後醍醐天皇はなぜ鎌倉幕府を倒そうとしたか?

こんにちは。左大臣光永です。台風10号が迫ってますね。また強烈な、大きなヤツです。しっかり戸締りして、敵の襲撃に備えましょう。

私は本日、仕事の合間にメシでも食うかと、ふらりと池袋のサンシャイン60に行ってきたんですが、日曜日だってことをスッカリ忘れていました。モノすごい人だかりでした。それにしても久しぶりのサンシャインでしたので、知らない店が増えてて、ポケモンショップできてたりして、都会の時間の流れの速さを実感しました。

はじめに商品のご案内です。おくのほそ道』現代語訳つき朗読cd-rom。

『おくのほそ道』全章の原文と現代語訳による朗読CD-ROMです。特典の「おくのほそ道への遠い道のり」全29回の講義は、8/31までの早期お申込み特典です。お申込みはお早目にどうぞ。
https://hosomichi.roudokus.com/CD/

では、本編です。

本日の話題は「後醍醐天皇はなぜ鎌倉幕府を倒そうとしたか?」先日のTAMA市民大学での講義の録音です。本日の話は大変入り組んでいますので、系図を参照しながら聴いていただければと思います。

▼音声が再生されます▼

http://roudokus.com/mp3/Godaigo2.mp3

大覚寺統と持明院統
大覚寺統と持明院統

後醍醐天皇

鎌倉幕府末期の混乱した世相の中、1318年に花園天皇の譲位を受けて即位したのが後醍醐天皇です。

後醍醐天皇について、あなたはどんなことをご存じでしょうか?何をした人物ですか?

そうです。鎌倉幕府を倒し、建武の新政を行いました。そしてこの人はまあ本当に、しつこい。潰されても潰されても不死鳥のごとくよみがえってきて、幕府を倒すのだ、幕府を倒すのだ。根性の人です。そしてとうとう初志貫徹で、ほんとうに鎌倉幕府を倒してしまった。

では、なぜそこまでして後醍醐天皇、鎌倉幕府を倒すことに執着したんでしょうか?なぜでしょうか?後醍醐天皇がそこまでして鎌倉幕府を倒そうとした理由は?どう思いますか?

「より良い世の中を作る」
「鎌倉幕府の圧制に苦しむ天下の民を救う」

と、そういうこともまあ、多少は考えたかもしれませんが…それ別に、メインじゃないです。そんなキレイ事で、何度も何度もつぶされても命をキケンにさらしても蘇ってくるとか、そんな根性が出ないですよ。

ビジネスだってそうじゃないですか。「世の中を笑顔にしたい」「人から感謝されるビジネスを」「お金じゃないんです。お金よりももっと、社会的に意義のある仕事をしたい」(笑)

こういう事言って起業する人がいますが、ほぼ100%失敗します。必ず、挫折します。それは、そんな目的は嘘だから。人間はそんなきれいごとな作り物の目的では動けないんです。

人間を行動に駆り立てるのは、もっと具体的で、実利的な、トクになることです!

後醍醐天皇の場合、それは、「自分の子孫に安定して天皇の位を継がせる」ということでした。「自分の子孫に安定して天皇の位を継がせる」。どういうことか?後醍醐天皇が即位した頃の天皇家は、大変な状況にありました。

二つに分かれた天皇家

時はややさかのぼります。1272年。今まさにモンゴル襲来が始まらんとしている頃。最初のモンゴル襲来文永の役の2年前にあたる、この年に。

30年間にわたって院政を行ってきた後嵯峨法皇が亡くなります。さて後嵯峨法皇には二人息子がありました。後深草上皇と、亀山天皇です。

大覚寺統と持明院統
大覚寺統と持明院統

この後深草上皇と、亀山天皇のうち、どちらを後継者にするか?後嵯峨法皇は遺言を遺さずにお亡くなりになったんですね。

そのことが、後々の争いを引き起こす元となります。そもそもこの後嵯峨法皇という方は、鎌倉幕府の三代執権・北条泰時の口ききで即位できた天皇でした。なので、生涯にわたって鎌倉幕府には頭が上がりませんでした。

何をやるにも鎌倉幕府のおうかがいを立てないと、決まりません。モンゴルから国書を送ってきた時も、本来朝廷として、毅然とした態度でモンゴルに返書を送るべき所、後嵯峨上皇は、「幕府の意見をうかがおう」なんてことをおっしゃって、

幕府では「無視しろ!」そう言われると「そうですか…」アッサリ従いました。それくらい、後嵯峨法皇という方は、鎌倉幕府の言いなりでした。何をやるにも鎌倉幕府のおうかがい。何もご自分で決められません。

そして最後の最後まで、遺言さえちゃんと残せなかったわけです。後深草と亀山のどっちを後継者にするか?遺言を遺さずに後嵯峨法皇は亡くなりました。

しかし、生前の後嵯峨法皇はあきらかに弟の亀山のほうを可愛がっていました。それは、兄後深草は病弱で、意思が弱かったといいます。対して弟亀山は、健康で、意思が強かったそうです。なので後嵯峨法皇は、遺言までは書かないものの、その御意思は、亀山のほうにあったであろう、ということで、亀山天皇の親政が始まります。

となると、納得できないのが兄である後深草です。そんな!正式な遺言があるならまだしも。こんななし崩しに排除されるのは納得いかないと、ゴネます。

そうこうしている内に亀山天皇は譲位して、息子の後宇田天皇を立てます。そして今上天皇の父として、上皇となって、亀山上皇となって、院政を始めました。

後深草は不満タラタラです。ああもうおしまいだ。わが血統に未来は無い。もう出家するしか無い…こんなことを言い出して、うつ病みたいになってしまいました。その噂は鎌倉幕府にも届きます。

