春の平等院を歩く

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さて本日は、春の平等院を歩きます。

平等院は平安時代中期、藤原頼通が父道長の別荘を寺としたものです。阿字池に浮かぶ鳳凰堂は、十円玉の絵柄で有名ですね。

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平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂

参道の楽しい雰囲気。宇治川の流れ。香り立つ宇治茶。四季折々の花々。何度歩いても宇治は心躍ります。

JR宇治駅下車。徒歩10分。

平等院の参道です。

平等院 参道
平等院 参道

平等院 参道
平等院 参道

いつ来ても賑わってます。

平等院 参道
平等院 参道

平等院 参道
平等院 参道

楽しくて、何度歩いても顔がニヤけてしまいます。見えてきました。平等院の入り口です。

平等院 入口
平等院 入口

平等院 入口
平等院 入口

平等院は永承7年(1052)関白藤原頼通が、父道長の別荘を寺院に改め平等院と名付けたのが始まりです。翌天喜元年(1053)、阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、平安時代の名仏師・定朝によって丈六の阿弥陀如来坐像が安置されました。

平等院が建てられた永承7年(1052)という年は末法初年といわれ、世に末法思想が流行していました。釈迦が死んでずいぶん長い時間が経ったので、正しい教えが衰え、世が乱れるという考えです。

そこで平等院はこの世に極楽浄土をあらわそうという意図で建てられました。「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ」と巷でうたわれました。

扇之芝

門をくぐると松の緑が目に鮮やかです。

境内すぐ左手にあるのが源頼政(1104-1180)自刃の場所と伝えられる、扇之芝(おおぎのしば)です。

扇之芝
扇之芝

頼政が自刃した時、地面にしいた扇をかたどったとも言われています。

治承4年(1180)5月、後白河法皇第三皇子以仁王に加担して打倒平家の旗揚げをした源頼政は、宇治橋のあたりで平家軍に追いつかれ、平等院にて自害したと伝えられます。享年77。

扇之芝 碑
扇之芝 碑

三位入道は、渡辺長七唱(わたなべのちょうじつ・となう)を召して、「わが頸(くび)うて」と宣(のたま)ひければ、主(しゅう)のいけくびうたん事のかなしさに、涙をはらはらとながいて、「仕ッつとも覚え候はず。御自害候はば、其後こそ給はり候はめ」と申しければ、「まことにも」とて西にむかひ高声(こうしょう)に十念となへ、最後の詞(ことば)ぞあはれなる。

埋もれ木の花咲くこともなかりしに
みのなる果てぞ悲しかりける

これを最後の詞にて、太刀のさきを腹につきたて、うつぶさまにつらぬかッてぞうせられける。

『平家物語』「宮御最期」

扇の芝からちょっと進むと、藤棚と、観音堂。

平等院 藤棚
平等院 藤棚

平等院 観音堂
平等院 観音堂

このあたりで頼政の嫡子・伊豆守仲綱が討ち死にしたと『平家物語』に書かれています。

鳳凰堂・阿字池

中央の阿字池にうかぶ鳳凰堂こと阿弥陀堂です。

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂

天喜元年(1503)藤原頼通による建立。中堂・左右の翼廊・背後の尾廊から成る荘厳な建物です。西方極楽浄土の、阿弥陀如来の宮殿をイメージしていると言われます。

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂

正面から見た姿が伝説の鳥・鳳凰が翼を広げた姿に似ていることから、また屋根の両端に一対の鳳凰像をのせていることから、江戸時代以降、鳳凰堂と呼ばれるようになりました。

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂

中に入るのは別料金がかかります。鳳凰堂左翼の入り口に並んで、先導されていきます。

堂内は…ひんやりと風が吹いていて冷ややかでした。平安時代の名仏師・定朝作の丈六の阿弥陀如来坐像。これは定朝作ということが確定している日本で唯一の仏像です。

東に面した格子の上部に丸窓が空けてあります。これによって、阿字池を隔てて池のむこうから阿弥陀如来坐像の御尊顔を拝むことができるようになっています。

阿弥陀如来坐像の周りの長押の白壁には、52体の雲中供養菩薩像がかかっています。雲に乗り、輪光を背負い、あるいは楽器を奏で、あるいは合掌し、舞い、印を結び…ご本尊の阿弥陀如来坐像を供養し、極楽の楽しさを表しています。

