崇徳院をまつる白峯神宮をたずねる

こんにちは。左大臣光永です。8月1日から京都に移住しました。どの店に入っても食べ物がうまいので、食事代と酒代がかさんで仕方ないです!安い店でもうまい。高い店はとことんうまい。たまらんです!東京よりよっぽど飲食代がかかります!

というわけで本日は、崇徳院の御霊を祀る、白峯神宮に参拝します。

白峯神宮は保元の乱に敗れて讃岐に流された崇徳院の御霊を明治元年《1868》明治天皇がお迎えしてできた神社です。

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明治6年《1873》には、奈良時代に淡路島に流された淳仁天皇も、合祀されました。また、蹴鞠の宗家である飛鳥井家の跡地に建てられた神社ですので、サッカーや球技関係の方に信仰されている神社です。

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バス亭堀川今出川からすぐ。

見えてきました。黒木の立派な鳥居がそびえています。


白峯神宮です。

楼門をくぐると、すぐ正面に舞殿があります。


舞殿右手から、見ていきましょう。

おがたまの木


ここ白峯神宮は、蹴鞠の宗家である「飛鳥井家」の屋敷の跡に建てられた神社です。

そのため、蹴鞠の神である「勢大名神《せいだいみょうじん》」という摂社があります。蹴鞠=ボールということで、球技をはじめ、スポーツ全般にご利益があるとされます。全国からサッカー選手の参拝が絶えません。

境内右手・樹齢800年の「おがたまの木」は飛鳥井家の邸宅に植えられてたとされる木です。飛鳥井家は蹴鞠だけでなく歌の家系としても有名で、百人一首94番に飛鳥井雅経の歌が採られています。

みよしのの山の秋風さよふけて
ふるさと寒く衣打つなり

吉野山は秋風が吹いて夜が更けて、吉野の里には寒々と衣うつ砧の音が響いている。静かな、秋の情緒ただよう歌です。

精大明神・蹴鞠の碑

「おがたまの木」の左横にあるのが鞠の神様・精大明神と、


蹴鞠の碑です。


蹴鞠の宗家飛鳥井家にちなんだものです。楽しそうに蹴鞠を蹴っている後ろ姿。あの人物が飛鳥井雅経でしょうか。親しみを覚えます。

右上に石のボールが埋め込んであり、ゴリゴリまわすと、球技が上達するということです。

崇徳院歌碑

その隣に崇徳院の歌碑。


瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末にあはむとぞ思ふ

瀬の流れが早いので、滝のように流れの速い川の水が、さーーと流れていく。

その先に岩があって、せきとめられて、水は二手に分かれる。

分かれるんだけども。

いつかまた、水はいっしょになる。

そんなふうに、

私たちも一度は離れ離れになっても、いつかまた再会できますよね。

未来の再会に、希望を託している歌です。

崇徳院の運命

保元元年《1156》保元の乱は、崇徳上皇方と後白河天皇方がそれぞれ源平の武士を招集して、武力衝突に到りました。崇徳上皇方には源為義、その子源為朝、平忠正らがつきました。

一方、後白河天皇方には平清盛、源義朝、摂津源氏の源頼政らがつきました。

戦闘は4時間ほどで終わり、崇徳上皇の立てこもる白河北殿は炎上しました。崇徳上皇方の総司令官・藤原頼長は戦死。崇徳上皇は捉えられて、讃岐に島流しとなりました。

「おのれ、この仕打、許さぬぞ…
皇族を平民にし、平民を皇族にして、
世の中をひっくり返してやる」

そんなこともおっしゃったとか。

讃岐に配所生活を送ること8年。

「都に帰りたい…都に帰りたい…」

そう願いながら崇徳院は、

1164年、帰らぬ人となりました。

(もっともこれらの話は『保元物語』に書かれていることで、実際は侍女をはべらせて、わりと悠々自適の晩年だったようです)

その後、さまざまな社会不安が相次ぎます。飢饉や干ばつ。そして源平の騒乱。

「崇徳院の怨霊のせいだ」

恐れる人々。ついに朝廷は讃岐に勅使を送り、「崇徳院」の号を送り、その怨霊をなだめました。

時は流れ慶応2年《1866》、戊辰戦争が始まっていました。崇徳院は皇室を強く憎みながらお亡くなりになった。今ここで、幕府が倒れ朝廷に権限が戻ろうとしている時に、

崇徳院の怨霊が現れて旧幕府軍に味方されたら事だ。

そこで明治天皇は讃岐に勅使を送り、崇徳院の御霊を京都にお迎えし、ここ白峯神宮に祀りました。

「都に帰りたい…都に帰りたい…」

そう願いながら亡くなった崇徳院の、実に700年ぶりの帰郷となりました。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末にあはむとぞ思ふ

この歌は崇徳院の実体験を詠んだ歌ではなく、あくまでも創作ですが、崇徳院の悲痛のご生涯を知る後世の我々としては、崇徳院が保元の乱に敗れて讃岐に流されたこと、讃岐の地で寂しくお亡くなりになったこと。700年ぶりに京都にご帰還されたこと…重ね合わさずには、いられません。

伴緒社

そして源為義・為朝を祀った伴緒社です。


武勇にすぐれた為義・為朝父子は、保元の乱で崇徳上皇方につきました。

総司令官藤原頼長が、

「来る天皇方との合戦。いかに戦うべきであるか」

源為義に意見を求めると、

「私はすでに現役を退いております。ここは息子の為朝にお尋ねください」

「うむ。為朝、どうか」

「勝利するには、夜討ちが一番です」

「なに夜討ち?ならぬならぬ。これは帝同士の国争いぞ。
夜討ちなど卑怯な真似、もっての他。朝になって
援軍が到着するのを待つがよい」

話になりませんでした。

(こいつ…わかってない。戦をわかってないッ!!)

地団駄を踏む為朝。

「私の兄義朝は天皇方についております。
かならずや今夜、夜討ちをしかけてくるでありましょうな。
味方は逃げ惑うことになりますぞ」

そして事実、為朝の言った通りになりました。

平清盛・源義朝らは崇徳上皇方・白河北殿に夜討ちをしかけ、

総司令官・藤原頼長は戦死。

崇徳上皇は捉えられて讃岐に島流しとなりました。

戦後、源為義は、後白河天皇方についていた息子・義朝によって首斬られ、

為朝は捉えられて、伊豆大島に島流しとなった…

おなじみ、源為義・為朝父子を祀る、これが伴緒社です。

武道の神として、武芸上達にご利益があると信仰されています。

拝殿

では拝殿に参拝しましょう。拝殿の向こうに柵越しに本殿が見え、本殿前に一対の立砂《たてずな》があります。


あの立砂と立砂の間に、ヒビビーッと電気が走り、崇徳院の御霊がご降臨なさるという信仰です。なかなか東京では見られないですので、私にはうれしいです。

鞠庭

舞殿左手に広がるのが、鞠庭《まりにわ》。蹴鞠をする所です。


4月4日の春季例大祭、7月7日の精大明神祭には古式ゆかしく蹴鞠試合が奉納されます。今年は間に合いませんでしたが、来年は絶対に見に行きます。

サッカーにご利益

とにかく白峯神宮は蹴鞠の神社。球技にご利益があるということで、境内にはサッカーボールが奉納されています。


サッカー少年の参拝も多いようです。


「キャプテン翼」の高橋陽一先生の絵があります。


未来のJリーグ選手が、この白峯神宮参拝者の中から、出るかもしれないですね!


明日は、北野天満宮を歩きます。お楽しみに。

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お楽しみに。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。