秋はもみじの永観堂を歩く
本日は紅葉の名所「秋はもみじの永観堂」で親しまれている京都東山の永観堂を訪ねます。
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永観堂
バス停南禅寺・永観堂道下車、徒歩3分。もしくは
バス停東天王町下車、徒歩5分。もしくは
地下鉄東西線「蹴上」駅下車徒歩15分。
見えてきました。
永観堂の総門です。
永観堂は南禅寺の北にある寺院で正式には禅林寺。古くから「秋はもみじの永観堂」として親しまれています。
平安時代初期、弘法大師の高弟・真紹僧都(しんじょうそうず)が平安時代初期に真言宗の寺として開きました。平安時代後期、永観律師(ようかんりっし)が入り、貧しい人たちに医療を施す施療院を開くなどしました。
人々は永観律師をしたい、いつしか永観堂とこの寺を呼ぶようになりました。その後、鎌倉時代に静遍僧都(へんじょうそうず)が入り、真言宗から浄土宗に改めました。
応仁の乱で伽藍の多くが焼けましたが、室町後期~江戸にかけて、御影堂・書院・方丈といった建物が建てられ、今に至ります。
本尊の阿弥陀如来立像は「みかえり阿弥陀」として有名です。永観律師が一心に念仏していると、その前に立って導く者がある。何とそれは阿弥陀如来ではないですか。アッと驚く永観。すると阿弥陀如来が振り向き、「永観おそし」といったという「みかえり阿弥陀」です。
大玄関~釈迦堂・唐門
大玄関入って、
紅葉に見とれつつ、
釈迦堂に入ります。釈迦堂は書院造の建物です。中庭を取り巻くように六つの間が配置され、それぞれの部屋に松や仙人などを描いた襖絵があります。
中庭の紅葉に見とれながら進んでいくと、前庭に出ました。
枯山水の中に、盛砂があります。
盛砂の向こうに唐門。
天皇の使い(勅使)が出入りする時に使われた門です。勅使は門をくぐるとまずこの盛砂を踏んで身を清めてから釈迦堂に入りました。
この盛砂の形は何を意味してるんでしょうか…。小判?でもないし…
『古今和歌集』に詠まれた永観堂の紅葉
永観堂の紅葉は『古今和歌集』に詠まれています。
宮仕へ久しうつかうまつらで山里にこもり侍りけるによめる
藤原関雄(せきを)
奥山の岩垣紅葉散りぬべし
照る日の光、見る時なくて『古今集』秋歌下・282
宮仕えを長い間せずに、山里にこもっていました時に詠んだ歌
奥山の岩垣に紅葉している木の葉も、もう散ってしまうでしょう。
照らす太陽の光を見る時がないままに…
そんなふうに、私ももう衰えてしまうでしょう。
長い間天皇にお目にかかっておりませんので。
作者藤原関雄は俗世間との交わりを嫌い、東山に隠棲し、禅林寺(=永観堂)に住んでいました。その時の気持を歌った歌です。隠居生活はそれはそれでいいものだが、天皇にお目見えできないのは辛いという意味をこめています。
御影堂
釈迦堂から、回廊を伝って、
千佛堂(せんぶつどう)の横を通り過ぎて、
御影堂(みえいどう)へ。外を見ると一面の紅葉です。華やかさに言葉を失います。
臥龍廊~開山堂
御影堂裏手の階段をのぼり、臥龍廊へ。
ぐるりと螺旋状にカーブした回廊です。臥龍廊というその名の通り、臥した龍の体の中を歩いている感じが味わえます。
その先が開山堂です。
位牌堂
今度は臥龍廊を引き返して突き当りまで進むと、位牌堂。
阿弥陀堂・みかえり阿弥陀
さらに進むと阿弥陀堂に着きます。
大阪四天王寺に建立された曼荼羅道を慶長12年(1607)豊臣秀頼の命により移築したものです。内陣中央にご本尊のみかえり阿弥陀像が安置されています。
永観律師が一心に念仏していると、その前に立って導く者がある。何とそれは阿弥陀如来ではないですか。アッと驚く永観。すると阿弥陀如来が振り向き、「永観おそし」といったという「みかえり阿弥陀」です。
なるほど、見事に首が左に身返ってます。手をあわせて、唱えましょう。「永観おそし」
多宝塔
いったん建物から出て、外の道を進んでいきます。
紅葉がどこも見事です。道の左右に覆いかぶさって、紅葉のトンネルといった風情です。
右に通路が分岐します。
回廊の下をくぐり、
どんどん上っていくと、
さきほどの開山堂の横を過ぎて、さらに上っていくと、
多宝塔です。ここが永観堂で一番高い位置にある建物です。さきほど通った釈迦堂の屋根が大きく目出ちます。
眼下は一面真っ赤な紅葉。いかに紅葉が多いか、一望できます。
放生池
ふもとに広がる放生池(ほうじょういけ)や、
放生池に浮かぶ弁天島の紅葉も見事です。
小川に紅葉が映り込んで、まるで血が流れているようです。
どこもかしこも、紅葉が素晴らしい。
秋はもみじの永観堂。
秋はもみじの永観堂を歩きました。
帰り際に看板があって、「ちょっと見返ってお忘れものはありませんか」とあるのも、イキな感じです。
次の旅「蹴上インクラインと疎水橋「水路閣」」