那須に殺生石を訪ねました

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本日は那須の殺生石を訪ねます。

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九尾の狐、那須与一、松尾芭蕉の
伝説と歴史のロマンのただよう那須の殺生石。

JR黒磯駅~那須湯本

JR黒磯駅で降りて、那須湯元行のバスに乗ります。


バスに揺られること35分。

しだいに道が勾配を描いてきて坂道になってきて、
ぷうんとバスの中までもかすかな硫黄のニオイが立ち込めます。

那須湯元で降りると、すぐ目の前が、

温泉(ゆぜん)神社

です。おんせん神社とも言います。この神社の奥が、殺生石のある
エリアにつながっているのです。

さっそく鳥居をくぐりたい所ですが、
ふと見ると、バス亭のすぐそばに
なんと!無料の足湯があるではないですか。
イキなはからいです。ぜひ入っていきましょう。

「こんばいろの湯」とあります。

「こんばいろ」とは地元の言葉でカタクリのことです。
春にはこの付近にたくさんのカタクリ
が咲くことからの命名だそうです。

建物の中は二つの足湯があり、
たまたま向かい合った旅行者と、
どちらから?えっ仙台ですか~そうですか、
などと話が盛り上がるのも旅の情緒です。

熱すぎな時はホースで水を入れることもできます。

最初建物を見た時は、正直、公衆トイレかと思ってしまいましたが…
心の中でその非礼をわびつつ足を乾かしていると、

温泉神社の鳥居の横に、
大きな白い鹿のモニュメントがあるのに気づきます。

夜はこれがライトアップされるわけですね。
なかなか怪しい迫力をかもし出しています。

縁起によると那須温泉は34代舒明天皇の御世、
那須山麓の住人・狩野三郎行広という者が狩をしていると、
ばあっと目の前に真っ白な鹿があらわれました。

「うわっ」

一瞬ひるもむも、狩野三郎は弓を引き絞り、
ふつーーっと射抜くと、
鹿は痛手を負いながらも、

ガサッ、ガサガサッと草むらの中に
駆けいっていきます。

「逃がすか!」

ガサ、ガササ、迷わず草むらに分け入る狩野三郎。

ガサガサ、ガサガサ、

くそう。どこへ行った。

あれだけ大物だしばらく生活には困らない。どっちだ。
あっちか?その時、

「三郎よ、待てい」

「なにっ」

声のほうを見ると、杖をついたシワクチャの、
老人の姿がありました。いかにも神めいた感じです。

「この先に温泉があって、鹿が休んでいるのだ。
あの鹿は神の使いである。いじめちゃダメだよ」

その言葉どおり、草むらをかき分けていくと
こんこんと湧き出る温泉がありました。
件の鹿は温泉のほとりで傷をいやしているところでした。

その痛々しい姿を見ていて、三郎はあわれになってきます。

「お前、悪いことをしたなあ。
お前を取って食おうなんて、もう思わないから、どうか、
俺もひとっ風呂浴びさせてくれよ」

言いも終わらぬうちに狩野三郎は衣を脱ぎ、
ふんどしを脱ぎ捨て、

ざんぶ~

「ああいい湯だ。たまんねえ~」

これが、那須温泉のはじまりだということです。
その後、温泉が開かれ、温泉神社が建てられました。

なので、あそこに、ごらんください。
温泉神社の入り口の所に、白い鹿の像が立っているのです。


芭蕉の句碑

では温泉神社の鳥居をくぐりましょう。

ずざーーーっと向こうまで灯篭が並び、
神聖な空気がたちこめてきますね!

