『徒然草』ゆかりの化野(あだしの)跡地・嵯峨鳥居本に化野念仏寺・愛宕念仏寺を訪ねる

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本日は、『徒然草』にも描かれた化野(あだしの)の跡地、嵯峨鳥居本に、化野念仏寺と、愛宕念仏寺を訪ねます。

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化野(あだしの)は、古来風葬の地でした。平安京で死んだ人の遺体は化野で野ざらしにされ、朽ち果てるにまかせました。

そのため、「化野の露」というと世の無常、人の命のはかなさのたとえとなり、歌や文学作品に詠まれました。

『徒然草』には

あだし野の露きゆる時なく、鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。

とあります。

京都市嵯峨鳥居本町並み保存館

JR嵯峨嵐山駅前か阪急嵐山駅前から清滝行きのバスに乗り、バス停鳥居本下車。


おちついた雰囲気が漂っています。


嵯峨鳥居本は江戸時代に愛宕(あたご)神社の門前町として栄えました。


石畳の街道沿いに、茅葺き屋根の町家や農家が立ち並び、昭和初期くらいに迷い込んだ感じがあります。


町並み保存館は、町屋そのものを一軒、展示物として公開しています。

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二階部分の「虫籠窓(むしこまど)」や軒先の「ばったり床几」、階段と箪笥を兼ねた「箱階段(はこかいだん)」など、町家特有のしくみが観察できます。

私はもちろん町家は大好きですが、人の家をジロジロ観察するわけにいかないので、いつもはもっとよく見たいと思いつつ通り過ぎることが多いんですが、ここは思う存分観察できるのが、いいですね。

しかし町家は見れば見るほど、味わい深いですなあ。西陣の裏通りを歩いてると、昔ながらの町家が並んでて、嬉しくなります。

町家のプラモデルがあったらほしいなァと思って調べてみたら…

けっこう、模型が出てるんですね。

町家古民家模型 いつわ

京町家模型(1/10)

↓ペーパークラフトもありました↓
京都 ペーパークラフト市場

部屋に飾っとくと、京都の感じが常にただよって、よいと思います。

清滝方面にぶらぶら歩いていると、見えてきました。


化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)。八千体を越える石仏・石塔が立ち並ぶ「西院(さいいん)の河原」で有名な浄土宗の寺院です。


古くから化野は蓮台野・鳥辺山とならび風葬の地でした。平安京で死んだ人の遺体はこの場所で野ざらしにされ、朽ち果てるにまかせました。

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平安時代初期。弘法大師空海は、この地の無縁仏を哀れに思い、五智山如来寺という寺を建て、遺体の追善供養をしました。

これが寺の始まりで、はじめ真言宗でしたが、平安時代末期に法然上人によって浄土宗の寺となり、その名も念仏寺と改められました。

西院の河原

境内に入ってすぐに目に飛び込んでくるのが西院(さい)の河原です。



中央の十三重の塔と釈迦如来座像を囲んで、8000体を越す石仏・石塔が並びます。この地で風葬にされた無縁仏の墓です。苔と、紅葉の共演に、圧倒されます。ため息しか出ないですね…

8月の地蔵盆に行われる千灯供養(せんとうくよう)では8000体の石仏・石塔のひとつひとつに灯明がお供えされ、幻想的な雰囲気をかもします。

古くから化野は平安京で出た遺体を風葬にする場所でした。「化野の露」といえば、「無常」として歌や文学作品に詠まれています。

『徒然草』には

あだし野の露きゆる時なく、鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。

あだし野の露が消える時なく、鳥辺山の煙がいつまでも上がり続けるように、人生が永遠に続くものならば、どうしてもののあはれなど、あるだろう。人生は限りがあるからこそ、よいのだ。


↓↓西行法師の歌↓↓

誰とてもとまるべきかはあだし野の
草の葉毎にすがる白露

西行
山家集

誰がこの世に永遠に生き続けることができるだろう。できない。我々の命は、あだし野の草の葉ごとにすがりついている、白露のようにはかないものだ。

↓↓式子内親王の歌↓↓

暮るる間も待つべき世かはあだし野の
末葉の露に嵐たつなり

式子内親王
新古今和歌集 巻第十八 雑歌下 1847

日が暮れるまでのわずかな時間ですら、人生は待ってはくれない。アッという間に過ぎ去ってしまう。それはあだし野の松の葉に露がかかっているところに嵐が吹いて、露がはらい落とされてしまうように。私たちの命もはかないものである。

まあそこまで深刻に考えなくてもって気もするんですが…人生は無常である。一定の状態にとどまらない。これは、真理ですね。

竹の小径

本堂裏手に「竹の小径」。紅葉の華麗さとはまた違う、清涼感のある光で包まれます。


六面六体地蔵

竹の小径を登りきると、六面六体地蔵があります。


柱の一面につき一体の地蔵さまが刻まれ、それぞれの面が地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道を象徴し。ひしゃくで順番に水をかけることにより功徳があるという仕組みです。この寺の奥嵯峨霊園の守護として近年作られたものです。

ちょろちょろちょろと流れる水の音が、紅葉と相まって、おちついた雰囲気でした。

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愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)

化野念仏寺を後に、清滝方面に歩いていきます。


紅葉に見とれながら歩くこと約5分。


左手に愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)の仁王門が見えてきます。


愛宕念仏寺。

奈良時代の天平神護2年(766)女帝・称徳天皇が現在の東山松原通り(六波羅蜜寺の近く)に築いた愛宕寺(おたぎでら)を前身とします。平安時代、醍醐天皇の御世、愛宕寺は鴨川の洪水によって廃寺となります。

その後、比叡山の僧千観内供(せんかんないぐ)が伽藍を再興し、愛宕院と称して延暦寺の末寺としました。大正11年(1922)本堂の保存のため、ここ奥嵯峨の地に移築されました。

参道を登っていきます。

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境内には1200体を越える羅漢石像があちこちにあります。


昭和56年以降、参拝者が彫って奉納したものです。



夫婦で仲良くしてるのとか、酒飲んでるのもいて、ほがらかな気分になります。




三宝の鐘


ふれ愛観音堂


地蔵堂


など見ながら、

本堂に来ました。


単層入母屋造り。鎌倉時代のもので重要文化財に指定されています。ワイワイキャッキャとえらく賑やです。見ると、脇の廊下で、おばちゃんたちが弁当広げて食べてました。のんびりしたもんです。

本堂からさらに上って、

多宝塔、




虚空蔵菩薩像。


ここが一番高い位置です。本堂のおばちゃんたちの食事が、よく見下ろせました。


帰りも道すがら紅葉に見とれながら、


ふもとまで歩いて下りました。遠景の紅葉・近景の紅葉。重なりあい、反射しあい、いざやかな輝きを放っていました。


本日は『徒然草』にうたわれた「化野(あだしの)」の跡地に、化野念仏寺・愛宕念仏寺を訪ねました。とても落ち着いた雰囲気のいい所です。とくに紅葉の季節は最高です。京都嵯峨野を訪れた時には、ちょっと足を伸ばして、奥嵯峨に、化野念仏寺・愛宕念仏寺を訪ねてみてください。

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