(生没年未詳)。

松尾芭蕉の門人で、伊勢出身の俳人。元禄七年(1694年)松尾芭蕉は生涯最後の旅となる西国への旅に出発しました。西国の門人たちが仲たがいをしていたので、その仲裁に向かったといわれています。

その途上、大阪にて、芭蕉をもてなしたのが眼科医・斯波一有の妻・度会園女です。

園女の家に招かれた芭蕉と門人たち。さっく句会が開かれます。そこで芭蕉が渡会園女への挨拶として詠んだ句…

白菊の目に立てて見る塵も無し

「目に立てて見る」はじっと意識して見ること。園女の清浄な美しさを白菊とたとえ、どんなに目をこらしても、塵一つ無い美しさですね。あなたは本当にお美しい。

「まあ、先生ったら。オホホ、困っちゃうわ」

そんな声も、聞こえてきそうですね!

それから14日後、病が悪化した芭蕉は大阪御堂前の門人宅にて門人たちが見守る中、帰らぬ人となりました。

その後、夫を亡くした度会園女は江戸深川に移り、眼科医を営む傍ら俳諧をたしなみ、深川に没しました。

興なきはけふ尽す花の御山かな 園女

「上野に遊びて」と前書きがあります。おそらく上野の山に桜が咲いている。すばらしい。しかし今夜は雨が降って、今日だけで上野の山の桜も散ってしまうかもしれない。それが残念だ…という句でしょうか?それとも、あまりゴテゴテと飾り立てているのは私の趣味にあわない。素朴なのがいいという句かもしれません。

臨川寺

清州通りを北に進み、清洲橋通りと交差した所で左に折れ、しばらく進むと臨済宗臨川寺があります。


ここは、鹿島根本寺の住職・仏頂和尚の臨川庵があった所です。松尾芭蕉は小名木川を隔てた芭蕉庵から、しばしば仏頂和尚を訪ねてきて、禅の教えを乞うていました。

当時、仏頂和尚は鹿島神宮と根本寺との所領争いによる訴訟を行うため、たびたび江戸に出てたんですね。そんな折、近所に松尾芭蕉という先生がいる。ほう俳諧か?そんなものを生業にしている男がいるんだな。面白そうだ。

芭蕉のほうも、私は禅の教えにはとても興味がございます。ぜひ和尚にご教示願いたい。では、お互いに知っている所を教え合いましょう。それはいいですな!そんな感じだったか、どうだかはわかりませんが…芭蕉と仏頂和尚の間には、けっこういい関係が築かれたようです。

貞享4年(1687年)の『鹿島紀行』の旅では、芭蕉は鹿島根本寺に仏頂和尚を訪ね、また元禄二年(1689年)『おくのほそ道』の旅では、栃木県雲厳寺に、昔仏頂和尚が修行した庵を訪ねています。

芭蕉と仏頂和尚…なんか「風流の友」って感じで、カッコいいじゃないですか!

臨川寺。何年か前に行った時は工事中だったんですが、昨日行ってみると、すっかりリニューアルされて新しくなってました。

境内には芭蕉由緒の碑・芭蕉墨直しの碑などが建っています。



発売中です。

松尾芭蕉 紀行文集
http://sirdaizine.com/CD/Basho.html

松尾芭蕉の紀行文『野ざらし紀行』『鹿島詣』『笈の小文』『更級紀行』
そして近江滞在中のことを描いた『幻住庵記』、
嵯峨の落柿舎の滞在記録『嵯峨日記』の、
原文と、現代語訳、わかりやすい解説をセットにしました。

じょじょに桜の花が開くこの季節。
春風にさそわれて、京都・奈良・滋賀を旅する際の
お供としても、どうぞ。

はるか昔の旅人の情緒を胸に抱き、耳に聴いて、
ふだんとは一味違う旅が楽しめることでしょう。

詳しい解説はこちらのurlです。ぜひ見にいらしてください。
http://sirdaizine.com/CD/Basho.html

明日は小名木川を越えて、深川芭蕉記念館を訪ねます。
お楽しみに