糺の森から下鴨神社へ

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はじめて訪れた時はどこかよそよそしい風景だったのが、
二度、三度と訪ねているうちに、自分の中に風景がしみわたり、
その場所の空気や人情に、なじみができてきたり。

以前はこの道を行ったから、今度はこっちを歩いてみるか、
などと微調整を加えてみたり。

というわけで今回は京都の下鴨神社と糺の森の話です。
発売中の商品「方丈記 朗読・解説CD」の取材も兼ねて
歩いてきました。
http://sirdaizine.com/houjyouki/

高野川~糺の森

下鴨神社を訪ねるときのおススメは、
鴨川のちょっと手前(京都駅から見て)から、歩いていくことです。

鴨川の土手をてくてく歩いていくと、
こんもりした糺の森が、目の前にじょじょに迫ってきます。

これが、ワクワクします!

やがて鴨川が高野川と賀茂川に分岐し、
その三角州地帯にあるのが糺の森、そして下鴨神社です。

下鴨神社

このまま高野川をずっと上流のほうまで歩いていくコースも楽しいですが、
今回は高野川の上流には行かず、糺の森の中に踏み入ります。

高野川

糺の森は下鴨神社の鎮守の森です。
東京ドーム3つぶん(約12万平方メートル)という広さを、
ケヤキやムクノキなどの原生林が広がっています。

糺の森

青葉がうっそうと茂り、蝉の声がワンワン響く中を、
歩いていきます。

河合神社と長明の庵のレプリカ

まず見えてくるのが鴨長明ゆかりの河合神社です。

高野川

ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず

だれもが学校で習った、あの名文『方丈記』

その作者の鴨長明は平安時代後期の久寿(きゅうじゅ)2年(1155年)、
下鴨神社の神職鴨長継の次男として生まれました。

わずか7歳で従五位下という位に叙せられ、
将来を期待されていましたが…

父長継が若くして亡くなると、
長明の将来にもかげりが見え始めます。

強力な父の後ろ盾がなくなり、
生活は苦しくなっていきます。

しかし文学や音楽の方面では若い頃から
豊かな才能を発揮し、時の最高権力者・
後鳥羽上皇に見出され、後鳥羽上皇が
復活させた「和歌所」の職員として抜擢されたりもしました。

長明のたっての願いは、
父の跡をついで神社の禰宜(長官)になることでした。

1204年(元久元年)長明が長く希望していた
河合神社の禰宜に欠員が生じます。

長明の文才を高く評価していた後鳥羽上皇は、
ここぞと長明を河合神社の禰宜に推薦します。

ところが同族の鴨祐兼から横やりが入ります。

「長明は職務怠慢で神職にはふさわしくありません」
「ぐ…ぐぬぬ」

結局、長明はこの横槍が入ったことにより、
河合神社の禰宜になることが、できませんでした。

後鳥羽院は「ならばかわりに」と別の神社を
河合神社と同格に格上げして、その禰宜に長明を推します。

絶対権力者・後鳥羽院がそこまでしてくれるというのは、
破格のことでした。しかし、長明は、

「お断りいたします」

長明の希望は、あくまでの「父の跡を継ぐこと」でした。
どんなに対等な条件を出されても、
父の跡を継ぐのでなければ意味がなかったようです。

長明は頭をまるめて出家し、
まず大原に、ついで京都郊外山科の日野
(現京都市伏見区日野町)に隠棲します。

方丈(3メートル四方)の庵を結び、
琵琶をかきならしたり子供と遊んだりという気ままな暮らし。

しかしたまに都に出ては自分のみすぼらしい姿を恥じるといった、
俗っぽいコンプレックスが消せないことでもありました。

その間、建暦2年(1212年)『方丈記』ついで
『無名抄』をあらわし、建保4年(1216年)62歳で亡くなりました。

現在、河合神社の境内には長明の庵のレプリカが展示してあります。
なかなか精巧なつくりで、生垣のむこうから、
「やあ、お客さんかい」なんて言って長明が顔を出しそうです。

鴨長明の庵

『方丈記』によるとこの庵は組み立て式で、
掛け金をはずすと簡単にばらせたということです。

鴨長明の庵

プラモデルみたいに、バラしたり組み立てたりして、
簡単に引越しができたということです。便利ですね

鴨長明の庵

瀬見の小川

河合神社を出て、さらに糺の森の中を歩いていきます。

森の中を流れる瀬見の小川はとてもキラキラして、
水が澄んでおり、とても涼しげに気分に浸れます。

瀬見の小川

石川や瀬見の小川の清ければ
月も流れを たずねてそすむ

地図を見ると、糺の森と下鴨神社のエリアは
鴨川、高野川と二つの川に挟まれ、
境内には瀬見の小川、泉川という細い小川が流れてます。

泉川

泉川

二本の川にはさまれ、なおかつ境内には細い小川が
流れているのです。

つまり、

長明は、生まれながらに川に囲まれ、
川の流れの中にいたと言えます。

ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まりたるためしなし

あの名文句は、この環境から生まれたのかと、改めて感慨深いものがあります。

下鴨神社へ

さらに糺の森の中の道を、時々小川のせせらぎに癒されながら歩いていくと、
いよいよ下鴨神社の鳥居です。

下鴨神社の鳥居

下鴨神社は正式名を賀茂御祖神社(かもみおやじんじ)といい、
賀茂川と高野川が鴨川に合流する三角州地帯にあります。

上賀茂神社で祀られる賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の
祖父にあたる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と、
母にあたる玉依媛命(たまよりびめのみこと)を祀ります。

上賀茂神社とあわせて賀茂社と総称され、
毎年5月15日に両社で開催される葵祭で有名です。

次回、あなたとご一緒に、私左大臣光永が、
あなたとご一緒に、下鴨神社の鳥居をくぐります。

お楽しみに。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。