うち26体は本物で26体はレプリカです。残る26体の本物は、鳳翔館に展示されています。また大和絵風の「九品来迎図」が描かれています。阿弥陀如来の来迎に九段階の違いがあるという内容です。

梵鐘

鳳凰堂を出て、阿字池の周りの道に沿って進んでいきます。

石段登った所に平等院の梵鐘があります。

平等院 梵鐘
平等院 梵鐘

日本三銘鐘の一つに数えられます。鐘の表面に刻まれた彫刻の美しさで有名です。昭和47年に復元された二代目です。

平等院のさまざまな宝物を展示した博物館です。

平等院 鳳翔館
平等院 鳳翔館

梵鐘、鳳凰像一対、そして26体の雲中供養菩薩像は最大の見どころです。雲に乗り、輪光を背負い、あるいは楽器を奏で、あるいは合掌し、舞い、印を結び…変化に富んでいます。いつまでも見ていていたくなります。

またCGで再現した鳳凰堂創建当時の色彩を見ることができます。当初はカラフルで派手派手だったんですね。

旧南門

鳳翔館を出たところに平等院旧南門。

平等院 旧南門
平等院 旧南門

伏見桃山城から移築したものです。大胆に反り返った垂木が江戸時代以前の建築様式を示しています。

平等院 旧南門 垂木
平等院 旧南門 垂木

旧南門をくぐったところに、平等院の塔頭・浄土院。

平等院塔頭 浄土院
平等院塔頭 浄土院

境内の養林庵書院は、伏見桃山城から移築したものと伝えられ、伝狩野山楽筆による障壁画や、藤の透彫(すかしぼり)があります。

平等院塔頭 浄土院
平等院塔頭 浄土院


不動堂・源三位入道頼政の墓

順路に従って進んでいきます。右手に平等院の背中が見えていい感じです。


不動堂。

平等院 不動堂
平等院 不動堂

平等院 不動堂
平等院 不動堂

境内に、源三位入道頼政の墓があります。

源三位入道頼政の墓
源三位入道頼政の墓

源頼政は摂津源氏の流れをくみ、摂津渡辺を本拠地としました。保元の乱では後白河天皇方につき、続く平治の乱でははじめ源義朝につくも、途中から平清盛に乗り換えました。

平治の乱の後、源氏は中央政界を追われますが、頼政は唯一中央政界に残り、平清盛の深い信任もあって出世を重ねます。治承2年(1178)従三位に到り、源三位頼政、出家して源三位入道頼政と呼ばれました。

治承4年(1180)5月、後白河法皇第三皇子以仁王をかついで打倒平家の旗揚げをしますが、途中、宇治川のたもとで平知盛軍に追いつかれ、平等院にて自害しました。享年77。

長年世話になった平清盛を裏切ってまで、どうして頼政は挙兵したのか?諸説あってよくわかりません。

本日は宇治の平等院を歩きました。10円玉の絵柄になっている鳳凰堂、荘厳な雲中供養菩薩像、源頼政自刃の扇の柴など、見どころが多いです。また参道の楽しげな雰囲気。宇治川の流れ。四季折々の花々も、目と心を楽しませてくれます。

先日、洛北の大原に行ったので柴漬けを買ってきました。大原は柴漬け発祥の地なのです。大原の柴漬け。こんなに美味しいものが世の中にあったとは!涙が出ました!

下手な漬物にありがちなイヤな塩辛さなどまったく無く、とはいえ適度な辛さがあって、しかもそれが、とても上品な辛さなのです!ご飯にも、酒にもあいます!

なんか首くくろうとして樹海に入っていく人の肩を叩いて振り向いたところをがぼっと口に押し込んだら目がカッと光って、生きる希望を取り戻すぐらいの、そんな美味さでした!

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