「仕方ない。そこまで言うなら幕府が取り仕切ってやろう」

ということで、幕府が口出しをしてきます。

「次は後深草の息子を皇太子に立てなさい」

大覚寺統と持明院統
大覚寺統と持明院統

つまり、後宇田の次は後深草の系統から天皇が出ることになります。やがて後宇田天皇は譲位させられ、後深草の息子・伏見天皇が即位します。さらに伏見の息子・後伏見が皇太子に立てられます。

そうなると今度は亀山上皇のほうが不満タラタラになります。

「あんまりだ!こんなのはひどい!
もう出家するしか無い…」

こっちも、言い始めました。しかも、亀山上皇はほんとうに出家してしまいます。

亀山上皇は洛中に大きな離宮を持っておられましたが、ここに僧を招き髪を下ろされました。後に、その場所が寺となります。何という寺かおわかりですか?絶景かな~の石川五右衛門で有名な所です。そうです。南禅寺です。

南禅寺は亀山上皇の離宮後を寺にしたものです。

余談ですが、亀山上皇について風流なエピソードがあります。京都の嵐山に長い橋がかかっています。ある満月の晩、亀山上皇がお輿に乗って、この橋を渡っておられました。すっとお輿の窓を開くと、夜空に満月がこうこうと輝いている。

そして、お輿が進むに連れて満月もついてくるわけです。それをご覧になった亀山上皇「ああ…満月が橋を渡ってくようじゃ」

隈無き月の渡るに似る。ここから、「渡月橋」という名前がついたと伝えられます。

文保の和談

まあこのように後深草系と亀山系で、不毛な争いが延々と続いていたわけです。後深草の系統は、同志社大学今出川キャンパスに近い持明院御所を拠点としていましたので、これを持明院統といいます。

対して亀山上皇の系統は、嵯峨の大覚寺を拠点としていましたので、大覚寺統といいます。

以後、大覚寺統と持明院統の不毛な争いが延々と続き、それが後の南北朝の動乱へとつながっていきます。

鎌倉幕府は天皇が代替わりするたびに大覚寺統、持明院統の双方から工作を受けました。今度は大覚寺統から天皇を出してください。いやいや、持明院統から。いやいやいや大覚寺統から。いやいやいや持明院統から。

幕府もたいがい困り果てます。ましてモンゴル襲来という未曽有の国難。それに続く戦後処理の問題で忙しい中でした。もうたいがいにしてくれというのが、幕府の本音だったでしょう。

「わかりました。じゃあもう、幕府が決めてしまいます」

こうして、鎌倉幕府が大覚寺統・持明院統の間に立って、強引に話をまとめます。文保元年(1317)文保の和談です。その内容は…

●次の年で持明院統の花園天皇の治世が10年目になるので、大覚寺統の尊治親王(後の後醍醐天皇)に譲位する。

●尊治親王が即位したら、大覚寺統の後二条天皇の息子・邦良親王を皇太子に立てる。

●以後、10年ごとに持明院統・大覚寺統から交互に天皇を出す(両統迭立)

●邦良親王が即位したら、持明院統の量仁親王を皇太子に立てる。

というものでした。ようするに、「大覚寺統と持明院統から交互に天皇を出しなさい。もうケンカしないように」ということです。

「よろしいですかな!」
「わかりました…」
「むう…仕方ない」

大覚寺統、持明院統、双方、幕府の決定にしぶしぶ随いましたが、これは大覚寺統にとっても持明院統にとっても、不満の残る決定でした。

本音を言えば、大覚寺統も持明院統も、自分の子孫だけに帝位を継がせたいんです。特に後醍醐天皇は、中継ぎの天皇でしたので、このままいけば同じ大覚寺統の中でも兄後二条天皇の血統が代々即位するはずでした。ジッとしていれば、自分の子孫は皇位継承から外れてしまうんです。

だから後醍醐天皇が自分の子孫を安定して帝位につけるためには持明院統が邪魔であり、兄後二条天皇の血統が邪魔であり、さらに、文保の和談を決めた鎌倉幕府が邪魔。ということになります。

「もう幕府を倒すしか道はない…」

こうして後醍醐天皇は、しだいに討幕への思いを強くしていきました。

次回に続きます。

発売中です

CD-ROM版「現代語訳つき朗読 おくのほそ道」
https://hosomichi.roudokus.com/CD/

本製品は『おくのほそ道』全章の原文と現代語訳による朗読とテキストを含むCD-ROMに、メール講座「よくわかる『おくのほそ道』」の配信を加えたものです。

特に、メール講座「よくわかる『おくのほそ道』は本製品の一番の売りです。『おくのほそ道』本文だけではわからない、言葉の奥に隠れた意味。その土地に伝わる伝承、神話、歴史。芭蕉はなぜそこで感動し、涙したのかという背景を、ひとつひとつ、丁寧に読み解いていきます。本編の朗読とあわせて聴くことで、『おくのほそ道』の世界がより立体的にわかり、「ああ、ここまで深いことを言っていたんだ!」と納得・理解できるようになっています。
https://hosomichi.roudokus.com/CD/

▼今すぐ注申し込む▼
https://sirdaizine.stores.jp/items/53f825de3e7a4a98a800086a

▼『おくのほそ道』『松尾芭蕉 紀行文集』セットで申し込む
https://sirdaizine.stores.jp/items/57aece9a100315afd5005731