鹿島神宮周辺を歩く

こんにちは。左大臣光永です。新しい一週間、どうお迎えられたでしょうか?

私は昨日、まっったくやる気が出なくて、一日ボサーーッとしていました。しかし一日ぼっとすると、さすがに罪悪感がこみ上げますね。ちゃんとしなきゃと。反動で今朝は朝から8000字ほど文章を打ちました。つくづく思うのですよ。勤勉の才能とともに、怠惰の才能というのも、あるなァと。よく働き、よく怠けよ、ということです。私はまだまだ、勤勉においても、怠惰においても、修行が足りなんなァと思いました。

さて先日、再発売しました「語り継ぐ 日本神話~神代篇」
http://sirdaizine.com/CD/myth.html

特典の「飛鳥・奈良の歴史を旅する」(全66回)は、6/15お申込みまでの
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しばらくこの商品に関連して、神話や、伝説にまつわるお話をお届けしております。
本日は前回、前々回に引き続き、「鹿島神宮周辺を歩く」です。

▼音声が再生されます▼

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Kashima3.mp3

前々回・前回

「鹿島神宮を歩く(一)」
http://sirdaizine.com/travel/Kashima1.html

「鹿島神宮を歩く(二)」
http://sirdaizine.com/travel/Kashima2.html

根本寺

鹿島神宮で根本寺までの道のりを聴き、出発します。山際の坂道を下っていくと、甍の向うに北浦が、満々と水をたたえて見えるのが、いい感じです。


途中、小学生にすれ違うと「こんにちは」「あっ、こんにちは」自然に声をかけてくれました!すれ違いざまに小学生が挨拶してくれる!東京ではあまり起こらない現象です!

根本寺は入口がよくわからず、かなり迷いましたが、ぐるっと回った所に、アジサイの咲き乱れる参道がありました。


境内入って左に芭蕉の句碑が見えます。


寺に寝てまこと顔なる月見かな

貞享4年(1687年)松尾芭蕉は深川で知り合った禅僧・仏頂上和尚を訪ねて、鹿島を訪れます。

仏頂和尚はここ鹿島根本寺の一世住職で、当時、鹿島神宮と境界争いをして裁判のためにたびたび江戸を訪れていました。そんな中、深川で芭蕉と出会ったのです。芭蕉は禅に興味があり、仏頂和尚は俳諧に興味があったので、お互いに教え合いました。いい関係ですね。その後、仏頂和尚は鹿島根本寺へ帰っていきました。


貞享4年(1687年)芭蕉はなつかしの仏頂和尚に逢おうと、また「鹿島の山の月を見ようと」深川から船に乗り、行徳を経て鹿島へ向かいます。『鹿島紀行』の旅です。旅のお供に宗波・曾良の二人を連れていました。

鹿島・根本寺で、芭蕉と仏頂和尚は再会を喜びますが、その日はあいにくの雨でした。明け方。ようやく雨が上がったので、みなさん、起きてください。あっ…ああ昨日はよく寝た。見てください。ああ、これは見事ですなあ…

月はやし梢は雨を持ちながら

「月はやし」は雨あがりの雲の間に月が見えるので、まるで月が飛んでいくように見えることをいったもの。地上では梢が昨夜の雨を含んでしっとりと濡れている…という句です。

寺に寝てまこと顔なる月見かな

寺に寝て、起きて、今、月見をしている。寺という場所のせいか、単なる月見でなく、何か神妙なことをしているような顔つきになるのが、我ながら面白い。

根本寺は推古天皇の21年(613)聖徳太子の勅願により東方薬師如来を本尊として建立された寺院です。はじめ三論宗。それから法相宗・天台宗を経て、南北朝時代に臨済宗の寺院となりました。

正面の薬師如来坐像が特に目を引きます。


鎌足神社

根本寺のすぐ近くに、鎌足神社があります。


藤原鎌足ははじめ中臣鎌足といい中大兄皇子とともに蘇我氏を倒し、中央集権国家の礎を築きました。中大兄あらため天智天皇から晩年「大織冠」の位を授かり、「藤原」の姓を賜り、藤原氏の祖となりました。平安時代にはその子孫が摂関家として反映を極めました。

