東寺を歩く

こんにちは。左大臣光永です。

私の部屋は嬉しいことに、ベランダから日の出が見えます。たまに日の出を見るためだけに早く起きてベランダで待機してます。比叡山・如意ヶ岳はビルに遮られてほぼ見えないですが、東山はばっちり見えます。そして東山から太陽は登ってくるので、毎朝見ることができるんです!山の端をゆったり太陽が登ってくるのをはるかに眺めるのは、最高の気分です。

本日は東寺を歩きます。東寺は正式には教王護国寺。東寺真言宗総本山。平安京遷都間もなく、王城鎮護の寺として創設され、嵯峨天皇によって弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場となりました。

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東寺を歩く

近鉄東寺駅下車。九条通を西へ歩くこと3分。


五重塔


パッと視界が開けて、東寺の築地塀沿いに五重塔が目に飛び込んできます。新幹線で京都につくと真っ先に見えるのがこの東寺の五重塔です。古都京都の玄関の象徴として、親しまれています。

南大門

五重塔を右に見て、また堀のカモに見とれながら九条通を西へ歩いていくと、見えてきました。南大門です。


蓮華王院(三十三間堂)の西門(にしもん)を明治28年(1895)に移築したものです。創建は慶長6年(1601)。切妻造、本瓦葺きの雄大な八足門(やつあしもん)です。


八足門は別名八脚門(はっきゃくもん)ともいい、四本の本柱(ほんばしら)の前後に四本の控柱(ひかえばしら)と呼ばれるサブの柱があるものです。上から見るとこうなります。図を御覧ください。


柱はぜんぶで十二本だから十二足門じゃんて思うんですが…八足門と決まってるらしいです。

南大門をくぐって、南から順に金堂、講堂、食堂が一直線に並ぶ伽藍配置は創建当時からのものです。

東寺の拝観受付は伽藍の中央やや北側にあります。なので通常は南大門から入らず東北の慶賀門から入るのが近いです。しかし今回は、南大門、金堂、講堂、食堂とならぶ伽藍配置を実感するために、あえて南大門から歩いていきます。

金堂を南から見たところ
金堂を南から見たところ

東寺について

東寺は正式には教王護国寺(きょうおうごこくじ)。東寺真言宗総本山。平安京遷都間もない延暦15年(796)、王城鎮護の寺として創設されました。はじめ羅城門の東に東寺、西に西寺が築かれましたが、後に西寺はすたれ、東寺だけが残り今に至ります。

弘仁14年(824)、嵯峨天皇より弘法大師空海に下賜され、以後、高野山金剛峰寺とならび真言密教の根本道場として栄えました。

伽藍東南に建つ五重塔は新幹線で京都に入ると真っ先に目につくもので、東寺だけでなく京都のシンボルとして親しまれています。

毎月21日の弘法大師の命日は「弘法さん」と呼ばれる縁日で賑わいます。1000軒以上の露天が並び、20万人以上の人出のある、京都の風物です。特に12月21日の「終弘法(しまいこうぼう)」、正月21日の「初弘法(はつこうぼう)」は楽しいです。

私は「弘法さん」の露天を見て回るってると、上野の不忍池のあたりのザツゼンとした空気を思い出して、懐かしくなります。

八嶋社

南大門入ってすぐ右手にあるのが八嶋社です。


東寺創建以前からこの場所にあった社で祀られているのはこの地の地主神とも大己貴神(おおなむちのかみ)とも。


弘法大師空海はこの地に伽藍を築くにあたって、もともと鎮座していた八嶋社を篤く祀ったといいます。

弘法大師空海

八嶋社を後に、伽藍西側の広い砂利道を歩いていきます。すぐ左手に見えるのが修行大師の像です。


これを機に、弘法大師空海の生涯をざっと復習しておきましょう。

弘法大師空海。宝亀5年(774)四国讃岐の生まれ。上京して学問に打ち込むうちに仏教に開眼。阿波や土佐で修行するうちに『大日経』に惹かれ密教へと導かれ得度します。

延暦23年(804)31歳の時、遣唐使として7つ年上の最澄らと中国に渡り、長安清竜寺(せいりゅうじ)の恵果和尚(けいかわじょう)から密教の奥義を伝授され、大同元年(806)、帰国。

帰国後は主に高雄山寺(たかおさんじ。現神護寺)を活躍の場とし、嵯峨天皇より信任を受けます。この頃、天台宗を開いた最澄と交流し、最澄に密教の灌頂を授けますが…後に二人は密教に対する考え方の違いから、決裂しています。

弘仁7年(816)嵯峨天皇の勅許を受けて高野山の開創に着手。みずから入寂の地と定め、荘厳な伽藍を築いていきました。

弘仁14年(824)、嵯峨天皇より東寺を下賜されます。その時空海は条件をつけました。ほかの宗派と一緒のいわゆる兼学道場ではなく、東寺を真言密教のみの根本道場としてくださいと。

つまり、奈良の仏教である南都六宗などと一緒にやるのはごめんだと。空海の密教に対するなみなみならぬ覚悟が見て取れる条件でした。

嵯峨天皇は空海の出した条件を飲みます。以後、東寺は教王護国寺と名を変え、真言密教の根本道場として栄えました。

天長9年(832)、空海高野山に隠棲。承和2年(835)入寂。しかし空海は入寂後即身仏として生き続けているとされ、ここ東寺と高野山金剛峯寺には日に三度の食事が厳粛に供されています。

