小夜の中山周辺を歩く

こんにちは。左大臣光永です。週末の午後、心静かにお過ごしでしょうか?

私は先日、セミの幼虫が地面から這い出そうとしているのを見ました。お尻を向けて、モソモソもがきながら、少しずつ、少しずつ、這い出すんです。夜までかかりそうなのでソッと立ち去りましたが、途中であ~しんど。やめた。と投げ出すわけにもいかず、セミにとっては真剣勝負ですね。見ていて、勇気づけられました。

さて本日は「小夜の中山を越える」です。先日、静岡で百人一首の講義をした際、同志社大学OB会静岡支部の方に案内してもらいました。その、レポートです。

▼音声が再生されます▼

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/SayonoNakayama.mp3

小夜の中山は東海道が牧之原大地を越える峠にあたり、箱根・鈴鹿峠と共に東海道の難所の一つに数えられます。西行法師や橘為仲、松尾芭蕉といった文人墨客が訪れ、多くの歌や句に詠まれた歌枕の地としても小夜の中山は知られています。

日坂宿の高札場

JR東海道線掛川駅から車で約20分。


日坂宿に至ります。


日坂宿は東海道第25番の宿です。本陣・脇本陣ほか多くの旅籠屋が軒をつらね賑わいました。大井川を越える旅人は、ここ日坂宿で宿をとって、よい日よりを待ちました。現在でも、旧東海道の面影が残る街並みです。

街道左に幕府の日坂宿の高札場が復元されており、「いよいよこれから、日坂宿に入るぞ」と期待を高めてくれます。



川坂屋

坂道を登っていくと、すぐ右手に川坂屋(かわさかや)が見えてきます。



川坂屋は日坂宿の一番西にあった旅籠屋です。

格子戸の様子が、昔をしのばせますね。床の間つきの上段の間があり、当時禁制であった檜材が使われていることから、身分の高い武士や公家などが宿泊した上等の旅籠屋であろうと見られます。



中は資料館になっており、土日祝日のみ公開しています。私たちが行ったのは土曜日でしたので、係の方が親切に解説してくださいました。


これから大井川を越えるという時に雨になったりして、雨が上がるまでここで何日も宿を取ったりしたんでしょう。今日も雨か。まあそれもよい。こうして足止めをくらい、日がな酒を飲むのもまた一興。などと言って。

小夜の中山公園

茶畑をみながら坂道を車で登っていきます。


すぐに道の左に「扇屋」というお店、


右に小夜の中山公園があります。


小夜の中山公園には西行法師の歌碑があります。大きな字で、とても読みやすいです。

年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山


文治2年(1186)69歳の西行法師は、東大寺の大仏再建のため、奥州の藤原秀衡に砂金を勧進しようと、二度目の奥州への旅に出ます。その途中、小夜の中山を越えた西行が、若い頃一度小夜の中山を越えたことを思い出して詠んでいる歌です。

こんなに年取ってから、またも小夜の中山を越すことになるなんてなあ。長生きはするもんだなあという歌です。

また同じ旅の中で西行はもう一首、有名な歌を詠んでいます。

風になびく富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬわが思ひかな

風になびく富士のけむりが空に消えて、行方もわからない私の思いだなあ…説明も必要ないくらい、簡単な言葉で、技巧も何もない歌です。それでいて、深い情緒を漂わせている。西行自身、この歌をたいそう気に入っており、生涯最高の歌と自讃しています。