鎌足の故郷としては、いくつか説があります。奈良県橿原説(『藤原家伝』)、奈良県明日香村説、そして鹿島説(『大鏡』)です。

その鎌足のおとど生まれ給へるは、常陸国なれば、かしこに鹿島といふ所に、氏の御神を住ましめ奉り給ひて、その御代より今にいたるまで、あたらしき帝・后・大臣たち給ふ折は、御幣の使かならずたつ。

しかし、奈良に都が遷ってからは、鹿島に参詣するのは大変だということで、奈良の三笠山に勧請し、春日大社とした、という話になっています。

この、藤原鎌足鹿島出身説にのっとって建っているのが、ここ鹿島の鎌足神社です。

境内に足を踏み入れると、見事な巨木がそびえ、銅葺き流れ造りの社がぽつんと建ち、



明治25年建立の「大織冠藤原公古宅址碑」が建ちます。住宅街の中ながら神さびた雰囲気が漂っています。



鹿島城址

鎌足神社を後に鹿島城址に向かいます。鹿島城址は城山公園といっており、遠くからもよくわかります。あの丘に向けて、歩いていけばいいのです。登り口です。


うねうねした道を登っていきます。山の上に出ました。鹿島城本丸です。


本丸周辺は遊歩道が整備されています。とても景色がいいです!



鹿島氏は平国香・平繁盛父子を祖とする桓武平氏で、平国香から六代目の鹿島成幹(なりもと)が常陸国鹿島郡に地頭として赴任し、鹿島氏を称したことに始まります。

鹿島氏は桓武平氏でありながら清和源氏とつながりが深く、前九年の役・後三年の役で源頼義・義家父子のもと功績を立てます。源平合戦の時は源義経に随い屋島の合戦で戦った功績により、鎌倉幕府の御家人とされました。

しかし南北朝時代、室町時代には身内の争いが絶えず、鹿島氏はしだいに衰えていきました。

天正19年(1591)豊臣秀吉の小田原攻めに功績があった佐竹義宣は、その功績により秀吉から常陸の支配を認められます。しかし、常陸南部には古くからこの地を支配してきた鹿島氏がいます。これを滅ぼさなければ、常陸の統一はなしえない。そこで佐竹義宣は、鹿島氏当主(清秀?)と常陸南部の地頭たちを梅見に誘い、その場で殺害。その勢いに乗じて鹿島城に攻め寄せ、攻め落としました。こうして平安以来、常陸南部に勢力を持ってきた鹿島氏は滅びました。

徳川氏の世になって、下総に落ち延びていた鹿島清秀の息子は家康にお家再興を願い出ます。そこで許されて、鹿島惣大行事家として200石を賜り、以後、鹿島神宮に仕える神職として、明治維新に至りました。

ここが鹿島氏の城址・城山公園です。

眼下に鹿島の街並みと、北浦を眺めながら、大声を張り上げてきました。時々通りかかる人が何事という顔で見ますが、気にしません。よく見ると、北浦の水ぎわに、香取神宮一之鳥居が立っています。雄大な眺めです。


私は旅先ではこのように見晴らしのよい、人気の無い場所を見つけてはワァワァ声出すことを楽しみとしています。暑い日だったので、びっしょり汗をかきました。その後で飲んだビールが美味しかったです!

発売中です。

「語り継ぐ日本神話 神代篇」
http://sirdaizine.com/CD/myth.html

日本神話を『古事記』に基づき、
現代の言葉でわかりやすく語った音声cd-romです。

今回再発売する「神代篇」は、
イザナキ・イザナミの国づくりから
アマテラスオオミカミやスサノオノミコトの活躍。天の岩屋、
スサノオの追放、ヤマタノオロチ、

そして稲羽の素兔からはじまる
オオクニヌシノミコトの出雲神話、
国譲り、天孫降臨、

ニニギとコノハナノサクヤビメ、海幸・山幸兄弟の対決、
ホオリノミコトとトヨタマビメの結婚。ウカヤフキアエズノミコトの誕生。

そして、カムヤマトイワレビコが日向から大和に至り、
初代神武天皇として即位し、さらに
神武天皇の後継者争いまでを語ります。

特典のメール講座「飛鳥・奈良の歴史を旅する」
前66回は明日6/15お申込みまでの早期お申込み特典です。
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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。