灌頂院

修行大師像の隣には灌頂院の築地塀が見えます。


真言密教の奥義を師から弟子に伝える「灌頂」の儀式を行う道場です。ふだんは使われていない上に非公開ですが、正月に真言宗最大の行事・後七日御修法(ごしちにちみしほ)が行われ、4月21日の空海の命日は一般に公開されます。

御影堂(みえどう)

砂利道を北に進んでいきます。


右に金堂、講堂、食堂。左に本坊の築地塀を見ながら歩いて行くと、左に御影堂の入り口が見えてきます。


御影堂は弘法大師空海の住居跡と伝えられる寝殿造り、単層・入り母屋造・檜皮葺の建物です。今も大師が生きているかのごとく、日に三度、食事が捧げられています。

堂内に弘法大師坐像、不動明王坐像を安置し毎月21日の縁日にはたんさんの人で賑わいます。現在工事中で、弘法大師坐像は他に遷されていますが、不動明王坐像は工事期間中もお祀りしてあります。


身は高野 心は東寺に納めおく
大師の誓い あらたなりけり

御詠歌

空海は晩年に東寺を去り高野山金剛峰寺に入りますが、最後に東寺を出る時、伽藍北西の蓮華門から出ていきました。その時、不動明王が別れを惜しんで涙を流すと、空海の足元に蓮華の花が咲いたと伝えられます。

食堂(じきどう)

伽藍中央北よりにあるのが食堂です。


創建時代は不明。昭和5年(1930)に焼失し昭和8年(1933)に再建されたものです。よく中で展示会などのイベントをやっています。

講堂(こうどう)

食堂正面の拝観受付から中に入ります。最初に見える建物が講堂です。


弘法大師空海がもっとも力を注いだ建物で、東寺の一番の見どころです。

須弥壇の上に21体の仏像が安置され、密教の世界観を立体的にあらわした「立体曼荼羅」になっています。中央に大日如来像を中心とした五智如来像、その左に五大菩薩。

右に五大明王像、左端に梵天・右端に帝釈天像。そして四隅を四天王像が囲むという配置で、21体の仏像のうち15体は創建当時のものです。

ただただ、圧倒されます。

修学旅行や団体ツアーでは駆け足で通り過ぎることも多いと思いますが、ここ講堂だけは、他の時間を削ってでも、足を止めて、じっくり見ていきたい所です。

むしろ一日中、大日如来坐像と向かい合って、口の中でぶつぶつ真言唱えているのも、豊かな一日じゃないですか。

金堂(こんどう)

講堂の南に建つのが東寺の本堂にあたる金堂。重層入母屋造、本瓦葺きの堂々たる建物です。


東寺が創建されたのは平安京遷都間もない延暦15年(796)ですが、完成までには長い年月がかかっています。桓武の次の平城(806年)、さらにその次の嵯峨天皇(809年)の代に弘仁14年(824)、東寺は弘法大師に下賜されますが、その時完成している建物は金堂だけで、あとは小さな僧坊が建ち荒れ地が広がるばかりでした。

平安京の都造りと、蝦夷との38年間に渡る戦いとによって国庫は圧迫され、寺造りどころではなかったのです。

唯一完成していた金堂も文明の土一揆(1486)で土民が境内に乱入し、焼き討ちにされます。慶長8年(1603)、豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建させたのが現在の金堂です。

桃山時代の仏師・康正(こうせい。1534-1526)による薬師三尊像が安置されます。薬師如来坐像を中心に、左に日光菩薩立像、右に月光菩薩立像。薬師如来坐像の光背に埋め込まれた七体の化仏(けぶつ)、台座を支える十二神将像も、思い思いのポーズをしており、表現豊かです。

薬師如来像は平安時代以降、左手に薬壺(やくこ)を持った姿で作られることが多いですが、この薬師如来像は薬壺を持ちません。桃山時代の作品ながら、古代風に作ったんでしょうか?

五重塔

五重塔です。


初代五重塔が完成したのは弘法大師没後約50年の元慶7年(883)頃。その後、焼失を繰り返し、現在の五重塔は五代目、寛永21年(1644)徳川家光の再建によるものです。高さは55メートルあり、木造の塔としては日本最高です。

東寺の境内から見ると西を向いているので午前中は逆光になることが多いです。むしろ午前は東寺の外から見た五重塔こそ、日光に照らされて生き生きして見えます。

瓢箪池

瓢箪池。つつじや紅葉の季節は色鮮やかです。


池に五重塔が、講堂が、金堂が映り込むさまも、いいもんです。

東大門(不開門)

瓢箪池の奥に、大宮通に面する東大門は、建久9年(1198)、文覚上人の大勧進により再建されたものです。


建武3年(1336)新田義貞が足利尊氏を攻めると、苦戦した尊氏は東寺へ駆け込み、ぴっしりと扉を閉めて新田の追撃を防ぎました。これにより不開門(あかずのもん)と呼ばれることとなりました。この東大門も、南大門と同じく八足門です。

観智院

そのほか、塔頭の観智院が春と秋に公開しています。


観智院は東寺の塔頭の一つです。宮本武蔵の筆により襖画「鷲の図」「竹林の図」、乗り物にまたがった五体の仏像「五大虚空蔵菩薩像」。枯山水庭園の「涅槃禄」など、見どころが多いです。



本日は東寺を歩きました。京都観光の定番コースですので、京都通ほど「今さら…」と敬遠しがちですが。しかし!歩けば歩くほど味わい深く。何度訪れても発見がある。弘法大師空海の魂に触れることができる。それが東寺。東寺です!

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