しばらく歩くと、左手の土手の上に芭蕉の句碑があります。

湯をむすぶ誓いも同じ岩清水

元禄2年(1689年)『おくのほそ道』の旅で、芭蕉は殺生石を尋ねて
ここ那須の地を訪れました。

この句は湯本の五左衛門方に2泊した時の句です。

温泉神社は京都の石清水八幡宮を合わせ祀(まつ)るので、
温泉神社の岩清水をすくうと、
京都の石清水八幡宮にも参詣したことになることから、

その、ありがたさを詠んだ句です。

「むすぶ」には「縁をむすぶ」と、
手でお湯をすくうことから、「民を救う」の
「救う」がかけられているのです。

なかなか、縁起ものの句ですね。

正面の石段を登ると、もう温泉神社の境内です。
ふいと右を見ると順路があり、「殺生石」の文字が。

そっちへ直行したい気をおさえつつ、
まずは温泉神社におまいりしていきましょう。

社殿に向かって左手には、那須の五葉松があります。
ボンサイに見る五葉松がここまで大きくなるものかと
驚きを覚えます。

さて那須といえば那須与一。

源平の八島の戦いで扇の的を射る時に、与一は祈りました。

「南無八幡台菩薩、日光の権現、宇都宮、わが国の神明
那須の温泉大名神、願はくはあの扇の真ん中射させて
たばせたまえ」

そして見事、扇の的を射抜き、那須与一は後世に名を残しました。
祈りの中に「那須の温泉大名神」と、その名が、
しっかり出てきていますね。

殺生石

社殿で参拝をすませたら、さあ、向かいましょう。

殺生石へ!

殺生石がある場所は谷状になった広いエリアです。
神社横の小道から、全体像が見渡せます。ばあーーっと
広がった岩、岩、岩、そして立ち込める硫黄のニオイが、気分いいです。

たまに、こういう遠くまで見渡せる場所に行くと、
なんか目の焦点がきゅーーっとかなたまで絞られて、
視力が高くなる感覚がありませんか?

私はこういう所に来ると、
都会という場所が、いかに視界の悪い所か
改めて実感します。まあ高層マンションの上に
住んでる方は別でしょうが…。

小道を行き、

橋を渡ると、

殺生石です!

看板には、「柵の内部に入らないでください。キケンです」

といったことが書かれています。今日なお、ガスを発生して、
キケンなのです。

殺生石をじかになでなでできないのは心残りですが、
この位置がら、じっくりと、しみじみと、殺生石を観察しつつ、
しばし私の語る殺生石と九尾の狐の物語に耳を傾けてください。

その昔、鳥羽上皇の時代、宮中に玉藻の前という美女があり、
鳥羽上皇をとりこにしていました。鳥羽上皇は、夜毎玉藻の前の
部屋にお通いになり、政治もかえりみなくなってしまいました。

「これでは国が乱れる。なんとかしなければ」

そこで陰陽師・安倍泰成が、玉藻前の様子をさぐった所、
その正体は白面金毛の九尾の狐でした。

インドや中国でさんざん悪さをしてきた妖怪が、
遣唐使船に乗り込んで、日本にわたってきていたのです。

大変なことです!

コーーーン

正体を見破られた九尾の狐は御所の上空に舞い上がり、
はるかな東の空へ飛びます。

飛んで、飛んで、
飛び至ったのが、
ここ那須野の地でした。

「おのれ妖怪。朝廷の威信にかけて退治してくれる」

朝廷の命を受けた三浦義明・上総広常らが那須野へ向かい、
見事、九尾の狐を射殺します。

しかし、射殺された九尾の狐はボカーン、
爆発して、巨大な殺生石の姿に変わります。

「うおっ。どうしたことか。がっ、ぐ、ぐはっ」

殺生石に近づく者は毒ガスにあたり、次々と倒れました。
「退けっ、退けーーーっ」

朝廷軍は撤退する他、ありませんでした。

室町時代。

那須野を訪れた玄翁和尚が、九尾の狐の妄念を断ち切ろうと
那須野の地を訪れます。

「九尾の狐よ。お前の妄念、恨み、
断ち切ってやるぞ」

ガチーーン

杖を振り下ろす玄翁和尚。

その強烈な打ち込みに、殺生石は三つに砕け散って飛んでいきました。
その一片が、ここ那須野に現在も残っている、この、殺生石
というわけです。

硫黄のニオイがたちこめる中、そんな殺生石の伝説に思いを馳せながら
歩いてみるのも、味わい深いことだと思います。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

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