たしかに素直でおおらかな歌で、つい口ずさみたくなる気持ちよさがあります。

丘の上には二つの歌碑があります。一つが西行の「風になびく富士のけぶり」の歌で、もう一つは橘為仲の、

旅寝する小夜の中山さよ中に鹿ぞ鳴くなる妻や恋しき

このへんでも鹿がいるんでしょうか。わびしい情緒が漂う歌です。

夜泣き石伝説

さて、小夜の中山公園正面の「扇屋」も、その隣の「久延寺」も、「夜泣き石」伝説に関係した場所です。

その昔、小夜の中山の久延寺(きゅうえんじ)近くを、臨月を迎えた妊婦が通りかかりました。そこへ、

おう、姉ちゃん。ガラの悪いのが道をふさぎました。

な!なんですのあなたは。あっ、ああーーーっ。ずばあっ。

男は妊婦を斬り殺し、妊婦が持っていた金を奪って逃げました。しかし、刀の先が石に当たったため、お腹の子は無事で、傷の間から生まれてきました。

その夜、久延寺の住職は奇妙な声を耳にします。

「はて、こんに夜中に、泣き声…?」

なんだろうと思って住職が声のほうに探しに行くと、

「ああ!」

無惨に殺された女の姿と、生まれたばかりの赤子の姿をそこに見ます。なんと不愍な。大方山賊にでもやられたか。しかしあれは赤子の泣き声ではなかった。ふと傍らを見ると、大きな丸い石があります。そうか。母親の魂が石に乗り移って助けを呼んだのだな。なんと不愍な。

そこで住職は母親を丁重に葬り、子供を音八と名付けました。住職は水飴を作って音八に食べさせ育てました。音八は住職のもとで立派な若者に成長していきました。住職から母親の死についても聞かされ、大人になったら母親の供養をするために力を尽くしたいと思うようになりました。

そんなある日、音八の夢の中に観音菩薩が現れ、

「おまえは、刀研ぎ師になりなさい」

そうお告げがありました。はて、刀研ぎ師。なんでまた。しかし観音さまのお告げだから、その通りにしよう。

こうして音八は大和に出て、有名な研ぎ師の弟子となり、めきめきと腕を上げていきました。

ある時、一人の武士が刀を研いでくれと音八のもとに持ち込んできます。との刀を見て音八は、

「お客さん、この刀。いい刀なんですが、刃先に大きな歯こぼれがありますね」

「ああ、その歯こぼれですか。実は、若い頃、やんちゃをやりまして…小夜の中山で妊婦を斬り捨てた時に、石にあたって歯こぼれがしてしまったのです」

「妊婦を、…ではお前が母を」

「母…もしや、あなたは」

「そうだ。俺がその妊婦の息子だ。母の敵」

ずばーーーっ。ぐはっ。

といって斬り捨てたという話と、斬った男も若い頃の行いを後悔しており謝って、二人和解したというバージョンの話も伝わっています。

扇屋

小夜の中山公園の前の「扇屋」は、夜泣き石伝説にまつわる「子育て飴」で有名です。



店員さんはとても気さくで、いろいろ話をきかせてくれました。


久延寺(きゅうえんじ)・夜泣き石

小夜の中山公園と扇屋のすぐ脇にあるのが久延寺です。



ここの住職さんが「子育て飴」で音八を育てたというのです。

境内には「夜泣き石」がありますが、これは別の場所にあった形の似た石を持ってきたものです。


本来の「夜泣き石」は、小夜の中山トンネル近くの旧国道一号線沿いにあります。

境内には猫がいて、すりすり体をこすりつけてきました。なんかちょうだい、て感じで、とても可愛かったです。


次回は後鳥羽上皇の忠臣で、上皇が承久の乱で破れたことにより処刑された中納言宗行の塚を訪ねます。

発売中です

『『方丈記』現代語訳つき朗読」発売中です。
http://sirdaizine.com/houjyouki/

『方丈記』の全文を原文と現代語訳で朗読しています。短いブロックに区切って、原文を聴いた直後に現代語訳を聞くと、古文の経験がなくても、無理なく内容が理解できるようになっています。もちろん原文だけを聴くこともできます。特典の『方丈記』こぼれ話集は7/30お申込みまでの早期お申込み特典です。お申込みはお早目にどうぞ。
http://sirdaizine.com/houjyouki/

本日も左大臣光永がお話ししました。ありがとうございます。
ありがとうございました。