小名木川~塩の道を歩く

こんにちは。左大臣光永です。

最近思うんですが、居酒屋とか焼き鳥屋のボヤーンと黄色い照明って、妙に気分が高まりませんか?大学時代の喧騒を思い出して胸がアツくなるってのはあるんですが、それ抜きにしても、黄色い照明。ザワザワ心騒ぐものがあります。

さて先日発売いたしました、『松尾芭蕉 紀行文集 現代語訳つき朗読 for Windows』
ご好評をいただいています。特典の「伊勢物語 名場面集」は、本日3/20までの
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この商品に関連して数回にわたって松尾芭蕉の話をお届けしてきましたが、
本日が一応の区切りとなります。「小名木川~塩の道を歩く」です。

▼音声が再生されます▼

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小名木川は隅田川から中川まで東西に江東区を横切る全長4640メートルの一級河川です。天正18年(1590)江戸に入府した徳川家康が、行徳の塩をはじめ、諸国の物資を運ぶため小名木四郎兵衛(おなぎしろべえ)に命じて開削させたと言われ、江戸の発展に大きく寄与しました。また物資だけでなく成田山新勝寺や鹿島神宮にお参りする人でも賑わいました。

塩の道

東京メトロ半蔵門線清澄白河駅で地上に出ます。目の前の清州通りを少し北に進むと、見えてきました。小名木川です。


川沿いの遊歩道に下りて、これから延々と、中川まで歩いていきます。



小名木川は徳川家康の江戸入府以来、行徳の塩を運ぶ水路として使われていました。現在、「塩の道」として小名木川沿いに遊歩道が調えられています。

カモメがとても多いです!すーいすいと優雅に飛び、時に目の前をゆっくりと横切っていきます。「見てみて、上手でしょう」という感じで、かわいいです! 



その横でハトが「カッコいいなあ」という感じで見ているのも微笑ましいです。

五本松

川上とこの川下や月の友


この句は元禄六年(1693年)、松尾芭蕉が小名木川に舟を浮かべ、五本松(現猿江二丁目)あたりで詠んだ句です。


芭蕉庵は小名木川が隅田川に流れ込む河口にあり、小名木川沿いには芭蕉の門人たちの家がありました。芭蕉はたびたび船に乗って門人たちの家を訪ね、句会を催しました。


中でも五本松は月見の名所です。小名木川に舟を浮かべて五本松あたりで川面に映る月をながめることが風流人に好まれました。歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれています。

この句は、月がきれいな晩に、川上の友人たちと、この川下の私と、同じ気持ちで、月をながめているだろうか…という句です。ええい、ソワソワする。いっそ舟で訪ねて行こう。そんな感じで、出かけて行ったんでしょうか。

大島稲荷神社

遊歩道を東へ歩いていくと、左手に神社の鳥居の頭が見えてきました。


大鳥稲荷(おおじまいなり)神社です。和銅三年(707年)元明天皇の御世に創建された歴史の古い神社です。

境内左手に松尾芭蕉坐像と、芭蕉の句を刻んだ「女木塚(おなぎづか)」があります。



秋に添(そう)て行(ゆか)ばや末は小松川

この句は元禄五年(1692年)9月の末、小名木川に舟を浮かべて、門人の洒堂(しゃどう)と共に桐奚宅を訪ねて行った時の句です。
おそらく船路の途中、この大島稲荷神社で船を留めて、詠んだ句しょう。

小松川は小名木川の東一帯の地名です。野菜の「小松菜」の語源としてよく知られています。そこに桐奚という人(おそらく門人)の家があったのです。秋の「末」と小名木川の「末」を掛けています。

境内には小林一茶の句碑もあると聞いていたのですが、看板だけで句碑は見当たりませんでした。

水売の今来た顔や愛宕山

愛宕山とは、昔この大島稲荷神社の隣にあった愛宕神社だそうです。

当時、このあたりは水質が悪く、まともな飲料水がありませんでした。そこで水売りや氷売りが舟で一軒一軒売りに来ていました。水いらんかえ~水いらんかえ~そんな感じでだったでしょうか。芭蕉にもこんな句があります。

氷苦く偃鼠(えんそ)が喉をうるほせり

偃鼠はどぶねずみ。買い置きの氷は苦く、偃鼠…どぶネズミのような私の喉をうるおすばかりだという句です。深川芭蕉庵の侘しい暮らしがしのばれます。


宝塔寺・塩舐め地蔵

大島稲荷神社を後に、小名木川沿いの道をさらに東へ進み、また左の小道に入ると、真言宗宝塔寺があります。


境内に奉納されている塩舐め地蔵は、もとは小名木川沿いにあったのを昭和初期に移したものです。行徳の塩を江戸に届ける商人たちは、途中お地蔵さんの前で一服し、


「お地蔵さま、このたびもお守りくだせえ」

そんな感じで、お地蔵さまに塩をお供えしていたものです。供えられた塩を塗ると疣(イボ)が治るということで、疣取り地蔵とも呼ばれています。

現在、お地蔵さまの原型は留めておらず、のぺっとした「柱」にしか見えませんが、あらゆるブランドの塩が奉納されており、塩舐め地蔵だなと実感させてくれます。


中川船番所資料館

さらに東に歩いていくと、小名木川と中川がぶつかります。


寛文元年(1661年)。それまで小名木川の隅田川口にあった深川番所を、中川口に移し、これを中川船番所としました。利根川・江戸川・中川・小名木川を通って江戸へ入る舟を取り締まる、いわば「川の関所」です。

もともと深川にあった番所を、なぜ中川口に移したんでしょうか?

それは、そもそも江戸の町は隅田川の西側がメインでした。深川は江戸の東の窓口として、江戸に出入りする船を監視していたわけです。


ところが明暦3年(1657年)明暦の大火で江戸の町が大半焼けてしまいました。そこで隅田川の東にも都市が移転され、町として調えられてきます。それまで「江戸の外」だった隅田川の東も、江戸の内部に組み込まれていったわけです。

そのため、深川番所は江戸の町の内部に深く入り込んだ形となり、番所としての意味を失いました。そこで、隅田川口よりずっと東の、中川口に番所を移したわけです。

現在、中川船番所資料館が建っています。



船番所や船のジオラマ、関連資料、江戸時代に発達した竹製の釣り竿「江戸和竿(えどわざお)」などが展示されています。



特に、三階の船番所のジオラマは近づくと喋り出します。本行徳村(市川市)の船頭・善左衛門が運んできた積み荷の酒を、船番所の役人が検査する場面が、寸劇風に再現されています。積み荷は酒か。へっ。では通行手形を見せよ。…そんな感じの簡単な寸劇ですが、こういうのはいいですね。情景が目に浮かびます。

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春風にさそわれて、京都・奈良・滋賀を旅する際の
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はるか昔の旅人の情緒を胸に抱き、耳に聴いて、
ふだんとは一味違う旅が楽しめることでしょう。

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